第6話 港の不穏な影と、騎士様の意外な一面
昨夜の晩餐会での大失態(主に私が原因)と、
テオン王子から贈られた、なんだか不気味な蛇のネックレスのせいで、
私は、一睡もできないまま朝を迎えてしまった。
目の下には、くっきりとしたクマ。お肌のコンディションも最悪よ!
「アリア様、朝食はお部屋にお持ちしましょうか?」
セーラが、心配そうに声をかけてくれる。
「ううん、大丈夫……食欲ないし……」
(本当は、緊張とストレスで、胃がキリキリして何も食べられないだけなんだけど)
蛇のネックレスは、とりあえず厳重に箱にしまい、机の引き出しの奥深くに封印した。
あんなもの、着けてたまるもんですか!
そんな、どんよりとした気分で始まった一日だったけれど、
領主代行様には、お休みなんてないのだ。
今日も今日とて、山のような書類仕事と、オジサマたちとの会議が私を待っている。
もちろん、顔には『領主の仮面』をしっかりと装着して。
午前中の仕事をなんとかこなし、
午後は、フィンレイ様と一緒に、港の視察に出かけることになった。
最近、ネプトゥーリアの船が、やたらとアクアティアの港に出入りしているのが気にかかる、と。
「アリア様、あまり無理はなさいませんように」
フィンレイ様の、いつもより少しだけ優しい声が、心に染みる。
(このオジサマ、実はいい人なのかも……? いやいや、油断しちゃダメよ、私!)
馬車に揺られて港に着くと、そこはいつも通りの活気に満ちていた。
……ように見えた、最初は。
「なんだぁ、てめぇら! この魚は俺たちが先に見つけたんだぞ!」
「何を言うか! この辺りは我々の漁場だ!」
あれ? なんだか、ちょっと不穏な声が聞こえてくるような……。
声のする方へ近づいてみると、そこでは、
アクアティアの漁師さんたちと、見慣れない派手な服装の男たちが、
今にも掴みかからんばかりに、睨み合っていた。
派手な服装の男たち……あれは、ネプトゥーリアの船員だ!
(ひぃぃ、いきなり修羅場に遭遇しちゃったんですけどぉ!)
私がオロオロしていると、いつの間にか隣に来ていたカイ様が、
低い声で状況を説明してくれた。
どうやら、ネプトゥーリアの船員たちが、アクアティアの漁場で勝手に漁をしようとして、
地元の漁師さんたちと揉めているらしい。
「カイ様、なんとか穏便に……」
私が言い終わるか終わらないかのうちに、
ネプトゥーリアの船員の一人が、唾をぺっと吐き捨てて、こう言った。
「ちっ、こんな小国の魚なんて、どうせ大したことねぇだろうがよ!」
「なんだと、てめぇ!」
アクアティアの漁師さん、完全にブチ切れモード。まずい、まずいって!
その時だった。
「双方、そこまでにいたせ」
凛とした、それでいて有無を言わせぬ迫力のある声が、騒ぎの中心に響き渡った。
声の主は……え、私!?
(うわぁぁぁ、仮面パワー、またしても勝手に発動してるぅぅぅ!)
(でも、なんか今日の私、いつもより声に威厳がない!? まさか、寝不足のせい!?)
私が内心でパニックになっていると、
ネプトゥーリアの船員の中で、一番ガタイのいい男が、
ニヤニヤしながら私に近づいてきた。
「へぇ、これがアクアティアの姫様かい? ずいぶんと、おチビちゃんだなァ?」
下卑た笑みを浮かべて、私を上から下までジロジロと見る。
や、やめて! その視線、セクハラで訴えますわよ!(心の中でだけ)
男が、私に向かって手を伸ばそうとした、まさにその瞬間。
シュバッ!
目の前に、銀色の閃光が走った。
「……アリア様に無礼を働くな」
カイ様だった。
いつの間にか私の前に立ちはだかり、抜き放った剣の切っ先を、男の喉元に突きつけている。
その紫色の瞳は、まるで氷のように冷たく、そして燃えるような怒りを宿していた。
(……カイ様……!)
いつも無口で、無表情なカイ様の、見たこともないような激しい姿。
私の心臓が、ドキッと大きく音を立てた。
これって、もしかして……恋!?
(いやいやいや、今はそんな場合じゃないでしょ、私!)
カイ様の気迫に押されたのか、ネプトゥーリアの船員たちは、
すごすごと自分たちの船へと引き上げていった。
漁師さんたちも、カイ様にお礼を言って、それぞれの仕事に戻っていく。
嵐のような騒ぎが去った港には、
私と、カイ様と、そしてなぜか少し満足げなフィンレイ様だけが残された。
「……カイ様、ありがとうございました。助かりましたわ」
私がそう言うと、カイ様は、ふいっと顔をそむけて、
「……当然のことをしたまでです。アリア様にお怪我がなくて、何より」
と、ぶっきらぼうに答えた。
でも、その耳が、ほんのり赤くなっているのを、私は見逃さなかったわよ!
(もしかして、カイ様も、私のこと……なんちゃって!)
そんなこんなで、港の視察は、とんだ騒動で幕を閉じた。
でも、なんだか、カイ様の意外な一面を見られた気がして、
私の心は、ほんの少しだけ、温かくなっていた。
……まあ、その直後に、執務室に戻った私の机の上に、
差出人不明の、真っ黒な封筒が置かれているのを発見して、
私の胃痛は、即座に再発したんだけどね!
「今度はなんなのよぉ!? もう、私の平穏な(仮面)領主ライフは、どこ行っちゃったのぉぉぉ!」
私の絶叫が、アクアティアの青い空に虚しく響き渡ったとか、響き渡らなかったとか。