153話 出発前、最後の調合【後】
これで出発前の準備完了です。
帰ってきたら、お酒は飲み頃になっているはず!!
ちなみに、私は酒が全く飲めない酒好きです。
どうしよう、とってもやりにくい。
チラッと視線を横へ向けるとじっと私の動きを観察しているリアンの姿。
メモの準備は万全で、私が何かする度に行動の理由や意味を聞いてくる。
「と、とりあえず二つのレシピと調合方法を伝えるね。レシピ帳は見ても分からないだろうし」
レシピ帳は他の人が見ても分からない書き方をしている、とおばーちゃんが言っていた。
工房で生活し始めてから二人に見せたことがあるけど、二人とも見たことのない文字らしい。
【ハッカ風ドロップ】別名:スッキリ飴 最大調合量:15個
麦蜜+砂糖+キシキシの葉+アオ草の葉+浸水液+果汁 10ml
澄んだ黄色の飴。麦蜜を使っているので普通に作れば茶色になるが、アオ草の葉が入っている為か薬効が高められ色だけが薄くなった。溶けにくいために、長く舐められる。長旅には最適。効果は馬車酔い防止、喉の炎症抑制、眠気覚まし。
=作り方=
①キシキシの葉とアオ草は細かく刻み、乳棒で軽く叩いて成分が出やすくしてから、浸水液と共に調合釜へ。弱火から中火の間で成分を抽出
②葉が完全に消えてから砂糖を入れて中火で煮詰める。
③とろみがついたら麦蜜を加えて魔力を注ぎながら弱火で煮る。色が薄くなったら火を止めて大きく練るように混ぜるが、この時に果汁を入れ、魔力は注がない。光沢が出たら取り出す
④調合釜から取り出したら魔力を手に纏わせ、練りつつ整形する。棒状に整えたら切り分けて完全に固まったら完成
ここで一息吐いてリアンを見ると難しい顔で黙り込んでいた。
不思議に思って聞いてみると言いにくそうに口を開く。
「麦蜜というものを僕は知らない。砂糖やハチミツはあるし少し珍しい甘味料もあるが、それらの別称ではないんだな?」
「うん。麦蜜は砂糖が手に入りにくい田舎とかでは割と一般的な調味料兼オヤツみたいな感じかなぁ。私も時々作ってたんだけど、やっぱり錬金術で作ったものの方が雑味の少ない上品な甘さになるんだ。錬金術なしで作ったものは料理に使うとコクが出て美味しい」
「なるほど。材料と作り方を教えてくれ」
麦蜜、蜜と名がつくからには甘いのだろうが……と呟いているのが少し面白い。
笑いそうになるのを堪えてレシピ帳を開く。
錬金術と普通に作るのとでは作り方が違うのだ。
【麦蜜】難易度:E 調合時間:30分程度 最大調合量:1L
ゴロ芋(15個)+乾燥麦(45g)+水
砂糖を使わないのに甘くなる不思議な液体。
保存方法にさえ気をつければ1年ほど持つ。固まることがなく、常にトロトロとした液体。
=作り方=
①皮を剥いた芋と水を釜へ入れて、魔力を注ぎながら50~60℃で15分加熱
②芋と水が混ざりドロドロになったら擂り潰した麦を入れて、50~60℃で15分加熱し温度を保ったまま魔力を込める。全体が褐色になったら火も魔力も止める
③ザルに濾し布を広げておき、調合釜の液体を入れて絞る
④絞った液を調合釜に戻し、魔力を注ぎながら混ぜる。
5分だと緩め、10分だと硬めに仕上がる
実物を見るのが楽しみだ、とほんの少し口の端を上げた彼に私は苦笑する。
ベルも私も見たことのないものに対する興味は強いけど、私達より新しいモノに対して興味と好奇心を持っているのはリアンだ。
特に自分の知らない事や興味があることに関しては。
【清酒】せいしゅ。
米+酒の粉+水+浄化石(2個)。
材料自体は決して多くない。米のほのかな甘みや酒になった際のキレのいい味わいから、愛飲家も多いらしい。錬金術以外で作ることが難しく、流通量は非常に少ないため高価。
幻の酒、伝説の美酒などと呼ばれる。
発祥の地では聖なる酒とも呼ばれていたらしく、強い浄化作用がある。素材が少ないからこそ、使う素材の品質で味が変わる。
=作り方=
①米は炊いておく。炊いた米に酒の粉を振りかけておく。この時、焦げた部分は入れないこと、人肌くらいの温度に温度が下がってから酒の粉をかけること。放置時間は5~10分程度とする
②酒を入れる容器に浄化石を入れておく。容器は綺麗に洗って乾燥させること
③準備を終えたら、すべての材料を調合釜へ入れて魔力を注ぐ。すべてが混ざって、ドロドロになったら浄化石入りの容器へ入れ、蓋をして熟成させる
④暗く涼しい場所へ置いておく。魔力を込める量によって熟成速度が変わる
完成すると二層に分かれる。水のような無色透明な層(これが清酒)、白く濁った酒粕(副産物)の二種類。酒粕は酒粕で甘みが強くアルコール度は低め。
書いてあったことを伝えると、リアンは目を輝かせて作業台に並んでいる米へ熱い視線を注いでいる。
呆れつつ、作業を始めることにした。最初に作るのは【麦蜜】だ。
「調合順番は【麦蜜】【スッキリ飴】【清酒】の順ね」
「待ってくれ。酒の粉というのは作らなくてもいいのか?」
「ああ、それなら暇な時に作ったのがあるから平気。酒の粉の調合は後で教えるねー。全部作ってたら寝る時間なくなるし」
「そうだな。帰ってきたら頼む」
分かった、と頷くとリアンは芋がたくさん入った籠を持って台所へ。
どうやら芋を剥く作業を手伝ってくれるようだ。
皮剥きって時間がかかるから助かる、と芋を手に取ると後ろから声が聞こえた。
声の方へ視線を向けると髪を拭きながら歩いてくるベルの姿。
さっぱりしたわ、と言いながら水差しからカップに水を注いでいる。
「まだ温かいし入ってきたら? サフルの手間も省けるし」
「そうだな。ライム、先に入ったらどうだ」
「これから調合で汗かくだろうし、リアン先に行ってきて。芋を剥いて、米を炊かなきゃいけないし」
「分かった。早めに上がってくる」
「私は……調合が終わってから入るかなぁ。最後で良いから、リアンの次はサフルに入るよう伝えて」
分かった、と頷いてリアンが洗い場へ向かうのを横目に皮剥き作業へ戻る。
米を蒸す作業は飴の調合が終わってからだ。
リアンの行動を思い出すと『米を炊く作業についても詳しく』って言われそうだし。
やれやれ、と息を吐いて興味深そうに芋を剥く私を眺めているベルが口を開いた。
「―――……なるほどね。私はその内でいいわ。手っ取り早く魔力を使い切って寝るつもり」
「手っ取り早くってことは……回復薬?」
「ええ。中級ポーションと虫よけポマンダーを作るつもり。ポマンダーは下処理まで終わってるから調合釜で混ぜるだけだし。私も魔力が少し増えてきたみたいだから問題ないでしょ」
減ってきた調合用の素材でも補充しておくわ、と言いながら地下へ歩いていく。
その途中でピタッと足を止めてそうそう、と何かを思い出したように口を開いた。
「旅に行っている間だけど、工房と畑の管理はルーブに言いつけておこうと思うの。それで注意点があればメモをしてテーブルに置いて頂戴。家庭菜園で採れた野菜なんかは地下へ運ぶように言ってあるわ」
「分かった。野菜の収獲ついでに、アオ草とか薬草もある程度になったら摘んで欲しいんだけど、頼んでも大丈夫かな」
「伝えておくわ。一応収獲目安とかは伝えて、回収したものは地下へ運ぶよう言っておく」
お願い、と返事をすると今度こそベルは地下へ姿を消した。
芋の皮を剥きながら留守の間に心配なことを考えてみるけど……畑が問題ないなら特に言いたいことはない。
聖水をかけているアオ草はこの長旅で普通のアオ草になるだろう。
けど、特に問題はなしだ。
(“祝福”つきのアオ草はいくつか収獲してるし、祝福効果をつけた調合素材も結構作った。なにより、アオ草と聖水さえあれば祝福効果はつけられる)
やっぱり何の問題もなし!と最後の芋を剥いて、すぐに水洗いをした。
作業台に運んでから、今度はお米を研いで水を入れ、すぐに炊けるよう準備をしておく。
ついでに乾燥麦を擂り潰して、キシキシの葉とアオ草の葉も刻んでおいた。
葉っぱは入れる直前に擂り潰した方がいいので後回し。
果汁は麦蜜が完成してから絞る予定だ。
次は、とお酒を仕込む為の樽に熱湯を入れて洗っているとサフルが近づいてくる。
「ライム様、湯浴みは調合後という事でしたがどのくらいの時間になるのか教えて頂けますか?」
「これから調合して……9時くらいになるかな? 後片付けをしたら9時30分位になるかも知れないけど」
「かしこまりました。その時間に間に合うよう湯を沸かしますので、ご使用の際はお知らせいただけると幸いです。着替えなど僭越ながらお部屋から運んでも宜しいでしょうか?」
「えっと、じゃあお願い。ひとまとめにはしてあるからすぐ分かると思う」
サフルはまだ入らないの?と聞けばニコッと笑い「庭の手入れをしてまいります」と言い始めた。
驚いてもう暗いのに?と言えばコクリと頷く。
魔石ランプも持たずに行こうとしていたので、慌ててランプを一つ渡したけど静かに一礼して、用事があれば呼んで欲しいと言い残していなくなる。
あとで知ったんだけど、空いている時間を素振りや基礎体力をつける為の訓練に費やしていたらしい。
粗方準備が整って、調合用のエプロンを身に着けた。
素手で行う作業ばかりなので手を念入りに洗って、ザルや濾し布、保存用の瓶、必要なものを揃えておく。
丁度準備が終わった所でリアンが戻って来るのが見えた。
急いでいたらしくまだ髪が湿っている。
「調合は?」
「まだだよ。準備は整ったからそろそろ始めるけど……髪乾かすまで待とうか?」
「問題ない。水滴が落ちない程度には拭いてきた」
そういうことなら、と返事をして早速【麦蜜】の調合に入る。
頑張りますか!と気合を入れて軽く頬を叩いた後、剥き終わった芋を調合釜へ入れて井戸水を入れる。
実は、調合に使う水は専用の甕に入れてあるんだよね。
毎朝新しくしているし浄化石を二~三個入れているから透明度は高い。
蛇口を捻ると水は出るけど、そっちは道具を洗うために使うことが多いのだ。
水は分量分しっかり計って調合釜へ。
芋の大きさは、火の通りを考慮して出来るだけ均一な大きさになるように切った。
火をつけて魔力を注ぎながらゆっくりかき混ぜていく。
温度計は53℃だ。
火力が急に変わることはないけど、注意しながら調合を進める。
「コレだけ見てると普通に大量の料理を作ってる気分になるよ」
「まぁ、素材が素材だからな」
そう言いながらメモを取っているリアンに苦笑する。
時々、混ぜ方の注意点は?とか聞いてくるので退屈はしない。
「あ。やっぱり灰汁が出てきた」
「灰汁、というのはこの泡か」
「そうそう。レシピには書いてないんだけど、食べもの系を調合していると材料によっては出てくるんだよね。気になるから私は取り除くようにしてるの。普通の料理でも取り除くものだしね」
用意しておいたお玉で灰汁を掬い捨てる。
念のために用意してよかった、と灰汁をボウルに入れ様子を見ながら魔力を注ぐ。
魔力の注ぎ方は水に溶けるようなイメージだ。
「そろそろいいかな……芋の形状が分からないくらい溶けてきた」
何度か下から上へ持ち上げるように杖を動かす。
イメージとしては下に溜まったものを掬い上げる感じかな。
作業台に置いた乾燥麦を擂り潰したものを入れて温度を確認。
先ほどと同じように釜の中を混ぜていく。
そこからほぼ十五分で全体が褐色へ変化し、透き通ってきた。
ここだろう、と判断した理由は色だけじゃなくかき混ぜる腕が疲れてきたから。
粘度が出れば腕にかかる負荷も強くなる。
「リアン、調合すれば分かると思うんだけど……こんな感じで色が濃くなって透き通ってくると重たくなるんだ。粘度が増してるからなんだけど、あまり魔力を入れすぎると駄目。後でもう一度加熱するし……ここでは『とろみがついてきたかな?』って所で止めて」
説明をしながら、杖を抜いてお玉で調合釜の中身を掬い、濾し布をセットしたザルへ中身を移す。
見学の時に手伝って、とは私もベルも、リアンも言わない。
暗黙の了解ってやつなんだと思う。
一人で調合出来ないと次に困るっていうのが大きな理由なんだけどね。
「さてと。こっからちょっと熱いから、此処だけ手袋してもいいと思う」
「君は使わないのか」
「うん、チャチャっとやっちゃうから」
濾し布を使う作業は慣れている。
用意しておいた菜箸っていう長い棒二つを使って絞っていくと、感心したような視線を向けられた。
器用だな、と落とされた言葉に思わず笑う。
「私より器用な人に言われても」
「別に僕は器用ではない。薬の調合は緻密さが求められるから、日頃から分量や時間をしっかり計るようにしているだけだ。器用さは人並みだぞ」
そうなの?と言えばしっかり頷かれた。
イマイチ納得はいかないけど、そういうことにしておいた。
「―――……うん、この時点では上出来。セットした時計を見ながら調合するよ。普段は感覚でするんだけど、リアンは時計見てて。今回は……七分。人によって使いやすい濃度があると思う。料理にも調合にも使いやすいなぁって思うのは、大体七分くらいだと思う。硬すぎると溶かしにくいし、柔らかすぎると調合に使う時に不便なんだよね」
「その辺りは使いやすい濃度を見極めるしかないか」
「うん。ただ、冷めると少し硬くなるから覚えておいて」
絞り終わった液を調合釜に戻し、魔力を注ぎながら混ぜる。
火力については書いていなかったので魔力のみ。
液体自体はまだ熱いから余熱で大丈夫なんだと思う。
状態に気をつけながら混ぜ続けて、丁度いいと引き上げたタイミングはぴったり七分。
素早く魔力を切って瓶に入れておく。
「これで【麦蜜】は完成。500mlに分けたのは、飴を作るのに使う分より多くできるからってだけ」
500mlずつなら分かりやすいでしょ?と言えば納得したらしい。
今回は魔力をさっさと使い切って寝たかったのもあって、片付けは後回し。
使う道具自体があまりないからね。
「じゃあ、このまま次の【スッキリ飴】の調合をするから」
あらかじめ用意しておいた素材を見せて、刻んだ葉を乳鉢へ入れておいたのでその上から軽く揉むように擦り合わせる。
それが終わったらすぐに計量しておいた浸水液を乳鉢へ注ぎながら、二つとも調合釜へ流し込む。
最初は弱火で……少し温度が上がってきたら中火。
沸騰しないように釜の中を緩やかに混ぜる。
「この作業は成分を煮出す作業。温度は50℃前後。60℃になっちゃ駄目だからちょっと加減が難しい」
温度計と睨めっこしながら釜の中をかき混ぜていく。
連続調合は結構疲れる。主に腕が。
じわじわとアオ草とキシキシの葉の色が滲んできたのを眺めながら、スーッとする清涼感のある香りに眉尻が下がった。
「私、あんまりこのスーっとする匂い好きじゃないんだよね。食べられないこともないんだけど」
「僕は割と好きだな。夏の暑い時期には丁度いい」
涼しくはなるけど、おいしくないと反論しつつ火力を調整。
今回は弱火でほぼ固定だ。
細かくしていることもあって、葉が消えるのは早かった。
「よし。葉っぱがなくなったから砂糖を入れるよ。砂糖を入れたら焦げ付かないように注意しつつ液体になるまでしっかり混ぜる」
鍋の底にくっつかないように杖から調合専用のヘラに持ち換えた。
鍋底から焦げを剥がすような感じで混ぜていると、トロミがついてくる。
ヘラを動かすとその軌道が少しだけ残って、消えるから分かりやすい。
ここで火力を落とし、完成したばかりの麦蜜を入れる。
まだ余裕があるので片手で混ぜながら、絞り器にセットしておいたミカンを1つ分絞る。
その液体は小さめのボウルに移し、続いて半分にしたレシナも絞った。
「こっちの絞り汁は予め絞っておいてもいいけど、香りが飛ばないようにこの工程の時にやっちゃうんだ。この工程もそんなに時間かからないからタイミングが難しいんだけどね―――…ほら、見て。少しずつ色が薄くなってきた」
「本当だな。魔力を注いでいる所から薄くなっていくようだな……だから、全体的に色が薄くなる=魔力が行き渡っているという判断の指標になるのか」
「? よく分かんないけど、そうだと思う。で、ここからは早いからね」
大きく二度ほど釜を混ぜると全体の色が黄色味を帯びた。
すぐさま火を止めて絞ったばかりの果汁を入れ、両手でへらを持って大きく混ぜ合わせる。
力もいるし、速度も必要なんだよね。
だから、見学中のリアンを気にする暇がない。
グルグルと体全体で釜の中をかき混ぜ、光沢が出るのを待つ。
うっかり魔力を注がないよう注意。
二~三分全身を使って練り続けて漸く光沢が出てきた。
全体的にもったりとしてツヤツヤしてきたタイミングでヘラに乗せるよう、ひとまとめにして素早く用意しておいた鉄板の上に。
ヘラはそのまま作業台に置いて、魔力を両手に纏わせた状態でさらに練り合わせる。
「っ…きっつい!! うう、軟膏よりきついーー!!」
文句を言いながら怒りと魔力を込めて伸ばし、重ね、捏ねるを繰り返し棒状にしていく。
魔力を込めるとその分だけ透明度が増すので綺麗と言えば綺麗だ。
ほんの少し柔らかい棒状の飴が完成する頃には完全に息が上がっていた。
「ここ、まで……出来たら、あとは切り分けるだけ。えーと、最大分量で作ったから、大体十五個か。一つはこの大きさかな」
説明しながらさっさと切り分ける。
長さは、とか聞かれるけどそんなの完成したのを計って、としか言えない。
「この切り分ける作業、早く切らないと固まって切りにくくなるから、綺麗に仕上げるなら少し柔らかい状態の方がいいよ。っと、できあがり!」
やったー!と完成した飴を見て滲んだ汗を腕で拭う。
思わず諸手を上げた私にリアンが「そんなに疲れるのか」と小さく零した。
うん、と頷いて魔力消費量を感覚で伝えると遠くを見て息を吐いた。
「疲れているところ悪いが、続けて調合を―――……ほら、水だ」
「あー……ありがとー」
たすかったぁ、と一気に水を飲み干して台所へ向かう。
次は清酒。
使用する米の準備をする為に台所へ行くんだけど、洗い物もついでに片付けることにした。
米の炊き方はリアンが案の定知りたがったので一から十まで教える。
きちんと炊けるようになるには少し時間がかかるから、練習あるのみ!と伝えると神妙な顔で頷いていた。
使い終わったボウルやヘラは毎回洗ってるんだけど、粘度の高いものに使った後はスピード勝負。
時間が経つと取れにくくなるんだよね。
(お湯につけて柔らかくして削り取るくらいしかないもんなぁ……今回は直ぐに洗えたから良かったけど)
ベルは中級ポーションを作り終え、ポマンダーを作っているらしい。
作業机の上には中級ポーション入りの瓶が並んでいて、代わりにポマンダーの材料がなくなっている。
それから少ししてお米が炊き上がり、持って来たボウルに炊きあがった米を移す。
今回は美味く炊けたらしく、焦げ付きはなし。
鍋を水に浸けてからボウルを持って作業台へ戻り、コメが早く冷めるようにかき混ぜながら温度を下げていく。
「人肌程度に温度を下げるんだったな」
「そうそう。ある程度湯気が出なくなったら温度計をさして……―――まだ70℃か。パタパタ出来そうなものある?」
「扇ぐものか? ……ああ、それなら素材用のバットはどうだ? 少々持ちにくいが」
いいかも、と頷いて差し出された金属製のバットを受け取った。
パタパタ仰ぎながら米をひっくり返す。
「あ、お米の粒を潰さないように、ヘラは切るように動かすといいよ」
これから作る【清酒】について聞いた話を思い出しながら話す。
おばーちゃんが苦労して作った、というなんでもない話なんだけどね。
温度計で温度を見ながら話すから時々途切れるけど、それでもリアンは文句を言わず耳を傾けてくれた。
「――…うろ覚えなんだけど、おばーちゃんの故郷では伝統的なお酒だったんだって。お祝い事や儀式は勿論、日常的に飲んでいて、水が綺麗な所では清酒を専門に作る職人が沢山いたみたい」
おばーちゃんは、水が綺麗でお米や食べ物を育てているそこそこ豊かで平和な街にいたらしい。
便利なものも沢山あったって懐かしそうに話していた。
死ぬ前日に大事だと言っていた『清酒』と『オニギリ』『味噌汁』『鶏肉のカラアゲ』『お浸し』を食べてデザートに『レシナのタルト』を食べていたことを思い出す。
しかも、レシナのタルト以外は全部おばーちゃんが作ったものだ。
清酒以外は錬金術無しで。
「オランジェ様が『レシナのタルト』が好きだというのは聞いたから知っていたが、亡くなる前日にも食べていたのか」
「うん。作ってって頼まれたの。いつも使ってるのより明らかに高い材料で、凄く緊張したのは今でも覚えてる」
特別なのを作って、いつもよりホイップクリームはたっぷり! って台所から叫ばれたことを思い出した。
ただ、おばーちゃんの顔があまり思い出せない。
いつも見ていたのは背中や横顔だったから。
何とも言えない気持ちになって口を閉じた。
でも、その瞬間に温度が36℃になったので慌てて酒の粉を振りかける。
「粉をかけるのは36~35℃の間。その後は乾燥しない様に濡れ布巾を被せる。あ、これ用意する道具に忘れないで書いてね」
「ああ。この後五分〜十分置いておくんだな?」
「そうそう。冬なら五分、夏なら十分くらいで平気。冬は急に冷めない様にタオルとか温かいお湯で湯煎するとかして温度を保つといいよ」
放置の時間は準備の時間、ということで消毒しておいた樽を調合釜の近くへ運ぶ。
蓋のサイズが合うのをちゃんと確認してから、ケルトスで買ったものを取り出す。
「で、最後はこれ!」
「ああ、魔力で封をするタイプの接着剤か」
「そうそう。これが丁度いいんだよね。蓋を開ける時は、ちょっと大変だけど『魔力抜き』をすれば簡単に外せるし。熟成が終わったら上澄みを別の樽に移さなきゃいけないし」
「外しやすいが簡単には外れない、その上何度でも使えるからソレを選んだのか」
うん、と頷くと感心したように私を見ていた。
初めて魔力で接着できる接着剤を見たから買ってみただけなんだけどね。
樽を運んで、接着剤を蓋に塗っておく。
あとは、混ぜる為に必要な杖と釜から樽に移すための大きなお玉を用意したら準備完了。
浄化石がちゃんと入っているのも確認済みだ。
「そろそろいいかな。【清酒】は暗くて涼しい場所がいいから、私の部屋の隣においてもいいかな。あそこ、物置だから窓がないし」
「酒を熟成させるにはいい環境だな。旅から戻ったら室温を一定に保つ魔道具を置いておく。家に使っていないのがあった筈だ。父も弟も君が【清酒】を作れると知ったら金を払ってでも魔道具を置かせてくれと言いに来るはずだ」
まさか、と笑いながら米入りのボウルを運ぶ。
「今日用意したのは、あの洞窟で採取した湧き水を使うことにした。綺麗な水じゃなきゃダメだしね。お米は……一番品質がいいやつ。ほら、ケルトスで買った」
「ああ、あれか。品質の割に値段が安かった」
量も半端だったしな、と苦笑するリアンに頷く。
ほんの少しだけ余ってるけど、この調合で極上品の米は使い切ったのと同じ。
味見をしたかったけど頑張って堪えた。
そんな話をしつつ調合釜に材料を入れていく。
最後に水を注いで、ゆっくりとお米がほぐれ、広がっていくのを確認。
「じゃあ、始めるね」
レシピに火力が書いていないのは、釜の中の状態と温度を見ながら頻繁に調整しなくちゃいけないから。
最初から温度を上げきることはしない。
ゆっくり、魔力を流しながら溶け合う様に、混じり合う様に丁寧に、優しく混ぜ合わせる。
思い出すのはおばーちゃんの言葉だ。
「故郷の味だから、このレシピを広めるか大切に手元に置いておくか……決められなかったって最後に清酒を作る時に言ってた。私はお酒に詳しくないから美味しいかどうかわからないけど……リアンとベルなら分かるかなって。あ、出来上がったらディル達も呼んでいいかな? おばーちゃん、ディルにも飲んで欲しかったみたい」
美味しい料理と酒は『いい思い出』に代わりやすいから、って言葉を思い出してちょっと口元が緩む。
ディルといつか一緒にって思っていたけど、今はベルやリアン、ミントにエル、イオ……ラクサも一緒に初めて作った【清酒】を飲んでみたいと思った。
「お酒には強くないから一口しか飲めないかもしれないけど、料理もいっぱい作るね」
ふつふつ、とお米が溶けながら小さな呼吸を始めた。
温度を見ると少しずつ緩やかに上昇してきたので火力を弱める。
今の温度で少しだけ、と撫でるように釜を混ぜ続け、均一に、平等に。
魔力の量は一定。
揺らがないように、安心してまどろめるように……意識をしながらいつもより丁寧に調合釜の中の世界を見守る。
じりじり減っていく魔力とうまくできるのか分からない不安。
ただ『皆』と飲むためにって思うと、自然と魔力が体の底から熱になって湧き上がってくるみたいで、指の先まで温かい。
温度を調整しながら温度計と液体の様子を観察する私の横でリアンがどんな顔をしていたのかは知らないけど、粗方調合が終わる頃にはベルも興味深そうに調合釜の中を覗きこんでいた。
驚きつつ、出来上がった液体を大きなお玉ですくって優しく樽の中へ。
全てを入れ終えてから、おばーちゃんがやっていたことを思い出して杖を再び手に取った。
「―――…最後に、一度だけ魔力を思いっきり込めてひと混ぜするんだって」
おばーちゃんが言っていたオマジナイ。
レシピには載っていないから気を付けてね、と話しながらそっと杖を入れてゆっくり大きく混ぜながら残った魔力を注ぐ。
力が抜けていく感覚に歯を食いしばって耐え、一周したらそっと杖を引き抜く。
接着剤をつけておいた蓋をして……魔力がないことに気付いた。
「……ま、魔力全部使っちゃった」
接着できない、と振り返るとリアンとベルは同時に溜め息をついて私の左右に立った。
怒られるかな、とドキドキしながら魔力回復するクッキーを食べるか、と左手をポーチに入れた時にリアンの声が降ってくる。
「―――……君は、最後まで自分の力で作りたいと言うかもしれないが、蓋を閉めるくらい手伝ってもいいだろう?」
「そうね。クッキーや乾燥果物は旅の最中に必要になるかもしれないから取っておきなさい。蓋を閉めるくらいなら私にだって出来るわ。まだ少しだけ魔力があるし」
いいわね? と、ベルに確認されたので戸惑いながらも頷く。
リアンの手が蓋を押さえる私の手に重なった。
ベルは私がポーチに入れた手を引き抜いて蓋の上に乗せ、同じように手を重ね同時に魔力を流し始める。
リアンは少し冷たくて、ベルは仄かに温かい魔力だった。
私の手を通って魔力は接着剤に上手く伝わったらしく、綺麗に蓋をすることができた。
「さて、これで【清酒】は完成ね?」
「僕も調合しようと考えていたが旅が終わってからだな。この酒の調合はまだ僕には難しそうだ―――……果実酒はアリルでいいな。アレは比較的飲みやすい。いくつか実験を兼ねて色んな種類を作ってみるか。薬酒に果実を使うのもありかもな」
「私は今ので魔力を使い果たしたからもう休むわ。ああ、ライム―――…さっき、サフルにそろそろ風呂の準備をしておくように伝えたからすぐに入れるわよ。さっさと汗流して寝なさい」
ふわぁ、と欠伸をしながらひらひら手を振って二階へ上がっていくベルを見送って、私もノロノロと使い終わった道具へ手を伸ばす。
樽を運んでから、と思ったんだけどいつの間にか控えていたらしいサフルにやんわりと手を掴まれた。
「ライム様、こちらです。片付けは私がしておきますので、体を温めたらごゆっくりお休みください―――…お疲れ様でした」
そういって頭を下げたサフルに連れられて洗い場へ。
よく働かない頭でもお礼は言えたらしく、サフルが遠ざかっていく足音が聞こえた。
服を脱いで、何も考えずにぼんやりとお湯で汗を流し体を洗って、お湯に入った辺りで寝そうになったので慌ててお風呂から上がった。
気持ちはいいんだけどうっかり寝て溺れるのは嫌だし。
短い時間でも体は十分温まったので、寝間着に着替えて部屋に戻った。
リアンとサフルが調合スペースにいたのが見えたから就寝前の挨拶はした……と思う。
気付くとベッドの中で、あっさり翌日の早朝になっていたのは驚いたっけ。
寝坊しなくて良かったと思いながら急いで服を着替え、トランクの取っ手を掴む。
必要なものは数日前から準備し終わっているのでトランク一つで充分だ。
これから、結構な長旅になる。
でも楽しい旅になる予感しかなくって、軽い足を動かし部屋を飛び出した。
ここまで読んでくださって有難うございます。
次は旅の一日目。
徒歩移動ではないのでサクサク行ける……といいなぁ。
誤字脱字、変換ミスやお気づきの点があれば教えて下さると嬉しいです。
あ、誤字脱字変換ミスは誤字報告で! ピッっとやる感じです、ハイ。私が。
いつもありがとうございます。
なんやかんやで150話を突破しました。
全く話が進まないのに飽きずに読んでくださって嬉しいです!
たぶん……今後もこんな感じでゆっくり進みます。
暇つぶしになればいいな……うん。