第9話 満月の夜の招待状
『満月の夜、港の灯台下にて待つ。アリア・ルミナ・アクアティア、一人で来られたし』
……。
…………。
(いやいやいやいや! 無理だから! 絶対無理だからぁぁぁぁ!)
私の脳内は、けたたましい警報音と、「危険!」「逃げろ!」の赤ランプで埋め尽くされている。
だって、この文面! どう考えても親切な人の手紙じゃないでしょ!?
「一人で来い」なんて、悪の組織のボスが主人公をおびき出す時の常套句じゃないの! 私、主人公だけど、戦闘力ゼロのポンコツ領主(仮)なんですけどぉ!
「アリア様、どうかなさいましたか? 顔色が……紙のようですわよ?」
セーラが、私の顔を覗き込んでくる。
うん、きっと今の私の顔、幽霊みたいに真っ白だと思うわ。なんなら、ちょっと透けてるかもしれない。
「セ、セーラ……これ、見て……」
震える手で、黒い紙切れをセーラに差し出す。
「『満月の夜、港の灯台下にて待つ。一人で来られたし』……ですって? まあ、ロマンチックですわね!」
(どこが!? どの部分をどう解釈したらロマンチックになるのよ!? あなたの頭の中、お花畑なの!?)
私の内心のツッコミも虚しく、セーラは「どんな素敵な方が待っているのかしら」なんて、頬を染めている。
いや、待ってるの、絶対素敵な人じゃないから! 腹黒王子 か、その手下のマッチョな悪人か、最悪、海の魔物とかだったらどうするのよ!?
「だ、だめよ、セーラ! これは罠よ! 絶対に、私をおびき出して、何か良からぬことを企んでいるに違いないのよ!」
「まあ、アリア様ったら、心配性ですこと。でも、確かに差出人がないのは少し気になりますわね……。ちなみに、次の満月はいつかしら?」
セーラが、部屋の隅にある月齢カレンダー(なぜそんなものが執務室に?)を確認する。
「……あら、アリア様。次の満月は、明後日の夜ですわ」
「みょ、明後日ぃぃぃ!?」
嘘でしょ!? 心の準備をする時間、短すぎない!?
というか、行きたくないんだけど! 絶対に行きたくないんだけど!
「ど、どうしよう、セーラ……。行かなかったら、何かされるかしら……。アクアティアが火の海に、とか……」
「それは考えすぎでは……。でも、無視するのも、何だか気味が悪いですわね」
うぅぅ……。
私の頭の中では、「行くべきか、行かざるべきか、それが問題だ」と、シェイクスピアもびっくりの葛藤が繰り広げられている。
行けば、待ち受けているのは恐怖!
行かなければ、後でどんな報復が待っているか分からない恐怖!
……どっちも恐怖じゃないの! 八方塞がりよ!
「アリア様、ここはやはり、カイ様やフィンレイ様にご相談なさるのが一番かと」
「で、でも、『一人で来い』って書いてあるのよ? 相談したら、カイ様とか絶対についてきちゃうじゃない! そしたら、相手を刺激して、余計に事態が悪化するかも……」
それに、もしこの手紙の差出人が、あの腹黒王子だったら?
私が家臣に頼ったと知ったら、何を言われるか……。
「おや、アクアティアの公女殿下は、一人では何もおできにならないのですな?」なんて、あのニヤニヤ顔で言われたら、私、悔しくて夜も眠れないわ!(もう眠れてないけど!)
(でも、一人で行くなんて、怖すぎる……。暗い夜の港の灯台下なんて、お化けが出てもおかしくないじゃないの……。いや、それより怖い人間が出てくる可能性の方が高いんだけど!)
「……アリア様?」
セーラが、心配そうに私を見つめている。
そうだ、私には『領主の仮面』があるじゃない!
あれを着ければ、どんな困難だって乗り越えられる……はず!
……って、一人でこっそり行くのに、仮面着けてたら怪しすぎるわよね!? さすがに。
「……わ、わたくし、少し考えますわ」
弱々しくそう言うと、私はセーラを部屋から下がらせた。
一人きりの執務室。
机の上の「海神の涙のかけら」 とされる青い石が、なぜか今日に限って、いつもより冷たく感じる。
(お父様……私、どうしたらいいのでしょう……)
もし、お父様が元気だったら、こんな時、きっと的確な指示を出して、私を導いてくれたはず。
でも、今はいない。私が、決めなくちゃいけないんだ。
アクアティアの領主代行として。
……ううん、今はまだ、仮面を被った、ただの怖がりなアリアとして。
時間だけが、刻一刻と過ぎていく。
満月の夜は、もうすぐそこまで迫っている。




