21話 工房の確認と引越し
便利なトランク(チート的)は随分と反則ですが気にしない。
主人公は順調にシスターとの距離を縮めていきます。…あれ?
私たちの工房は、二番街の奥というあまり優位ではない立地だった。
正面にあるのは倉庫になっている元店舗、左右は空家らしくて人の気配なんてまるでない。
一番近いのは細工店というアクセサリーなどをつくるのを生業としているお店と鍛冶屋だけど、やっぱりお客さんはあまりいなさそうだ。
他の工房生は二番街の手前、中間と中々にいい立地だったのでお客が足を運びやすそうだな、と思ったのは私だけじゃないだろう。
「立地は一番良くないが、広さは他の二軒よりあるようだな」
開口一番、口を開いたのは嫌味眼鏡ことリアン・ウォードという男子生徒。
出会った時からほとんど動かない表情と冷たい声色そのままに工房の評価を下す。
なんていうか、女の人のように線の細い顔と体はいかにもひ弱な後衛職にしか見えないんだよね…背だけは私より頭一つと半分は高いけれど、まぁそれだけだし。
着ている錬金服は濃い青で紺や黒といった落ち着いた色合いで生地も貴族が身につけているものと変わらない品質だろう。
「中に入りますわよ、いつまでも眺めていては中の状態もわかりませんわ」
さっさと足を進めたのはベルガ・ビーバム・ハーティーという上流貴族のお嬢様。
長い鮮やかな赤髪やつり目気味だけど力強くて大きな瞳はちょっぴり憧れるし、容姿はかなり整っているけど、性格は最悪だ。
貴族なんてみんなそうだと思うんだけど、物言いもキツイし、ツンツンしてて高慢ですごーく嫌な感じ!
「あ、小さいけど畑作れるスペースがある。あ、井戸もあるしラッキーかも。遠くまで水汲みに行くの面倒なんだよね…ルージュさんの所は魔石でお水が出たけど」
見習い騎士で私が首都モルダスに来てすぐ知り合ったエルに教えてもらったんだけど、ここでは井戸が一般的で魔石を使ってお水を出しているところはかなり少ないらしい。
その井戸は等間隔で設置されているらしいけど、共同井戸だから一定のルールがあるんだって。
お店によっては店内や店舗の中に井戸があるところもあるらしいけど、数は少ないそうだ。
(工房自体は個人的に好きな雰囲気だなぁ。ちゃんと煉瓦石使ってるのに高そうに見えないところとか、親しみやすさっていうのが前面に出てる感じ。大事にされてたんだろうな、この工房)
赤い屋根と白い窓枠にやや色あせた煉瓦石。
優しい黄緑の蔦系植物がアクセント代わりに壁を彩っている。
お嬢様が鍵を開けている間、工房の回りをぐるっと見て回ったけれどちょっとした井戸に家庭菜園ができるし、薬草なんかも植えられそう。
よく使うアオ草は肥料もいらないし、結構生えてくるのも早い、しかも結構調合に使うから教会の裏庭で根っこごと引き抜いてこようと心に決める。
「私は二階の南側の部屋を使いますわ。いいですわね?」
「でしたら僕は二階の手前側の部屋を使わせていただきます」
粗方、外の様子を見てきた私が工房に入るとそんな会話がなされていた。
勿論私はまだ室内を一室たりとも確認していないので上向きになっていた気分が一気に後下していくのがわかった。
「ねぇ、私は部屋まだ見てないの知ってるよね?なんでも勝手に決めないでくれるかな。普通は話し合って決めるものじゃないの」
ムッとしたまま口を挟むと彼らは私がいたことに初めて気づいたようだった。
少し驚いたような表情を浮かべたあと真っ先に口を開いたのはお嬢様。
「あら、ぐずぐずして室内を見ていない方が悪いんじゃなくって?」
「同感だな。言っておくが変更はしない。部屋はまだ余っているからそこから好きに選んだらどうだ」
そう言うやいなや彼らは自室と決めた部屋へ引き上げていく。
二人の言い分に納得しかけたけれど、それにしたってあの反応はない。
ムッスリしながらも視界から二人がいなくなったのをいいことに、改めて工房を見てみた。
「――――…スペース的には自宅より広いけど設備はやっぱり少ないなぁ、わかってたことだけど」
入ってすぐにカウンターがあり、壁側には空の商品棚が二つ並んでいる。
背の低い棚が工房と店側を仕切るように部屋の四分の1ほどのところに設けられていてた。
大きく割り振って店の四分の一が販売場所、店の奥にはキッチンやテーブルがあって簡単な生活のための設備が有り、残りが作業場になっているらしい。
「調合釜だけはちゃんと人数分あるんだね。他は…って本当に最低限の調合釜しかないんだ。こりゃ、お金考えて使わないとやばいよね」
幸い、私は自宅からおばーちゃんのお古兼遺品の錬金道具をすべて持ってきている。
…重たいものもトランクに入ったのには驚いたけど、私としては助かるのでよしとした。
「部屋はまだあるって言ってたし、ちょっと見てみようかな」
部屋は一階にも一室あった。
南側で、正面のドアは地下保管庫になっているらしかったので私は一階の部屋を使うと決める。
だって、起きてすぐ調合できるでしょ?
幸い、というかトイレも部屋の横にあるし、簡単に水浴びと洗濯ができる場所もトイレの横にあった。
「にしても結構な広さの建物だよね。まぁ、いいや、取り敢えず荷物はこれからルージュさんの所に取りに行こう」
部屋を先にとった二人に習って、私も自分で使う調合釜を先に選ぶことにする。
鑑定能力はないけれど、三つある調合釜の中でも古く年季の入ったものを選んだ。
(調合釜は古い物の方がいいっておばーちゃんが言ってたんだよね。なんか昔の釜は使われてる素材が違うとか何とか…あと、魔力の馴染みが良くて扱いやすいとも言ってたし)
このくらいはいいだろうと一番古い釜の前にある棚にポーチから本を取り出して置いていると部屋から出てきたらしい二人が階段を下りてきた。
「貴女、随分と古いものを選んでいらっしゃるけれどまさかモノを見る目までないとは」
「……品質自体はどの釜も同じようだが、これひとつだけ随分古いな」
「ほっといてよ、いーでしょ、私が何を選んでも。早い者勝ちって言ったの貴女たちなんだから。それから私、一階の部屋に決めたからね」
ケチをつけられるのがわかったので必要なことだけ告げて工房を出る為に玄関に向かえば、陰険眼鏡ことリアンに声をかけられた。
「どこに行く気だ」
「荷物取りに行くの。今日で宿は出なきゃいけないし、さっさと寝られるようにしておかないと困るから」
「それも、そうですわね。私も一度家に帰りますわ。どうやら今日からこちらで生活しなければならないようですし、ベッドやタンスなんかも必要ですもの」
「でしたら十四刻にこちらに集合しましょう。各自部屋の整備などもあるでしょうから…それ以外のものについては集まってから話をして決める、ということで」
特に反対でもなかったのでさっさと工房を出て、ルージュさんに挨拶をしてから唯一の荷物であるトランクを手に宿を出た。
途中、といってもまだまだ時間があるしアオ草も欲しかったので教会に寄ることに。
「教会ってあの工房からなら半刻もかからないんだ」
ついでに聖水も貰っていこうと思いながら教会に続く坂を上っていくと、丁度教会の門前でお祈りに来た人を見送っているシスター・ミントを見つけた。
ミントも私に気づいたらしく少し驚いた顔をしている。
「もう入学式は終わったのですか…?あの、錬金術を習うのは学院の寮で生活すると聞いたことがあるのですが」
「うん、そうみたいだね。でも、今年から新制度っていうのができたみたいでちょこっと事情が違うんだよ。私、その新制度の工房実習っていうのに申し込んだんだけど…二番街の一番端っこで生活しながら調合してアイテムを販売するの。もしよかったら遊びに来てよ!まぁ、いやーなのがいるんだけどね、二人も!」
「?もしかしてライムだけで実習を受けるんじゃないんですか」
「三人一組なんだよねー…あーあ。ミントが一緒だったら大歓迎なのに、よりによって高慢チキなお嬢様と嫌味な眼鏡の二人だもん。うまくいく気が微塵もしないのなんのって」
大げさに首を横に振ってみせるとミントは困ったように笑っていた。
ま、ミントはシスターだし忙しいみたいだから教会から離れられないだろうけどね。
「そういえば裏庭はどう?アオ草があれば引っこ抜いて帰りたいなーって思ってきたんだ。工房に家庭菜園できそうなスペースがあって、そこで育ててみたくて」
ついでに聖水も貰えたらなーなんて下心もあったりして、と冗談めかして言えばミントは嬉しそうに笑った。
別のシスターに許可をもらってから二人で裏庭にいくと、そこは畑として使われていた。
畝には苗木やまだなにも出ていないけれど、子供らしい植えた植物の絵が描かれた木の板が地面に突き刺さっている。
裏庭の傍らには古いバケツと古びたお玉があり、幼い子供たちがこれでお水を上げているのがすぐに伺えた。
「へぇ、ちゃんと立派な畑になってるんだ」
「うふふ。そうなんです、ライムのお陰で子供達もやることが出来たって喜んでいましたよ。せっかくだから子供達で当番を作って畑のお世話をすると決めたみたいで、みんな熱心に取り組んでいるんですよ。保存の効くゴロ芋やマタネギ、キャロ根なんかも植えたので冬も随分楽に越せそうです。しっかり保存すれば夏や秋に収穫しても次の夏まで持ちますしから…正直、私たちシスターの方が助かっています」
「役にたてたなら良かった。また何かあったら言ってね、お金はないけど私でよければ力になるし―――――…あれ?あそこにある剣って誰か使ってるの?この間は見なかったけど」
ほら、と裏庭の一角に置いてある剣はどう見ても本物だった。
大きさは一般的な冒険者や騎士が使うものと変わらず、シンプルだけれどきちんと手入れが行き届いている現役の武器のように見える。
教会に剣があることに驚く私にミントが慌ててその剣を手にとって裏庭から裏口へ。
「ご、ごめんなさい。ちょっとバタバタしていて仕舞うのを忘れてたんです。子供たちが起きる前に念の為畑を見たら野良ネズミリスがいたので…」
うっすら頬を染めつつ慌てて剣を裏口の倉庫らしき場所にしまい込むミントを見ながら私は思わず目を見開いた。
いや、だって大人しそうで人畜無害そうなミントと剣がどうしたって結びつかないんだけど…?
「え、ぇえーと…?シスターって剣も使えるんだ?」
「一応、嗜む程度には。教会は避難所になることもありますし、保護している子供たちを守らなければなりませんから…不思議そうですね」
「いや、不思議っていうか驚いて。村にあった教会の人は戦えなくて、時々村の男の人たちが交代で護衛したり周囲の弱いモンスターを退治してたんだよね。まぁ、村の教会にいたのは結構なお年寄りだったから武器自体使えなかったのもわかるんだけど」
村にあった小さな教会にいたのは、年老いたシスターと孤児になってしまった数人の子供だけだ。
小さな村とはいえモンスターはでるし、病で若くして亡くなる人もいたからね。
「勿論、戦えないシスターもいますけど適正があると判断されたり自分から申し出れば剣や槍、斧やなんかを扱うための訓練を受けることもできるのですよ。シスターにも元は冒険者という方も少なくないですし」
戦うシスターってなんか凄そう。
もしかしたら、ミントって私より強いんじゃ…?なんて考えつつ、当初の目的だった根っこのついたアオ草を5株と中瓶の聖水を三つ貰った。
それだけじゃなくて、お昼もご馳走になったのでお腹も膨れて嫌なこともすっかり頭の隅っこに追いやることができた。
「なんだかゴメンね、お昼まで食べさせてもらっちゃって…」
「パンもスープもいつも余るくらいに作りますから、気軽に来てくださいね。私もライムの工房を見てみたいのですけど…中々いけそうにありませんし」
「ありがとう、ミント。じゃあ、私がこっちで初めて調合したアイテム見せに来るね。多分、なんの面白みもない調和薬だけど…そのうち傷薬とかポーションとか作れるようになる予定だから楽しみにしてて」
じゃあね、と軽い別れの挨拶をして工房へ向かう。
荷物はトランクだけだから私の引越しはとても楽ちんだ。
新しい部屋は中々…というか元々私が住んでいた部屋よりも確実に広かったのは嬉しいんだか悲しいんだか複雑な気分だけど。
(でも、万が一の為に部屋にあるもの全部詰め込んできてよかった。おばーちゃんが作ってくれた布団とかも全部持ってきたし、日用品もだいたい持ってきたもんね。備えあれば憂いなし、なんてよく言ったもんだよー)
戻る予定だから家の管理はお願いしてきたけれど、場所が場所だから少しでも価値のあるものや使っていたものなんかは容量無視で詰め込めるトランクに全部片っ端から入れてきたのだ。
流石に家は入らなかったから置いてきたけどね、うん。
家を離れるのをいい機会として捨てたものもあるけど少しでも価値のあるものは全部トランクに入れたので買うとしても金貨一枚の範囲内には間違いなく収まる。
「問題は食材その他だね…掃除用具とかは置いてきちゃったもんなぁ。調味料は持ってきてるけど…値段がわかっちゃうと使いにくいっていうか、なんていうか」
美味しいものは食べたいけど、こっちでは値段が値段だ。
それに機材やなんかを買ったり暫くは売り物を作れるようになるのが最優先だから、収入はないと思っておいた方がいいだろうし…ひっじょーに悩ましい。
そんなことを考えているとあっという間に工房へついてしまった。
うぅ、憂鬱な気分が足元からじわじわ這い上がってくるみたいだよ…あー、気が進まない。
どうやったって和やかで素晴らしく弾む会話ができるとは思えないし。
=補足の食材説明=
【ゴロ芋】現代で言うじゃがいも。
長期保存がきき、価格も安い主婦の味方。茹でて食べるか、スープに入れるのが殆ど。
大量の油を必要とするフライドポテトは高級品の部類。
【マタネギ】現代でいう玉ねぎの球がくっついたような野菜。独特の香りがある。
生だと辛味があるが加熱すると甘味に変わる。外側の薄く茶色い皮を向いて使う。
茶色い皮の下は白だが亜種として紫のマタネギもある。剥き過ぎ注意。古い刃物で切ると涙が出る。
スープ、炒め物によく使う貯蔵の効く庶民の味方。
【キャロ根】現代で言う人参。オレンジ色が一般的だが黄色・赤・紫も存在している。
甘味のある野菜で長期保存に向き、葉っぱもサラダやスープに使える万能野菜。
独特の甘みが苦手という子供も。長期保存ができ価格が安定しているので庶民の味方。