39話 エルのお願い
そこはかとなく、事件の香り。
過保護っぽいのにも理由があります、多分。
受け取った飲み物を数口飲んだところでエルが言いにくそうに口を開いた。
工房まできたから何かあるんだろうなとは思ってたけど、どうやら相談というかお願いがあるらしい。
申し訳なさそうなエルに早く事情を話すように促せば観念したようにポツポツと騎士科について色々と話してくれた。
「騎士科は入って直ぐ、騎士団の人たちの仕事に同行することになっててさ。成績や身分に関係なく、外回りに行く決まりでさ…そこで実力や何かを見るらしい」
「なんか、結構スパルタなんだね。入学したばっかりなんでしょ?」
「おう。それは一応終わったんだ。その他は、予備知識ってことで軽い体力テストやら常識やら魔物・モンスターに関する知識、野営の方法なんかの講義を受けたり……だな。うん。今のとこ」
「騎士科ってすぐ戦ったり訓練するのかと思ってた。私も工房に入ってすぐ、授業の前に調合しちゃったし」
「訓練ってのは実力別に分けてからするんだってよ。実力があると判断されれば訓練内容も難しくキツくなるし、実力がないと判断されれば散々シゴかれるって話だ。一応試験もあってそれに3回連続で落ちたら退学ってことにもなってるから、のんびりはできないんだけどさ」
エルはその後、一緒に合格したイオの話と新しく友達になったという人たちについて教えてくれた。
その中には貴族もいるらしい。
でも、所謂貧乏貴族というやつで一代限りの貴族であったり貴族の中でも四男や五男といった殆ど家督を次ぐ可能性がない子がほとんどだから感覚が近いんだとか。
「ま、位の高い貴族は大体特待コースだし、俺らみたいな庶民とは元々違うクラスに分けられてるから気楽でいいんだけどな。そういや、工房制度って貴族とも生活しなきゃいけないんだろ?ライムは大丈夫なのかよ」
「うん、私のところにいる貴族はベルだけだし、ベルも思ってたような貴族とは違ったから今のところ順調だよ。もう一人の男の子は商家出身で貴族じゃないし」
「ふーん…? まぁ、ライムが平気だってんならいいんだけどよ…キツかったら俺にでもいいから言えよ。俺にできることは少ないけどさ、相談相手がいないよりいいだろ?」
「ありがとう、何か困ったら相談するよ。ところで、エルは私に何かお願いか相談があるんでしょ?私にできそうなこと?」
改めてそう聞いてみるとエルは気まずそうに頬を掻いて、諦めたように小さく口を開いた。
何処か困りきった顔をしているところを見ると学校の成績にも影響してくる内容のようだった。
「あの、さ…ライムってもう回復薬の調合とか出来たりする、のか?」
「初級ポーションとアルミス軟膏なら作れる、けど。何か欲しいアイテムがあるの?」
「実は、その……遠征訓練に行く前に用意しなきゃいけないものがいくつかあるんだ。そうだよな…まだ解毒剤とかは作れないよな」
がっかりといった風に肩を落としたエルに驚いて思わず聞き返した。
「解毒剤って…え、なんでそんなのいるの?」
普通、解毒剤を使う機会なんてそうそうない。
薬屋さんにはあるけど道具屋さんで買うことなんてそうそうないから置いてないところも多いって聞くし…村にも緊急時用ってことでいくつか備蓄はしてあったけど。
これが回復ポーションの類ならわかる、と思っているのがわかったらしく言いにくそうに口を開いた。
「実は今年から解毒剤の所持が義務化されたんだよ。今まで毎年チラホラと毒の被害に遭うやつはいたらしいんだけどさ…今年の訓練先は“イズン湿地”だから毒を持つモンスターも結構多いし」
「イズン湿地?このへんから遠いの?」
「大体片道5日くらいだな。訓練期間が最低5日なんだよ。ただ、その年ごとに目標討伐数ってのがあってさ、ある程度モンスターを間引かなきゃならない。だから大体一ヶ月位は戻ってこれないし、そもそも滞在するのが町や村じゃないから色々準備しておかねーと。義務になってる物はあくまで回復薬やらテントやらで最低限必要なものばっかなんだ。だからそれ以外に必要なものは自分たちで調べたりして集めておかないと…で、どっかの馬鹿な貴族連中が片っ端から解毒剤確保してるせいで今一時的な解毒剤不足で色々高騰してんだ。俺も多少高くてもいいから何とか3つは確保したくてライムに聞いてみたってワケ」
「なるほどね……解毒剤、か。うーん、ちょっと待って」
エルの出発迄は一週間と少し。
ポーチから教科書を取り出して薬の項目を探してみるとばっちり解毒剤についての記述と材料が載っていた。
【解毒剤】薬酒+青の実+調和薬。
凡庸的な毒を解毒できる。猛毒に対しても効果は薄いものの症状を多少和らげることも。
強烈な味ではあるものの、効果はばっちり。でもできれば飲まない方がいいから毒には気をつけて。
調合時は青の実と調和薬を低温でじっくり時間をかけて魔力を加えて成分を引き出し、最後に火を消してから薬酒を加える。
酒の成分を飛ばしきらないよう、最後は手短に仕上げるのがポイント。
見た感じだと作れそうだけれど、素材で手元にないものと見たことのないアイテムがあったのでそちらも調べてみる。
【青の実】水の綺麗な場所になる青い木の実。強力な解毒作用とキツケ効果がある。
味はエグくて苦くて暫く舌が痺れるので食用には向かない。
【薬酒(やくしゅ/くすりざけ)】酒の素+薬素材。
薬の成分が溶け込んだ酒。溶かし込む薬素材によって味・色・風味が変化する。
調合時は沸騰させないことが最重要。基本的に低温でじっくり調合を行う。
ここまで調べて、うーん、と思わず腕を組んで唸ってしまった。
隣に腰掛けていたエルが心配そうな視線と一緒に気まずそうに言葉を口にする。
「あ〜、その無理にとは言わないし。そもそも、もしかしたらって思っただけだからさ」
「無理っていうか…多分、調合自体は頑張れば一週間で3つくらいは出来ると思う。でも材料がないんだよね。酒の素は学園で買えるし、薬素材は薬草があるからまだなんとかなる。最悪買ってもいいから、問題は“青の実”なんだけど」
「ん?青の実…?それなら俺の家の裏庭にあるぜ。オヤジの酒癖が悪いからって母さんが怒って植えたんだよ。次の年からオヤジが一定量以上の酒飲むと青の実を木からとって口に突っ込んでたし」
「……なんか色々聞きたいような聞きたくないようなだけど、とりあえず青の実を貰えるだけもらっていい?解毒剤作ってみる。期待はしないでね」
「まじで?!いいのか…?!最悪1つでもいいからさ、ほんと頼むわ。ライムを送ったらすぐ家に戻って取ってくる!」
「私ここで待ってるから青の実を持ってきてもらってもいい?調合は早い方がいいし、リアンたちにも手伝ってもらおうと思うんだよね。効率的にそっちのほうが絶対いいもん」
わかった、と頷いたエルは踵を返して自宅がある方へ走っていく。
その後ろ姿を見送ってから私は改めて教科書を開いてみる。
「うーん…この薬酒ってのが問題だよね。解毒剤のもとになるんだからやっぱ解毒作用を持ってる薬素材のほうがいいとは思うけど…こういうのに詳しそうなのはリアンかな」
今手元にある薬素材を思い浮かべながら、帰り際に露天を見てみることにした。
露天っていうのは二番街の一角にあるんだけど、商人の成り立てや流れの行商人、若い冒険者や職人、または職人見習いなどが多い。
中には変わった人もいて露天専門の職人なんかもいるらしい。
この露天、自分で品質やなんかは見極めなきゃいけないんだけど…なんでも売ってる。
中古から新品、そこらにある珍しくないものや珍しいもの、素材や食べ物、生き物や鉱物など本当に際限なく売られているのだ。
リアンによると限られた時間の限られた場所では奴隷の取引も行われるらしい。
「クッキーは約束してるし先に作らなきゃいけないけど、クッキー作ったらすぐに解毒剤の調合準備しないとなぁ。これ、薬酒も解毒剤も結構時間かかるっぽいし、最悪明日の調合に回して……あ。ここにも解毒剤っぽいのが……ん?これ、飲み薬なんだ」
教科書の解毒剤が書いてある次のページには丸薬が描かれている。
薬の名前は『司祭の丸薬』というらしい。
材料を見ると聖水+解毒薬+アルミス草+油素材という多さ。
手順を見ても結構複雑で今の私には荷が重そうだった。
他にはないかな、と探してみたけれど今の私に作れる薬はやっぱり少なくて、ギリギリ解毒薬が作れるかどうかって感じ。
「はぁ…家にいた時より調合上手くなったかなーと思ったけど、やっぱり全然ダメダメっぽいなぁ。家にいた時の失敗原因はリアンの言うように魔力を通しにくかったからだとして、いま失敗するなら確実に技量的なのがないからだし」
パタン、と教科書を閉じて木でできたコップの飲み物を飲み干す。
水と複数の果汁を混ぜ合わせたジュースは思った以上に美味しくてあっさり飲み終わってしまった。
空になったコップを購入した露天の店主に返してベンチに腰掛けた直後、露天が並ぶ通りを早足で歩くリアンを見つける。
何かを探しているみたいなんだけど忙しそうだから声をかけるべきかどうか迷っていると結構な距離があるにもかかわらず、目があった…ような、気がした。
「あ、あれ…なんかこっちきた」
妙に怖い顔してるな、なんて思いながら近づいてくるリアンをベンチに座ったまま眺める。
「ごめん、待たせた…ってライム、どうした?」
リアンが歩いてくるのを見ていたからか、リアンが歩いてくるのは真逆の道から戻ってきたらしいエルには全く気づかなかった。
不思議そうに首を傾げるエルの手には木を編んで作られた頑丈そうな手提げ籠。
布をかぶせてはあるものの、ちらりと見える鮮やかな青色は結構な数が入っていそうだった。
エルも私の視線に気づいたらしく、青い実を覆っていた布をとって籠の中の青い実をひとつ取り出して見せてくれた。
「これが“青の実”な。今年は豊作だったらしくってさ…あっても使い道はないから使うなら根こそぎ持って行けって母さんが」
「にしてもこの短時間でよくこれだけ集めたね」
「いや、実は母さんが昨日のウチに収穫してたんだよ。どうせ捨てるならギルドにでも持ち込んでみるかって考えたらしくてさ。まぁ、どうせ銅貨5枚にもならないだろうけどな。青の実なんてリンカの森でも採れるし、庭に植えてる家も結構あるもんな」
「でも、ギルドに売りに行くつもりだったんならお金少しは払うよ?この量だし」
軽く10回は調合できるだろう青い実を眺めながら、財布を取り出したところで…背後から腕を掴まれて体を引かれる。
バランスを崩してたたらを踏む私の背中が何かに当たる。
驚いて振り返ると、見覚えのある襟元が見えた。
「っ…ライム!君は一体何をしてるんだ…!」
「何って…エルから青の実を買い取ろうと思ってたんだけど。リアンはどうしてここに居るの?調合するって言ってなかった?」
素材は十分にあったはずだし、とそこまで考えてリアンがジッとエルを見ていることに気づく。
眉間にはガッツリ二本ほど深いシワが刻まれているのが見えた。
エルは少し戸惑ったような顔をして私に助けを求めるように視線を向けてくる。
「色々聞きたいことはあるんだけど…リアン、調合はいいの?材料は足りてたよね」
「君の姿が見えなくなって、心配したベルに探しに行くように言われたんだ―――…君は騎士科の生徒、だな?ライム、君は彼と知り合いなのか」
「知り合いだよ。ほら、前にリンカの森に一緒に行ったって言ったでしょ?その時に一緒に採取したんだー。もう一人いたんだけど今日は来てないみたい――…で、エル、こっちが同じ工房で生活してるリアンね」
「リアンっていうのか、なんか悪かったな。ライムに話があってさ…あ、俺はエルダー・ボア。騎士科に今年入学したけど、元々騎士見習いとして見張りとかそういう仕事もしてて、その関係でこっちに来たばかりのライムと知り合ったんだ。エルでいいぜ」
よろしくなーと人懐っこい笑顔を浮かべたエルにリアンは少し考える素振りを見せる。
私としてはベルに言われたとは言えリアンがわざわざ私を探しに来たってこと自体が驚きなんだけど。
「ライムに話、というのはどういう話なのか聞いても?」
「聞かれてまずいことじゃないから構わないけど…ただ、解毒剤を調合できないかどうか相談してただけだぜ?」
「!解毒剤についてなら、工房で話を聞かせてくれないか」
それは構わないけど、と戸惑うエルと状況がイマイチ飲み込めていない私の腕を引いてリアンは周囲を警戒しながら工房へ足を向ける。
私とエルは頭に疑問符を浮かべたまま、リアンの背中を追いかけていく。
…そろそろ、腕離してくれないかなー。歩きにくいし。
でも、なんで解毒剤の話で顔色が変わったんだろう?
=アイテム&素材=
【解毒剤】薬酒+青の実+調和薬。
凡庸的な毒を解毒できる。猛毒に対しても効果は薄いものの症状を多少和らげることも。
強烈な味ではあるものの、効果はばっちり。でもできれば飲まない方がいいから毒には気をつけて。
調合時は青の実と調和薬を低温でじっくり時間をかけて魔力を加えて成分を引き出し、最後に火を消してから薬酒を加える。
酒の成分を飛ばしきらないよう、最後は手短に仕上げるのがポイント。
【青の実】水の綺麗な場所になる青い木の実。強力な解毒作用とキツケ効果がある。
味はエグくて苦くて暫く舌が痺れるので食用には向かない。
【薬酒(やくしゅ/くすりざけ)】酒の素+薬素材。
薬の成分が溶け込んだ酒。とかし込む薬素材によって味・色・風味が変化する。
調合時は沸騰させないことが最重要。基本的に低温でじっくり調合を行う。