転生
国名:日本。都市:福岡。年:2030年。
薄暗い部屋。カーテンの隙間から漏れるわずかな光を除けば、室内はどんよりとした暗さに包まれていた。その狭苦しいベッドの上で、シロウは横たわっていた。人生への絶望、その泥沼に完全に足を取られて。
両親は物心ついた頃から彼を「嘘つき」「仮病野郎」扱いした。体調を崩して寝込んでいても、それに気づくことすらなかった。そして、いざ本当に病気だと分かったところで返ってくる言葉といえば、「いいから学校に行け、もう大人なんだから」という冷淡なセリフだけだった。
『俺がぐうたらなクズだと決めつけたほうが、自分たちの教育が拷問だったって認めるより楽だもんな』
親が彼の苦しみから目を背けるたび、そんな黒い毒が胸の中で冷たく渦巻いた。
不毛な家庭環境のせいで、彼の身には悪い癖ばかりが染みついていた。タバコに、酒浸りの日々。二十歳を迎えたシロウは、とくに実家を出て一人暮らしを始めていた。
シロウ:
「……なんかマジでやばいな。血圧でも上がったか? 救急車でも呼ぶべきか……?」
『またこのパターンかよ……って、誰に嘘ついてるんだ。俺がここでくたばったところで、一体誰が悲しむってんだよ』
気力を振り絞ってベッドから這い出たものの、急激な貧血で目の前が真っ暗になった。だが、彼は止まらなかった。震える指でスマホをつかみ、119番を叩く。
シロウ(震える声で):
「やっと……繋がった……頼む、出てくれ……」
だが、受話器の向こうから声が届くより早く、彼の身体は痙攣とともに床へと崩れ落ち、意識がプツリと途切れました。
オペレーター:
「119番消防です。事故ですか、急病ですか?」
オペレーター:
「もしもし――!?」
シロウの耳にその声はもう届かない。視界が急速に黒く塗りつぶされていく。死の間際、彼は最後にこう吐き捨てた。
シロウ:
「結局……童貞のまま死ぬのかよ……」
受話器の向こうでオペレーターが必死に呼びかけ続け、救急隊が現場へと急行した。しかし、駆けつけた救急隊員たちが目にしたのは、すでに心肺停止状態に陥り、手遅れとなったシロウの姿だった。
赤ずみ士郎は、死んだ。
蒸し暑い日本の団地で迎えたはずの死の果てに、無の空間など待っていなかった。寒さのかわりにシロウを包み込んだのは、どこか懐かしく、生々しいほどの熱気と、剥き出しの愛情だった。
『なんだ、これ……?』
朦朧とする意識の中で思考が揺らぐ。『俺は今しがた死んだはずだ……なのに、なんで何かを感じ取れてるんだ?』
シロウは重い瞼を必死に押し上げた。見慣れた薄汚れた壁紙などそこにはなく、全く知らない天井が広がっていた。視界の端には、優しげな顔立ちをした美しい女の人が心配そうに覗き込み、すぐそばには背の高い男が立っている。二人はまるで自分たちが世界の中心を見つけたかのように愛おしげな視線を向け、この世に生まれた我が子がどれほど美しく、どんな素晴らしい未来が待っているかについて、愛おしそうに囁き合っていた。
シロウは腕を動かそうとした。だが、見慣れたはずの大人のゴツゴツした指先ではなく、目の前でうごめいていたのは、あまりにも小さく、むちむちとした赤ん坊の指だった。
脳みそが恐怖で激しく揺さぶられる。
『おいおい、冗談だろ……これって、マジで転生ってやつか――!?』
絶望の底にいたはずの心が、一瞬にして野生の歓喜へと塗り替える。絶望的な前世を背負った元クズの心臓に、熱い火花が散った。
『つまり、俺には二度目のチャンスが与えられたってことか! 狭いアパートで孤独死なんてしなくて済むんだ! 神様ありがとう、このクソみたいな人生の埋め合わせには十分すぎるぜ!』
内なる魂が歓声を上げる。『……待てよ。てことは、今からお母さんの母乳を飲むってことか? おいおい、天国かよ、その点に関してはマジで感謝するぜ!』
その希望に満ちた野望に胸を膨らませ、新生児シロウは我が存在を周囲に知らしめようと決意した。彼は全神経を集中させ、賢い赤ん坊アピールをするための知的な第一声を絞り出そうと、喉を鳴らした。
だが、威厳に満ちた名セリフの代わりに漏れ出たのは、か細い赤ん坊の鳴き声だけだった。そして現実の冷たさが容赦なく彼を叩きのえる。父親が優しく微笑みながら、その小さな存在に名前を告げたのだ。
「ようこそ、レオフハルド」
シロウ改めレオフハルドの脳が、一瞬でフリーズした。『レオフハルド? なんてベタなファンタジーネームだよ。俺はいったい、どんな中世の異世界に放り込まれたんだ……?』
二度目の人生への狂おしいほどの期待と、未知の世界への恐怖、そして前世から引きずってきた精神的疲労のギャップに、赤ん坊の神経耐性は耐えきれなかった。目頭が熱くなり、レオフハルドは反射的に本能のままに泣き声を上げた。ごく普通の、大きな赤ん坊の泣き声で。
両親は慌ててあやし始めた。
「よしよし、いい子だね、おむつが濡れちゃったのかな……?」
母親が優しく声をかけながら、手際よく彼を抱き上げる。
その瞬間、レオフハルドは絶望的な現実を悟った。哲学的な思考に浸っている間にも、自分の幼児の身体は恐怖と生理現象によって、盛大におむつを汚していたのだった。
『……くそ、英雄への道のりは遠いな。このポンコツな肉体を一から調教し直さなきゃならないのかよ』
呆れ返る思考のなか、彼は手際よくおむつを替えられていった。
それから年月が流れた。一歳を迎える頃には、レオフハルドは家の中をしっかりと自分の足で歩き回っていた。住まいはこの地域としてはごく標準的な造りだった。広々としたリビングに、キッチンと一体になった寝室、そして浴室と地下室。
『まあ、最低限の生活環境は悪くないか』
心の中で彼は小さく鼻を鳴らした。
言葉を覚え、両親を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになった頃、二人は息子が常人離れした知性を持つ神童だと確信し、その将来に強い期待を寄せるようになっていた。
彼らとの会話から、いくつかの事実が明らかになった。父親の名はノルウム・クリムゾン、母親の名はマイラアミレナ・クリムゾン。母親の苗字に聞き覚えはあったが、父親の過去や血筋については謎に包まれたままだった。
時代は4981年。そして何より、レオフハルドの血管の中を、確かな魔力の奔流が駆け巡っているのを彼はハッキリと感知していた。体内のエネルギーは、わずかな意思の力にも敏感に応答する。
『この世界なら、退屈することなさそうだな』
その確信とともに、幼いレオフハルドの胸の中で、新たな人生の最優先事項が決定された。一つ、いかなる過酷な状況が立ちはだかろうとも、この残酷なファンタジー世界を生き抜くこと。そして二つ――前世でドブに捨てた未練をすべて回収するため、絶対に最高の伴侶たちを見つけ出すことだ。




