第78話 牝馬と蹄鉄――咲いたのは歪な百合の花?
ジャンヌは命じられた書類の束を持って部屋へと入った。
ジャンヌ・フェルゼン。
青みがかった髪をきっちりとまとめた女性。
ティアが幼い頃から付き人として共に過ごしていた。
年齢は5歳上である。
ただのメイドのような恰好ではあるが、その実、剣術も魔術も並外れた腕前を持つ。
戦場でもティアの片腕として働いている。
「ガレットめ、領内の経営メチャクチャじゃないか。ソニアもバルドールも計数管理がずさんだ」
(お嬢様……ステキ。ハフハフ)
書面から目を離さずにぶつくさと文句を言うティアをジャンヌは見詰める。
表情こそ変えないが、内心は高ぶっている。
ジャンヌのティアへの偏愛ぶりは周知の事実だ。
それはまるで恋人に接するようである。
彼女との出会いはティアが9歳。ジャンヌが14歳の時である。
(お嬢様はいつも凛々しくてお美しい。勤勉で思いやりがあって)
ティアの顔に髪がはらりとかかる。
何気ないしぐさでそれを手の甲でのけて耳にかける。
(ああ、いいですわ。そのしぐさ、私のお嬢様、はぁぁん)
もはや変態のようであるが、彼女がこうなるにも理由があった。
◇
―――――雨が降りしきる裏路地。
少女、ジャンヌは壁を背に地に座り込んでいた。
打ち身や切り傷で体が痛んだ。
14歳になる彼女は、血に濡れた短剣を手にしていた。
貧しい農村に生まれ、冒険者を目指してギルドに加入した。
戦争もあるので傭兵の方が人気があった。
しかし、彼女は人殺しの傭兵よりも冒険者が良かった。
広い世界を見て、冒険をしたかった。
彼女は冒険者の荷物持ちからはじめて一歩ずつ実績を積んだ。
戦闘にも加わるようになった。
レベルも上がり、スキルも憶えた。
そうして過ごしていたが、次第に状況が変わってきた。
パーティーの人間関係が崩れてきたのだ。
それだけではなく、一人が好色な目で見るようになってきた。
―――――そして、ダンジョンで暴行を受けた。
ダンジョンでのことは事故で片付けられることも多い。
証拠が残らないこともあるからだ。
ことが終わったとき、相手を刺し殺して逃げて来た。
そして、ここにいる。
他のパーティーメンバーは生きている。
そのうち告発されるか、口封じに殺されるだろう。
ギルドに駆け込むことも考えたが、拘束される恐れもある。
(どうしよう)
これからどうすれば良いか。
わからない。
考えられない。
痛い、苦しい。
あの男にされたことが自身を苛んでいる。
この雨で表通りも人は少ない。
裏路地ともなればなおさらだ。
ぱしゃぱしゃという小さく水を跳ねる音がする。
それが子供の足音などと気づくのに時間がかかった。
「お父様!やっぱり、人がいます」
女の子の声。
「ティア、先に行っては危ない。どのような者かも分からぬのだぞ」
「怪我をしているはずです。血が道についていました」
声に顔をあげ、人の姿に自分のうかつさを呪った。
血の跡を追われたか。雨で流れると思ったのに。
すぐ近くにこちらにかけてくる女の子がいる。
この子供を人質に逃げるか。
「大丈夫ですか」
子供が手を差し伸べる。
純粋で、穢れなど知らず、無垢な善意。
ジャンヌは素早くその子の手を引くと、羽交いじめにして短剣を首筋にあてる。
「うごくな。子供の命がないぞ」
女の子を追ってきた男に言い放つ。
男は身構え、腰の剣に手をかけようとする。
「お父様。大丈夫です」
女の子が落ち着きはらって言う。
「ねえ、あなた。怪我をしているでしょう?それにこんなに震えて。体力も残っていないみたい。私を人質にしても逃げられないと思うわ」
大人びた、静かな声。
そっと自分を捕らえている腕に手を触れる。
「何におびえているの?辛いことがあったんでしょ。この剣を外してくれたら、手当てもするし、私の家で匿うわ」
「ティア!」
「お父様、大きな声を出さないで。彼女が不安がるわ」
ジャンヌはこの物言いが癪に障った。
自分がされた屈辱など知りもせず、想像もできない子供が、何を憐れんでいるのか。
この子を切り刻んで、浅はかさを教えてから自分の命も断つか。
そう思った時に、女の子は見透かしたかのように言った。
「私にはあなたの苦しみはわからない。けれど、傷の手当と一晩の宿をあたえることはできる」
(この、ガキ!)
それだって親から与えられたものだろう。
カッとなったジャンヌが剣を喉に突き立てようとする。
だが、剣を突き立てる前に体が回って地面に叩きつけられる。
空を見上げる彼女の視界には、女の子の顔が映っている。
「ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかったの」
そう謝って拳を彼女の喉に打ち下ろす。
◇
気づくと、ジャンヌはベッドで寝かされていた。
傷の手当てもされている。
扉の向こうで話し声がする。
「お嬢様、いけません。手当は私たちがいたしますので」
「私は彼女に約束したの。手当をするって。私を嘘つきにするつもり」
「お嬢様が直接なされなくても、嘘を申されたことにはなりません」
「私は私の責任を果たすの」
ジャンヌはベッドから抜けてドアを開ける。
隙間から覗くと昨晩の女の子とメイドが言い争っている。
こちらに女の子が気づく。
「あ、起こしちゃったみたい」
バツの悪そうな顔をする。
「ごめんなさい。体の調子はどう?」
ジャンヌは黙った。
少し歩いただけで体が痛む。
乱暴をされた傷だ。
少女がその様子に目じりに涙を浮かべる。
「ごめんなさい。私、またあなたを傷つけるようなことを言ってしまったのね」
それだけを言うと頭を下げて去っていった。
◇
屋敷の当主はヴォイド・ヴァン・フラインといった。
ここには一人娘がいた。5つ年下の金髪が可愛らしい子。
元気が良くて、泣き虫で、生意気で。
「ね、あなたの名前は」
「ジャンヌ・フェルゼンです」
「素敵な名前ね」
屈託なく笑う。
憎たらしい。この純粋さが。
匿ってもらうのにただ居候をするわけにもいかなかった。
メイドとして住み込みで働くこととなった。
街を歩いている時、ジャンヌはわざと人気のない路地裏を通るようにした。
人目を避けたかったというのもあるが、もっと別な目的があった。
入り組んでいて、ちょっと目を離した隙に姿をくらませられる。
体調が戻り、ある程度の蓄えができたら逃げるつもりであった。
日々従順を装い過ごしてきた。
そして二つ目の目的。
その絶好の機会が訪れた。
ジャンヌはいつもの通りティアにつきしたがって歩くふりをする。
入り組んだ路地裏へと誘導した。
「ジャンヌ?」
角を曲がったところでティアはジャンヌの姿を見失う。
ジャンヌはというと角を曲がったところで別の道に入り、姿をくらましたのだ。
ここは治安も悪い。
暴漢なども出るだろう。
彼女が襲われればいい気味だと嗤い、胸がすくだろうと思った。
「……先に帰るわね」
寂しそうにティアが言った。
「待っているから」
そう付け加える。
ジャンヌが聞いているかどうかなど分からないのだろうに。
結局、ティアは何事もなく表通りに出て自家の馬車と合流して帰宅した。
目論見は外れたが、これで自由の身ともなった。
(これから、どこへ)
思案した。
(まずは、一晩身を隠せる場所を)
◇
「ジャンヌ」
ティアは自室で考える。
自分の何がいけなかったのか。
友人のように慕っていたのに。
そこへ、ドアをノックする音が響く。
「恐れ入ります。お嬢様」
「なに?」
「急ぎでお耳に入れたいことが」
「ジャンヌのことね」
「はい」
話を聞くと屋敷に投げ文があった。
ジャンヌを捕らえている。
冒険者の仲間を殺した罪人である。
それを匿った罪を告発されたくなければ身代金を払って引き取れという脅迫文だ。
貴族に対しての脅し。
兵を動かせば直ちに周囲に知られることになるだろうから、少人数でくるように。
子供に金を持たせてよこすように。
そういった指示が書かれていた。
「多少は頭が回るようですね」
「はい」
ティアはため息をついた。
「……私は、グスが嫌い」
彼女が呟く。
「遅かったら、逃げることもできない」
立ち上がる。
「遅かったら、強い人には敵わない」
クローゼットまで歩み寄り、開く。
「遅かったら、誰も助けられない」
外套を出して纏う。
「―――だから、グスな私は大っ嫌い!」
言うと、執事に声をかける。
「お父様は何て?」
「お好きにするように、と」
理解のある父親だ。
そして、きっと善後策を練って保険をかけている。
「では、お金を袋に入れてくれる?私のお小遣い分を」
告げた後に、思い出したように付け加える。
「それと、剣を……」
ふと目を閉じる。
(私の親友……『アンジェ』、力を貸して)
◇
棄てられた屋敷の中。
ジャンヌは拘束され、床に寝かされている。
近くには酒を煽りながら談笑している元パーティーメンバーがいる。
そして、見知らぬ男たち。
15人ほどだろうか。
扉を叩く音がする。
ややあって小さな人影が扉を押し開いた。
(……っ!?)
ジャンヌは目を見開く。
ティアが一人で入ってきた。
「あ、あの、ジャンヌを返してください」
おびえたような表情。
震えながら発する言葉。
袋を差し出す。
◇
「やだっ!来ないで」
ティアが悲鳴を上げて逃げる。
捕らえようと男たちが追いかける。
だが、すばしっこく逃げるティアを捉えられない
『私、鬼ごっこは得意なの』
ジャンヌはティアの言葉を思い出す。
◇
「手間取らせやがって、クソガキが」
ティアは捕まり、一度頬を張り飛ばされた。
そして、もう一度、頬を張り飛ばされる。
腕を強く引っ張られ、ジャンヌの前に引き出される。
リーダーと思しき男がティアの顎に手をやり、顔を上げさせる。
「なかなかの上玉だな。成長したら金がとれるぞ。それとも変態客に売り飛ばすか」
おびえた顔で男を見るティアに嗜虐心をそそられたか、わざとらしく言う。
ジャンヌはティアが乱暴されるのを想像し、いい気味だと思う反面、心を痛めた。
「わたしはどうなるの」
「お前の身代金を要求すれば、兵が動くだろうからな。このまま連れて行かせてもらう」
「あなたは奴隷商なの?」
「おお、よく知っているなお嬢さま。お家では奴隷を買っているのか」
「なんて言う商人なの?」
「聞いてどうする」
「わたしをお家に帰してもらえないかお願いするの」
この言葉に男たちは大笑いした。
「上客のご令嬢様か、こいつはいい」
ひとしきり笑った後
「グスタフ商会だよ。お父様はそこから買っているのか?」
男が言った瞬間だった。
ティアの顔が歪む。
怖気の走るような笑み。
「なっ!」
男が異変を察知するよりも早く。
「【解放】」
ティアが呟く。
「【麻痺弾】」
周囲に閃光が走り、電撃が放出された。
拘束していた男も、頭目も、全て感電する。
(アンジェのくれた「お守り」。最高っ!)
ティアは内心ほくそ笑んだ。
麻痺して動けない男たちをよそに、ティアが駆け、ジャンヌの拘束を解く。
「走るわ」
ジャンヌを引き起こす。
◇
男たちは前方の二人を追う。
(はっガキの浅知恵だな)
林の中に点在する小さな光。
おそらく迷わないように目印をつけたのだろう。
そして、光の示すところをあえて跳ねている。
(罠を仕掛けたところにマーキングしてやがる)
同じように男が跳躍する。
気づかずに跳ばなかった後続がロープにからめとられる。
(盗賊職の俺にかかればこの程度の罠)
さらにティア達との距離を縮めようと加速する。
光が示すところをティアが跳ねた。
男も同様に跳ぶ。
「がっ!?」
頭を強かに打ち、首にロープが絡む。
「一回目は正直に、でもそれで騙されるんだから、バカね」
ティアが笑う。
「クソガキが!」
残り男たちが怒声を浴びせて追いすがる。
光の示す場所には罠がある。
それを警戒して迂回する。
足元で何かをひっかけた感触があった。
その瞬間に、横から矢が飛んでくる。
何人かがやられる。
「それで、光のある所に罠があると学習したら、今度はそこ以外に仕掛けるの。ほんと、単純」
◇
夜闇の中での鬼ごっこはすぐに終わりを迎えた。
最後の一人。
ロープが絡まり、地に伏せている。
「ジャンヌ、この人のこと知っているの?」
「……元パーティーメンバー」
「この人だけ?」
「他の者は先ほどの罠で」
「そう、ならこの人がいなくなればあなたを脅かす人はいなくなるのね」
「え?」
二人がティアを見る。
「あなたには死んでもらうわ」
そう言って剣を抜く。
「ガキが、人を殺したこともないくせに」
「どうかしら」
「できるもんならやってみろ――――」
男が言うと同時に、ティアが剣を振り下ろした。
過たずに男の首を刎ねる。
「できるから、やってあげたわよ。バカな人ね、挑発にすらなってない」
ジャンヌは言葉を発することもできなかった。
「ごめんなさい。わたし、人を殺したことがあるの」
ティアが寂しそうに言う。
「わたしのお父様は厳しい人なの。『通過儀礼』って言ってこれから必要になることをすべて教えられてきたの。殺人も」
口元を歪ませる。
「罪人でも殺すのは嫌。怖いし、胸が痛む」
「でも、守りたい人を守るのに、そうしないといけなかったらわたしは迷わない」
目じりに涙を溜めながらティアがジャンヌを見る。
「ねえ、ジャンヌ」
ティアが声をかける。
「私と共に来て」
手を差し伸べてくる。
「私と共に戦って」
彼女は待っている。
「私を支えて」
ジャンヌは手を取った。
「私と共に駆けて―――」
◇
「ジャンヌ?」
ティアが書面から顔を上げて彼女を見ていた。
「はっ!?」
思い出に浸っていたジャンヌは我に返った。
「どうしたの?呆けて」
「え?あ、これは失礼を」
「まあ、いいけれど。あの脳筋ども。生産能力は高いが、その後の処理がなってない。この書類をエリーゼさまに届けて。午後からは荷駄の準備を始めるから」
「はい」
「とにかく、復興のための資材と人員を集めないと。荷馬車は予定より数が増える。護衛の選出は任せるから」
「かしこまりました」
そうジャンヌが礼をとる。
「流民が集まってきているか……領民ではないな。おそらく住む場所を失った者たちが居つこうという腹だろうが……」
それから不敵に笑う。
「くくくく、共和政府のグスども、目にもの見せてくれる。この『神機妙道』の【暗黒の腕(経済制裁)】によって疲弊するがよい」
そう話したとき、城兵が飛び込んできた。
「失礼します!」
ただならぬ様子に二人はそちらに目を向けた。
「領地の西部を進軍するものあり。およそ2万」
この報告にティアは即座に応じた。
「軍旗は掲げているか?」
「はい、共和政府軍のものです」
「逃げた奴らか。和平交渉とは思えんな」




