第58話 獅子の玉座と、小国の姫君の宣戦布告
ギィィィィ……。
まるで、古代の魔獣の唸り声のような音を立てて、
謁見の間の、巨大な扉が開かれた。
その先に広がっていたのは、
ただ、ひたすらに、
だだっ広い、空間だった。
磨き上げられた、黒曜石の床。
天井から吊るされた、
きらびやかすぎるシャンデリア。
そして、その、はるか奥。
いくつもの階段を上った、一番高い場所に、
一つの、巨大な玉座が鎮座していた。
そこに座っていたのは、
一人の、年老いた男。
だが、その体から放たれる威圧感は、
あのテオン王子 の、比ではなかった。
白銀の髪と髭、
顔に深く刻まれた皺の一つ一つが、
彼の、長い、支配の歴史を物語っている。
海洋大国ネプトゥーリア王国 を統べる王、
オルドゥス・ネプトゥーリア。
(……これが、ラスボス……!)
(いや、もう、そんな次元じゃないわ)
(人っていうより、
巨大な、山の化身みたい……)
私の足が、すくんで、動かない。
「……ほう」
王が、口を開いた。
その声は、地鳴りのように、
低く、そして、重い。
「アクアティア の、物怖じせぬ姫君が、
何の用かな?」
「我が愚息を、人質に取り、
このわしに、何を要求するつもりだ?」
その、全てを見下すような視線に、
私の心は、凍りつきそうになる。
ダメだ、飲まれちゃダメ!
私は、隣に立つ、カイ様 の手を、
一瞬だけ、強く握りしめた。
彼の、温かい体温が、
私に、ほんの少しの勇気をくれた。
私は、一歩、前に進み出た。
仮面 のない、素顔のまま。
「ネプトゥーリア国王陛下に、
申し上げます」
私の声は、震えていたかもしれない。
でも、私は、最後まで言い切った。
「わたくしは、人質交渉に参ったのではございません」
「あなたの息子君、テオン王子が、
我が国、アクアティア公国 において犯した、
数々の不法行為に対する、
正式な抗議と、
そして、両国の、新たな未来を築くための
話し合いに、参りました」
私の言葉に、王の眉が、
ピクリ、と動いた。
謁見の間にいた、ネプトゥーリアの重臣たちが、
「無礼者!」「身の程を知れ!」と
ざわめき始める。
「証拠ならば、ここに」
フィンレイ様 が、一歩進み出て、
テオン王子 の、これまでの悪行を記録した、
分厚い羊皮紙の束を、床に置いた。
「ほう……。面白いことを言う」
王は、せせら笑う。
「だが、姫君。
証拠がどうであれ、
力なき者の正義など、
ただの戯言にすぎんことを、
知らぬわけではあるまい?」
「ええ、存じておりますわ」
私は、静かに頷いた。
「ですから、わたくしも、
ささやかながら、『力』をお借りして、
参りましたの」
私が、合図を送ると、
私の背後に控えていた、ケンタ殿 が、
ゆっくりと、一歩、前に進み出た。
「初めてお目にかかります、国王陛下」
「僕は、『ドラゴン便』 の、ケンタ と申します。
以後、アクアティア公国 は、
我々『ドラゴン便』が、総力を挙げて
守護する同盟国となりましたこと、
ここに、ご報告させていただきます」
ケンタ殿 の、その穏やかな、
しかし、決して揺らぐことのない宣言。
そして、謁見の間の、
巨大な窓の外を、
巨大な竜、リュウガ が、
威嚇するように、ゆっくりと旋回する姿。
謁見の間の空気が、変わった。
ネプトゥーリアの重臣たちの顔から、
嘲りの色が、消え失せる。
オルドゥス王の、その絶対者のような瞳に、
初めて、警戒の色が浮かんだ。
「……竜騎士、だと……?」
私は、今が好機と見て、
最後の、そして最大の提案を、
王に、突きつけた。
「オルドゥス陛下。
わたくしたちは、もはや、
争うことを望みません」
「テオン王子 の身柄は、お返しいたします。
その代わり、これまでの不平等な条約は、
全て、白紙に戻していただきたい」
「そして、アクアティアとネプトゥーリアが、
対等な立場で、
新たな、友好条約を結ぶことを、
ここに、ご提案いたします」
私は、フィンレイ様 が用意した、
新しい条約案を、
静かに、玉座の前へと差し出した。
「……小娘が……」
王が、唸る。
「このわしに、指図する気か」
「いいえ。指図ではございませんわ」
「これは、未来への、投資のご提案です」
「陛下。私たちが、あの島で見つけた力は、
争いを生むものではなく、
海を、そして世界を、豊かにする力でした」
「その力を、共に、
平和のために使う道を、
探してみませんか、と、
申し上げているのです」
私の、素顔の、ありのままの言葉。
それは、かつての、
ただの怖がりなOLだった私には、
決して、言えなかったであろう言葉。
オルドゥス王は、
玉座に、深く、身を沈め、
じっと、私を見つめている。
その瞳の奥で、
様々な、感情が渦巻いているのが分かった。
怒り、屈辱、驚愕、そして……
ほんのわずかな、興味。
この、最後の交渉が、
どう転ぶのか。
それは、まだ、誰にも分からない。
でも、私は、もう、
目を逸らさないと、決めたのだ。




