172話 水葡萄と大樽と
ながい。
投稿迄の時間が凄くかかりました。
調合を挟むつもりは微塵もなかったのにな……。
懐かしい匂いがした。
遠くで聞こえる人の話し声に、人の足音。
食器や調理器具が奏でる音と鳥の鳴き声は気持ちが良くて、背中を丸める。
頬にあたる滑らかなシーツからはふわっとシャボン草の匂いがして口元が緩んだ。
モゾモゾと気持ちのいい場所を探して体を縮めているとノックの音。
ぼんやりと心地よさに浸っていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
足音と共に。
「ライムッ! いつまで寝てるのよっ、もう! 朝ご飯ができたわっ」
バッと慌てて起きると何故か、そこには元気いっぱいなベルの姿。
ポカン、と口を開けていると呆れたように息を吐いて私を強引にベッドから引きずり下ろした。
さっきまで見ていた夢と心地のいい微睡みが、一気にはじけ飛ぶ。
「え、あ、あれ? ここ、どこ」
「ここは『雨霞の集落』にあるセンカさんの家よ。アンタ、昨日眠ってから一度も目を覚まさなかったの。私もセンカさんも起こしに来たけど、死んだようにぐっすり」
着替えなさい、とトランクを指さされたので大人しく服を着替える。
ジロジロと全身を見回して何やら小声で囁くベルの目は結構怖いけど、割とよくあることなので慣れた。
「ってことは、夕食! ねぇ、夕食は大丈夫だった? 私、何も作れなくて……っ」
「ああ、センカさんが作ってくれたから問題ないわ。あの人も料理が上手ね。少しライムの味付けに似ているのよ」
「あー……後でお礼言わなきゃ」
項垂れながらシャツに袖を通す。
髪を梳くための櫛をポーチから取り出した所でベルが窓へ近づいた。
「レイスもどきに乗っ取られかけたでしょう。その影響が大きいんじゃないかって、ミルルクさんが言っていたわ」
「え、なんでミルルクさん?」
「どんなに声をかけても揺さぶっても起きないから、ミルルクさんを呼んだのよ。ディルもついてきて、原因がアンデッドの所為だろうってわかったんだけど、その後もアンタの傍から離れなくて大変だったわ」
「あはは。ディルは昔一緒にいた時も心配症だったから何だかわかるかも」
「寝てたアンタはいいかもしれないけど、そんな生易しいものじゃないわよ……封じの腕輪にヒビが入ってたもの」
「今日ディルに会ったら心配かけてごめんって謝っておくよ。ベルも色々迷惑かけてごめん。はぁ……なんか最近寝てばっかりいるなぁ」
「普段から馬鹿みたいに調合ばかりしてるからじゃないの? あと、こういう時はごめんじゃなくて『ありがとう』でいいわ」
支度が終わったなら行くわよ、と服を着た私を見たベルが踵を返す。
慌ててベルの鮮やかな赤い髪を追いかけて階段を降りる。
二階はほぼ木で造られていて、どこもかしこも手触りがいい。
木の香りとハーベル草の香りに目を細めつつ一階に降りると、今度は美味しそうな匂いが鼻を擽った。
ベルは真っすぐに台所へ向かったので、後をついていくと大きなグラタン皿が丁度取り出されたところだった。
マトマのソースとホワイトソースを薄く重ねて、その間には平たいパスタが。
「ラザニアだ!」
「起きたのかい。起きたなら手伝っておくれ。コレと、そこにあるキャロ根サラダ、あとは今パンを焼いてる最中さ。あとはマタネギとコルキャのスープだ。後は、これで終わりさ」
「これ、なんですか?」
大皿に乗せられた葡萄のような果物は鮮やかな橙色をしている。
私の知っている葡萄は濃紫か鮮やかな黄緑色で、橙色の果物と言ったら柑橘系くらいしか見たことがない。
渡された大皿を受け取って食卓テーブルの中央に乗せるとリアンが嬉しそうに目を細める。
「水葡萄だ。ここの集落でしか採れない珍しく希少な果物の一つだな」
「リアン坊の好物だったからね、覚えていたカルンが届けてくれたのさ。まぁ、もう少ししたらワイン用の水葡萄を大量に持ってくるだろうから、アンタ達も手伝いな。ワインくらい作れるだろ」
「作れますけど……いいんですの? 私たちは『よそ者』ですわよ」
「構いやしないさ――……それより、さっさと飯にするよ」
慌てて手を合わせる私たちを見てセンカさんが目を丸くする。そして、懐かしそうに口元を緩めて、小さな声で同じ食事の挨拶を口にした。
焼き立てのパンやまだ熱いラザニア、シャキシャキとした甘みを感じられるキャロ根のサラダに優しい味のスープ。
想像以上にお腹が空いていたらしく、あっという間にお皿の中は空っぽに。
お腹が空いていたのもあるけどこういう手料理って本当に久しぶりだ。
「お替りなら適当に取り分けな。私は取り分けた分だけで十分だ」
そう言いながら上品に食べ進めるセンカさんにお礼を言って、遠慮なくラザニアとスープ、パンをお替りした。
三人で同じ分くらい食べ終えた所で、各々のデザート皿に水葡萄が置かれる。
葡萄の粒自体は大きくて大人の第一関節くらい。
「不思議な色の葡萄ですわね」
「この葡萄は品種改良で創られた。種がないから皮ごと食べられるぞ」
食べてみるといい、と言いながらリアンは一粒外して口の中へ。
大人の指の第一関節ほどもある葡萄は初めて見たな、と思いながら房から一粒外してみる。
しっかりとした果肉はどちらかと言えば硬め。
薄い皮の中にみっちりと果肉が詰まっているようだった。
「レシナとかミカンみたいな味だったりする?」
「するわけないだろう。色は珍しいが味は葡萄だ」
それもそうか、と大きめの一粒を口に入れた。
プチッという食感ではなく、サクッという歯触りに驚いたけどもっと驚いたのは味。
噛んだ瞬間に口の中いっぱいに爽やかな甘さと葡萄の香りが広がる。
香りは紫葡萄と黄緑の葡萄を合わせたような感じ。
甘みは濃厚なのに後を引かない爽やかさで二種類の葡萄を良いところ取りしたような味だった。
「うっわ、これ美味しい! ベルっ、すっごい美味しいよこの葡萄!」
「そ、そんなに?」
頷きながら二粒目を外す私にリアンは美味いよな、としみじみ呟いている。
その様子を見ていたセンカさんはニヤリと口元を釣り上げた。
「―――…この集落には、此処でしか育たない野菜や果物が沢山あるのさ。よかったねぇ、自白剤を飲んで」
飲んでなきゃ今頃ソレは食えてないよ、といいながらヒヒヒッと笑ったセンカさんに思わず顔を見合わせる。
葡萄を食べる手が止まって、ベルやリアンの顔を見ているうちになんだか可笑しくなってきた。
「ふ、ふふふ。確かに、そうね」
「……だな。ライムがあの時お替りしてなければこうはなってなかった」
「ベル達もお茶飲んで『あ、おいしい』って顔してた癖に~。私だけ食い意地張ってるみたいな言い方しないでよ」
自分でも何がおかしいのか分からなかったけど、三人でケラケラ笑っているとサフルがドアから入ってきた。
どうやら力仕事をしていたらしく、土汚れが付いた手袋をしている。
「おや。戻ってきたのかい」
「ただいま戻りました。カルン様の農園から『ワイン三千本分』の水葡萄が届いています」
「そうかい。ああ、アンタも少し休みな。そこに座ってこれでも食ってな。腹は?」
「先に頂きましたので……あ、あの、ライム様、お隣に座ってもいいでしょうか」
おずおず、と聞かれたので空いている方の椅子を引くと嬉しそうに腰かけた。
そして先に食事を食べたことを謝られたけど、謝らなくていいと言えばホッとしたように息を吐いて水葡萄を口にする。
私の方も寝こけててごめんね、と言えば驚いた顔で首を左右に振られた。
寝坊は良くないよね、やっぱり。
「―――……ふぅん。話に聞いていた通りだね。言っていなかったけど、この集落では『奴隷』は、『奴隷』じゃないんだ。あくまで私ら集落の人間からしたらだけどねぇ」
「私達は特に気にせず今まで通りでいいという事ですわね」
「ああ、そうさ。ただ、中には奴隷への扱いがあまりに酷いってんで『契約解消』させることもある。勿論、買い取った時と同じ金を払ってるし、後であれこれ言われない様に記憶も消すけどねぇ」
記憶を消す魔術や薬品を作るのは比較的楽なんだ、とセンカさんは笑う。
するとそれを聞いたサフルが慌てたように立ち上がって深く頭を下げた。
「ライム様たちは私を人として扱って下さっていますッ! ですから、どうか引き離すような事だけはしないで頂きたい。もし、そのようなことを好意でしようとしてくださる方がいたら私が直接説明をしに行きますので……ッどうか!」
お願いいたします、と素早く磨き上げられた床に額を擦りつけたサフルを見て慌てて椅子から立ち上がると、センカさんが深く息を吐いた。
床に伏せるサフルへ近づいて呆れたようにその頭を小さく叩いた。
「あのねぇ、『主従契約』を結んでる奴隷と主人を引き離すヤツなんざ、そういないから安心しとくれ。何より、主人が三人もいるんだ、手間も三倍。そんな面倒なことはしないさ」
「……はい」
それでも不安そうなサフルにベルが苦笑しながらひらひらと手を振る。
「サフル。アンタが好きでライムの為にあれこれ動いているのは、見てれば分かるから大丈夫よ」
「そ、そうですか?」
照れくさそうにしながら、そうっと椅子に座り直したサフルにホッとして私も椅子に座り直して美味しい葡萄を食べることにした。
私たちが夢中になってデザートを食べていると正面の椅子に座ったセンカさんが一枚の羊皮紙を差し出す。
其処に書いてあったのは【レシピ】だった。
思わず手に持っていた葡萄が転がり落ちる。
「これ、ってワインのレシピですか?」
「そうさ。ワインは全部で三種類つくる。千本ずつだね。作った人間はそれぞれ三本貰える。例年なら私とカルンだ。収穫をしたり、選果をした人間は二本だ。それ以外は一人につき一本。余ったら、一世帯につき一本渡すことになってるんだよ」
「今まで一人で三千本作ってたんですか?」
「時間と魔力だけは多いからいいんだか、悪いんだかってところさ。さて、まずは作り方を話す前に葡萄からワインはどうやってつくられるか言ってみな」
チラリと視線を向けられて慌ててワインの作り方を思い出してみる。
センカさんが私に聞いているのは、一般的なワインの醸造方法についてだろう。
頭に思い浮かべたのは、おばーちゃんが持っていた『酒』に関する記述やレシピをまとめた手製の本。
「ええと、ワインは確か葡萄を洗わないで樽に詰めて、潰して蓋をしたら出来るんですよね」
「……ライム、その回答ってどうなのよ」
「まぁ、合ってはいるね。で、葡萄を洗わない理由は」
「葡萄の皮に発酵を助ける酵母がついているから、ですよね。おばーちゃんが言ってました」
「そうさ。さて、問題だ……水葡萄にその酵母はついていると思うかい」
この質問をされて声が漏れた。
確かに考えなかったけど、水で酵母が流れるなら水の中で育つ葡萄には酵母がないってことになる。
「水葡萄そのものに酵母がないなら、別のもので代用するのが正しいんじゃなくって?」
ベルの言葉にセンカさんは、静かに頷いて見事な硝子瓶に入った粉のような物をテーブルに置いた。
小さな粒粒は簡易スープに似ている。
「一つは【添加法】と呼んでいる醸造方法さ。まぁ、あくまで集落の中でだけだけどね」
「僕たちが作ったワインもコレに該当する。ワイン調合で使った素材は葡萄と酒の素だ。一般的に出回っているワインは酒の素が使われている―――…理由は『確実』に大量の酒を造れるからだ。原材料の葡萄自体が高品質だから出来上がるワインも基本的に高品質になるし、手間も少ない」
葡萄を食べ終わったらしいリアンが立ち上がって「センカさん、何を淹れますか」と台所へ向かいながら尋ねる。
どうやらお茶を入れてくれるらしい。
「ハーベルティーを淹れとくれ。場所は変わってないからね―――…さて、ワインの話に戻るがね、結論から言うと収獲したての水葡萄にも酵母はついている。が、付着量は通常の葡萄の半分程度。そこで【凝縮法】と【補充法】をつかうのさ」
初めて聞く方法に、私たちは顔を見合わせる。
そんな私たちをしり目に、彼女はテーブルの上の用紙に人差し指を添えた。
用紙には三つのレシピと手順が細かく描き込まれているようだ。
「ベルとかいったね。アンタは、この【補充法】をやっておくれ。体力と腕力があるようだから頼んだよ」
「構いませんけど、今まではどうしていたんですの?」
「ワインで釣った酒好きの男どもを使ってたね。けど、それだと配当が少なくなるから不評でねぇ」
なるほど、と頷いたベルは二つ返事で引き受けた。
大変だと思うんだけどいいのかなと心配になってみるとベルは苦笑する。
「これ、魔力使用量が一番少ない方法だし、力仕事があるなら私がするのが一番いいわ―――……センカさん? ワインだけど」
「分かっておる。一人でやるなら【補充法】で作ったワインは五本くれてやるさ。話はミルルクにつけてある」
「そう来なくちゃ。いいわ、訓練代わりに体を動かせるのは私にとっても助かるし、休みながらでもいいのよね?」
ベルは、大樽二つの酒を一人で作るらしい。
樽に入れる素材の葡萄を大きな圧搾機でジュースにして、そこに潰した葡萄果肉と昨年仕込んだワインに酵母を混ぜたものを加えて発酵させるそうだ。
「リアン坊には一般的な【添加法】で作ってもらう。魔力は魔力回復ポーションで回復させながらだから、大変だとは思うけどねぇ。で、ライム。アンタがやるのは【凝縮法】さ」
レシピによるとこれは単純に魔力量が必要らしい。
この製法は『日陰で半干し』した水葡萄を使うらしい。
水葡萄は干すと酵母菌が増えるらしく、色々検証した結果半干しが一番ワインの出来が良かったそうだ。
「この醸造は簡単さ。千本分ワインが作れるタンクに葡萄を入れて、魔力を注げばいい。回復薬は木箱三箱ずつくれてやる。好きに使いな―――…まぁ、何本かは残るんじゃないかい」
はぁい、と返事をしてリアンが入れてくれたお茶を飲む。
私たちがワインを作っている間、センカさんはコルクの調合と瓶の加工をするそうだ。
「この集落にいると錬金術師の仕事はいくらでもあるからね、予行練習だと思って頑張りな。ああ、でもその前に荷物を売りに行くんだったか。先に行っといで」
準備はしておくというセンカさんに家を追い出され、私たちはトランクを持って雑貨屋へ向かうことに。
◆◆◇
リアンを先頭に集落の中を歩いた。
時々視線を向けられるけれど、話しかけられることもなくて少し拍子抜けはしたけど、無事に目的地へ。
雑貨屋さんでは、話を予めしてくれていたらしくスムーズな取引ができた。
小麦や調味料は喜ばれたし、布なんかも用途は多いらしく歓迎されて『こんなに沢山いいんですか?!』と嬉しそうな声をあげたのには思わず笑っちゃったけど。
その中でも、一番喜んでいたのはニヴェラ婆ちゃんの薬だ。
リアンがほぼ原価に近い値段で売ったことは店の人も分かっていたらしく、欲しいものがあれば用意するとまで言ってくれたっけ。
センカさんの家に戻ってトランクを置いた私は、家の裏手へ向かう。
「家の裏に大きい樽なんてなかったよね? 庭はあったけど」
「自分の家に樽は置かないだろ。大樽は別の場所にあって、普段は魔術で封じられているそうだ」
「随分大げさなのね。金塊や宝石があるっていうなら分からないでもないけれど」
そんなベルの呟きにリアンは無表情で細道を進む。
煉瓦を横に二つ並べた程度の幅しかない道は、森の奥へ続いていく。
道の周りの木は何処も同じようにしか見えないし、進んでいる感覚があまりない。
リアンが言うには今見えている景色も魔術によって作り出されているんだって。
感心しながら進むと、大体十五分くらいで建物が見えてきた。
随分と大きい木造の建物で、家の基礎は石でできているようだ。
「酒を造ることに重きを置いた建物だな」
初めて見たが、と眼鏡の位置を直しながらどこか嬉しそうにつぶやいたリアンに対して、ベルは周囲に視線を向けていた。
ベルから言わせると生き物の気配がなくて不気味らしい。
私達が辿り着いたのを見計らったように、建物のドアが開く。
其処からセンカさんが出てきて早く来るよう促された。
駆け寄って、建物の中に入ると専用の服と温かいお湯で体を清めるように言われた。
大人しく身支度を整えた私は大きな樽の前へ。
階段を二つほど登った所に、ぱっかりと口を開けた大樽と大きな蓋と金属の棒が突き刺さっていた。
「この棒は? っていうか随分と大きくて高いですね、この樽」
「水ワイン専用の樽さ。番号が書いてあるから、一番にリアン、二番はベルだ。三番は私とライムだね。ライム以外は自分の好きな時に回復薬を飲みな。ライム、アンタが途中でへばって樽に落ちたらワインが台無しになるから腰にロープを結んで柱とつないでおくよ。最初に持っていかれる魔力は多い。私ですら一気に半分は持っていかれるから、渡した回復薬は直ぐに飲みな。いいね」
「体力を削る前に魔力回復すればいいってことですね」
「当り前だろ。体力を削ったら落ちてワインの不純物になっちまうからね」
(まぁ、人が落ちたワインを飲みたいって思う人はいないか。私も嫌だし)
そう思いながら、センカさんの指示通り金属の棒を握る。
これは樽の中に魔力を流し込むだけの為に入れてあるらしく、入れ終わったら引き上げて樽に蓋をするそうだ。
魔力を注いで、二週間ほどで完成するらしく、それまでにコルクや瓶を用意するらしい。
センカさんは魔力切れのタイミングを私が掴んだら自分の家に戻って調合するそうだ。
「じゃあ、行きますッ」
声をかけてからひんやりした滑らかな金属を通って魔力が行き渡るようにイメージをするんだけど、イメージよりもはるかに速く魔力が減っていくので慌てて回復薬を飲む。
(話す暇もない勢いで魔力減るんだけど!?)
慌てつつ、魔力放出は止めずに渡される回復薬を消費する。
お腹がチャプチャプになりそうだなぁ、なんて考えつつ魔力を流す。
かき混ぜる動作がないのも、味気ないというか若干手持無沙汰だ。
(そういえば干した水葡萄ってどんな感じなのかな)
魔力を流し、口の中に残る回復薬を新しい回復薬で飲み込んで――…五本目の回復薬を飲んだところだった。
流していた魔力の流れ方が変わったのだ。
「センカさん、なんだか魔力の流れ方が」
「……そろそろ任せても良さそうだね。ふぅん、五本か。筋は悪くない。サフルをこっちによこすから、魔力が行き渡ったら、金属棒を抜くためのハンドルを回して、蓋をしておくれ。終わった順に隣の部屋で休んでな」
じゃあね、と必要事項だけ伝えたセンカさんはあっさり出て行ってしまった。
ちょっと驚いたけどやることもないのに様子を見ているのも勿体ないし、と魔力を流す作業に集中する。
(こんなに大きな樽、みたことないや)
少し余裕ができたので息を吐いて樽の中に視線を向ける。
大樽の中は、少し皺がよった茶色みの強い橙色へ変化していた。
立ち上る香りは重たい甘さを持っているのに、どこか爽やかだ。
「水葡萄かぁ。そのまま食べるのも良いけどジュースにしたのが飲みたい」
はぁ、と項垂れて回復薬を口に含む。
最初こそ、魔力を根こそぎ吸い上げられているみたいだったのが、今はゆっくりと樽の中に行き渡るような感じに変化している。
ただ、魔力の浸透具合は、まだ全体の半分以下だ。
魔力回復薬が足りるのかひやひやしながら、一箱目を使い切り、二箱目へ。
金属の棒に触れていれば魔力は問題なく流せるのでどうにか使い切った空の木箱を降ろした。
二箱目から一本の回復薬を飲んでいる最中に、サフルが建物の中に入ってきた。
目があったので手を振れば、ぺこりと頭を下げて私たち声をかけてくる。
「何かお手伝いできることがあれば言って下さい」
「サフル、木箱が空になりそうだから二箱目を一番上にしてくれ」
リアンの声でサフルは素早く動き、作業場を整えたあとベルに水を頼まれて、スルスルと梯子を上っていく。
この時初めて気づいたんだけど、ベルは私達とは違う作業をしていた。
大きなハンドルを回しているのだ。
ベルがハンドルを回す度に、大きな注ぎ口からドバドバ水葡萄の果汁が出てくるのはいっそ見事でしばらく眺めていたんだけど、ベル自身は鼻歌すら歌っている。
「ベル、それ疲れないの?」
かなり距離があるけど、此処にいるのは私達だけなので声は良く響いた。
ベルは作業をしながら弾む声を返してくる。
「疲れないわよ、別に。コレを回すと凄い勢いで果汁が絞れるから面白いわ。多分直ぐに絞り終わるわね。私は魔力を注ぐ作業の方が億劫なくらい!」
二人は大丈夫なの、と聞かれて隣の酒樽で作業をしているリアンを見るとリアンは丁度回復薬を飲み下した所だったらしい。
手の甲で唇を拭いながらゆるりと首を振った。
「魔力自体は回復薬があるから問題ないが、この量の回復薬を飲み続けるのは些か辛いな――…回復薬が足りるかどうか」
「私もリアンと同じ。回復薬を回復薬で流し込んでるもん。私はもう二箱目の半分くらいかなぁ。すっごい量の魔力吸い取られてて笑うしかない。首飾りの時の方がまだマシだったかも」
回復薬を飲むのが間に合わなかったら体にかかる負荷が酷い。
かといって、飲んだら飲んだ分だけ胃が辛い。
暫く調合をしていて、サフルが二時間経過を告げた辺りでワイン調合は大詰めを迎えていた。
「―――……僕の方はもうすぐ完成する! サフル、すまないがハンドルを回してくれ。僕は蓋を閉めるッ」
「はいっ」
サフルが壁につけられたハンドルを回す音がする。
ガラガラという大きな音と共にゆっくり金属棒が天井へ吊り上げられていくんだけど、この金棒、かなりの長さがあったのにハンドルを回すごとにパタンぱたんと折りたたまれていく。
凄い仕掛けだな、と感心しているとリアンが大樽の蓋につけられた革ひもを引っ張る。
一応引きやすいようなロープ状に編まれてはいるけど、力は結構必要らしく一苦労しているようだ。
ハンドルを回し終えたサフルがリアンと一緒に蓋を閉めて、リアンは深く息を吐いてその場に座り込む。
小声で「胃が」とか「暫く飲み物は要らない」とか呟いているのに激しく共感しつつ、三箱目の三本目の回復薬を飲み干す。
「うう、もう今日は飲み物いらない。ぱさぱさのパンとか食べたい」
「……いや、この状態でパンなんて食べたら胃の中で膨らんで悲惨なことにしかならないぞ」
「私も暫く紅茶は要らないわね。ああ、でも水葡萄とか果物は食べたいわね」
リアンは二箱目を飲み終わった所で完成したらしい。
ベルは二箱目を開けて八本を飲み終わった、と言っていたのでいいなぁと思いつつ、四本目に手を伸ばす。
(後、五本くらい飲んで終わりかなぁ)
三十本入りの箱を凄い勢いで消費することへの躊躇はすでに消えている。
原価はかなり高いだろうし、加工料もかなり高くつくんだろうなーと思っているとベルがあっさり完成してしまった。
私もベルから二十分遅れて何とか完成。
蓋を閉める余力はなくて、サフルが金棒を引き上げ、ベルが蓋を閉めてくれた。
足を滑らせないように気をつけながら梯子を下りて建物の外へ。
短い草が生い茂る場所に寝転ぶと程よい土と草と、そして温かさを感じる。
センカさん達が作ったという太陽が天辺の辺りへ来ているのを見るとお昼時なんだろう。
「ははは……お腹空いてるのに、何も入る気がしないや」
「奇遇だな。僕もだ」
「流石にスープや紅茶は要らないですけど、普通にお腹空きましたし食べられるなら食べたいわね」
「あー、ベルは体動かしてたもんね」
「いい運動にはなったわよ。鍛練にはなりそうもないけれど」
ふふん、と笑うベルを羨ましく思いつつ寝転がっていた状態から何とか立ち上がる。
余裕があったベルは、テキパキと空いた木箱や残っている瓶をまとめて、建物の外に運び出してくれていた。凄く助かったけどどうなってるのかなっておもったよね。うん。
ある程度歩けるまで胃が落ち着いた所でサフルがセンカさんを連れて戻ってきた。
「センカさんだ。魔力注ぎ終わりましたよー」
「そうかい。じゃあちょっと確かめてくるからここで待ってな」
はーい、と返事をして小さな体が扉の中で消えていくのを眺める。
センカさんはそれほど時間を掛けずに戻ってきて、サフルに木箱を持つように言いつけて歩き始めたので追いかけた。
「で、どうだい」
「お腹がちゃぷちゃぷになってます」
「魔力を注ぐだけだったので疲労は特にないですね。暫く飲み物は必要ないですが」
「私はまだ余裕があるわ」
「そうかい。とりあえず、今日はこれで用事は終わりさ。私の方も作業が終わったし、他の奴らを見に行くかい」
来た時と同じ、木に囲まれた細道を進む。
今はまだ明るいからいいけど夜に通ることになったら怖いだろうな、とコッソリ思った。
裏庭の柵が見えてきてホッと息を吐きつつ、家に入る。
「さて、色々今後の話をしようかね。ちょっと座って待ってな」
カップを入れてある戸棚へ近づいたのを見て思わず、飲み物は要らないと伝えると彼女はヒヒヒッと笑って二つだけカップを取り出した。
それを見てほっとした私は朝食の時に座っていた椅子へ。
何の話かなーとぼんやりしているとお茶を入れたセンカさんとサフルが戻って空いていた席へ。
水分で胃は膨れているけど、ハーベル草の香りは落ち着く。
それだけじゃなくて錬金術師の工房自体が落ち着くんだよね。
私達の工房は共同経営だから、好きに薬草を吊るし干ししたりは出来ないけど。
(田舎と首都の違いだよなぁ。やっぱり。軒先に色々吊るして干してる人も見かけないし)
「さてと……とりあえず、倒れたり意識を失ったりしていない所を見ると、真面目に調合をしていたようだね。私も随分楽だったし、報酬をやろう。リアン坊には【薬の素】あたりがいいかね。ベルは美容系と武器に役立つものとどちらがいい」
予想していなかった言葉に驚いている私たちを余所に、センカさんは『どっちだい』と選択を迫った。
その顔に浮かぶのは何かを見定める様な、そして愉しむような色。
ベルは一度開きかけた唇を、きゅっとかみしめた。
少し考え込んだ後に……普段通りの凛とした声と表情で真っすぐにセンカさんを見据える。
こういう時のベルは、いつも以上に綺麗で目を惹く。
口の端を勝気に釣り上げたベルが口を開いた。
ここまで読んで下さってありがとうございます!
次回は中々辿り着けなかった【アールグレイ】とオランジェの話になります。
ギリギリ入らなかった……文字数がヤバくて(爆
誤字脱字、チェックはしていますが行間を開ける最終調整の際にも数カ所の違和感を直してます。
宝探しのように暇つぶしを兼ねて探して頂けると嬉しいです。ほんとに……何故。
誤字脱字変換ミスの神様っているのかもしれません。