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闇の涯  作者: 藍原センシ
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『闇の涯』 第6回


          *   *   *


 視界を覆い尽くした粒子が蒸発するようにして消えた時、目の前に数人の男たちの姿が見えた。彼らはこちらを覗き込むようにして手を伸ばしていたが、僕/ムウが腰を上げた途端に弾かれたように手を離した。

「ムウお嬢様!? ……危ないところでした、あと数秒遅れていたら、デイン様に繋ぎ替えているところでしたよ」

 ライオンの(たてがみ)のような髪をした壮年の男性が、大きく息を()きながら言う。

「シンハさん……私が潜行してから、どれくらい経った?」

「三分程度ですよ。となると、擬鉄界では一日と二時間程度でしょうか」

「合ってる。……そっか、三分か。その間に、《寄生木》は撤退したのね?」

「お嬢ちゃんが潜って、一分も経たねえうちだな」

 シンハと呼ばれた男性と一緒に、僕/ムウを椅子型の装置──彼女は「招霊器」と呼んでいた──から降ろそうとしていた浅黒い肌の男性が言った。耳が尖っているところを見ると、彼らも空魔族のようだ。

「旦那が、捨て身で秘奥義を使ったんだ。それでクシュナの野郎が負傷して、連中、退却せざるを得なくなった。今ザンキたちが防御結界を張ってるけど、こうして長く居る訳にも行かねえ。招霊器ごと場所を変えにゃあな」

「秘奥義って……シンハさん、それ本当ですか!?」ムウが声を上げる。

「問題ありません、お嬢様。一回使った程度ですから。して、あなたの方は?」

「刻印獣に襲われた。ヨドの連中、私が潜ってすぐに準備したんだとしたら早業すぎるよ。デイン様は……」

 彼女は言ってから、不意に深々と頭を下げた。視点が同化している僕は、彼女の膝の辺りしか目に入らなくなる。余程の角度で体を折ったようだ。

「ごめん、皆! 刻印獣の出現で混乱している間に、目の前まで来ていたのに見逃しちゃったの! ヒミツの人には会えたし、あの人がデイン様を今まで育てて下さったって事も分かっている。もう少しだけ、時間があれば!」

「よせよせ、嬢ちゃん。頭なんか下げるな。時間はたっぷりあるだろ。何せあっちで何日過ごしたところで、こっちじゃ五百二十分の一なんだから」

 浅黒い肌の男性が、背中に手を置いてくる。

「バクンさん……」

「けど、予定じゃ先に浮上させるのはデイン様だぜ。お嬢ちゃん、もし俺たちがお前さんの体を先に招霊器から引き離していたら、どうするつもりだったんだい。いや、それより向こうの一日はこっちじゃ……えー、ひい、ふう、みい、二分半ちょっとだぜ? 俺たちがそんなに早く、《寄生木》を撃退出来なかった可能性だってある」

「本当にごめんなさい。私、まだ色々実感出来てなくって……お兄ちゃんが、急に私を潜らせようとするんだもん。あっ、そういえば……お兄ちゃんは?」

 ムウは、そこで恐る恐るというような声になった。彼女の仲間らしい空魔の男たちは、そこで一斉に歯を食い縛る。シンハさんが睫毛を伏せたまま、「こちらです」と言い、招霊器からやや離れた場所に進み出して手招く。

 ムウが歩き出し、僕は視界に入るものだけを懸命に把握しようとした。招霊器がある場所を中心に、ドーム型に広がる半透明な光。バクンというらしい男性の言っていた、防御結界だろうか。それを維持するように掌印を組んでいるのは、他と同じく着物と軽装鎧に身を包んだ男たちだ。

 結界の向こうには、煩雑な機械やら大きな立方体の容器などが並んでいる。空から雷鳴が轟いている、と思ったが、よくよく見るとそれは、微かに湾曲した天井に映し出された映像だった。どうやら、天井全てがスクリーンになっているらしい。

 そして、結界を張っている男たちの足元には、別な数人の男が横たえられていた。皆目を閉じ、ぴくりとも動かない。

 僕の体を動かしているムウはその中の一人に駆け寄ると、両手でその右手を取り、頰に押し当てた。視界が滲み出し、僕は彼女が泣いているのだと分かる。

「お兄ちゃん……嫌だ。嫌だよ! 何で……っ」

「お嬢様……」シンハさんが、両手を合わせて黙祷する。

 ムウは十数秒間涙を流していたが、やがて「いけない」と言って顔を上げた。

「こうしている間にも、擬鉄界の時間はどんどん経っちゃうんだ。今は、星紀が居るんだもんね、悠長な事はしていられない」

 自分に言い聞かせるように言うと、ムウは「シンハさん」と彼を呼んだ。

「今私ね、向こうの鉄器族の男の子に神依しているの。この子に、こっちの世界で使う体を用意しなくちゃ」

「それなら、ここにある”魂落ち”した肉体を。理論上、神依と同じ要領で肉体情報を上書きする事が可能です。今だって、実際にその少年を封じているのはお嬢様の体なのですから」

「ありがとう。それじゃあ、星紀」

 ムウは再び立ち上がって歩き出し、結界を抜けた。どうやら、防ぐものと通すものを分けて使用出来る結界のようだ。彼女は立方体の一つに近づくと、その傍にあった機械の一つを足場にし、その容器の中を覗き込んだ。

 彼女の目を通してその中を覗いた僕は、もし体の主導権が自分にあれば嘔吐(えず)いていたかもしれない。そこには赤い液体──血のように不透明でどろりとしたものではなく、半透明の苺ジュースのようだった──が満たされ、酸素マスクのようなものを着けられた裸体の男が沈んでいる。耳は尖っておらず、人間だという事が分かった。

 他の容器も、このような状態だというのだろうか。ここにある大量の容器に、一人ずつ人間が沈められていると──。

「星紀、今から私がこの人にあなたごと神依する。私はすぐに戻るけど、その前に体の主導権をあなたに移すから。そうすれば、あなたの肉体情報がこの人の体に神依された事になる。最初は混乱するかもしれないけど、落ち着いてね」

 ムウが言うと、また視界が光で覆われた。それは一瞬で立ち消え、今度は周囲が赤一色になる。先程の液体の中に沈んでいるのだと分かったが、外見はムウのままだった。彼女は水面まで顔を出すと、酸素マスクを剝ぎ取って「行くよ」と合図した。

 次の瞬間、容器のすぐ外に彼女の姿が出現した。同時に、液体に浸けられているという皮膚の感覚も、噎せ返るような薬品の匂いも、浮遊感も、感覚という感覚が一気に僕自身のものとして戻ってくる。気付けば僕は、元の自分の姿に戻り、液体の中で溺れないように四肢をばたつかせていた。「ムウ、助けて!」

「藻掻かないで、星紀! 今引き揚げるから、落ち着いて!」

 彼女が手を伸ばし、僕の両腕をむんずと掴む。僕は彼女の手に縋るようにしながら、容器の内壁に足を掛けて攀じ登り、(へり)を跨いで外へ飛び出した。自分の足で地面を踏んだ事を確認すると、僕は安堵のあまりへたり込みそうになった。

「ムウ……」僕は、まだ震えを帯びた声で彼女に問うた。「これは、一体……?」

「もう分かったでしょ。今、鉄器族がどういう状態なのか」

 ムウは、本当は言いたくない言葉を絞り出すような声でそう告げた。

「これが、今の最外殻世界──現実よ」

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