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第一話 時計台の少年

ちょっと童話テイストです。

 その街は一日の始まりと終わりが、時計台の鐘の音によって訪れる街です。


 時計台は街の中心にあって、その街のシンボルとなっていました。

 

 少年はその街に生まれ、十になるこの年まで、毎日その鐘の音を聴いて過ごしてきました。



 「おおい、今日もあそこへ行くのかー?」


 学校の授業が終わった途端教室を飛び出した少年に、友人がそう声をかけました。


「うん、また明日ー」


 少年は友人にそう返すと、目的の場所へと向かって走り出しました。


 少年には最近お気に入りの場所ができたのです。


 街の時計台です。


 少年は息を切らして時計台へと走っていきます。


 学校が終わってからでは、そこで過ごせる時間が短くなってしまうからです。



「こんにちは」


「やあ、いらっしゃい」


「こんにちは」


「お、また来たのかい」

 

 大きな大きな時計台に入ると、少年は時計台の時計職人達と挨拶を交わしながら、螺旋階段を駆け上がり、最上階を目指しました。


 時計台の一番上にある時計台の鐘に一番近い部屋の扉を開ける時、少年の鼓動はいつでも高鳴ってしまうのです。


「マイスター、こんにちは」


 扉を開けると、少年はそう挨拶しました。


 すると、部屋の一番奥に座っていた白髭の老人がゆっくり振り返り、その細い目をさらに細めて、少年を優しく迎え入れるのです。

 

 時計台の一番上にあるマイスターの部屋は、とにかく不思議なもので溢れていて、少年の興味はつきません。


 今日も、少年はぐるりと部屋を見て回ります。


「マイスター、この地図、世界地図なんでしょう?」


「ああ、そうじゃな」


「世界って、こんなにも広いものなんだねえ」


「うむ」


「こっちの置物は、とっても古いものなんだよね?」


「ああ、砂漠を通ってやってきたものさね」


「砂漠? 砂漠ってどこまで行ってもずっと一面砂の海っていうのは本当?」


「本当だとも」


「こっちに飾ってあるのは、海の写真なんだよね。いいなあ、僕も本物の海っていうのを見てみたいなあ。空よりずっとずっと青い色をしているんでしょう?」


「ああ、深い深い青の色だ」

 

 マイスターは少年の驚きや憧れの声に、穏やかな笑みを浮かべます。


「どうしてマイスターは、そんなにいろんなことを知っているの?」


「そりゃあ、もうだいぶ長いこと生きとるからなあ」


 マイスターは目を細めて少年の頭を撫でました。


「それに、良い時計をつくるには、いろいろなことをたくさん知らなけりゃならんのさ」


「どうして?」


「はは、簡単なことさね。時計をつくるのには技術だけじゃあない。もちろんそれも必要だがね。モチーフも必要なのだよ。それは海だったり、鳥だったり、太陽や月や星だったり、嬉しい気持ちや哀しい想いなんてものもある。だけど、触れたことのないものは形にはできない、そういうことじゃよ」


「……だから、マイスターは良い時計がつくれるんだね。僕も、マイスターのようになりたい」


「そうかい? そりゃ光栄だ」


 はっはっはっ、とマイスターは嬉しそうに笑いました。


「僕、学校を卒業したらやっぱりここのギルドへ入る。上の学校もいいけど、僕は早くマイスターのような職人になりたいんだもの」


 少年の街では職人を志す者はその職人の集まりであるギルドへ入り、修行するのが習わしです。


 マイスターはこの時計台の時計職人達皆のお師匠様です。街のシンボルである時計台を作った人達の中心的人物でもあり、街中の人々の尊敬と敬愛を一身に集めていました。



 再び作業を始めたマイスターの横で、少年は書棚からふと目についた古い一冊の本を取り出すと、ペラペラとページを捲りました。


 その中にあるページの挿絵に目がとまり、少年はマイスターへ尋ねました。


「マイスター、この絵は何?」


「んん? ああ、それは時の三姉妹の絵じゃな」


「時の三姉妹?」


 マイスターは書の中の女性の絵を指差しました。


「これが長女の過去を司る女神、これが次女の現在を司る女神、そしてこれが末娘の未来を司る女神と言われておる。彼女達の手から手へと時は流れるという、古い神話さね」


「時の女神様達かあ……」


 少年はじっと書の中の三人の女神達の絵を見つめました。


「次女の女神は誰にでも等しくその手を触れる。生きている限り、常に現在いまは訪れているわけだからの。しかし、わしの時の多くは過去の女神の中にあり、おぬしの時の多くは未来の女神の中にある……」


 そう呟くと、マイスターは遠くを見つめるような眼差しで、その挿絵を見ています。


「……マイスター?」


 少年は小首を傾げてマイスターを見上げました。


 そんな少年にマイスターは微笑みかけると、机の中の引き出しから光沢のある布に包まれた小さな包みを取り出しました。


「おぬしに、ハーネックの宝物を見せてあげよう」


「ハーネックの宝物?」


 マイスターは頷くと、ゆっくりとその包みを開きました。


 そこに現れたのは、茶色の塊でした。


「……これは、何? すっごく綺麗だ」


 それは、紅茶のように透きとおっていて、樹の樹液のように深みがあり、硝子のような滑らかさで、石のような冷たい感触でした。


「それは、琥珀というものだ」


「琥珀?」


「そう。ずっと昔の樹脂が固まったものじゃよ」


 そう言うと、マイスターはそっとその琥珀を指差しました。


「さあ、よく見てごらん。ほうら、ここだ」


「あ、虫? 虫が入ってるの? これは、蜂?」


「ああ、そうだ。なあおぬしは不思議には感じんか? ずっと昔に生きてきたものが、寸部違わぬ姿で今こうしてわし達の前にある。その蜂の生命はたとえ途絶えていたとしても、その残り火は確かな輝きを持ってわし達にその存在を教えてくれる。こうは思わんかね? 命とは、受け継がれていくものだ。その想いとともに、決して途絶えることはなく……」


「マイスター? 何のことだか、僕はよくわからないよ」


「……そうか、すまんかったな」


 困ったような顔をする少年の頭の上に、マイスターは優しく手を置くと、遠くを見るような瞳のまま静かに語りだしました。


「少し、昔の話をしようか。聞いてくれんかね……?」




 ずっとずっと昔のことだ。


 そう、おぬしが生まれるずっとずっと前の話じゃよ。


 緑多い街に、ハーネックという少年が住んでおった。


 ハーネックには、少し年長の友人がいてな、頭の良い心優しい少年であった。


 ハーネックの友人の少年は、将来昆虫学者になるのが夢だった。


「ハーネック、見てごらん」


 ハーネックの友人は、何かを見つけるといつもそう言って年少の友人に教えてくれた。


「あの蜂ハチの字に回って飛んでいるだろう?」


 ハーネックの友人は花の上で飛んでいる蜂を指差した。


「蜂はね、自分達の食糧となる花の蜜を見つけると、ああやってその場所を仲間達に教えるんだよ。惜しむことなくね。人は、どうしてなかなかそうはなれないんだろう……」


 そう言う時、ハーネックの友人はいつも哀しそうな瞳をしておった。


 おぬしは知らんかもしれないがね、その頃大きな戦争がハーネック達の街にまで押し寄せようとしていたんだよ。


 原因は……そう、金鉱山の奪い合い、その為の領地の奪い合い。そんなものだったね。


 ハーネックの友人が嘆くのはもっともなことだった。


 小さな蜂でさえそうやって協力し合えるのに、何故それよりも意思の疎通が出来るはずの人間が愚かな争いをするのだろうか、と。


「だけど、蜂だって自分達を脅かすものには精一杯の抵抗をするんだ。そう、あの針だよ。君はとてもこわがるけれど、こちらが何もしなければ彼らも何もしないんだよ。あの針を使うのは、彼らが危害を加えられたと感じた時。だけど、よく考えてごらん。自分の身を守るものがたったあの小さな針一つなんだ。蜂達は……、そんなささやかな武器で自分達を守っているんだよ。……僕の力も、とっても微力なものだ。争いも本当にとても嫌だ。だけど、それでも僕の目の前にどうしようもない、逃れようのないそれが押し寄せてきた時はきっと、僕も大切な人達を守るため、きっと……」


 ハーネックは友人のその言葉を聞きながら嫌な予感がした。


 そして、それは現実のものとなってしまったんだよ。


 戦争が、とうとうハーネック達の住む街まで及んしまったんだ。


 そして、ハーネックの友人は戦争に行くことになった。


 ハーネックとその友人の少年は、まだ子供と呼ばれる年齢だった。


 だから戦争には本来行かなくてもよかったんだよ。


 だけど、ハーネックの友人の決意は揺るがなかった。


 自分の大切な人達を守る為に、と。


 もちろんハーネックも止めたさ。


 しかし、結果は変わらなかった。


 ハーネックの友人が街を出て行く前の日、彼はハーネックにその琥珀を手渡した。


 そう、その琥珀じゃよ。


 それは、ハーネックの友人の亡くなった母親の形見の品でもあった。


 ハーネックの友人は、ハーネックにそれを手渡しながらこう言った。


「この中には蜂が入っているだろう? たとえ、その生命は途絶えたとしても、何万年の時を越えてこの蜂の存在の行方は僕達へと届けられた。それはある意味、生きているとも言えるのではないかい? ……ハーネック、その琥珀のような君の瞳に映っている僕は、少なくとも君が生き続けている限り、この琥珀に閉じ込められた蜂のように生き続けることが出来るだろう。だから、覚えていてほしい。僕が決して後悔なんかしなかったということを。僕は僕が大切にする人々を守る為、自分が後悔しない道を選べたことに満足していたということを。だから、哀しまないでほしい。たとえ僕の歩む道がここで途切れたとしても、僕は君の瞳の中に、記憶とともに生きているのだから……」

 



「それで、それからどうなったの?」


 心配そうな顔をしてそう尋ねる少年に、マイスターはそっと首を振りました。


「結局ハーネック達の街は戦争により焼け落ち、緑豊かだったその街は一面の荒野になってしまった。長い長い戦争が終わった後、人々は悔いたよ。失われたもののあまりの大きさに。街はいずれ元に戻っても、失われた命は決して還ることはないからの」


「どうして後悔するのに、そんなことをしたの?」


「さあ、どうしてか……」


 マイスターはどこか寂しげな笑みを浮かべました。


「もしかしたら、それが人のさがなのかもしれんな。だけど、救いもある。この時計台もそうだ。人々は、時の彼方にその悲劇を押しやってしまわぬように、この時計台をつくり、鐘を朝晩鳴らし、決して忘れないようにしたんじゃよ。その理由を覚えている者もだいぶ少なくなってきてしまっただろうがね……」


 そう言うと、マイスターは手に持っていた琥珀を少年へと差し出しました。


「これは、おぬしにやろう」


「え、でも……」


「受け取ってほしい。未来へ紡いでいくおぬしには、受け取る資格があるからの。そして、受け継いでいってほしいのだ。終わらない生命もあるのだということを……」


「マイスター……」


 少年は戸惑いながらも琥珀を受け取ると、そっとポケットの中にそれをしまいこみました。


「さあ、もうお帰り。今日は少しばかり長く留めすぎてしもうた。じき、一日の終わりの鐘の時間がくる。さあ……」


 マイスターに優しく肩を押され、少年は立ち上がると扉に手をかけましたが、そっとマイスターを振り返りました。


「マイスター、それで、ハーネックとその友達はどうなったの?」


「ハーネックの友人は、ハーネック達の街に、決して戻ってくることはなかったよ」


「ハーネックは?」


「ハーネックは……、彼は、友人の意志を継いだよ」


 答えになっていない答えに、少年がさらに問いを重ねようとしたところ、マイスターは穏やかにそれを遮りました。


「さあ、いいから今日はもうお帰り。日がもう暮れる」


 マイスターはそう言って、優しく微笑みました。



 その日の夜、少年はベッドの上でマイスターからもらった琥珀を窓から差し込む月明かりに翳しました。

 

 月明かりに浮かび上がった琥珀の光の波の中で、まるで蜂は泳いでいるように見えました。



 次の日、青空が広がる昼下がり、鐘の音が鳴り響きました。


 時計台の鐘ではなく、教会の鐘の音でした。


 マイスターが永遠の眠りについたのです。


 少年はマイスターからもらった琥珀を握りしめ、マイスターから受け取ったものの大きさに、想いを馳せるのでした。



 時は流れて、少年は老人となり、誰かまた未来を駆ける子供へ伝えるのかもしれません。


「君に、ハーネックの宝物を見せてあげよう」


 その、言葉とともに。

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