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闇の涯  作者: 藍原センシ
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『闇の涯』 第5回


          *   *   *


「……電波なら、多分使えないよ」

 一部分に損壊こそあったものの、(かろ)うじて全壊を免れたアパートの部屋に戻ると、僕は禎宣に電話を掛けようとした。だが、呼び出し音が繰り返し響くだけで、彼が出る様子はない。間もなく通信エラーが告げられた。

 僕から”神依”を解除した少女が、恐る恐るというように容喙した。

「刻印獣は、各通信プロトコルを勝手にコンバートするの。マルウェアだから、他にも色んな悪さをするんだけど……でも、ちゃんと駆除したから大丈夫。この世界の自動修復作用を舐めちゃ駄目よ」

「君は一体誰なの? 刻印獣っていうのは?」

 僕が尋ねると、彼女は「驚かせてごめんなさい」と殊勝に頭を下げた。

「私はムウ。空魔氏族、サナ氏の武門……って、言っても分からないよね」

 当然分からなかったが、こちらも名乗らない訳には行かない。「階星紀、大学一年」

 こちらの自己紹介も何処まで伝わるだろうか、と思い、結果的に最小限の事だけになってしまったが、ムウと名乗った少女はそこで眉を潜めた。

「階? それってもしかして、『ヒミツ』の……」

「えっ、何?」僕が聞き返すと、彼女は

「あ、ごめんね。何でもない!」慌てたように両手を振った。「星紀、かあ」

 いきなり名前の方で呼ばれ、僕はどぎまぎする。

「それで……色々聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

「何でも聞いて。私も、何から話せばいいのやらって感じだから」

「それじゃあ」僕は、考えながら尋ねた。「空魔っていうのは、一体何なの?」

「鉄器族──人間みたいなもの、かな?」

 彼女は言ってから、慌てたように付け加えた。「(けむ)に巻こうとしているみたいだけど、誤解しないでね。私たちにとっては、それがごく当たり前の事だったから……星紀が人間である事が、当たり前のように」

「つまり、異種族って事?」僕は、自分で納得しやすい言葉に置き換える。

「そうともいえるかも。私たちは人間たちの世界を『鉄界』って呼ぶけど、空魔は鉄界と重なり合って存在する『森界』の種族。空魔氏族のうち最も力を持つ二大勢力、サナ氏とヨド氏は鉄界だとこの国、日本に当たる地域に居てね。未開の頃から、鉄器族は私たちの存在を何となく知ってはいたみたい。本格的に交流が始まったのは、二十五世紀以降の事だけど……」

「何だって!?」僕は、ムウの何気ない一言に声を上げてしまった。

 ムウは突然叫ばれたので肩をびくりと震わせ、怯えたような目で僕を見てくる。僕は我に返り、慌てて声を抑えて詫びた。しかし、内心では今彼女の口に出した事に動揺が拭えず、背筋を冷や汗が伝うのが感じられた。

「二十五世紀って……今はまだ、二〇五五年だよ?」

「あっ!」彼女は、しまった、というように口元を押さえる。

 僕が無言で居る時間が、彼女にとっては圧迫感を感じるものだったらしい。ムウは(しば)し俯きがちに黙り込んでいたが、やがて「まずは最後まで聴いて」と言った。

「交流が始まってからは、鉄器族と空魔族の関係は良好だった。鉄器族の科学技術は、当時の空魔族よりも格段に進んでいたから。そして空魔族には、大気中の魔気を魔法に転換する臨空術がある。お互いに、お互いの持たないものを提供し合う事で、重なり合う世界で共生していた。だけど、ヨド氏はそれで満足しなかった。極度に発展した科学技術と臨空術を融合させた魔科学で、全ての氏族と……友達だった鉄器族を管理、支配するようになった」

「支配? 今、僕たちはそんな事……」

「星紀にとっては、凄くショックな事かもしれない。だけど、今あなたたち鉄器族はヨド氏の支配下にあるの。さっきの刻印獣も、ヨド氏なら自由にこの世界に送り込む事が出来る。そして、森界の環境も大分変わってしまった。空魔氏族は今、ヨド氏による圧政と高度な機械化に伴う公害に苦しんでいる。何百年も前に、鉄器族が空魔族にもたらした”予言”──ヨド氏が招く『森の終焉』が、現実味を帯びているの」

 ムウはそこまで言うと、膝を正した。

「私は、サナ氏の統轄する反ヨド組織《臨空の盾》で戦っている。今、向こうでは空魔氏族を束ねる覇空主、ヨド氏のハジャトが急死した。私たちレジスタンスが団結すれば、ヨド氏の支配から全ての空魔と人間を解放する千載一遇の機会よ。だけどその為には、二大氏族のサナに強い影響力を持った指導者が必要だった」

「その、サナ氏の氏族長は?」

「ハジャトの死ぬほんの少し前に、亡くなった。すぐに跡取りが立てられれば良かったんだけど、ここには複雑な事情があって……」

 ムウは、言葉を濁した。僕は「どうしたの?」と催促する。

「大丈夫、ちゃんと着いて行けているよ。だから話して」

「………」

 ムウはそこで、口を噤んだまま上目遣いに僕を見つめてきた。僕も、釣られて彼女を見つめ返す。そこで改めて僕は、彼女が俄かには信じられない程美しく整っている事を実感した。どさくさに紛れて部屋に入れてしまった事に、気付きたくはなかった気恥ずかしさが込み上げるが、不思議と背徳的な高揚感はなかった。

 禎宣や春姫先輩らの安否が分からない。目の前で人も死んだ。これ程大きな騒ぎになっているのに、近くに住んでいる両親から連絡が来ないのも、刻印獣の影響だろうか。この三十分程の間に、あまりにも異常が起こりすぎた。

 やがてムウは(おもむ)ろに僕のベッドに腰を下ろし、思いがけない事を言ってきた。

「星紀、呑み込みが早すぎない? 鉄界や鉄器族の事については、私だってある程度は知っている。こういうのが、非科学的とか、荒唐無稽とか言われる事も」

「いや、僕だって正直、まだ信じられないよ」

 言いながらも僕は、よく考えてみると、今まで信じ込んできた世界の常識を覆すようなムウの話に対してそこまで猜疑や戸惑いを感じていない自分が居る事に気付いた。信じられる訳がない、何の前触れもなく人の死に立ち会った事も、その原因が見た事もないような怪物だった事も。それでも──。

「だけど、実際に僕は刻印獣を見た。僕の体を使って、あんな(ふう)に戦った君だって」

 言ってから、そうではない、と自分で否定した。

 そうだ、それが理由ではない。僕は──ムウの言うような世界がある事を、ずっと前から知っていたような気がする。そういえば先程彼女と目を合わせた時も、何か途方もない懐かしさを感じた。

「……ねえ、星紀」ムウは、そこでやや声色を変える。「ここから先を話すには、あなたに直接見て貰わなきゃいけないものがあるの。星紀は多分、思考が柔軟なんだよね。だけど、こればかりは私の口から言っても、絶対に信じて貰えない。というより、はいそうですか、って信じるヒトが居て欲しくない。星紀だけじゃない、この鉄界に居るあらゆる鉄器族の、存在の根幹に関わる事だから」

 正直なところ、と、彼女は口籠った。

「私が目的を果たせば、刻印獣はもう襲って来ない。ヨド氏にとってもこの世界は──あくまで利用対象としてだけど──価値があるものだし、不必要な破壊はなるべくしたくないはずだしね。星紀たちも、知って後悔する事、知らなければ幸せで居られるって事もあると思う。だから私は……出来れば、あんまり真実を知って欲しくないって気持ちがある」

「そんな!」僕は、思わず身を乗り出して言った。「ここでやめられたら、あまりにも中途半端だよ。僕は、君に……神依、だっけ。それをされて、あの怪物と戦った。僕の意思が働いていなかったとしても、この体は確かに戦ったんだよ。禎宣だってどうなったか分からない。なのに、何が起こったのか分からないままなんて……自分が何に巻き込まれたのか分からないなんて、ごめんだ」

 咳き込むように、僕は言い切る。ムウが「巻き込まれ……」と呟き、僕はそこで失言に気付いたが、詫びを口にする前に彼女は「分かった」と肯いた。

「あなたに、その覚悟があるのなら」


          *   *   *


 アパートを出ると、道路は警察や消防の車両で埋め尽くされていた。血や蛋白質の焼け焦げる臭いが未だに濃く漂っており、パトカーや消防車のランプが回転し(またた)く度に凄惨な光景がちらちらと闇に浮かび上がる。

 規制線が張られ、多くの警官がその内側から野次馬を押し留めていたが、半狂乱となった彼らを完全に抑える事は至難の(わざ)のようだった。中には、コンクリートに広がった血の池を一心不乱に手で探り、誰かの名前を呼んでいる人も居る。刻印獣に踏み潰された友人の痕跡を探しているのだろうか、と思うと、僕は鳩尾(みぞおち)に疼痛が走るようだった。

 ムウは悔しそうに顔を伏せると、「こっち」と短く言い、僕の腕を引っ張って大学の方へと駆け出す。こちらの施設も多数刻印獣に攻撃されていた為、捜査員が入っているらしく門前には警官が立っていた。彼らは僕たちを見て声を掛けてきたが、

「私たち、避難してきたんです!」

 ムウがすらすらとそう説明した。明らかに異質な服装をし、腰には佩刀までしている彼女だが、警官たちは暗闇でよく見えないのか、それとも現れる者たちにいちいち時間を割いている暇がないのか、すぐに

「ああ、そういう事か」と肯いた。「ロープを張っている所には近づかないようにね」

「分かりました、ありがとうございます!」

 ムウは軽くお辞儀をし、すたすたと敷地内へと入って行く。彼女の刀が丸見えにならないよう、僕はそれとなく隠すようにしながら続いた。

 彼女は、淀みのない足取りで物理学部の研究棟へと歩みを進める。それがあまりにも大胆なので、誰かに見咎められないだろうか、と僕は不安にもなったが、その一方で疑問は増々膨れ上がっていく。何故彼女は、大学の内部を知っているのだろう?

 やがて辿り着いた「第三特別実験室」とプレートの掛けられた教室は、実習の始まっていない僕がまだ立ち入った事のない部屋だった。関係者以外立ち入り禁止という貼り紙もされており、施錠されているようだが、ムウは予想していたように懐から鍵を取り出して鍵穴に挿し込む。僕の疑問はいよいよ膨れ上がった。

「ムウ、その鍵って……」

「『ヒミツ』の──こっちの世界に居る関係者の人から貰った。私も会うのは初めてだったけど、()()してこの部屋に辿り着いた時、手掛かりがあったから」

 急に説明が不親切になった。やはり、これから彼女が「見せる」というものを、僕が自分の目で確かめねばならないらしい。

 ガチャリ、という手応えのある音を立てて扉が開くと、ムウは僕を伴って室内に入り、すぐに施錠した。僕は照明のスイッチに手を出しかけたが、彼女から「電気は点けないで」と言われたので慌てて引っ込めた。

 照明がなくても、外の炎や車両のライトの灯りで、部屋の広さと配置されているもののおおよその外見程度は目視する事が出来た。その教室は「実験室」というより「実験準備室」という様相で、壁際に並べられた棚には無数の用途不明な器具や書類の束が詰め込まれ、更にその下にも雑多な道具が積み重ねられてた。机が一つぽつりと置かれ、その上に固定電話と一枚のメモがある。

 そしてその向こうに、歯医者の椅子のようなものが置かれていた。いや、それよりはずっと小さく、より正確に言うならば──”魔改造”されたゲーミングチェア、とでもいうべきだろうか。背凭れ上部、後頭部が触れる位置には無数のコードが伸びたヘルメットらしきものが付いており、肘掛けにも複数のボタンが並んでいる。

「あれは『返霊器』っていってね、『招霊器』で世界を潜行した魂の帰り道。魂っていう言い方が胡散臭いと思ったら、霊気って言い換えてもいい。さっき、私があなたに神依して、臨空術に使わせて貰った力ね」

「霊気……」僕は復唱する。

「鉄器族の言葉で言うと生物学的組織、生物学的機能。つまり命。それを丸ごと抜き取って接続するの。だけど、命っていう言い方も正確じゃないかなあ。森界から繋がれても、繋がれた空魔の肉体は呼吸も代謝もするからね。つまり、生きている状態のままって事。それなら、魂って呼び方の方がいいのかも」

 ムウはやや早口でそこまで言ってから、急に目を伏せた。どうしたのだろう、と思って覗き込もうとすると、彼女はくるりと背を向け、「ごめん」と言う。しゃくり上げるような音が聞こえ、彼女が着物の袖でそっと顔を拭ったように見えた。

「ムウ?」「何でもないの。……よし、もう大丈夫。ところで、星紀は」

 彼女は振り向くと、唐突に僕の両手を取ってきた。

「向こうの世界で、”本体”を持っていないはずなんだよね。だから、()()後は単なる霊気の集合体、幽霊みたいなものになってしまう可能性がある。そもそも、こっちの住人を向こうまで浮上させた前例がない訳だし……っていう訳で」

「………?」また八割以上理解出来なかったが、僕は黙って彼女の言葉を待つ。

「もう一回、私の化身になって貰わなきゃ。私の本体はあっちにあるから、そのままあっちに戻れば星紀の方が私に神依したみたいな状態になる。今言った通り、あっちじゃ星紀は幽霊みたいなものになるから、体の事はその時に考えよう」

「僕が、幽霊? 本体……?」

 一体、何を見せられるのだろう。僕は、否、この世界とは一体()なのだろう?

 確かめる為にも、今はムウに従うしかない。僕が肯くと、彼女は再びホログラムのような姿となって僕に”神依”した。僕の体が再びムウに変化し、また皮膚感覚の消滅と離人感が襲ってくる。

 二回目では慣れる訳がないな、と思っていると、ムウが歩き出して僕ごと返霊器に腰を下ろした。ヘルメット型の装置が頭部にがちゃりと嵌まり、彼女が指で肘掛けのボタンを押す。

 その瞬間、視界に無数の光の粒子が現れ始めた。

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