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3話 黒のレンズ

 梅雨が明ければ待っているのは期末テストと夏休みだ。うちの高校ではそれに文化祭準備が加わる。伝統的に文化部が強いのがこの高校の特徴で、中でも一大イベントたる文化祭には普段マイペースなクラスメイトですら目の色を変える。私とて年に一度のお祭りとくれば張り切ろうというものだ。

 文化祭自体は2学期に入ってからなのだけれど、クオリティを上げるには今の時期が一番大事である。一年生にはまだわからないだろう。だが2年ともなればその呼吸が分かる。2学期が始まってからの準備では遅すぎるのだ。特に飲食や展示をやろうというクラスや部活は大変だ。どこまでもこだわろうと思えばこだわれるのだから。

 

 私のクラスが今年やるのは、味噌汁屋。喧々諤々のHRにて、委員長の語るタピオカの次に来るのは味噌汁だと、新たな流行をここから発信するのだという強い熱意にみな心打たれたのだ。


 文化祭と言えど集客数や投票による評価はある。むろん狙うは一位。最優秀賞だ。そのためにはおいしいお味噌汁が不可欠だ。たくさんのお客さんを呼べるお味噌汁は一朝一夕で得られるものではないのだ。

 手先が器用なもの、料理が出来る者。有志が集まり2-C放課後味噌汁研究会が発足した。私は残念ながら前者の方だが、熱意はある。ただいっぱいの味噌汁を求めて、果てない研究は続く。


 そんな理由により私の帰宅時間は大幅にずれ込んでいる。明るいうちならばいいけれど、暗くなってくるといつもの路地はちょっと暗い。それに家が同じ方向にあるクラスメイトと帰るから、変な道を歩かせるわけにもいかないのだ。


 だから、期末テストが終わった日は久しぶりの路地だった。暑さは完全に私を狙っていて、どれだけ日陰を選ぶかが美白と健康に与えるダメージを決める。汗だくの中、一時の涼を求めて踏切前の木陰に滑り込んだ。

 カンカンと響く踏切の音。いるだろうなと塀に目をやれば、灰猫と目が合った。おや、とでもいいそうな目だ。


「久しぶり」


 にゃ、と灰猫が返事を返してくれた。その声に私も笑みをこぼす。ないとは思っていたけれど、猫は三日で何とやら。忘れられていたら嫌だなぁと思っていたのだ。

 そんな私の密かな安堵を知らず、灰猫が立ちあがる。前足、後ろ足の順に体を伸ばし、あくびを一つ。そして塀を駆け下りる。降りたのは私の1m先、木陰の中。


 いくだろう?


 灰猫の目がそう言っている。テストは終わった。急いでしなければならないことは何もない。なにより、私はちょっと期待してここを通っているのだ。猫の集会に誘われて断るはずがなかった。


 空き地はしばらく見ないうちにそれなりに緑が増えていた。猫たちが埋まるほどではないけれど、私の椅子(瓶ビールケース)は完全に雑草に埋まっていて、取り出すのにちょっと苦労した。

 猫たちと言えば、空き地以上に変わりなく好きに過ごしている。見覚えのない子もいるし、記憶にある子がいなかったりする。地域猫とはいえ、多少の出入りはある。それは仕方のないことだ。大事なのは、今をそのまま楽しむことだろう。猫たちが普段しているように。

 ケースに腰を下ろして鞄から出した本を開く。その合間にも挨拶に来てくれる猫の鼻に指をあてる。一瞬だけの触れ合いは、ちょっとひんやりとした冷たさを私の指に残した。


 参加したはいいが、やることはぼんやりしたり、本を読むだけ。ああ、こういう雰囲気だったなぁと一人なごんでいる。ひゅるりとどこかから風が吹き込み、空き地の草が揺れる。時々風に乗って不思議な音が聞こえる。しかし今はその音すらなんだか心地よい。とても、集中できる気がした。


 試験でお預けだった小説がラストを迎えた。期待通りのお話に満足感を覚えながら、猫よろしく体を伸ばす。ぐぐと腕を空に向けてから力を抜く。灰猫へと視線を向ければ、立ち上がって伸びを始めたところだった。ということは今日はお開きかな。全くいいタイミングだねと声をかける。相変わらずのにゃ、という返事にうんうんと頷いてみる。

 灰猫の準備が整うまで、なんとなく聞き流していた不思議な音について、何の音だったのかなと考える。聞き覚えのあるような、機械的な音。どこかの家でオーブンでも使っているのかな(私はお菓子作りをしたことはない)と自分を納得させたとき、空へ向けようとした視線が、窓越しに空き地を見下ろす黒いレンズとバチリ、目が合った。


 パシャリ。その大きな黒いレンズが、瞬きをするように一瞬動いた。私と周りの猫たちに向けられたそれ。つまり、カメラがシャッターを切る音だったらしい。


 勝手に撮られていたらしい。無論いい気はしない。が、私にも勝手に入り込んでいるという負い目があった。無断での撮影に不快感はあるが、なにせ猫の集会である。その中に人間が一人。あんな本格的なカメラを持っていたら、撮りたくなるに決まっている。私だったらスマホのカメラを連射している。


 固まる私を意に介さず、灰猫はさっさと入口へと向かっているようで、早くしろとばかりににゃあと鳴く。慣れた道でもおいていかれるのはちょっと嫌だ。

 

 私はカメラを見上げて、レンズ越しに見下ろしてくる誰かへとベェと舌を出した。

 

 驚いたようにカメラから顔を離したのは、思ったよりも若い、私と同じくらいの歳の男の子だった。びっくりした顔に少し溜飲を下げる。女子高生(と猫)を無断撮影したのだから、このくらいの意趣返しは許されるだろう。そしてさっと踵を返して灰猫を追う。


 灰猫は私の顔を見て一声鳴く。いつもはさっさといなくなるのに、今日は珍しく来た道を引き返していく。来ないのか、と私を振り返りながら。

 私はおとなしくその後をついて歩く。もう、空き地には行けないなぁと、悲しい気持ちで歩く。さっきのあかんべぇだって、結局ただの八つ当たりだった。不法侵入した私の方が悪い。そんなこと、当り前だ。


「あーあ、久しぶりだったのになぁ……」


 私のつぶやきを聞いているのかいないのか。だんだん遅くなる私の歩調に合わせて灰猫は何度も立ち止まる。だけど、急かすように鳴くことはなかった。

 踏切前まで戻ると、軽やかに塀の上に駆け上がる。そしてにゃ、と鳴く。


 明日からはまた文化祭の準備が始まる。だからここには来れない。それに、あの家の人に遭遇してしまったらと考えると近づくのがいいとも思えない。ほとぼりが冷めるまでは、遠回りで学校に行くしかない。

 

 ──まして、集会への参加なんて。

 

 ついうつむいた私に、にゃあと声がかけられた。顔を上げると、灰猫が再びにゃぁと鳴く。立ち上がり歩いて、私の元に鼻先を近づけてくる。

 恐る恐る、手を上げて指先を近づける。触れたのは一瞬。んなぁ。そう鳴いてから、すぐに灰猫は座り込んでそっぽを向いた。

 きまぐれな灰猫。大した理由はないかもしれない。だけど、私のことを認めてくれて、慰めてくれたようにも思えた。


「ありがとうね。……それじゃ、ばいばい」


 そしてそれっきり、私はその路地を通るのをやめた。



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