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機体は嘘をつかない  作者: 試作ノ山


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第二章 搭乗

 コクピットへの乗り込みは、いつも同じ順番で行う。


 左のステップに足をかけ、フレームの縁を右手で掴み、体を滑り込ませる。それだけの動作なのに、零式のコクピットは理津にとってどこか「帰ってきた場所」に似た感触がある。座面の馴染んだへこみに体重を落とした瞬間、肩の力が少しだけ抜けた。


 ハーネスに手を伸ばす。肩の左から右へ、腰の左から右へ。順番は決まっている。ひとつ締めるたびに、指先で留め具のエッジをなぞる。緩みがないか。金属疲労で微かに甘くなっていないか。手が先に知っている。頭が確認する前に、指がもう答えを出している。


 続いてスイッチ類。左パネルの電源系から始めて、右パネルの補助推進系へと移っていく。ひとつひとつを人差し指の腹でなぞるように押す。単なる確認作業ではない。理津にとって、これが機体と「話し始める」瞬間だ。スイッチのクリック感、パネルの微かな振動、コンソールの熱。立ち上がってくる機体の声を、言葉ではなく手のひら全体で受け取っていく。


 エンジンに火が入った。


 最新鋭機の起動音を理津は知っている。鋭く、乾いていて、迷いのない音だ。まるで「はじめから完成している」と言い聞かせるような音。零式はちがう。低く、くぐもった唸りから始まり、少しずつ声を整えながら目を覚ますように回転数を上げていく。その立ち上がりの遅さを欠点だと思ったことは一度もない。これが零式の声だ。


 今夜は機嫌がいい、と理津は思った。


 迷いのない声だった。唸りの中に雑味がなく、振動の波形が最初から均一に揃っている。第一章での整備中、右肩スラスターに気になる周期のゆれがあった。エンジン温度が低いうちに出やすい振動で、原因は分かっていた。対処もした。それでも試合前の理津は「温まってみなければ分からない」という感覚を捨てられずにいた。


 エンジンが温まるにつれ、シート越しに伝わってくる振動が落ち着いていった。右肩の周波数が安定してくる。腰から背中、背中から肩へと伝播してくるそれが、じわじわと均一な波に収まっていくのを理津は確かめた。機体が教えてくれた。整備は正しかった。


 コクピットの中で、理津は小さく息をついた。声には出なかったが、口の端が少しだけ動いた。


 フィールドへの入場アナウンスが外部スピーカーから流れた。



 廃工業地帯の内部は、異様な熱量に満ちていた。


 かつて重工機械を組んでいたであろう広大な空間が、今は非公認のバトルフィールドとして使われている。鉄骨がむき出しになった天井から無数のライトが吊られ、廃棄されたコンベアや錆びた架台が観客席代わりの足場として機能している。二階の通路には人が鈴なりになっており、零式が姿を現した瞬間、どよめきが空間を揺るがした。


 歓声ではなかった。どよめきだ。驚きと、少しの嘲りと、それでも否定しきれない好奇心が混じった音。理津はその反応を知っていた。毎度のことだ。旧型機が出てくるたびに、この場所はいつも同じ声を出す。


 正面から白いボディが進んできた。


 アルガス・フォルスだ。


 白いボディに鮮やかな青のラインが走り、関節部の流線形は最新の空力設計を体現している。整備済みの表面は均一に光を反射し、どこにも傷がない。まるでカタログから切り抜いてきたような機体だと理津は思う。スペック一覧は既に調べてある。推力、旋回速度、センサー精度、どれを取っても零式とは比較にならない。


 向かい合う。


 くたびれた塗装の零式と、手入れの行き届いたアルガス・フォルスが、廃工業地帯の中心で対峙した。世代の隔たりは、見た目だけで十分に伝わった。どちらが「正しい時代の機体」か、外側から見れば明らかだ。どよめきが少し形を変えた。


 外部通信が開いた。


「負けを認めるなら今のうちだ」


 霧嶋ジンの声だった。若い声だが、圧をかけることに慣れている。言葉を武器として使う人間の話し方だと理津は判断した。


 理津は何も答えなかった。


 無視でも、拒絶でも、戦意のなさでもない。答える必要がないと判断したから、答えない。それだけのことだ。代わりに、右手をスロットルへ運んだ。指先がグリップに触れる。冷たい金属の感触が手のひらに馴染んでいく。


 霧嶋に聞かせる言葉は持っていない。始まれば分かる。



 別の通信が入った。テツだ。


「……お前の機体を信じろよ。俺はお前を信じてるから」


 声が少し低くなっていた。普段のテツのやかましいしゃべり方とは違う、余分なものを全部削ぎ落とした言葉だった。


 理津はコンソールの端を見つめたまま、何も返さなかった。しかし胸の奥に、短く温かいものが走った。一瞬だけ、熱を持った何かが通り過ぎる感覚。それを理津は表情には出さない。出し方を知らないし、出す必要も感じなかった。テツはもう分かっているはずだった。


 右手薬指の指輪に触れた。


 ほんの一瞬、くるりと空回りさせる。いつもの癖だ。指輪は外れない。銀の表面がわずかにひっかかり、戻る。それだけで十分だった。


 外部の音が少しずつ変わってきた。観客のざわめきが高まり、フィールド全体が息を詰めるような瞬間が近づいている。


 試合開始のブザーが鳴った。


 金属的な、乾いた音だった。廃工業地帯の天井に反響して、一拍遅れて消えた。


 正面のアルガス・フォルスが動いた。


 理津はスロットルを握り直した。シート越しに伝わる零式の振動が、さっきより少しだけ鋭くなった気がした。機嫌がいいと、さっき教えてもらった。エンジンは安定している。右肩も問題ない。


 あとは始めるだけだ。


 廃工業地帯の熱と歓声が、コクピットの外で渦を巻いた。

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