282話 ふえて きえて ふえた
しりぎれとんぼ~。
とりあえず、早めの更新。
どうして、と何度も心に浮かんだ気持ちは、いつの間にか見つからなくなっていた。
暗闇の中で思い出すのは、雨に打たれる感覚と噎せ返るような雨と土の混じったにおい。
立っている場所が足許から脅かされて、これまで持っていたものが急に消えてしまったような、寒さを覚えた事だけは今でも忘れていなかったみたい。
(またこの感覚かぁ。好きじゃないんだよね)
最近はすっかり忘れていたんだけどな、なんてそこまで考えて「あれ?」と思った。
毒花を食べたのは覚えている。
(こうやって考えたり思い出しているってことは、もしかして生きてる?)
自覚した瞬間、水が滲むみたいに感覚が一つずつ戻ってきた。
ただ、それと引き換えに全身を刺すような痛みに襲われる。
心構えも何もしてなかったから、思わず痛みに呻くと、痛みを一瞬忘れるくらいの寒さに包まれる。
思考が止まったのは一瞬。
すぐ体の中心が凍えていく感覚が押し寄せ、どうしようもない寒さに痛みに反して体がぎゅっと体温を逃がさないように小さく膝を抱えるような体勢をとる。
そして、いくら空気を吸っても、きちんと体に取り込めている感覚がなくて、苦しくて、ひたすら吸って、吐くを繰り返す。
寒さや息苦しさでぼんやりと滲みぼやける意識。
自分の体がどういう状態なのかも理解できていないのに、何が起こっているのかだけは的確に判断できるって言うのがすごく、気持ち悪い。
どうして、と答えなんて返ってこないのがわかっているのに、私はその言葉に支配されていた。
どのくらい、その状態が続いたのかは分からない。
唐突に、ふっとすべての苦痛が遠ざかってじんわりと体が温かくなっていく。
心臓から、ゆっくりと指先や足の先に巡る温かい自分の血液。
極寒の冬から暖かな春―――…を通り越して汗ばむ夏へ。
(え。ちょっとまって。変化が急激すぎてなにがなんだか)
戸惑うというか動揺していると声のようなものも聞こえてきた。
最初は、同じくらいの男の子の声だったからリアンかと思ったんだけど、違う。
(この声…―――クギ、だ)
必死に、私を呼んでる。
グラグラと揺れる世界。
流石にちょっと苦しくて、煩わしくて、うなればそれはピタリとやんだ。
ほっとした瞬間に、重たかった瞼がやっと持ち上がる。
「ん……」
目の前には、顔があった。
泥と疲労と憤りと困惑にまみれた人の顔が三重にも、四重にもブレて見える。
「シシク兄さんっ! 目ぇ開けたッ」
弾けるような喜びを滲ませた声は普段より幼く聞こえて、なんだか気が緩む。
ぼんやりとはしているけれど、色の配色からしてまだ『樹洞』の中だろう。
地面は硬かったし、妙に何だか寒い。
「――…くぎ?」
ぼんやりと遠く感じる感覚に夢でも見ているようなそんな気持ちで、なんとか喉を震わせる。声は、かなり拙かったと思うけど、それでも音にはなったみたい。
カッと目を開けて私を見たまま動きを止めていたクギが動き出し、ぐっと距離が近づいた。
「ッおまえ、マジで何やってんだ! 俺が、折角助けてやったのにッ」
息がかかるほどの距離で見る怖い顔は中々迫力があった。
ただ、どんなに距離が近くなってもクギだなぁ、としか思えなくて安心感で力が抜けていく。
思わずへらりと笑えばピンっとおでこを弾かれて文句を言われたんだけど、その背後でクツクツと笑う人物とも目があった。
「……ししく」
「クギがお前を置いていけるかっていうんでな。とりあえず、あれから丸一日。襲撃はなし。ただ、今後の移動は俺に背負われろ。いいな」
「……? おいてかないの」
「ばッかだろお前は!! 頭がッ、お前をつれて、後で合流しろって指示をだしてんだ! 俺ら二人は、お前を置いていけねぇッ」
分かったか、とシシクではなくクギに吐き捨てられたので戸惑いながら頷く。
けど、その連れていくっていうのも状況によるんじゃ? とは口にしない。
だって、ここに置いていかれたら、今度こそ「さようなら」だもん。
まだぼんやりと靄がかかったような、それでいてずっしりと重たい体を動かす力も残っていない私はテキパキと準備をする二人を眺めていた。
正直体が動かせない。
「おい、収納はできるか?」
「ん……」
ノロノロと頷いて差し出されたものを如何にかポーチへ収納していく。
出したものすべてをしまったところで二人に食事と飲み物を渡す。
驚いた顔をする二人に要らないのかと聞けば、直ぐに食べ物は彼らの手へ。
美味い、と豪快にほおばる姿に息を吐いて目を閉じる。
異常な疲労感と眠気に何かをする気力も湧かなくって、じっと大人しくしていたんだけど、流石にトイレくらいは済ませないとマズい、と思って口の中にクッキーを一つ。
オーツバーの一口サイズにしたものも詰め込んで、水を一口だけ。
何とか立ち上がれるようになったので、二人にトイレに行ってくると告げて洞から出る。
周囲の索敵は絶えずしているらしいのでひとまずは安心だ。
色々と用事を済ませた所で、改めて周囲を見る。
(次に休むところで採取できるかわからないし、ちょっとだけドクハキ草回収しよう)
警備結界のギリギリ範囲内にあり、綺麗な物だけを採取する。
粗方ポーチに収納したところで洞に戻れば二人が何やら話をしていた。
「これから、赤の王国の端にある町へ向かう。ここは、まぁ……俺らみたいなのが集まった場所でな。ただ、そこに行く前に難所が一つ。大人しくしててくれれば、俺とクギが口添えして帰れるようにしてやる」
「いいの?」
「元々、お前らを攫うつもりはなかったからな。暗殺者連中がどうするのかは分からねェが、依頼は失敗って形になってる筈だぜ。暗殺や誘拐には日数が設けられてるからな。それを超えた時点で任務失敗。首を切られて終わりだ」
「随分、シシクは詳しいね」
「俺っつーより、リッカが詳しいんだ。アイツ、いろんな仕事を受けていたらしいからな。割とやばいぜ。慣れりャ、害はねェが―――……まずは、ここから離れるぞ。居心地がいいとはいえねェからな」
広い背中を向けられたので、おとなしく背負われると紐で括りつけられた。
なんか、赤ちゃんみたいだなと複雑な気持ちになっていると、シシクは大きなマントを羽織る。
真っ暗になった視界とじんわり感じる人の温かさ。
頬をピタッとくっつけるように密着すると微かに聞こえる心音。
新鮮だな、と目を丸くしている私に響く様な低音がジワリと沁みる。
「念の為に隠しておくぜ。荷物のふりしておけ」
「ん。どのくらいでつくの?」
「一日ってとこだな。ただ、途中で休憩を入れるから大体二日だ。クギも本調子とはいえねェ。安全に進む」
「わかった。今更だけど、邪魔じゃない?」
「邪魔じゃねェわけ、ねェだろ。人間一人、背負ってんだ」
フンッと小さく揺れる背に『尤もだなぁ』と口元が緩む。
ただ、荷物になるのは嫌だったので「もうちょっとしたら歩けるようになるから、その時は降ろして」と口にする前にグンッと急発進。
慌てて目の前の服を掴むと同時にクギが抗議を込めて、シシクを呼んだ。
「へばるんじゃねェーぞ」
「ッ、へばるわけ……ッ」
「才能と体力は違うだろーが。ほれ、走った走った」
ワザと煽るような声にクギがムキになったのがわかって、暫くの間軽口をたたいていた二人が静かになった頃、私は再び眠りについていた。
後で聞いたんだけど、この異様な眠気、体が取り込んだ毒を処理する為に強制的に休息をとった結果である可能性が高いみたい。
以前にも弱めた毒を飲んで、毎回意識が飛んでた理由がわかって少しスッキリした。
私が再び意識を浮上させたのは、地面へ降ろされたからだった。
ぼうっとしていると呆れたようなシシクの声。
「気持ちよく寝てるところ、悪いんだがな……面倒なことになりやがった」
面倒、と口にする前に聞こえたのは爆発音。
何事かと体をすくめた私の前方で上がる黒煙と焔。
あたりが薄暗くなっていたんだけど、その場所は橙色に爛々と輝いて見えて、ただ、口を開けてその光景を視界に収める事しか私にはできなかった。
「燃えてるのって」
「目的の町に行く前に寄ろうと思っていた集落だ。あの場所でまずは頭達に会えるんじゃねェかと思ったんだがな……今、クギが偵察に行ってる。戻ってくるまで待機だ」
「ん。私は体力と魔力バッチリ戻ったし、シシクは先にこれ食べてて。私もいつでも出られるように準備しておく」
エネルギー補給や動きやすいように錬金服ではない一般的な服に着替えることを告げて少し離れてもいいかと聞けば驚かれた。
なんで驚くんだろうと首を傾げると呆れたような顔。
「随分協力的だなと思っただけだ。集落が燃えたとなれば、騎士団の連中が出てくるのは間違いねェ。ここに残りゃ、お前さんの仲間とやらに早く会えるかもしれねェぞ」
「んー、でも、なんとなくシシクたちについていった方がよさそうな気がするから、このままで。騎士団って言っても赤の国所属の騎士団、だよね?」
「まぁ、そうだな。一応そうなるな。お前が寝ている間に国境は越えた」
許可を取ってから彼の近くから離れ、用を足したり顔を洗ったりした後、薄闇の中で着替える。錬金服だと目立つから一般的な服を着た。こんなものかな、と一息ついて腰にポーチを付けたら完成だ。装飾品は長い袖なんかで隠れるようにしているのでパッと見ると派手な髪色の一般市民に見えるはず!
「終わったよ。にしても、なんで集落は燃えたんだろ」
「さァな。クギがその辺の情報も持って戻ればいいが、なければないでそのうち調べる。今は、頭達がどこにいるのか手がかりが欲しい」
ユラユラと揺れる広範囲の灯。
時折吹きつける焦げた臭いに熱が混じった生暖かい風が全身を撫でては消えていく。
耳を澄ませても悲鳴は聞こえてこないけれど、パチパチと生木が燃えるときの音が聞こえる気がする。それほどに生々しく、どこか悲壮感が漂ってくる景色に映った。
「シシク、これからどうするの?」
「クギが戻ってきてから決めるしかねェだろ。つっても、今、燃えてる集落以外に人が住んでる場所は三つ。そっから一番、遠い場所にいるんじゃねーか? 騎士団がいくなら近場からだからな」
「そっか。ってことは移動するってことだよね」
「だな。お前さん、体力は?」
「錬金術師にしてはある方だって言われてるけど」
「ぴーぴー喚くお貴族様じゃなくて助かったぜ。足手まといを連れて歩くほどの余裕はねェからな」
戦えないけど、良いのかなと思っているとシシクは淡々と私がいる利点を上げていく。
といっても、ベルやリアンみたいな感じのことを言っていただけなんだけどね。
「お前のポーチとお前が出す飯は非常に有用だな。あと薬もだ。有事の際の判断も悪くねェから、足手まといにはならねェさ。このあたりはモンスターより人間に注意すべきだからな。ローブは絶対に脱ぐなよ。お前の髪は目立つ」
「ん。気を付ける。あ、でも仲間見つけたらどうしよう」
「ああ、仲間がいたならそっちに行っていい。頭には俺から説明しておく。どのみち、お前ももう一人の嬢ちゃんも攫うつもりはなかったからな」
準備はできたか、と言われて頷いた私にその場に座るよう指示。
休める内に休んでおくべきだ、と言われたので同意して座ったところで、シシクも私の横に座った。
シシクは燃える集落を焚火でも見るような目で眺めつつ、話し始めた。
「――…俺たちは、元々冒険者だった。俺も、リッカも頭も……コンフとクギもだ。全員が冒険者になる為に故郷を出た。当然、盗賊どもとやり合ったこともあるから『犯罪者』になんざなる気はなかった。なかったが―――…俺たちは犯罪者になるべく行動してんだ」
「ごめん。意味が大分わかんない」
だろォな、と笑うシシクは乾いた笑みを張り付けて、集落を睨んでいた。
他の連中の詳しいことは本人から聞けよ、という言葉の後に自分が何故盗賊のまねごとをしているのか話し始めたので耳を傾ける。
単純に興味があったんだよね。
「先に言っておくが、俺らは全員違うパーティーにいた。共通点は『裏切られた』ってことだけだな。頭は婚約者を昔馴染み兼パーティーリーダーだった奴に寝取られたんだったか。リッカは仲間にはめられてダンジョンに閉じ込められ、コンフは妹を囮に使われた挙句に『身内殺し』の汚名を着せられて、クギは仲間に裏切られた上に有名冒険者に売られて散々な目にあった。俺は家族と義理の弟に騙されてモンスターの巣に置き去りにされた上に相棒を殺された」
「いや、待って。全員の過去が壮絶すぎて色々と無理」
勘弁して、と思わずストップを出すとシシクは楽しそうに笑う。
グシャグシャと私の頭を掻きまわして、そして大きく息を吐いた。
「お前さんみたいなやつがパーティーにいれば違ったのかもしれねぇな。いや、俺の場合は、家に、か―――…クギとコンフ以外は元貴族だ。籍は抜かれてっから、今はただの犯罪者でしかねェけどな」
「それは確かに」
「……いや、お前そこはもうちょい、言葉を濁したりするとこなんじゃねェか?」
「あ」
「露骨にしまったって顔すんじゃねェ。素直っつーかなんつーか……とりあえず、だ。俺ら側としちゃ、殺したい相手が決まってんだ。復讐を済ませてんのは、コンフとリッカ。俺の場合は、義弟は暗殺者にやられて死んでる。差し向けたのは、相棒の家族だったらしいが……病気でそっちも死んでらァ」
だから正直、と前置きしてシシクは目を閉じる。
口元には軽薄そうな笑み。
「――…仇が死んで、良いコトなんてねェさ。目標がなくなるだけだ。俺も、リッカも、コンフも。仲間内で腹が減っただのなんだの言いながら、その日暮らししていつかこのメンバーで『ダンジョンに』って話すのが楽しいんだよ。今となっちゃ、それが俺の夢ってくれェにゃ……気に入ってる」
ただな、と言いにくそうに目を伏せた。
頭は、まだ探しているのだと。
「俺とリッカは、頭の仇が婚約者もダンジョンの深部で死んでアンデッドになったのを、知ってんだ。目撃者がいたからな。それも、リッカが殺しちまったから、知ってるのは俺とリッカの二人だ。あの人は、頭は……死んじまった相手に復讐するってんで、今でも探してんのさ。それに縋って立ってるようにも見えんだよ」
言いながら、親指で燃える集落を指さした。
そして、静かに息を吐く。
「――…力がねぇやつは、ああなる。赤の大国じゃ、集落が消えるのは珍しいコトじゃねぇからな。トライグルは違うんだろ」
「あんまり聞いたことないかな。私も都会に出てそれほど経ってないから分からないけど」
「知らねぇままで、いた方がいいこともある。なぁ、ライム。盗賊にも事情ってのはあるが、肩入れしすぎると死ぬぜ」
真っすぐに、私を見たシシクの目は本気だった。
クギも、トーネも、こういう目を私に向けていたことを思い出す。
「シシクたちの傍にいたら、死なないと思う。死ななかったし」
「ばァか。邪魔だと思ったら俺たちはお前を捨てて――――」
肩をすくめたシシクに私は確信を口にする。
「捨ててはいくかもしれないけど、殺しては行かないでしょ」
ぐっと言葉に詰まった彼は、わかりやすい。
そして、こういう人はよほどのことがない限り、意に沿わない行動をとらないのだ。
逆に危ないのは、組織というかそういうのにしっかり籍を置いている人だって思う。
「クギ、遅いね」
「……そォだな。おい、なんか甘いもんねェか」
「あるよ。クッキーとかパウンドケーキとか」
「そのパなんとかをよこせ」
いろいろあるよ、と取り出して見せるとシシクは警戒することなくそれらを口に入れる。ぽつりぽつりと「大工仕事がしたい」とか「弟子入りできりゃ、家も作れるようになるんだろうか」なんて話し始めたので他の面々には内緒だと話をしていると、突然シシクが立ち上がった。
飛び出してきたのはクギ。
後方から怒声が聞こえてきたのでシシクは私を小脇に抱えて走り出す。
なにかの才能を持っているんだろう。すごく、早かった。
上下左右に激しく揺れる視界と不安定な浮遊感になんとか悲鳴を飲み込みながら、音の正体を探ろうと意識だけ後方へ向ける。
まぁ、なーんにも分かんないんだけどね。
のんびりまったり進んでおります。




