第4章 悔しい夏と怪我をした時期
新一年生
二年生になり、後輩たちが入ってきた。
これまで一年生だった自分たちにも、今度は後輩ができた。人数が増えたことでチームの競争も激しくなり、これまでのようにレギュラーとして試合に出られるとは限らない。
上手な後輩もたくさんいた。
その姿を見ると、「絶対に負けたくない」という気持ちが自然と湧いてきた。自分ももっと練習しなければ、試合に出続けることはできない。
二年生になったことで、野球に対する責任も少しずつ大きくなっていた。
寮には新しい後輩たちが入り、その中には同じ中学校の後輩もいた。
まさか同じ高校に進学してくるとは思っていなかったので驚いた。でも、それ以上に嬉しかった。
寮生活では、先輩として何か特別なことをしてあげられるわけではなかった。もともと先輩らしく振る舞うのはあまり得意ではなかった。
それでも、野球のことだけはしっかり教えてあげようと思った。
自分が一年生の頃に先輩たちから教えてもらったように、今度は自分が後輩たちに何かを伝える番だった。
■二年の夏
二回目の夏がやってきた。
僕たちより一つ上の先輩は三人しかいなかった。
そのため、試合のレギュラーはほとんどが二年生だった。
僕は五番・ライトでスタメンに名を連ねた。
一年生の頃とは違う。
今度は自分たちがチームを引っ張っていかなければならない。
そういう気持ちで試合に入った。
二打席目にはセンター前ヒット。
三打席目では、得意の送りバントをきっちり決めた。
自分の役割は果たせている。
そう思っていた。
しかし、試合は最終回。
スコアは3-1で負けていた。
ツーアウト。
そして、僕に打席が回ってきた。
ここで打てば、まだ何かが起こる。
そう思ってバッターボックスに入った。
追い込まれ、最後は変化球に空振り三振。
その瞬間、試合が終わったと思った。
でも、ボールはワンバウンドしていた。
僕はすぐに一塁へ走り出した。
必死だった。
送球が逸れた。
僕はタッチをかわし、なんとか一塁ベースを踏んだ。
セーフ。
後ろにつなぐことはできた。
でも、そのまま試合は終わった。
僕たちは敗れた。
高校に入って初めての「初戦敗退」だった。
悔しかった。
自分自身のプレーにも悔しさが残った。
そして、それ以上に先輩たちへの申し訳なさがあった。
一年半もの間、同じ寮で生活し、同じ釜の飯を食べてきた先輩たち。
毎日のように一緒に練習し、苦しいことも、楽しいことも一緒に経験してきた。
その先輩たちと、もう一緒に野球をすることができない。
そう思うと、急に寂しさが込み上げてきた。
でも、その寂しさの中で、もう一つの感情も生まれていた。
「次は自分たちの代だ」
先輩たちが残してくれたものを、今度は自分たちが受け継ぐ。
そして、もっと上を目指す。
翌日から、また新しい一年が始まった。
目標は、甲子園だった。
■怪我を乗り越えて
新チームが始まって二週間ほど経った頃、膝に違和感を感じるようになった。
歩くたびに「ポキポキ」と鳴る。
少し嫌な感覚はあった。
それでも、
「大丈夫だろう」
そう思って練習を続けた。
野球を休むという選択肢は、当時の僕にはなかった。
新チームが始まったばかり。
これから自分たちの代が始まる。
ここで休んだら、レギュラーを誰かに取られてしまうかもしれない。
そんな不安もあった。
そして、ある朝。
目を覚ますと、膝が大きく腫れ上がっていた。
さすがに普通ではないと思った。
親に連絡し、病院へ向かった。
診察の結果は、
「半月板損傷です。手術が必要です」
だった。
頭が真っ白になった。
原因は、おそらく夏の大会最後の打席で、一塁ベースを避けたあのプレーだった。
あの瞬間、無理な体勢で送球をかわした。
そこから確かに違和感はあった。
でも、まさか手術が必要になるほどの怪我だったとは思わなかった。
何より辛かったのは、チームから離れなければならないことだった。
自分が離れれば、その場所には誰かが入る。
自分の代わりに、誰かがレギュラーになる。
そう考えると、今まで積み重ねてきた努力が全部なくなってしまうような気がした。
みんながグラウンドで練習している。
その時間、自分は何もできない。
練習の音を聞くだけでも苦しかった。
「早く戻りたい」
何度もそう思った。
やる気も、自信も失いかけていた。
そんな僕に、仲間たちは声をかけ続けてくれた。
「早く戻ってこい」
その言葉が本当に嬉しかった。
自分は一人ではない。
そう思うことができた。
僕は膝を治すことに専念することにした。
手術は無事に終わった。
病院のベッドの上で、僕が考えていたのは一つだけだった。
「また野球がしたい」
それだけだった。
ちょうどオリンピックが開催されていたこともあり、久しぶりにゆっくりテレビでスポーツを見る時間ができた。
選手たちがグラウンドで思い切りプレーしている姿を見ていると、中学生の頃の自分を思い出した。
野球を始めた頃の気持ち。
ただ純粋に野球が楽しかった頃。
寮生活や厳しい練習の中で、いつの間にか忘れていた感覚が少しずつ戻ってきた。
「やっぱり野球が好きなんだ」
そう思った。
退院後の一ヶ月は、リハビリの日々だった。
最初のリハビリは痛く、つらかった。
普通に歩くことさえ難しい。
「これが本当に自分の足なのか」
そう思うほど、以前とは感覚が違っていた。
走れるのか。
投げられるのか。
打てるのか。
また野球ができるのか。
不安は尽きなかった。
それでも、病院の先生たちに支えてもらいながら、少しずつ回復していった。
その頃、チームは中央大会でベスト4に入り、秋の大会のシード権を獲得した。
新チームは順調に力をつけていた。
その知らせを聞くたびに、嬉しい気持ちと同時に、
「早く戻りたい」
という気持ちが強くなった。
そして8月後半。
ようやくチームに合流することができた。
まだ全力で走ったり、右足に体重をかけたりすると痛みがあった。
それでも、日常生活には支障がなく、ランニングやキャッチボールはできるようになっていた。
グラウンドに戻れたことが嬉しかった。
ただ、以前と同じようには動けない。
焦る気持ちを抑えながら、できることを一つずつ増やしていった。
9月には、センバツ大会の沖縄予選が始まる。
僕はまだ全力でプレーできる状態ではなかった。
サポート役に回りながら、自分にできる範囲で練習に参加していた。
試合に出られなくても、チームの力にはなりたい。
そんな気持ちで毎日を過ごしていた。
■大会前の復帰
対戦相手が決まった頃の、ある練習試合。
監督から突然、声がかかった。
「呉屋、代打準備しとけよ」
一瞬、耳を疑った。
慌てて準備をした。
すると、すぐに、
「行け」
と送り出された。
久しぶりに立つバッターボックス。
ピッチャーと向き合った瞬間、胸が高鳴った。
久しぶりの勝負。
あの緊張感。
やっぱり、この瞬間が好きだった。
結果はショートライナー。
ヒットにはならなかった。
それでも、思っていたほどバッティングの感覚は鈍っていなかった。
それが何よりも嬉しかった。
「まだやれる」
そう思えた。
怪我を抱えながらも、僕はメンバー入りし、センバツ予選に臨むことになった。
■センバツ予選
一回戦では、ベンチからチームを見守った。
久しぶりにベンチから試合を見ると、グラウンドが改めて広く感じた。
ホームからフェンスまでの距離。
ファウルゾーンの広さ。
いつも見ていたはずの景色が、少し違って見えた。
自分が実際にプレーするのと、ベンチから見るのでは、こんなにも違うのかと思った。
試合は5回まで0-0。
緊迫した展開が続いた。
後半になんとか1点を奪い、そのまま逃げ切って勝利。
県内トップクラスの打線が本領を発揮する前に、二回戦へ進むことができた。
二回戦の相手は、一年生ながら県内で注目されているチームだった。
僕たちも一年生の頃から注目されていた。
だからこそ、どこか自分たちと似た境遇を感じていた。
試合は僕たちが先に2点を奪い、流れをつかんだかに思えた。
しかし、一度火がついた相手打線は止められなかった。
あっという間に逆転され、そのまま相手に主導権を握られたまま終盤を迎えた。
そのときだった。
監督から、
「代打準備」
の声がかかった。
心臓が一気に速くなった。
僕はバッティング手袋をつけ、ベンチ裏で素振りをしながら心を整えた。
久しぶりの公式戦。
緊張していた。
でも、準備はできていた。
「いくぞ」
そう声をかけられ、僕はバッターボックスへ向かった。
黒土の感触。
観客のざわめき。
球場の独特の雰囲気。
大怪我を乗り越えて、またこの場所に立てた。
それだけで嬉しかった。
ワンアウト一塁。
初球は「待て」のサイン。
見逃しストライク。
二球目。
高めのスライダーをファウル。
捉えきれなかった自分に、悔しさがこみ上げる。
そして三球目。
外角ストレート。
見逃し三振。
何もできなかった。
代打として、チームの流れを変えることができなかった。
試合はそのまま流れを変えられず、3-6で敗退。
センバツへの道は、ここで途切れた。
悔しかった。
大怪我をして、手術をして、リハビリをして、ようやく戻ってきた。
それなのに、チームの勝利に貢献できなかった。
でも、立ち止まっている時間はなかった。
僕たちは次へ進むしかない。
試合後、チーム全員で話し合った。
そして、もう一度決意した。
「夏の甲子園に行こう」
センバツへの道は閉ざされた。
だからこそ、次の目標は明確だった。
僕たちの最後の夏。
そこで、すべてを出し切る。
怪我で離れていた時間も、悔しい敗戦も、全部無駄にはしない。
僕たちは最後の夏に向けて前に進むはずだったが!




