私と母と子育てと
ぼんやりと瞳を開ける。
(ああそっか。眠ってたんだ私)
子どもを産んでから久しぶりに眠れた気がする。
リビングから子どもの楽しげな声が耳に届く。
(母さん来てたんだっけ)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『明日孫に会いに行くよ』
母さんからの連絡で私は目を丸くした。
気持ちはうれしく思う。
(時代は変わったからなあ。育児のやり方も)
気持ちだけ受け取って質問攻めすることにした。
『今はおやつ抜きやお小遣い抜きは虐待なのよ』
『ベランダや物置で反省しなさいもね』
私のメッセージに母さんからすぐに連絡が来た。
『隣の子を車に乗せただけで誘拐扱いになるの』
『連絡は密にね。なまはげみたいに』
その子の親と子に話を通すのが筋と思う。
(なまはげ姿で連絡取り合うのってシュール……)
『高い高いやるなら月齢に合わせてゆっくりね』
『え?そうなの?』
母さんからのメッセージに私は目を見開く。
『揺さぶられっこ症候群ってのがあってね』
発育に遅れが生じるとの話を私は目を見張る。
★ ☆ ☆ ☆ ☆
(白玉団子のあんこがけ食べて寝ちゃったんだっけ)
学生時代によく食べていた私の好物。
母さんがお土産に持ってきてくれた。
(赤ちゃんが泣くたびに抱っこで疲れてたんだなあ)
リビングでは母さんが子どもをあやし寝かせてく。
その手慣れた姿に私は母さんから母を学ぶ。
「あら、もう起きたの?まだ眠ってていいわよ」
様子を見ていると母さんが私に気づく。
「母さんよく知ってたね。揺さぶられっこ症候群」
「大学で教鞭とってるからね」
母さんは復職して大学の教授になった。
今は児童心理学を教えているという。
「卒業も入学も同じものよ」
教職の性なのか母さんの授業が始まる。
「結婚も子育てもゴールしてからスタートなの」
「今は女性も社会にでる時代でしょ!」
母さんは人差し指を立ててシーっという。
「女性の社会進出は男性の育児参入とセットよ」
眠ったままの子どもに私は少し安心する。
「天秤なのよ。少子化と物価高もあわせて見極めて」
母さんは一口お茶を飲む。
「カホコさんは働く?育児に専念する?両立する?」
仕事・育児・家庭・隣近所・私自身が顔を出す。
「両立するならなにに比重を置く?」
どれを優先するか私の中でぐるぐる回る。
★ ★ ☆ ☆ ☆
少し沈黙が訪れる。
「どう?しっかり眠れた?」
母さんが話を変えてきた。
「うん。子ども産んでから久しぶりに」
「パッと見て疲れてる顔してたからからねえ」
私は顔に手をぺちぺち当てて確認する。
「頑張りすぎるとつぶれちゃうからね。人は」
「すぐにイライラしちゃう。さっきだって」
「感情のコップがあふれ出してるのよ」
誰かの助けを借りるサインと母さんは言う。
「一時預かりやサポートセンターで聞くのも手よ」
「もしくはベビーシッターさんでしょ?」
「そうね。プロの力を借りるの」
母さんの言いたいことはわかる。
(疲れたなら子どもを任せて眠ればいいのよね)
感情的になりかけたら子どもと距離を置く。
「先立つものがなあ」
「そうね。ここ最近あれこれ上がったわよね」
昨今の物価高は家庭のお財布に直撃した。
だからこそ働きたくはある。
(子どもの世話どうしようかなあ)
「なら帰ってくるかい?」
★ ★ ★ ☆ ☆
「そっか。それで悩んでるのか」
「どうしたらいいと思う?」
仕事から帰ってきたナオヒロさんに聞いてみる。
「僕としては賛成かな」
「どうして?」
「子どもになにかあったら自分を責めるでしょ?」
ナオヒロさんは真摯しんしに私の目を見て話す。
「カホコさんが決めてもいいんだよ」
(いつもみんなに流されて生きてきたからなあ)
友人たちとのグループで私は従う立場だった。
(誰かが決めたことに従うだけだったから……)
決めてもいいと言われても言葉に詰まる。
「ナオヒロさんの仕事はどうするの?」
「異動の募集があってね。カホコさんの実家近くに」
「それでいいの?都会暮らし捨てちゃうんだよ!?」
ぶっちゃけ私の実家は地方になる。
「住めば都だよ。それにね」
私の心を読んだのかナオヒロさんは話を続ける
「子が健やかに育つには親も健やかでって思うんだ」
★ ★ ★ ★ ☆
引っ越しのトラックの出発を見送った。
「それじゃ先に行くね」
「うん。こっちも手続きとか終わったら行くから」
ナオヒロさんは優しい声で私に話す。
「一人暮らしは慣れてるから安心してね」
大学時代ナオヒロさんも引っ越してきた。
「思い出すな。スーパーのタイムセールで――」
「同じ商品手に取ったのが出会いだったわね」
少し昔を思い出してくすくす笑いあう。
「あとはうまいことやっとくから安心してね」
「わかった。待ってるから」
話しているとタクシーがやってきた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
私はナオヒロさんと挨拶を交わす。
「今まで通りおむつ交換や入浴は僕もやるからね」
ナオヒロさんは子どもの頭に手を置く。
「だー」
元気な声にナオヒロさんから笑顔がこぼれた。
ナオヒロさんに見送られ私たちはタクシーに乗る。
★ ★ ★ ★ ★
タクシーはゆっくりと駅へ向かっていく。
(ナオヒロさんなりの育児支援なのかな)
復職先は地元になりそう。
(知ってる人が多いから少し恥ずかしいな)
私はチャイルドシートで眠る我が子を見る。
(都会で学んだこと、育ててくれた地元に返そう)
「ありがとう。生まれてきてくれて」
子どもが笑い声を返す。
(三つ子の魂百までか)
乳幼児の脳は三歳まで著しく成長する。
(安心できる、愛されてるって思える場所が大切)
母さんから教わった。
(それはナオヒロさんや母さんや父さんでやること)
育児はチームプレイとナオヒロさんは言う。
(だから頼ろう。みんなを)
頑張りすぎたらまたパンクしちゃう。
ゆっくりと時間は流れてると私は感じていた。