第19話 森の賢者と迫り来る足音
「……賢者の国は、とうの昔に海に沈んだ……」
「……ネプトゥーリアの強欲と、自らの驕りが生んだ、泡のような夢……」
「……海神の涙は、持ち主の悲しみを映して泣いている……」
魚市場の隅で出会った、
謎の老人の言葉が、
私の頭の中でぐるぐるとリフレインしている。
(うーん、なんだか哲学的というか、
ポエムっぽいというか……)
(具体的な手がかりゼロじゃないの、これ!?)
執務室に戻った私とカイ様は、
フィンレイ様も交えて、
老人の言葉の意味を必死で分析しようとしたけれど、
結局、「よく分からないけど、なんか意味深だね」
という、ふんわりとした結論しか出なかった。
……ダメだこりゃ。
「次の情報提供者に当たりましょう」
カイ様が、きっぱりと言った。
うん、そうね。
ここで立ち止まっている暇はないのよ!
そして、私たちが次に選んだのは……。
フィンレイ様の怪しげなリスト () の中でも、
ひときわ異彩を放つ存在。
『森の奥に住む、薬草と星詠みの老婆
(ただし、超絶偏屈につき要注意)』!
(偏屈って……。しかも「超絶」って……)
(フィンレイ様、なんでそんな危険人物(?)の情報を
ピンポイントでご存じなんですこと!?)
一抹の不安(いや、かなりの不安)を胸に、
私とカイ様は、今度は森の奥へと向かうことになった。
もちろん、セーラには「絶対にご無理なさらないでくださいね!」と
涙ながらに見送られたわ。
私の従者は、本当に心配性で可愛いわね!
深い森の中は、昼間だというのに薄暗く、
不気味な鳥の声や、
風が木々を揺らす音が、
私のちっぽけな心臓を容赦なく攻撃してくる。
(ひぃぃ……お化けとか出ないわよね……?)
(熊とか、もっとリアルな危険動物も怖いんですけどぉ!)
カイ様は、そんな私の恐怖心など露知らず、
冷静沈着に周囲を警戒しながら、
迷うことなく森の奥へと進んでいく。
さすがカイ様、頼りになるわぁ……。
(でも、もうちょっと私の怖がり心も
察してくれてもいいのよ……?)
そして、ようやく辿り着いたのは、
蔦の絡まる、今にも崩れそうな小さな小屋。
煙突からは、怪しげな色の煙がモクモクと……。
(……ここ、本当に賢者が住んでる小屋なのかしら?)
(魔女の家って言われた方が、
しっくりくるんですけどぉ!)
カイ様が、代表して小屋の扉を叩く。
コンコンコン。
しばしの沈黙の後、
ギィィ……と、重々しい音を立てて、
扉がほんの少しだけ開いた。
そして、その隙間から、
ギョロリとした目が、私たちを睨みつけた。
「……なんじゃ、騒々しい。
わらわは今、大事な薬草の調合中じゃ。
用がないなら、とっとと帰った、帰った!」
しゃがれた、そしてものすごく不機嫌な声。
(うわぁ……想像以上の偏屈っぷり……!)
(これ、まともに話を聞いてもらえるのかしら!?)
「我々は、アクアティア公爵家より参った者。
古の伝承について、
賢き貴女のお知恵を拝借したく」
カイ様が、冷静に、しかし丁寧に来意を告げる。
「ふん、公爵家が、今更わらわに何の用じゃ。
どうせ、ロクでもないことじゃろ」
老婆は、そう吐き捨てると、
ピシャリ!と扉を閉めようとした。
「ま、待ってくださいまし!」
私は、思わず大声を上げていた。
「私、アクアティア公女、アリアと申します!
どうか、どうかお話だけでも……!」
私の必死の(そして裏返った)声に、
老婆は、ピタリと動きを止めた。
そして、再びギョロリとした目で、
私をじろじろと値踏みするように見つめる。
「……ほう、お前さんが、
あの仮面被りの姫君かえ」
(え、なんで仮面のこと知ってるの!?
このお婆さん、何者なの!?)
「……まあ、いいじゃろう。
少しだけなら、話を聞いてやらんでもない。
ただし、わらわの薬草畑を荒らしたり、
変な質問ばかりしたら、
カエルに変えてしまうからの!」
(物騒すぎるんですけどぉぉぉ!)
こうして、私たちは、
カエルにされる恐怖と戦いながら、
老婆の薄暗い小屋の中で、
震えながら話を聞くことになった。
老婆は、星の動きや、
薬草の秘められた力について、
それはもう、専門的で難解な話を、
延々と語り続けた。
(ごめんなさい、お婆様。
私、その話の九割九分、理解できてません……)
そして、最後にポツリと、こう言った。
「……海が荒れ、星がその道を見失う時、
月の雫だけが、真実を映す鏡となる。
だが、その鏡は、時として持ち主を狂わす。
気をつけなされ……仮面の姫君よ」
月の雫……? 真実を映す鏡……?
それって、もしかして「海神の涙」のこと……?
具体的な情報は、またしても得られなかった。
でも、あの老人の言葉と同じように、
何か、重要な警告が込められている気がする。
その帰り道。
森を抜けると、遠くに港が見えた。
そして、そこには……
以前よりも明らかに数が増えた、
ネプトゥーリアの黒い船影が、
まるでアクアティアの海を覆い尽くすかのように、
停泊しているのが見えた。
「……!」
カイ様も、息をのんだのが分かった。
ネプトゥーリアの圧力は、
私たちが森の中で老婆と話している間にも、
確実に強まっているのだ。
(こんな悠長に、
謎解きみたいなことしてる場合じゃないのかも……)
焦りと、言いようのない不安が、
再び私の胸を締め付ける。
老婆の言葉が、やけに重く感じられた。
「気をつけなされ……仮面の姫君よ」




