第32話 希望の光と王子の焦り
運命の『海神祭』 から一夜。
アクアティア公国 の港町は、
昨日までとは、まるで違う空気に
包まれていた。
重く垂れ込めていた灰色の雲が晴れ、
人々の表情には、
かすかな、しかし確かな
希望の光が宿っている。
酒場や市場では、
誰もが昨夜の「奇跡」について、
興奮気味に囁き合っていた。
「見たかい、昨日の光の柱を!」
「ああ! 海の神様が、
我々をお見捨てになっていなかったんだ!」
「アリア様が、奇跡を呼んでくださったに違いない!」
(……いや、呼んだのは私だけど!)
(奇跡っていうか、半分ヤケクソの
賭けだったんですけどぉ!)
お忍びで街の様子を伺っていた私は、
そんな民の声に、
嬉しいような、
申し訳ないような、
なんとも複雑な気持ちになった。
「アリア様、ご覧ください。
みんな、少しだけ、元気を取り戻していますわ」
隣を歩くセーラ が、嬉しそうに微笑む。
うん、そうだわね。
私の行動が、ほんの少しでも、
みんなの希望になったのなら……。
あの夜、勇気を出して、本当によかった。
城に戻ると、フィンレイ様 が、
深刻な顔で待っていた。
「アリア様。やはり、
ネプトゥーリア側が動き出しました」
フィンレイ様 の報告によると、
ネプトゥーリア王国 の兵士たちは、
昨夜の光の柱に相当な衝撃を受け、
混乱しているらしい。
そして、聖域の海の警備は、
以前の数倍にも強化されたとのこと。
(だろうね!
あんなの見せられたら、
誰だってパニックになるわよね!)
案の定、昼過ぎには、
テオン王子からの公式な使者がやってきた。
その手には、威圧的な紋章が押された、
一通の書状。
内容は、予想通り。
「昨夜の『謎の発光現象』について、
アクアティア公国 は、
速やかに、そして誠実に説明する義務がある。
もし、我が国に対して、
何らかの『兵器』を隠し持っているのであれば、
それは大陸全体の平和を揺るがす、
重大な裏切り行為と見なす」
……とかなんとか。
(兵器ですって!?
人聞きの悪い!
こっちは、鈴を振っただけなんですけどぉ!)
(まあ、結果的に、
兵器並みのインパクトがあったみたいだけど!)
「どうやら、テオン王子は、
あの光の正体が分からず、
焦りと疑念を募らせているようですな」
フィンレイ様 が、冷静に分析する。
「下手に嘘をつけば、
それを口実に、何をされるか分かりませぬぞ」
「……ええ、分かっていますわ」
私は、『領主の仮面』 を装着し、
覚悟を決めた。
「返書は、わたくしが書きます。
フィンレイ様、上等なシーウィード・ペーパーと
インクのご用意を」
私の返書は、こうだ。
『テオン王子殿下。
昨夜の光は、兵器などという
物騒なものではございません。
あれは、我が国アクアティアの海を、
古よりお守りくださっている、
海の神が発した、神聖なる『警告』にございます』
『貴国が、我が国の聖域を土足で荒らし、
民を苦しめるという、
あまりにも不敬な行いを続けたが故、
神がお怒りになったのです』
『これ以上の冒涜は、
奇跡ではなく、神罰を招くことになりましょう。
その時、何が起きるか……
それは、このわたくしにも分かりかねます。
……賢明なる王子ならば、
ご理解いただけますわよね?』
(どうだ!
これぞ、ハッタリと神頼みを融合させた、
ハイブリッド恫喝よ!)
(これで、少しは時間を稼げるはず!)
私の、あまりにも大胆不敵な返書に、
フィンレイ様 は、一瞬絶句した後、
「……くくく」と、肩を震わせて笑い出した。
カイ様 も、呆れたように、
しかし、その口元は、
ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。
この返書が、
テオン王子をさらに激怒させるのか、
それとも、彼の行動を
わずかにでも躊躇させるのか。
それは、誰にも分からない。
でも、もう、ただ守っているだけじゃない。
私も、戦うんだ。
この、仮面の下の、
ありったけの知恵と、ハッタリと、
そして、ほんの少しの勇気で。




