第23話 緑の王国と、初めての外交テーブル
アクアティアを出航して数日。
私をあれほどまでに恐怖させた船酔いは、
意外にも、ほとんどなかった。
(……きっと、私の胃が、
日頃のストレスとプレッシャーで
鍛えられすぎたのね!)
(あるいは、緊張しすぎて、
船酔いする余裕すらなかったのかも……)
船上では、フィンレイ様が時折、
ヴェリディア王国に関する興味深い話を
聞かせてくれたり、
カイ様が、無言で(でもさりげなく)
海風から私を庇ってくれたり、
セーラが、手作りの干し果物や
温かい飲み物を差し入れてくれたり。
うん、なんだかんだで、
私の側近たちは本当に優秀で優しいわ。
(カイ様の過保護っぷりは、
ちょっと心臓に悪い時もあるけどね!)
そして、ついに私たちの船は、
目的地のヴェリディア王国へと到着した。
「うわぁ……!」
港に近づくにつれ、
私の口からは、思わず感嘆の声が漏れた。
ヴェリディア王国は、その名の通り、
目に鮮やかな緑に彩られた美しい国だった。
丘の上には、白い壁と青い屋根の可愛らしい家々が並び、
港には、大小さまざまな帆船が活気よく行き交っている。
アクアティアとはまた違う、
豊かで洗練された雰囲気が漂っていた。
(すごい……! まるで絵本の中の世界みたい!)
(それに比べて、アクアティアは……ううん、
素朴で温かいのが魅力だものね! 比べちゃダメ!)
私たちの到着を待っていたのは、
ヴェリディア王国の、
少し堅物そうな印象の外交官と、
数名の儀仗兵たちだった。
うん、国王陛下自らのお出迎え!
……なんていう、甘い期待はしていなかったけれど、
やっぱり、小国の姫君なんて、
こんなものなのかしらね、と少しだけ寂しくなる。
(いえいえ、弱気は禁物よ、アリア!)
(今は、アクアティアの代表として、
堂々としていなくちゃ!)
私は、仮面の位置をこっそり直し、
背筋をいつもよりさらにピンと伸ばす。
用意された馬車で王都の中心部へと向かうと、
そこには、石畳の美しい街並みが広がっていた。
道行く人々の服装も、
アクアティアよりずっと華やかで、
なんだかお洒落な感じ。
セーラと一緒に、キョロキョロと
車窓からの景色を楽しんでしまったわ。
(カイ様に、後で「はしゃぎすぎです」って
注意されちゃったけど)
王城の一室に通され、
いよいよ、ヴェリディア王国の
交渉担当者との初顔合わせ。
私の目の前には、
いかにも「切れ者です」オーラを放つ、
壮年の男性外交官と、
その補佐らしき若い男女が座っている。
(ひぃぃぃ、緊張する……!)
(お腹痛くなってきたかも……)
(大丈夫、私には仮面様がついている!)
「アクアティア公国領主代行、
アリア・ルミナ・アクアティアにございます。
本日は、ヴェリディア王国との
友好と交易の道を開くべく、
誠意をもって参りました」
練習の成果もあってか、
私の第一声は、自分でも驚くほど
落ち着いて、そして威厳に満ちていた。
(よし、掴みはオッケーよ!)
ヴェリディアの外交官は、
にこりともせず、しかし丁寧な口調で答える。
「ようこそ、アリア公女殿下。
お話は、謹んで拝聴いたしましょう。
……して、その仮面は、
アクアティアの正式な装いでございますかな?」
(……いきなり、そこ突っ込んでくる!?)
(デリカシーって言葉、ご存じないのかしら!?)
「こ、これは、我が国に古くから伝わる、
儀礼用の装束の一つにございますれば……」
しどろもどろになりながらも、
なんとか言い訳する私。
額に、じっとりと汗が滲むのを感じる。
その後、私は、フィンレイ様の助けも借りながら、
アクアティアの現状と、
「海の宝石プロジェクト」の魅力、
そして、ヴェリディア王国との
交易がもたらすであろう、
双方にとっての利益について、
熱心に説明した。
(もちろん、ネプトゥーリアの圧力については、
言葉を選びながら、慎重に……ね)
ヴェリディアの外交官たちは、
終始、表情を変えることなく、
私たちの言葉に耳を傾けていた。
時折、鋭い質問が飛んできたけれど、
それはフィンレイ様が、
見事な切り返しで捌いてくれた。
(さすがフィンレイ様! 私のスーパー宰相補佐!)
そして、一通りの説明が終わると、
外交官は、静かにこう言った。
「……アリア公女殿下のお話、
そしてアクアティアの熱意は、
十分に伝わりました。
持ち帰りまして、慎重に検討させていただき、
後日、改めて回答いたしましょう」
(え……それだけ……?)
(もっとこう、好感触な反応とか、
前向きな言葉とか、ないのかしら……?)
なんだか、手応えがあったのか、
それとも、けんもほろろにあしらわれただけなのか、
さっぱり分からないまま、
初日の交渉は終わってしまった。
用意された宿舎に戻る馬車の中で、
私は、どっと疲れを感じて、
ぐったりと座席に沈み込む。
(胃が……胃が、限界を訴えている……)
そんな私を見て、カイ様が、
そっと小さな包みを差し出してくれた。
中には、ヴェリディア名物だという、
甘い焼き菓子が。
「……これを。少しは、お疲れが取れるかと」
ぶっきらぼうな口調だけど、
その紫色の瞳は、どこまでも優しい。
(カイ様……!)
その不器用な優しさが、
今の私には、何よりも心に染みた。
……焼き菓子、緊張で味がしなかったけどね!
初めての外交交渉。
前途は、まだまだ多難なようである。
アクアティアの未来は、一体どうなるのかしら……?




