22話 便利で素敵なトランクですが?
意図せずにどんどん中が冷え込んでいく不思議。
おかしい…こんな、はずでは…ッ!
そして話も進まないという罠。
どうやら工房一番乗りは私ではなかったらしい。
工房の前には大きな馬車が停まっていて、大量の家財道具や荷物を運び込んでいる。
どれも高そうなものばかりだし、ドレスなんかもあったので間違いなくあのお嬢様のものだろう。
作業中の人たちは私に気づいてドアを開けてくれた。
うん、運んでいる人はいい人みたい。
「あれ。意外…誰もいないんだ」
二階の部屋へ家具が運ばれているのはいいんだけど、いるだろうと思った姿が見当たらずに思わず首をかしげると指示を出していた初老の男性が私に微笑みかける。
渋いグレーの髪を後ろへ撫で付け、カッチリとした給仕の服を身につけているので彼が指示を出しているのだろう。
「――…お嬢様でしたら、荷の搬入が終わったあとにお越しになる予定ですよ。ライム様、で間違いないですかな?申し遅れて申し訳ありません、私はハーティー家で執事をしているスキレットと申します」
「え、あ、はい。これは丁寧にありがとうございます…えーと、私、工房にいても大丈夫ですか?」
「我々のことはどうぞお気になさらず。作業が終わり次第撤収いたしますので…少々物音などを立ててしまうかもしれませんが…」
「重いもの運んでるなら音が鳴るのは仕方ないことだし気にしないで下さい。あ、ちょっと裏庭に行って来ますね」
トランクを自分の調合スペースの場所へ置いて、引っこ抜いてきたばかりのアオ草を植えてしまうことにした。
一応ポーチにはしまってあるけど早い方がいいよね。
裏庭に回ると日あたりの良さそうな場所を選んでアオ草を適当に植えていく。
植えるって言っても適当に穴を掘ってそこにアオ草を置いて根っこがちゃんと隠れるように土をかけたら終わりだ。
「聖水を使うのは勿体無い気もするけど…まぁいいか。実験を兼ねて5株のうち3株に中瓶の聖水一本分を均等にかけて、残りの二つは普通の井戸水で育ててみよう。いいのが採れたら薬向きのいい調和薬が作れるはずなんだよね」
聖水を使って育てたモノには“祝福”という特殊な性質を帯びたモノも多い。
この性質を持っている素材は基本的に回復量が二倍違ってくるから、売値も高い。
何せ、そもそもがそんなに採れるものじゃないし、栽培方法も知られていないのだから当然だ。
「一応ミントにも秘密にしてねって言っておこう。売値下がっても嫌だし」
近いうちに話に行こうと決めて、私はポーチから聖水を1瓶取り出して3株にかけた。
井戸水は井戸から汲んだから少し時間がかかったけど問題なく植え付けは終了。
まだ玄関の方から音がしているので作業は続いているようだ。
「ただいま戻りまし……げ」
中にいるであろうスキレットさんに声をかけた私はスキレットさんと話している嫌味メガネこと、リアン・ウォードを見つけて思わず苦い声が漏れた。
「おや、ライム様。お帰りなさいませ」
「なんだ君か」
「別に、誰でもいいでしょ。私、これから荷物運ぶから」
店舗スペースで会話をしていたらしい二人は私が戻ってきたのを区切りに話を切り上げたようだった。
少しだけ悪いかなとは思ったけど、相変わらず失礼な一言にムッとしたのでそんな気持ちは一瞬で吹っ飛んだのは言うまでもない。
彼らの横を通って作業スペースへ足を向けた私に心配そうにスキレットさんが声をかけてくれる。
「ライム様、もし大型の荷物があるのでしたら手伝いますよ。人手はありますし、女性には辛い作業でしょう」
「(うわ、いい人!もう一方が失礼だから余計いい人に見えてくる)大丈夫です、大きな荷物はないですし体力はこれでも結構あるんですよ」
にっこり笑って置いておいたトランクを持つと戸惑ったような表情をスキレットさん達が浮かべた。
一体何か変なことでもしただろうかと首を傾げるとかなり訝しげな表情を浮かべたリアンが私のトランクを指差して一言。
「まさかとは思うが、君の荷物はたったそれだけ…なのか」
「……だとしたら何か問題でも?」
「問題があるわけではないが、学院から借りた資金を私物の購入にまわすつもりじゃないだろうな」
思いっきり不機嫌そうに睨まれて思わず何を言ってるんだ、コイツは、とリアン・ウォードを見る。
彼はどうやらいたって真面目なようだった。
苛立たしげに私を見下ろしている。
なにさ、ちょっと背が高いからって!
「はぁ…?そんな事するはずないでしょ!それに私の荷物が少なかろうと多かろうとあんた達二人に関係ないし、ワート先生だって共用のものとそうでない物について説明してたじゃん」
腹が立ってきてトランクを持ったまま嫌味メガネのすぐ目の前に行って睨みつけてやった。
流石にまだ手は出さないよ、うん。
ちょっと危なかったケド…堪えたし。
ギッと睨みつけると彼は少しだけ狼狽えたように一歩後退るが直ぐに眼鏡を直す仕草をして無表情に戻った。チッ。
険悪な雰囲気になった私たちをフォローするようにスキレットさんの優しく穏やかな声が耳に飛び込んでくる。
「ライム様、お怒りはごもっともですが少々落ち着いてくださいませ。正直、私も女性の荷物がトランク一つに収まるとは思わなかったので…失礼を承知で聞かせていただきますが、お荷物は本当にトランクだけ、なのですか」
「そうですけど?あー…このトランク、おばーちゃん…ええと、オランジェ・シトラールって言えばわかるかな?おばーちゃんが私に作って置いてくれたもので色んなものが沢山入るんです。家にある荷物や調合機材は全部この中に入ったので…重さも感じないので軽いし便利なんですよ」
足元に置いてあるトランクに視線が集まった。
一見普通のトランクだけどかなりの高性能高機能の素晴らしいトランクなんだよ。
おばーちゃんが入れてくれたメモには『容量無制限・時間経過なし』ってかいてあった。
身に着けてるポーチも同じ機能がついてるみたい。
だからこそ、魔力認証式にしたんだろう。容量無制限ってだけでもありがたいけど、時間を気にしなくていいのは本当に助かる。
お金に困ったら……と一瞬考えたんだけど、既に私の魔力を認証させてるから私が死なないと売り物にはならないんだよね。
「オランジェ・シトラール様の…?それは、なんというか…随分と凄いものをお持ちなのですね」
「えへへ。自慢のおばーちゃんなんです。あ、錬金服とか教科書の類も全部用意してくれてたみたいで助かりましたよ、金銭的な意味で」
実際かなり助かってる。
機材も持ってきたから今後かかるのは直接取り付けなければいけない部類の機材くらいだ。
ま、それらを使えるようになるのがいつになるのかまだ見通しは全然立たないけどね。
「……オランジェ様のオリジナルなのか」
どこか呆然としたようにトランクを見つめるリアン・ウォードを不思議に思いつつ、答える気にはならなかったのでふんっと思いっきり踵を返した。
勿論、行く場所は自分の部屋なんだけど…
(なんかすごい視線を感じるんだけど、一体なんなの?)
結構裕福な家の出身みたいだし強盗的な心配はないと思うけど、用心用心。
部屋に鍵はかかるし、おばーちゃんの遺品って基本的に魔力認証つきだから問題ない筈だ。
口を開けば喧嘩になりそうだったのでムッとしながらも無視という選択をした私は多分間違ってないと思う。
「レシピ帳なんかはことさら厳重だし、まぁ布団を盗む人なんていないよね。これもおばーちゃんお手製だけど」
一階の部屋は、壁に備え付けのクローゼットと木枠のみのベッド、ベッドサイドテーブル、机と椅子という必要最低限の設備だった。
まぁ、他の部屋を見てないから何とも言えないけどね。
「どうせ調合漬けの毎日になるんだし、必要最低限でいいよね。三年後とはいえ家に戻るわけだし荷物多くなりすぎても困るもん」
部屋に入ってまず、木枠しかないベッドの上にトランクから取り出したベッド用のマットやシーツ、タオル地の布を出していく。
予備はまだトランクの中に。
他に出したのは錬金服と肌着などを入れる金属の棒と特殊な布で作ってくれた収納小箱。
机の上にはおばーちゃんが書いた錬金術の本に魔石式のランプ、購入した手紙のセットにインクなんかをおいた。
自分の部屋に敷いていた敷き布も持ってきたから部屋の中央に。
色は黄緑でふわふわな感じが気持ちいいんだよね。
あとは…スリッパと呼ばれる室内履きを一応用意。
「そのうちミントを部屋に連れてきて、色々話したいなぁ…女の子の友達って今までいなかったんだよねー…そもそも同世代の子と一緒に遊ぶ機会が殆どなかったし」
実は、工房制度を利用すると決めた時にほんのちょっぴりだけ友達ができるかなーなんて期待もしていた。
結果として散々な感じなんだけど、これから嫌でも協力はしていかなきゃいけない…とはわかってるつもり。
「はーあ…前途多難もいいとこだよ、おばーちゃん」
どうやって高慢チキなお嬢様と口を開けば嫌味しか言わない失礼なメガネと工房経営していったらいいんだか。
簡単だけれど部屋の整理が終わったので、再びトランクを持って作業スペースへ戻る。
トランクから荷物を移している間にお嬢様の荷物の搬入は終わったらしく、もう執事のスキレットさんはいなくて、いるのはリアン・ウォードだけだった。
彼は作業スペースに置いてある備え付けのソファに座って本を読んでいる。
チラッと見えた感じだと多分調合関係の本だろう。
視界には入ったけど、特に話すこともないので気にしないでトランクを引きずって自分の作業スペースに。
(嬉しいことに小さいけど一人分の作業台もついてるんだよね。棚もあるし保管庫もあるし、想像以上に恵まれてる設備だなぁ。調合釜一つしかないの覚悟してただけに、高い学費に納得できたもん。せっかくだから今日調合してみようかなー…入学して生徒ってことにはなった訳だし、違法じゃないよね?)
そんなことを考えながらトランクを開けて現在自分が使うモノを作業台に並べていく。
この作業台にはちゃんと鍵のかかる引き出しもあるから高価な素材や器具をしまうにはうってつけだ。
「ええと…乳棒と乳鉢は必要だし、天秤計りに素材用トレー、作業用の革手袋…劇薬・毒物系調合の専用小鍋、卓上の加熱・冷却用魔石ランプ、あとは…ビーカーと薬瓶、空き瓶っと。あ、空き瓶のストックがいっぱいある!だいたい一人500ってところか。なくなったら困るし、後でどこで買ったら安いのか道具屋さんで聞いてこないと…」
他には何を出すべきか悩んだけれど、結局、引き出しに見栄え良くはいるだけの道具を入れた。
棚の下段は釜に隠れて見難くなっているので、そこに金属加工なんかで使うための重たい物やかさばる物を入れる。
「うーん、流石に遠心分離機はいいか。まだ使えるレベルじゃないし…調和薬には使わないもんね」
ひとまず必要な物を全て配置したんだけど、家にいた時と大して変わらないものの配置になったのには少し笑えた。
やっぱり使いやすいものって取りやすいところに置くものだよね。
「よし、これで終わり。そういえば、調合釜ってもう使えるようになってるんだ」
釜の中には“女神の水”と呼ばれる液体で満ちている。
これは入れた素材に全く影響を与えないのに魔力を素材に伝えることができるという摩訶不思議なものだ。
…ちなみに味も飲んだ感覚もない。魔力が回復する、なんて効果もない。
本当によくわからないんだよね。
液体に見えるけど、液体なのかどうかも怪しいし。
こうやって考えると錬金術って結構いい加減だ。
そういえばワート先生が工房実習について詳しく書いたものを置いてあるって言ってたけど、どこにあるんだろう?
パッと見、見当たらないんだけどな。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
錬金術は夢いっぱい、不思議いっぱい、設定いっぱいでお送りしております。




