第89話 彼の「死(物語の終わり)」
ハティは目を開ける。
まだ霞がかった意識のまま周囲を見回した。
どれだけ自分が意識を失っていたのか知れない。
気づけば漆黒の闇。
左腕は首と共に枷がはめられ、両足は鎖で壁に繋がれている。
唯一空いている右腕には何もない。
そう、何もないのだ。
右腕というものがこれまで重いものだと思ったことがない。
肘から先が綺麗に焼き切れていた。
左に比べ、軽すぎるくせに、いやに存在感だけが幻影のように残っている。
「くそっ」
思い出した。
ティアを庇った。
突き飛ばして体を入れ替え、焼かれるような熱さを感じたのだ。
盾の魔術を使ったが効果はなかったようだ。
その後は……ああ、囮になるとはいえ、ずいぶんと見苦しい真似をしたものだ。
ここが死に場所かと自決を考えた。
だが、死ぬなと泣かれ、こう言ってくれる人の時間稼ぎくらいはしてやろうと決めた。
自棄になって一人でも多く道連れにしてやろうと無茶をした。
敵もよくあれだけのことをした自分を殺さなかったものだ。
意識が鮮明になるにしたがって、体が痛みを訴えはじめる。
(かなり、損傷しているな)
創傷、裂傷、火傷、打ち身―――
あばら骨も折れている。
(内臓がやられているな、左の腹……脾臓あたりか)
吐き気と冷や汗が流れる中、自分の負傷部を確認する。
(まず、内臓の修復をしないと。他は後回しにするしかないか)
精霊魔術でも治癒術に関しては初級程度しか習得していない。
それでも生命維持に必要な部分に集中して術を使う。
暴れた時にかなり体内の魔力を失っている。
だが、精霊魔術は精霊の力を借りるので行使自体はできる。
痛みと吐き気で身もだえしながら治癒を進める。
気休め程度ではあるが出血も止まり、自身の治療を終える。
あたりを見回す。
殺されず投獄されているところを見ると、次に何があるか。
交渉の材料とするか、拷問にかけて情報を引き出しつつ鬱憤を晴らすか。
何にせよ辱めを受けることになるだろう。
(なれば、自決するか)
思考はすぐにまとまる。
自身で治療をしておきながら、矛盾した思考だとわかっている。
それでも、苦痛で思考が鈍っていてはこうも決断はできなかっただろう。
(ここ数年、幸せな夢をみることができた。一炊の夢というのか、僕には過ぎたるものだ)
そう顔を上に向けた。
(辞世の句……なんて作り方教わらなかったな)
もともとそういった芝居っ気などとは縁がないが。
ふと自身のいる場所に気づく。
(地下牢だな)
しかも、天井部分はわずかに格子状となり、そこには夜空が見える。
おそらく巡回する者が足元をみて様子を確認できるようにしているのであろう。
同じ天の下、最期に会いたい人がいないわけでもない。
それでも、武士として生き、武士として死ぬことこそが本懐だ。
潔くここで命を絶とう――――
頭上、といっても十メートルは上であろうが、人影が映る。
(足音がない。警備の者ではないな)
すると、壁から声が聞こえる。
囁くような小さな声である。
「あなたの名は?」
ハティはすぐに相手が間諜の類であると察する。
これは壁伝えに音を伝える間諜の技である。
だが、これを使えるのは主に東洋の者である。
興味を覚え、他愛もない遊びとして付き合うことにした。
「知ってどうする?」
ハティは同様の術を使って返答する。
「『木霊』をたしなまれるとは、忍びの者……いえ、ハティ様ですね」
「いかにも。あなたの名は」
「ソニアと申します」
「聞いた名だな」
「ガレットの手下です」
「おお、ガレット殿の」
「今、ガレット様は御身をお助けすべくあなたの姉の元に向かっています」
「なに?」
「すぐに兵を向けます。それまでご自害をなされませぬよう」
「なぜ、そのようなことを言う」
「武士は敵の辱めを受けることを良しとはしません。辱めを受けるくらいならば死をえらぶでしょう?ハティさまは武士の出自だとうかがいました。ですから」
「私のような者のために身を危険に曝すことはない。来てくれたことは感謝するが、ガレット殿にも姉上にも自身を大切にとお伝え願いたい」
「なりません!」
「せっかくだ。お二人に私が感謝を述べていたと伝えてくれ。また、楽しかったとも」
「お願いです。私はガレット様にきつく言われております。ハティ様を死なせてはならないと。叶わなければ私もここで命を絶ちます」
「む……」
これは、厄介なこととなったとハティは眉をしかめる。
自分一人の命ならともかく、認めた者の家臣を殺すことになるのは申し訳ない。
嘘をついているわけでもないようである。
いたずらに悲しませることもないだろう。
「わかった。自害は思いとどまろう。だが、拷問などまっぴらだ。私は痛い思いをしたくない。きっと泣いて許しを請うだろう。それぐらいの根性なしだ」
これに、ソニアがふき出す。
「何をご冗談を。分かりました。では、これを置いてゆきます。すぐに戻りますので、くれぐれもご自身でお命を縮められることのないように」
「わかったわかった」
ハティの返事を聞くとともに天井から一本の鉄の棒が落ちてくる。
それは、十五センチ前後で先端が尖ったものである。
いわゆる暗器の一種である古釘と呼ばれるものである。
(わかっているじゃないか)
この手のものがあれば錠前を外すこともわけはない。
今されている拘束は外せるのだが、脱獄までは難しい。
「それでは、くれぐれもお約束を違えられませぬように。あと、地上にお出でになるのは救出の合図があるまでお待ちください」
◇
「ハティは?」
エリーゼは伝令に問いかける。
グリーブスやフォールズについては問わない。
「いえ、それは……」
「ハティはどうしている!」
いつもにない剣幕に伝令が戸惑う。
このやりとりは何度目であろうか。
そこへ――――
「ティアさまが……」
先ぶれが現れる。
「すまない……」
傷を負い、戦塵にまみれたティアが天幕に現れる。
顔を見せたと同時だった。
「ハティはどうした!?」
彼女はエリーゼに胸倉を掴まれる。
「お前だけなぜ、ここにいる!」
「私を庇い、敵に――――っ!?」
言い終えないうちに突き飛ばされる。
「お待ちを!?どこへ」
幕僚がエリーゼを止める。
「言わねばわからぬかっ!」
エリーゼが構わずに出て行こうとする。
「馬の用意!軽装で構わん!」
「お待ちください!」
大柄な幕僚が駆け寄るが、文字通り一蹴される。
いまだかつて、エリーゼはこのような振る舞いはしなかった。
言葉遣いも。
この狂乱ぶりは初めてのことであった。
誰もが恐れ、動けないでいた。
「待て、まて!」
そこへ、ガレットが飛び込んでくる。
「何だ、貴様は!邪魔だ」
エリーゼが突きのけていこうとする。
それを、ガレットは押しとどめようと腕を掴んだ。
「うぉ!?」
まさかの一回転。
見事に投げ飛ばされる。
エリーゼは一顧だにせず歩みを止めない。
しかし、ガレットも必死である。
転んだ姿勢からエリーゼの足首を掴む。
「貴様!」
激高したエリーゼがその手を踏みつけようとする。
しかし、ティアが抱きついてとどめた。
「ティア!邪魔をするな」
「待ってください。エリーゼ様!」
ティアに続いてガレットも叫ぶ。
「姐さん、待ってくれ!俺も連れて行ってくれ!」
「何?」
「あいつには借りがある。このままじゃ、男が廃る。それに、俺の兵も出す!役に立つぜ、俺の仲間は」
「……む?」
「な?頼むよ、姉さん。今、部下に探らせている。そっから一気に攻めようぜ。さっきも言ったが、アイツには俺も借りがあるんだ。死なれちゃ困る。ここで借りを返したい」
言葉に、一瞬であるがエリーゼが止まる。
それを、機としてガレットがたたみかける。
「一日、いや、明日の朝までで構わねぇ!待ってくれ。必ずハティの場所を割り出す」
「……」
「な、待ってくれよ。その後ならいくらでも兵を出すし、必ず俺も向かう」
「私も行く!」
「ティア?」
「このままでは、いられん。何より…なにより、あいつは……私を、私をかばったのだ、じゃなければ……」
あの気丈な女騎士が涙をこぼしている。
「ハティ」と繰り返し呟き、人目を気にせず、嗚咽する。
ボロボロと涙をこぼし「ごめんなさい」と繰り返している。
(弟は、良い友を得たのですね)
姉として熱いものがこみ上げてくる。
だが、だからこそ引けないものもある。
「……昼までです。ですが、その前に弟の血を一滴たりとも目にしたら、一帯を焼き払います」
「ありがてぇ、恩に着るよ。姉さん」
「……」
にっかりと笑うガレットを、眉根を寄せてエリーゼは見据える。
「ところで、あなたは誰ですか?」
◇
翌朝という言葉に違わず、いや、それよりも早くソニアからの報告は幕内に届けられた。
無論それは、決死の行動のたまものであった。
休憩も自身の身の安全を度外視したものであった。
「どきなさい」
静かな声。
しかし、立ち昇る闘気、魔力は他の者が近づけないほどまで膨れ上がっている。
待たされていた間に膨れ上がった怒気である。
「ソニア、といいましたね」
「ハッ」
「よく知らせてくれました。大儀です。下がりなさい」
「あ……」
これまで幾度となく死地を越えてきた暗殺者が恐れを覚える。
これが、死というものか。
だれにも逆らえない。
「これで心置きなく……」
そういうなり、抜剣する。
「焼き払える!」
解放された力が竜巻のように吹き荒れる。
「ぜ、全員、退避!」
号令が飛ぶ。
エリーゼが天幕を跳ね除け、表に姿を現す。
時は暁を迎えようとしていた。
遠く、敵の籠る城は拳ほどの大きさに見える。
陽光が差した。
白銀の髪が燃えるように輝く。
アイスブルーの瞳が光を湛え、砦を捉えている。
エリーゼがよどみなく、流れるように双剣を抜く。
(私の家族を奪うな!)
一切の無駄もなく、慈悲もない。
―――――「【死の十字星】!」
エリーゼは叫ぶなり剣を振りぬく。
途端、閃光が爆ぜた。
数秒遅れ、爆音、そして熱を伴った爆風が吹き荒れる。
数百キロ先の城砦が火柱を上げることなく光に包まれる。
それは反発して明かりをともすことなく、ただ薙ぎ払われたことを意味する。
地上には夜空の十字の星を思わせる煌々とした光と熱波による火災が起き始めている。
(あの時、あれを使っていりゃ……)
ガレットは一騎打ちの時を思い出す。
ハティが割って入る前の一瞬の空白。
自分にとって仲間がいないことを良いことに使おうとした奥の手のこと。
この女騎士はそれ以上のものを隠し持っていた。
自分以上に周囲を巻き込む危険を備えていたために控えていたのだ。
(コイツら、本当に……)
後の「化け物か」という言葉は控えた。
◇
悲痛な叫びがこだまするイメージ。
私こと、コレット・オルレアの前にガレット様が割って入ってきた。
そして、ガレット様の声が響く。
「ナイスリフトアップ!」
「姐さん!まるで天高く昇る太陽と拳を突き上げる伝説のボクサーみたいだぜ」
「「やかましい」」
ガレットさまの言葉にふたりが文句を言う。
「男取り合うキャットファイト仲裁しようと思ったんだけれど、俺の扱い悪くねぇか?」
ぼやいている。
「ところで、ソレ、いいのかよ。放置してよ」
ふたりが冷静に足元を見る。
「あ……」
ようやく気づいたみたい。
無残に打ち捨てられ、白目剥いてる魔人さんに。
「うう、やめろぉぼくの蕾たちに手を出すなぁ……」
残念魔人さんの寝言。
瞬時に女性二人が彼を引っ叩く。
「げふっ」
あ、とどめ差した。




