第24話 甘いお菓子と苦い現実
ヴェリディア王国での交渉から、数日。
私たちは、王城から与えられた宿舎で、
ひたすら、ヴェリディア側からの回答を
待つという、なんともじれったい日々を
過ごしていた。
(うぅ……生殺し状態って、このことね……)
(いっそ、ダメならダメって、
早く言ってほしいんですけどぉ!)
(この、胃がキリキリする時間が、
一番体に悪いのよ!)
そんな私の気も知らず、
セーラは「せっかく外国に来たのですから!」と、
なんだかウキウキしている。
「アリア様、少しだけ、
街の様子を見て回りませんか?
気分転換になりますわよ!」
「そうですよ、アリア様。
美味しいお菓子のお店も、
見つけておきましたから!」
(お菓子……! その言葉、今の私には
悪魔の囁きに聞こえるわ……!)
結局、私はセーラのキラキラした瞳に負けて、
カイ様の厳重な(そして過保護な)護衛のもと、
ほんの少しだけ、王都を見て回ることにした。
ヴェリディアの王都は、
活気があって、清潔で、
道行く人々の表情も明るい。
アクアティアとは大違いだわ……。
これが、平和で豊かな国の姿なのね。
私の国も、いつかこうなれるのかしら……。
そんなことを考えて、少し感傷に浸っていると、
ふと、視線を感じた。
道の向こう側、建物の影から、
誰かが、じっと、私たちを
見ているような……。
私が視線を向けると、
その人影は、すっと姿を消した。
気のせい……?
いや、でも……。
「カイ様、今……」
「……ええ。私も気づきました。
おそらくは、ネプトゥーリアの息のかかった者でしょう。
我々の行動は、常に監視されていると
お考えください」
(ひぃぃぃ! やっぱり!)
(こんな遠い国まで、監視の目が光ってるなんて!)
(あの腹黒王子、どれだけ執念深いのよ!?)
せっかくのお散歩も、
これで一気に、サスペンス劇場に早変わり。
美味しいお菓子も、なんだか砂を噛むような味だったわ。
(……それでも、しっかり完食したけどね!)
宿舎に戻ると、
フィンレイ様が、難しい顔で待っていた。
「アリア様。ヴェリディア国内の
商人たちにも接触を試みましたが……。
どうやら、ネプトゥーリアから、
『アクアティア公国とは、
一切の取引を行わないように』という、
強い圧力がかかっている模様です」
「な……! そんな……!」
やっぱり、ネプトゥーリアの影は、
私たちが思うよりも、ずっと深く、
広く、この大陸に根を張っているんだわ。
もうダメかもしれない……。
私たちのささやかな希望も、
ここで潰えてしまうのかしら……。
私が、絶望的な気持ちでうなだれていた、
まさにその時だった。
「アリア公女殿下、お待たせいたしました」
ヴェリディアの外交官が、
宿舎を訪ねてきたのだ。
その表情は、相変わらずポーカーフェイスで、
何を考えているのか、全く読めない。
(き、来たわね……! 運命の審判の時が!)
通された部屋には、重々しい空気が流れる。
私は、ゴクリと喉を鳴らし、
ヴェリディア側の言葉を待った。
「……アリア公女殿下。
貴国の『海の宝石プロジェクト』、
そして、殿下ご自身の熱意、
我々も高く評価しております」
外交官は、静かにそう切り出した。
(お、おおっ!?
これは、もしかして、良い流れ!?)
「しかし……」
(……やっぱり、その言葉が続くのね!)
「……しかし、我が国は、
大陸の平和と安定を最も重んじる国。
残念ながら、ネプトゥーリア王国との
公な対立を招きかねない、
大規模な国家間の交易協定を、
今、結ぶわけにはまいりません」
がーん……。
私の心に、非情な宣告が突き刺さる。
やっぱり、ダメだったんだ……。
私が、仮面の下で唇を噛みしめていると、
外交官は、言葉を続けた。
「……ですが」
(まだ何かあるの!?)
(もう、私の心臓を弄ぶのはやめて!)
「……公な協定は結べませぬが、
我が国の、信頼できる独立した商人ギルドを介して、
貴国の『海の宝石』を、
非公式ながら、試験的に取引することは可能です。
これは、ヴェリディア王国からの、
ささやかな友好の証と、お考えください」
非公式……。試験的……。
それは、私が望んでいたような、
華々しい成果とは、ほど遠いものだった。
でも……。
完全に道を閉ざされたわけじゃない。
ネプトゥーリアの監視の目をかいくぐって、
私たちの産物の価値を、
世界に問うことができる、
ほんの小さな、でも確かな一歩。
「……そのお申し出、
謹んで、お受けいたしますわ」
私は、震える声を必死で抑え、
深く、深く、頭を下げた。
「ヴェリidia王国の、
そのお心遣いに、心より感謝申し上げます」
これが、私にとっての、
初めての外交交渉の、全ての結果だった。
大きな勝利ではなかったけれど、
完全な敗北でもなかった。
ただ、ネプトゥーリアという国の、
巨大な壁の高さを、
改めて思い知らされただけ。
アクアティアへの帰り道、
船から見える海は、
来た時よりも、少しだけ、
暗く、そして冷たく感じられた。
(まだまだ、これからだわ……!)
(こんなことで、へこたれてる場合じゃない!)
(負けないんだから……絶対に!)
私は、ぎゅっと拳を握りしめる。
その手の中で、カイ様がくれた
焼き菓子の包み紙が、
カサリと小さな音を立てた。
……甘くて、そして、少しだけ苦い味がした。




