5話 踏切と猫
いきなり機嫌が良くなった私の態度に戦々恐々としながら(失礼な!)、男子生徒が妙に下手になって切り出す。
「どころで、それとは別で相談がありまして……」
先ほどまでの態度から一転、いっそ卑屈な三下とでもいうように手を揉んでいる。今度はなんだ?
「もしよければ、この写真のいくつかを文化祭で展示させていただけないかと」
「……展示? なんの展示?」
「俺、写真部なんだ。文化祭ではテーマを決めて個展みたいな展示を開くんだけどさ、俺のテーマは猫でさ。今まで撮りためてきた猫の集会をまとめようと思ってる。それで、そこに君の写った写真を使わせて欲しくて」
ええ、それはちょっとどうだろう。明らかに身を引いた私に、カメラ部所属の男子生徒が慌てるようにこの写真の必要性を語りだす。
絶対、これが必要なんだ。猫だけじゃダメなんだ。人の生活圏に我が物顔で過ごす猫だからこそ、人との対比が必要で、なのに君が同じように集会に真似かねているって言うことにすごい意味があるんだ!!
いきなり早口にまくしたてられて、ちょっと引く。いや、もっと引く。私のあからさまな態度が分かったようで、彼の言葉もしぼんでいく。
とりあえず熱意は分かった。悪用とかそういうのとは正反対の感情からの依頼だということも。
これは、どうしようか。頭の中で考える。自分の写真が展示される。それはなかなか照れくさいことだ。まして可愛さ特化の生き物である猫に囲まれた中に映っているわけで。それを考えるとちょっと二の足を踏む。でもなぁ、猫と人を同じ土俵で比べる意味がない。さすがに猫と比べて私を薄らデカいなどと馬鹿にする人間はいないだろうし、むしろかわいいにかわいいを重ねていると言えなくもない、か?
「もちろん嫌なら断わってもらっても構わないし、あの時撮影したデータも全部消す。……でも、あれは本当にいい写真だと思うんだ。もっと、いろんな人に見てもらう価値のある──」
「恥ずかしいからそれ以上は言わないで」
ひとまず黙らせておいて、改めて考える。手元の写真を見れば、実際いい写真だ。もしも家族や友達がこの展示を見たら。そうしたら、いい写真でしょって、そう自慢できる気がする。いっそ私が連れて行ってもいい。うん、それは素敵かもしれない。ちょっと照れながらでもそう言える気がする。
それでふと写真の中の灰猫がどれもこれも端っこにしか映っていないことに気が付いた。私が主体となっているから仕方ないけれど、私にとっての案内役だ。この先輩猫の写真が欲しいと思った。
図々しいお願いではあるけど、写真の出演料、モデル代として考えるなら破格だと思う。
「代わりにお願いを聞いてくれる?」
「あ、ああ。出来ることなら」
「この灰色の猫。いるでしょ? この子がしっかり映ってる写真をもらえる? 今まで撮っていたらでいいんだけど」
「にゃんごの? それは構わないけど」
にゃんご? え、にゃんごって、それ名前??
「……この子、にゃんごって言うの?」
「え、知らなかった? 地域猫でここら辺のボス猫だよ。みんなにゃんごって呼んでる」
「にゃんご……にゃんごね。うん、にゃんごの写真があれば私にもちょうだい?」
どうだ、お手頃価格だろう? もちろん彼は満面の笑みで、私たちはがっしりと握手をした。
ところで、今更ながらに水分補給のために自動販売機までやってきたことに気が付いた。買う手段がないことにも。そういえば、目の前にはちょうど貸し借りを清算した相手がいる。むしろ写真の出演料からすれば、ギリギリいける頼みになるのではなかろうか。
「……あと、水を一本とかって、アリ? 財布忘れちゃって……」
「……ああ、もちろん、いいとも」
今まで撮ったデータを選別して送ってくれると彼は言ってくれた。連絡先を交換して、そこに送ってくれるとのこと。ありがたいことだ。水も買ってくれたし(あとでお金は渡す。ね念のため)、いい写真を撮ってくれた。そんな人間を嫌いには慣れないでしょう。我ながらちょろいような気もするが、勝手に撮られたことの不満なんて大したことはなかった。また、集会に参加できることに比べたらぺぺぺってものだ。
機嫌よく家庭科室に戻れば、地獄の釜を開いたかのような熱気。ゾンビのように私に汗まみれでくっついてくる友人たち。ながながとサボってごめんだからまず離れて!!
***
お味噌汁の試飲でたぷたぷになったお腹を抱えて家路をたどる。もちろん歩くのは久しぶりの路地だ。
いたらいい。いなかったら、また今度でもいい。スマホで時間を見れば、いつも私が帰る時間である。けたたましく鳴り続ける踏切の前、大きくせり出した桜の木の陰に、灰色の猫がくつろいでいる。
別に私を待っていたということもなく、単純に彼の生活ルーチンでいただけだ。でも、それが嬉しい。
「や!」
私が気さくに声をかけると、胡散臭そうに半目に見てくる。久しぶりなのにその顔はなんだ、と多分お互いが思ってる。もっと嬉しそうにしなよ。でも灰猫は仕方なさそうな顔でにゃ、と鳴く。
いつも通りすぐにそっぽを向いてしまった。この猫はちょっと古めの言葉でいう所のツンデレなのだ。でも今日は仕入れた手の切り札がある。きっと灰猫も驚いて私を見直すだろう。
何を言っても振り向かない灰猫に、名前を呼んでみる。
「君、にゃんごって言うんだって?」
効果はてきめんで、驚いたようににゃんごは私を見た。目を丸くしている。なぜ私がそれを知っているとでも言いたげな顔だ。
してやったり。そのすきに指先をにゃん後の元へと伸ばす。猫流の挨拶である。私からするのは初めてだけど、別に間違ってはいまい。
ツンと優しく触れた指先にはひんやりとした冷たさが残る。
背後で警報が鳴りやみ、踏切が開く。
私はくるりとスカートを翻して木漏れ日の外に出る。
「また、集会の時には誘ってね!」
再び踏切が閉じる前に踏切を渡ろう。
急ぎ足の私の背後から、にゃあと声が聞こえたのだった。
終わり