140話 吸湿袋〈後〉
一回目、投稿しようとしたら反映前になんか、トラブルで出来ず。
心が折れかけながら実質二度目のアップです……orz
何故。
今回も文字数おばけ。
会話を少し多めに入れてみました。たぶん。
錬金術で行う染め物は『調合』の工程は少ない。
錬金術以外で染める場合は何度も染色液の中に布なんかを浸けて、煮て、水で洗うっていう作業を、理想の色に染め上がるまで繰り返さなくてはいけない。
同じ作業を繰り返して、少しずつ少しずつ色が重なって濃くしていく。
こんな感じで時間はかかるけど、錬金術を使わない方法でも綺麗に染められるのだ。
実は、普通に染めるよりもそういう作業が上手な人が一定数いる。
そういった人には特殊な才能があることが多くて、錬金術師が作ったものよりはるかに高い効果が付くことも多いらしい。
「錬金釜で染色液を作るのって不思議な感じだよね。少しずつ色が滲み出てくるから面白いけど」
グルグル、と魔力を混ぜながら均一になるようにゆっくり混ぜていく。
黒ツミクサの黒紫色が少しずつ、滲んで無色透明だった液体を淡い赤紫へ変えていくのを眺めながら口元が吊り上がる。
隣では炭の染色液を作っているベルが釜の中を真剣に眺めていた。
「まぁ、そうね。屋敷でドレス生地を見ていた時は『染める』ことなんて考えたこともなかったけど、これはこれで面白いわ」
「染色液って言えば、煮出している間に凄い匂いがするやつもあるらしいし、気を付けないとね。今回は葉も茎も同時投入だから大丈夫だけど、毒素材で染める時は換気とか気を付けた方がいいかも。湯気で毒の成分吸い込むこともあるみたい」
「調合している最中に毒状態になるとか悪夢以外の何物でもないわよ―――…でも、そういった可能性があるなら解毒薬は多めに用意しておくべきね。種類もいくつか作っておきたいわ。解毒薬では『猛毒』や『劇毒』は消せないし、劇毒に関しては五分以内の摂取が望ましいでしょ?」
「あー……そっか。そうだよね。どうしよう、劇毒の解毒薬って難しいんじゃない?」
グルグルと調合釜を混ぜながら、『備え』について話す。
普通なら揃えない『解毒薬』や十分すぎるほどの『回復薬』を準備しておきたいのは、状態異常が採取に及ぼす影響を私は知っているからだ。
(体調が良くないと採取する時に貴重な素材を見落としたり、品質を落としちゃったりするんだよね。最悪は素材を使わないまま死んじゃうこともあるだろうし。どうせ死ぬなら取った素材で調合してからにしたい)
中でも毒や麻痺、腹痛、嘔吐といった症状や風邪は、早い内に治療すべきだ。
そういう時に敵に襲われたらひとたまりもないしね。
あと、単純に体力と気力が厳しい。
事情があってどうしても採取しに行かなきゃいけない場合は、近場もしくは一週間以内に戻って来られる範囲にしておくのがいいと思う。
「今回は長くなりそうだから、薬の類いもしっかり持って行きたいな。体調不良の時って動きもだけど考えもまとまらないし」
考えていることをベルに話すと、感心したような呆れたような複雑な顔で私を見ていた。
「ライムって抜けているように見えて意外と慎重よね。貴女みたいなタイプは準備とか忘れて突っ込んでいきそうに見えるから本気で意外だわ。前にも同じことを想ったけど」
「……褒めてるのそれ?」
「五分五分かしら? 感心半分正直な印象半分って所ね。でも、薬の備えは確かに大事よ。雫時は厄介だから」
「風邪ひきやすいって言ってたもんね。風邪薬とかも人数分用意しておいた方がいいのかな」
かき混ぜている染色液の濃度はどんどん濃くなって、今では素材そのものの色―――…黒に近い紫色になっていた。
ただ、釜の上にぷかぷかと葉と茎が浮かんだまま。
これらがなくなるまで魔力を注ぐ必要がある。
ベルの方はどんな感じか聞いてみたけど私の釜と同じような状態で止まっているらしい。
かなり細かく擂り潰していたから、ベルの方の染色液もかなりいい品質になると思う。
火力は中火。
布を入れてから強火にして五分、中火にして五分置いた後に布を取り出し、媒染液に三分晒す。
その後、水で洗って、絞ったらもう一度染色液に布を入れて同じ時間煮て、再度媒染液に浸けて洗う。
三回目が最後の工程。
布を媒染液ごと染色液に入れて強火、そして魔力を注ぎ液体が無色になるまでグルグル混ぜ、透明になったら取り出し水で洗って乾かしたら完成。
工程だけなら簡単だけど、手間はある程度かかるのが染色だ。
布の大きさや染色液の種類によって染め方が微妙に違うみたいなんだよね。
リボンは小さかったし簡単だったけど。
「―――……二つ目の媒染液ができた。赤専用の媒染液が入った桶には木の札をかけてある。木札がない方が炭の染色液用だ。染めている間に冷めるだろうから滞りなく染色ができると思う」
「ありがとー。こっちは残った素材が溶けたら完成だよ。サフル、間に合うかな」
チラッと出入り口に視線を向けると、リアンは少し考えて、間に合わなければ茶でも飲むか、と一言。
リアンもこうしてみると結構変わった。
出会ったばかりの頃は、カリカリして神経質丸出しって感じだったけど、今は割と休んだりゆっくりする余裕ができているみたいなんだよね。
(余裕があるのは経営が上手くいっているからかなぁ。問題が起こるとちょっと雰囲気が硬くなるもんね。ベルは最初から自分のペースで物事を進めてく感じだったけど、錬金術に興味を持ってから素材やアイテムについて色々調べてて……調合中にする話も楽しくなってきたし。最近は装飾系の調合に興味持ってるみたいだし)
お茶、と聞いてベルが目を輝かせる。
休憩の時には軽く摘まめるものを出すからだと思う。
何を食べようかしら、なんて言っているのを見て少し笑った。
「ああ、そうだ。染色が終わったら『薬屋』に行ってみるか? さっき風邪薬がどうのと言っていただろう。劇毒を解毒する為の薬も薬屋にある。錬金術師も作れるが、元々は薬師が作ったレシピを転用したものだからな」
「行きたいっ! 私、薬屋さんって初めて行くんだけど、どんな感じだろ」
楽しみだなぁと自分でも分かるくらい声が弾む。
嬉しくてグルグル釜を混ぜていると隣にいたベルが苦笑する。
小声で「分かりやすいわね」なんて呟いてるけど、聞こえないふりをした。
「薬自体は買ったことがあるんだろう? 行商人が来ていたと前に聞いたことがあるし、行商人は薬の類いを多めに持ち歩いて販売しているからな」
利益率もかなりいい、と話すリアンに私は苦笑する。
言うかどうか迷ったけど秘密にする必要もないか、と開き直って口を開いた。
思い出すのは人が少ない、自然豊かでのんびりした麓の村の事。
行商に来ていたのは40代くらいの男の人で強いというのは分かっていた。
天気が悪い時に泊っていたみたいで、その時自警団に稽古をつけていたからね。
「実は、薬って買ったことないんだ。毒系統に効く万能薬は常にあったし、麻痺なんかの薬は備蓄してあったから」
「? 毒や麻痺に対する薬を備えているのは想定内だが、そういった薬で病気は治らないだろう。ああ、そうか……その手の薬もオランジェ様が作って備蓄してたのか」
何を言っているんだ、と不思議そうなリアンが途中で自己完結しそうになっていたけれど、残念ながら違っている。
こういう会話をしていると、リアンが裕福な家で育てられたって言うのが分かるんだよね。
普通の家にはそんなに薬のストックはない。精々風邪薬があればいい方だ。
「ううん、風邪薬も腹痛用の薬も頭痛薬もなかったよ。おばーちゃん、村の人に頼まれたら作ってたけど……そういうのを求めて遠くから来る人はいなかったからね。材料と時間が勿体ないって言ってた。そっちに時間を割くなら、効果の高い回復薬とか錬金術でしか作れないものを作るってさ」
「ちょっと待って。その状況で行商人から買ったことがないって……あ、村の人から貰っていたの?」
「まっさか! 風邪引いた時点で村に降りられないから、寝てたよ。風邪なら一週間くらいで落ち着いてくるし。まぁ、食料採取して貯蔵しないと冬を越せないって時は、体調悪くても採取してたけどね。餓死は嫌だもん」
「………想像以上に酷かったわ」
絶句するリアンの代わりに引きつった口元をそのままにベルが私から目を逸らす。
おばーちゃんが生きている頃は風邪薬を作ってくれたこともあったけど、一定の年齢になると自力で治しなさいって言われたっけ。
おばーちゃんのことだから何か意味とか意図があったんだと思う。
看病はしてくれたしね。
二人が黙り込んだから工房内にグツグツと液体が煮える音だけが響いている。
私といえば大きく釜を二~三回混ぜ、浮遊物がなくなったのを確認してから火を消した。
隣でベルも同じ動作をしていたので、ほぼ同時に完成したことが分かる。
失敗することもなく完成したのでホッと息を吐けば、裏口が開く音が微かに聞こえてきた。
視線を向け意識を傾けると微かにだけど足音が耳に届く。
僕が出る、と短く答えたリアンが裏口の方へ向かった。
戻って来た時には二人が両腕に大きな袋を抱えている。
「おかえり、サフル。随分いっぱいだね」
「ただいま戻りました。リアン様からの言伝とメモを見せた所、丁度弟であるアリル様が対応してくださいまして……兄の役に立つなら、と無償でこれらを提供してくださったのです」
「そうなの? じゃあ今度何かお菓子とか持って行った方がいいかな」
「アイツが好きでしたことだ、放って置いていい。礼をしに行くとタルトを強請られるぞ」
この忙しいのに調合効率を落とすような真似を僕が許すわけないだろう、と食い気味に言い切られて思わず噴き出す。
憮然とした顔のリアンが抱えていた袋の中身を作業台に並べ、仕分けしていく。
ベルはその様子を呆れた顔で眺めていたけれど、水を入れる為に大きな桶を物置から持ってきてくれた。
工房には蛇口がついている。
地下に水をためておく場所があるらしく、そこに大きな―――数百年規模で魔力をため込んだ水魔石を埋め込んでいるらしい。
地下水が豊富にある場所なら汲み上げて直接蛇口に繋ぐ魔道具を使うみたいなんだけど、これはこれで地下水を使い過ぎない様に設定しなきゃいけないらしい。
此処は調合釜から少し離れた場所に洗い場があって、蛇口が一つと排水用の排水口が一つ。
排水口は使わない時石畳のプレートで蓋をする仕様になっている。
開けっ放しだとうっかり足とかひっかけて転びそうだし、足がハマると痛そうだから使った後は必ず閉めようってことで三人とも意見が一致した。
(この排水溝が分かりにくいんだよね……微妙に切れ目がある位だし。開けてる時も結構見えにくいんだよなぁ。まぁ、捨てた水は魔道具で綺麗にしているみたいだけど)
どういう仕組みになってるんだろう? と思いつつ、目印代わりにボロ布を挟んでおいた。
子供二人が入って遊べるくらい大きな桶を運んできたベルが、蛇口の下にあるボロ布を見て感心したように頷いている。
「排水口の蓋って見つけるの大変だったから、こうしてあると分かりやすくていいわ」
「でしょ。そういえば、ここの洗い場ってかなり広いよね。大桶置いてもまだまだ余裕あるよ」
「素材を洗ったりするのも此処でするし、鍛冶のような事をするときも水は使うでしょう? だからじゃないかしら。中型のモンスターは入らないし」
「モンスターの解体は工房の中でやらないでね……臭いがきついモノも結構いるし」
「分かってるわよ。戻ってきて血抜きするのは大変だし、死にたてじゃないと困るもの」
「あー…血抜きはねぇ」
ガタン、と桶を置いた所で排水口を開けて水を入れておく。
リアンの仕分けが終わったら染色液に浸けて、媒染液に浸け込む作業に移る。
ベルは同じ大きさの桶を二つ運んできて、そこにリアンが調合した媒染液を入れた。
赤専用の物には赤い木札が添えられているので、ベルも気に入ったようだ。
『染め』をする為の下準備を終えて作業台に戻ると、仕分けを終えたリアンが、何かを書いていた。
横から覗き込むと布の種類と規格、染色前の情報が書かれている。
細かい、と一瞬思ったけれど必要なことではあるので納得していると、私が覗き込んでいることに驚いたらしいリアンがビクッと小さく体を震わせた。
集中していたらしく私に気付かなかったらしい。
「近くにいるならいると言ってくれ! 心臓に悪い…ッ」
「ごめんごめん。それより、そっちのが炭でコレが黒ツミクサでいいんだよね?」
「ああ。僕はどちらかの作業を手伝おうと思うんだが」
「それでしたら、ライムの方を手伝いなさいな。こっちは“毒素材”じゃないからサフルに手伝ってもらうわ。洗う作業は別に魔力関係ないのだろうし、せいぜい水の入れ替え位でしょう」
「分かった。魔力を注ぐのは染色液を煮出したライムがやってくれ。僕は寝る前にでも『聖なるリボン』を作ってみようかと思っている。アレは聖水を使うだろう? アンデッド除けはしておくべきだからな」
雫時はゴーストやアンデッド系のモンスターがうろつく率が高いらしい。
なるほど、と頷いて仕分けされた布を染色液に入れようとしたんだけど、一度煮てからの方が染まり易いとのことだったので、水から煮て絞ってから染色入りの釜へ投入。
染色液は強火で沸騰直前から中火に調整している。
素材の布を投入した瞬間からキッチリ五分。
「ムラにならないように混ぜながら……っと。布同士が絡まないように混ぜるのちょっと難しいかも……っ! リアン、魔力を注ぐのは三回目でいいんだよね」
「その筈だ。最初から魔力を注がないのはなぜなのか―――…時間があれば検証してみたいが、在学中は難しそうだな。資料や文献を探すのも手だが時間が惜しいし、教師に確認して分からなければ、その内調べる程度にすべきだろうな」
「あー、調合関係って分かるまで調べたくなるよね。突き詰めたくなるのは凄く分かる。ただ、錬金術の教師って言っても専門分野とかあるんじゃなかったっけ。いるのかな、布系の研究してたり得意だったって先生」
「ワート教授に伺いを立ててみるか。手紙を出せば返事は貰えるしな」
そうだね、と返事をしつつ懐中時計をチェックしながらキッチリ五分。
直ぐに強火に火力を上げて更に五分。
時間と火力はリアンがしてくれるので、私は釜の中をぐるぐる混ぜるだけだ。
(ただ混ぜるって言っても色ムラができない様に満遍なく、下から上に色を掬い上げる感じで混ぜなきゃいけないけどね。色って少しずつだけど下に溜まるっぽいし)
ベルにも混ぜ方の注意はしておいたから、そっちも大丈夫だと思う。
◇◆◇
合わせて十分混ぜてから中の袋を布用トングで取り出した。
ちなみにこのトングは家にあって時々使っていたものだ。
重たい水を吸った布でも落とさないで持ち上げられるから便利なんだよね。
他にもいろんな専用トングやお玉があったから持ってきた。
他にも色々便利な小道具があるから普通に使ってるんだけど、ずらっと並んだ様々なトングから適切なものを選ぶのはちょっと大変だったりする。
「変わった形状のトングだな」
「これ布専用のトング。他にも革専用とか鉱石専用とか色々あるんだけど、揃える必要あったのかなってよく思う」
何とも言えない顔をしているリアンが持っているバケツに、すべての布を入れる。
淡いピンク色に染まっていて、コレが赤になるのかと首を傾げつつ媒染液に三分浸す。
三分たったら桶に入れたたっぷりの水で布を洗う。
隣ではベルとサフルが同じように水洗いの作業中だ。
私は袖が短いタイプの錬金服だから手袋を外すだけで良いんだけど、リアンは大変そうだ。
ひんやりとした水の中に入れて軽く洗った後、取り出してみる。
「コレ、本当に赤くなる? 色が薄いっていうか淡いんだけど」
「なる……筈だ。こういう染色をしたことがないから僕に聞かれても困る」
だよね、とお互い無言で洗って、絞ってを繰り返す。
ベルとサフルも似たようなことを考えているのか水音の合間に「大丈夫なのかしら」とか「皆さんの腕は確かですし、レシピに間違いさえなければ大丈夫……かと」という会話が聞こえてくる。
ベル達の手元が見えなかったので諦めて絞った布を入れたバケツは、釜の傍に。
直ぐに淹れないのは温度の調整があるから。
今度は時計を受け取ってキッチリ五分計る。
その間にリアンは使った水の入れ替えだ。
隣ではベルが難しい顔で時計を眺めながら釜をかき混ぜている。
「ベル、そっちのはどう? こっちのは凄く色が薄いんだけど」
「これ本当に黒くなるのかしら? 黒で染める場合って色が濃いからすぐに染まるものだと思ってたのに」
どうやら同じことを考えていたらしく、それっきり会話がなくなった。
染色液に浸っている布を眺めながら入れすぎた?とか品質が悪いのかな、なんて考えていると時間が来たので、強火に切り替える。
そのまま五分経ったので一度バケツに移してから媒染液に入れたんだけど、その頃には水を入れ終えたリアンが水桶を置いて桶の中を覗き込んだ。
「一度目よりは濃くなったな。色ムラも今の所はなさそうだ」
「うん、まぁ……ちょっと濃くなったかなぁってくらいだから何とも言えないけどね。あ、三分たった。水に晒すね」
「ああ。この後は媒染液と染色液を合わせて、布を入れ魔力を加えながら煮るんだったか」
「レシピ通りだとそうだよ。うーん、この魔力を注ぐ工程で色が濃くなるのかな」
「恐らくは。色の濃度が気になるから、隣で見ていようと思うんだがいいか? ある程度の見通しが立ったら水の入れ替えに行ってくる」
「染め切っちゃえば、水洗いはそんなに急がなくてもいいと思うし最後まで見てた方がいいかも。染色系の調合がこれっきりっていう訳でもないだろうし」
分かった、と頷いたリアンと洗った布を絞り、バケツに入れながら仕上がりを考えて息を吐く。
(ここまでやって失敗したって言うのだけは避けたいな。貴重な自由調合ができる時間だし)
工房を経営しながら、調合をするのが大変だと実感する。
お店の経営が順調なのはいいことだけど接客でも神経を使うし、評判も気にする必要がある。
店を閉めた後は売れた商品を補充する作業は絶対に必要で、毎日在庫数と睨めっこ。
「経営しながら調合って大変だね。実際にやってみて分かったけどさ、これを『錬金術師』になって工房を持ったら一人でやらなきゃいけないんだもん。私たちの工房には経営とか商売に詳しいリアンがいたから在庫とか売る値段とか、仕入れとか色々融通が利いて上手くいってるけど……何も知らない状態から一人で全部やれって言われてたら絶対失敗してたと思う」
借金も返せたかどうか疑問だ。
なにせ、私が借金を返せたのはおばーちゃんが作った薬をリアンの実家が買ってくれたから。
同じ工房で成績や評価を一緒に下されるって状態じゃなきゃ、買い取ってもらえても安かったんじゃないかなって思ってる。
それに、貴族に対する対応でも失敗していた可能性が高い。
「……他の工房にも経営に強い人間は一人必ず配置されている。貴族でも上流貴族とそれ以下の貴族が同時に配置されているのは、計算や経営について学んでいるからだ。領地を護るのにうまく経済を回す必要があるからな。ただ、工房と領地では金額が違う。だから、庶民に近い金銭感覚を持つ人間を必ず割り振っているんだろう…―――僕らの場合は、君がキーになった。他の面々は貴族であったり首都近郊に住んでいるから情報の掌握もしやすかっただろうし、反映も楽だったと思う。ただ、君に関しては『オランジェ様の孫』という情報以外なかったはずだ」
私とリアンは二人で桶を持ち上げて、釜へ媒染液を投入。
軽く混ぜてから水を絞った布を入れ、火力を確認してから魔力を注ぐ。
グルグルと混ぜながら釜の中が落ち着いてきたのを見て口を開いた。
「そういえば、あれから工房がどうなったのかって聞かないけど……大丈夫なのかな」
「教員が暫く通って指示を出したり相談に乗ったりするらしい。商品を揃えたり生活を整える為に一時的に工房は閉店しているらしいな。この稼ぎ時に店を閉めるなんて愚の骨頂だと僕は思うが」
流石学年主席、と褒めたくなったんだけど最後の一言で『あ、やっぱり根っからの商人気質』だと分かって口を噤む。
(改めてだけど、私のいる工房って『学年主席の商人』と『見た目はお嬢様、中身は戦闘狂』っていうギャップの塊みたいな二人と勉強どころか生活してるんだよね。よくやってるわ、私)
均等に、均一にと心掛けながら釜の中をかき混ぜながら自画自賛。
ふんふんといつものように鼻歌を歌いながら、杖の先から満遍なく魔力が行き渡るように量と魔力の濃度を調整しながら混ぜ続ける。
五分ほどで少しずつ釜の中で変化が起こり始める。
隣に立って釜の様子を細かくメモしていたリアンが、感心したように小さく息を漏らした。
「これは……凄いな。こうも一気に染まるのか」
「びっくりするよね。あんなに色が薄かった布がこんな綺麗な赤に染まるなんて思わなかった。周りの溶液の色も明るくなってるし……コレ、もしかして全部の色が移るのかな? それなら黒っぽい赤とかになりそうだけど」
「流石にあの色にはならないんじゃないか? にしても、凄い魔力だな……結構魔力を注いでるだろう」
「いや、そんなに魔力は注いでないよ。余裕あるし……首飾りの時に比べたら全然。首飾りなんて一個作るのに半分以上魔力持っていかれてるからね」
「君の魔力は僕よりも多かったはずだが……そんなに魔力を吸っていたのか“コレ”は」
リアンは驚いた顔をして服の中から渡した首飾りを取り出し、まじまじと観察している。
私としては、贈ったものを身に着けてくれているとは思っていなかったので驚いたんだけどね。
「着けてくれてたんだ。てっきり、研究材料とかになってるのかと」
「僕を何だと思ってるんだ君は。自分専用の装飾品を贈られることなんてそうあることじゃない上に、効果が効果だ。今僕が身に着けている装飾品の中でも、一番の品質と効果を持つコレを手放す訳がないだろう」
はぁ、と息を吐いたリアンの指で摘ままれているのは青い結晶石。
ベルのとはまた違って、結晶石の中に青と小さな光の粒みたいなものがキラキラと光っているのが一目見ただけで分かる。
リアンの首飾りは、ベルのとは違って出来るだけシンプルに男の人が持っていても違和感がないよう気を付けて作った。
まぁ、無骨な感じはリアンに似合わなさそうだし、上品に見えるよう頑張ったけど。
ベルのもだけど、二人ともごちゃっとしたのあんまり好きじゃなさそうなんだよね。
「そういえば効果ってどんなのだっけ? 無事に完成した満足感であんまり覚えてなくてさ」
「君は……いや、いい。アイテム名は『リアンの首飾り』になっている。最近分かったんだが、使用者を限定して作った場合、その当事者が装備した時のみ効果が少し上がるようだ」
なるほど、と頷きながら『特殊効果』が分かるような辞典があるってエルが言っていたことを思い出し、今度探してみようと思った。
何処で買うべきかと頭の片隅で考えているとリアンが隣で効果を口にする。
「君が作った首飾りについていた特殊効果は全部で五つ。どれも上位効果だった―――…【神聖なる加護】【青の守護】【賢者の加護】【安全祈願】【暗殺者の心得】だな。特に珍しいのが【賢者の加護】と【暗殺者の心得】だろう。この二つは中々つかない筈だ。元になった結晶石によるものなのか、君の『魔力』によるものかは分からないが、どちらも僕にとっては有難い」
特殊な効果や上位効果と呼ばれるものは、才能や素質を後天的に得ることができる手段の一つだ。
良い効果もあれば、悪い効果もある。
最初に発見されたのはダンジョンだったらしい。
「役に立つならそれでいいんだけど、過信はしないでね。リアンなら大丈夫だとは思うけどさ」
「勿論だ。装飾品はあくまで補助具だからな。それに振り回されるような無様なことはしたくない」
それならいいや、と頷いて意識を本格的に釜へ向ける。
釜の中の液体がまた薄くなって、布に艶のようなものが出てきている最中だった。
魔力の量は均一にしていて、温度も沸かさない様に気を付けながら一定に保つ。
リアンもずっと釜の中の変化を見ていたようで、時計と釜を交互に見ながらメモを取っている。
話しながら調合ができるのは少し余裕がある時だけだ。
私が集中して魔力を切るタイミングを計っている横で、サフルがリアンに代わって水を入れ替えてくれた。
リアンはサフルに礼を言って再び熱心に釜の中を覗き込んでいる。
釜の中の変化は割と早かった。
薄い赤色にまで薄まった液体が中央から波紋を広げるように、無色透明に変わっていく。
釜の縁まで一気に色を無くしていく液体に、注ぐ魔力を切ったのは数秒後のことだ。
「き、急に来るよね……変化って」
「そうだな。あとは水洗いをして干すだけか。干し終わってから鑑定をする。使い心地なんかも確かめたいから、乾ききった後に検証するとしよう」
分かった、と頷きかけて気づいた大事な問題。
「素材は揃ったけど、これ縫い合わせなきゃ終わらないんじゃない? ……凄い量だけど」
やれやれと息を吐いたリアンの声を聞きながら布を洗い、絞ってはバケツに入れていく。
このバケツには予め水と洗濯液を入れてあったので、ジャブジャブと洗うと泡が淡く色づいた。
「少しは色が落ちる……のかな」
「染めたばかりだから仕方がない。この工程を挟まないと、大きく色が落ちる原因にもなりかねないし、不良品にも気付きやすい」
それならいいんだけど、と返事を返し黙々と洗って、今度は水で最後の濯ぎ。
本当に量が多いので草臥れた。
「鑑定した結果は書いてある。あとは縫い合わせる作業か……裁縫は?」
「一応できるよ。リアンは出来る?」
「必要最低限だが縫い合わせるくらいはできる。ベル、君は裁縫ができるか? 布を縫い合わせる作業が必要なんだ」
声を上げたリアンに黒い袋を水洗いしていたベルが、「裁縫ならできるわよ」と声を上げてくれたのでこの後裁縫することが決まった。
真っすぐに縫えるのは縫えるんだけど……あんまり好きじゃないんだよね。
暇な冬の晴れた日は時々夏用の服とか解れたり、傷んだりした服を繕ってはいたけど。
読んでくださってありがとうございました!
例のごとく誤字脱字変換ミス、怪文章などありましたら誤字報告などで教えて下さると嬉しいです。
また、以前質問を頂いた【結晶石の首飾り】の上位バージョンについている特殊な効果については下にまとめて貼っておきます。
特殊効果、上位効果と呼ばれる効果は、錬金アイテム以外にもついています。
作中ではあくまでライム目線で話が進むので、できるだけゲーム的な説明(生命力の数値化、魔力の数値化など)を避けるようにしています。
ですが、完成したアイテムの分かりやすい表現として『解説』や『鑑定結果』では数値に変換し表記する可能性もありますのでご了承ください。
=個別アイテム=
【リアンの首飾り】 品質:SS 分類:装飾品 作成者:ライム・シトラール
リアン・ウォード専用の首飾り。
不思議な色合いの結晶石が使われている。
〈神聖なる加護〉〈青の守護〉〈賢者の加護〉〈安全祈願〉〈暗殺者の心得〉
【ベルの首飾り】 品質:SS 分類:装飾品 作成者:ライム・シトラール
ベルガ・ビーバム・ハーティー専用の首飾り。
不思議な色合いの結晶石が使われている。
〈神聖なる加護〉〈赤の守護〉〈戦女の加護〉〈安全祈願〉〈猛者の心得〉
=効果について=
二つの効果(補足効果・二次効果と呼ばれる)がある効果は上位効果と呼ばれる。
『緑の導き』緑属性と呼ばれる風属性の魔術(初級)を一つ付加できる。
『緑の祝福』緑属性の魔力を持った錬金術師が緑系と称される高品質で祝福された薬草を使用した時に三分の一の確率でつく。
『緑の加護』上級の緑属性(風属性)の魔術を攻撃回復問わず一つ付加できる。
『緑の守護』最上級の緑属性のあらゆる魔術を一つ付加できる。
『青の守護』最上級の青属性のあらゆる魔術を一つ付加できる。
『赤の守護』最上級の赤属性のあらゆる魔術を一つ付加できる。
『青の導き』青属性と呼ばれる水属性の魔術を一つ付加できる。
『祝福』聖なる力を秘めており、回復・光属性のアイテムの効果が強化される。劣化しない。
『聖なる加護』
アンデット系のモンスター・魔物から発生する疫病・瘴気の影響を受けなくなる
二次効果:体力微回復
『神聖なる加護』アンデッド系のモンスター・魔物から発生する疫病・正気の影響の影響を受けない。
また、ゴーストなどへの物理攻撃が可能になる。
『明暗視』明るくても暗くても視えるようになる。暗殺者などに人気。野営の際にも便利
『安息の祈り』一定期間体を動かさずにいると疲労が回復する
『安全祈願』疲労が回復しやすくなり、一定時間動かなければさらに回復速度が増す
『賢者の加護』魔力量の増大、魔力回復速度(中)、精神干渉無効化
『戦女の加護』体力・スタミナの増大、攻撃力(中)、魔力壁展開(小)
『暗殺者の心得』気配を悟られにくくなり、移動時の音が軽減される。暗器・拷問武器・縄及び鞭に攻撃力+
『猛者の心得』威圧・痛覚の鈍化、敵の注意を惹きつけやすくなる。あらゆる武器の攻撃力が大幅に増す