『闇の涯』 第35回
禎宣が、光球を撃ち出す際に突き出した掌をこちらに向けたまま、指をぎゅっと握り込むようにした。その途端、膝を突いた僕/ジャンプさんの胴体を絞めつけるように光の輪が出現し、両腕の自由を奪った。
彼はそのまま、床に倒れている《臨空の盾》の一人の髪を掴んで引き立てた。
「少し遅かったな、星紀。浮上してから一時間のうちに、俺は擬鉄界の加速度を一万三千倍に変更しておいた。一時間で、向こうの世界じゃ一年半の経過だ。その気になりゃ、もっと速められる。そのうち一時間ごとに二乗になるように加速させるつもりだ。こいつらはもう、戻って来る事は出来ない」
言うや否や、彼はその一人をこちらと同じように光の輪で拘束する。その体を招霊器の一つに押しやり、座らせると、接続ボタンを押し、繋がれた空魔が脱力した瞬間に座面から突き落とした。
「いきなり一億とかまで加速させたら、こっちが本体の接続を切る前に戻って来られちまうからな」
「やめろ! そんな事をしたら……」
口を開きかけた二人目の空魔が拘束され、同じく招霊器に座らせられる。先程と同様、投入され、”魂落ち”となった瞬間に引き剝がされる。
「ヒョウ! ……お前ら、全員掛かれ! 手が縛られていたところで何だ!」
「よせっ、フキ!」「構うもんか! 行っちまえ!」
数人の空魔が、縛られた両腕を振り上げて倒れ込むように禎宣に飛び掛かった。僕の口を使い、ジャンプさんが制止の声を上げようとしているが、まだ光球を撃ち込まれたダメージから立ち直っておらず、喉からべたつくような血液が込み上げるだけだった。
「バケーションは嫌か? なら仕方がない。聖裁……無限光!」
「いけない、それは──」
シンハさんが言いかけた時、禎宣に向かって行った空魔たちの足元に魔方陣が現れ、ドーム状の光が床を引き捲るようにして立ち昇った。フキと呼ばれた空魔を始め、彼らは一瞬のうちに大光量の中で蒸発する。
光の性、その秘奥義。僕は直感的にそう理解した。
──信じられなかった。目の前に居る男は、トレードマークであったヘッドホンを外し、外見もやや幼くなっているものの、紛れもなく十二年間僕の親友で在り続けた禎宣だった。それが、躊躇う事なくムウの仲間たちを拷問し、殺戮している。悪い夢なら、今すぐに覚めて欲しい。そんな、逃避願望にも似た感情が本気で込み上げた。
僕は、もう何も言う事なくジャンプさんから主導権を切り替えた。たちまち、肋骨の折れた箇所に禎宣の結束術が食い込む激痛が襲ってくる。鳩尾も絞めつけられ、光球に焼かれた傷口から血液が絞り出されるのが分かる。
しかし僕は、悲鳴を噛み殺しながら足だけを踏ん張って立ち上がった。血溜まりで足を滑らせそうになりながらも、下腿の筋肉に力を込める。
「それが──」
口腔内に溜まった、苦みのある血を吐き出しつつ叫ぶ。
「それが君の、新作小説のシナリオか!?」
「ふざけるなよ、星紀? 俺はヒミツの科学者だ、文系じゃねえんだよ」
「捨てるのか、あんなに物語が好きだったのに? 僕は好きだったよ、禎宣の小説……君も好きじゃなかったら、あんな風には書けない」
「少なくとも今俺がしている事は、高度に科学的知見に基づいた世界救済の実践だ。鉄器族からの”予言”が堕天戦争を引き起こした事が、その”予言”を成就させるヨド氏台頭のきっかけとなった時点で現実の因果律は捻じ曲がっている。『闇の涯』の混沌が、最外殻世界にまで波及効果を生み出しているんだ。ヨド氏、サナ氏を共に滅ぼせば、それこそがこの捻じ曲がった因果を修正する為の整合化になる。『森の終焉』が招かれる事はねえ」
禎宣は次いでドウランさんを引き上げ、招霊器から擬鉄界に潜行させる。更に、最も重傷のシンハさんを引っ張り上げたが、そこで彼は思いついたように刀を抜き、彼の喉笛に浅く刃をめり込ませた。
「面倒臭くなった。残りの奴は、自分から招霊器に接続して潜れ。さもねえと、シンハさんの喉からドバッと血が溢れ出すぜ」
「旦那……」ザンキさんを始め、残った空魔たちは揃って顔を歪めた。シンハさんは既に抵抗する力を失っているのか、呻き声を上げるのみで言葉を発しない。
「旦那、すまねえ! あんたの命には代えられねえ!」
ザンキさんが叫び、招霊器に突進する。その様は、あたかも崖に向かって飛び出す投身自殺者を彷彿させた。彼に続き、他の者たちも続いて行こうとするが、僕は「やめて!」と能う限りの声量で叫んだ。
「やめてくれ! 僕と禎宣との話は、まだ終わっちゃいない!」
「星紀、何を言っているんだ? 俺は全部話した。これ以上、お前が何を言う必要がある?」
「シナリオにしたって気に入らないよ、僕は」
僕は、禎宣を真っ直ぐに睨み据えた。
「それにやっぱり……君は、理系には向いていないね。高度に科学的知見に基づいた? 違う……君の理屈は、暴論に過ぎない。結論を急ぎすぎだよ」
「星紀──」
「本当に君の理論は、世界の存続を願った事か? 人類種の保存とか、因果律の修正とか、それらしい事を幾ら言っても……結局それは、君自身の言い訳に過ぎないんじゃないか? 君はただ、復讐がしたいだけだろう。運命への挑戦なんていう驕った目標の為に、仮想世界の住人とはいえ意思を持った自分を生み出し、苦行を強い、挙句に絶望を味わわせた空魔氏族に──そして、ヒミツに」
『星紀、それは俺たちも……』ジャンプさんが、心の中から容喙してくる。
「そうじゃなかったら、何で君は僕たちに、志総教授を連れて来させようとした? ヨド氏とサナ氏が滅ぶところを見せつけたかったのか、それとも一緒に土石流で命を奪うつもりだったのか、具体的な事は知らない。けど、君は怒りをぶつけたかったんだ。息子の人生を犠牲にした教授に」
「黙れ……黙れ! 言っていい事と、悪い事があるんだぜ! 閃光破!」
禎宣が、シンハさんの喉に突きつけていた刀を突きの形に構え直す。
転瞬、拘束が緩んだ瞬間に、シンハさんは全身の力を絞り尽くすように体を捻り、太い腕の側面で禎宣の肘窩を強かに打った。不意を突かれ、彼が蹈鞴を踏んだ瞬間、シンハさんはその両手首を掴んで上体を密着させる。
「旦那!」
「デイン様……この一発で、目を覚まして下さい。傷を負う体は、この男のものだ……すぐに神依を解きさえすれば、あなたは無傷で生き延びる事が出来るのですよ」
「おい旦那、何をする気だよ?」ザンキさんが、焦燥を滲ませた。「まさか、その体で半日と置かずに秘奥義を使うつもりじゃねえだろうな?」
「ザンキ……皆」シンハさんは、殉教者の覚悟を浮かべる。「その通りだ」
『星紀、旦那を止めるんだ!』
ジャンプさんが、何の前触れもなく絶叫した。僕は突然の出来事に、頭の処理が追い着かない。
「星紀殿」シンハさんが、僕の名前を呼んだ。「あなたは、まだこの男を友人だと?」
「えっ?」僕は唐突な問いに、刹那の間面食らってしまう。しかし、すぐに我に返った。「当たり前です。だから僕は、禎宣がこんな事をするのが耐えられなかった」
「そうですか……」
彼は、ふっと悲しそうに微笑んだ。
「私はずっと、ヤサム隊長に仕える身でした。彼の亡き後も、私の幸福はヤドク隊長、ムウお嬢様の幸せにあったのです。星紀殿、今あなたがこの男に討たれれば、ムウお嬢様が悲しむ事になる……私の、最初で最後の我儘をお許し下さい」
「シンハさん、それは!」僕は、彼の言わんとする事を察して声を上げた。
彼の全身から、代赭のオーラが立ち昇った。
「無茶な事を言いますが、あなたは生きて下さい。この男が、居なくなったとしても!」
「シンハさん、待って──」
「霊饗典膳・奔馬!」
彼から立ち昇っていたオーラが、爆発的に燃え上がった。シンハさんの姿は、その渦の中でシルエットしか見えなくなる。やがてその影が、翼を持つ巨大な人馬の姿へと変わり、前脚が大きく掲げられた。
禎宣の居た場所に、その蹄が振り下ろされる。一瞬遅れ、凄まじい爆風と衝撃が周囲を一様に薙いだ。僕/ジャンプさんの胴体を束縛していた光の輪が、圧力に耐えきれなくなったように弾け飛ぶ。僕は体を折って踏み堪えながら、最初にプラントで《臨空の盾》がクシュナたちと戦った時、シンハさんが秘奥義を使った事について、ムウが何やら咎めるような事を言っていたのを思い出した。
恐らく、シンハさんの秘奥義は自らの霊気を捻出し、それを通常の臨空術を遥かに凌駕する重質量のエネルギーに転換、一気に解放するというもの。捻出する霊気の量を調節して出力を操作出来るのなら、単純な自爆技とは言えないのかもしれないが──。
『馬鹿野郎……今のあんたが使ったら、同じ事じゃねえか』
ジャンプさんが、濡れたような声を発した。
拡散した土煙が晴れた時、シンハさんは力なく床に仰向けになっていた。禎宣は、その向こうで招霊器の一台に倒れ込むように凭れ掛かり、上半身の前に光の壁を出現させている。しかし、着物の肩は綻んで焼けた皮膚がささくれ立ち、額からはだらだらと血が流れ、さすがに全くの無傷という訳には行かないようだった。
そして、その一瞬があったからこそ、僕は次に取るべき対応を取る事が出来た。
絶命したシンハさんの体を跨ぎ越して、禎宣が突きを繰り出してくる。
「烈天流星迅!」
「……っ!」
高速で突き出された刀を、剣技を使えない僕は正確にタイミングを合わせ、刀の腹で受けきった。素早く廻鳶脚の形で──無論、技として強化されて発動はされなかったが──回し蹴りを繰り出し、禎宣の左脇腹にスニーカーの甲をめり込ませる。彼は口から血の雫を零し、大きくノックバックして僕から距離を取った。
「シンハさんが、動いてくれなかったら」僕は滲んだ視界を拭うべく、手の甲で濡れた目を擦る。「僕は、禎宣が閃光破を繰り出した時点で突き殺されていた」
脳裏に、ムウに元気で暮らせと遺して散った葛葉三等陸佐の事が浮かんだ。彼も、シンハさんも、僕たちの為に──一点の利己心もない献身の為に、死んだのだ。僕たちは今まで、どれだけの庇護の中で生きていたのだろう?
その時、禎宣ががくりと片膝を折り、血の塊を瀉出した。
「……確かにな、星紀。お前の言う通りかもしれねえ」
彼の構えに合わせ、僕ももう一度刀を下段に構え直す。彼は、自虐的に口の端を歪めた。
「そうだよ。結局俺は、理屈なんてどうでもいいんだろうな。ただ、俺は許せなかったんだろう……運命をより良く書き換える為に、俺という個人の運命を顧みなかったヒトたちが。今死んだシンハさんは、あのヤサムの娘ムウをあんな風に大事にして、自分の命まで捧げて……けど、父さんはそうじゃなかった。それどころか、デインを俺の代わりに育てて、許されようとまでした」
「禎宣、志総教授は違う。教授もずっと、君を諦めきれなかったんだ。それがどれだけ難しい事なのかを知りながら、データマトリックスの中から君を見つけ出そうとしていた」
「星紀、何故分からない? お前だって、世界の命運を優先した実の両親に、人間の尊厳を踏み躙る一週間計画の被験体にされた。そして彼らは、その事をお前に許されようとして、ああして過保護になった。自己満足の言い訳だけを、来るべき時の為に用意してな。お前には分かって貰えると思っていた……俺とお前は、似ているから」
「いや、似ていないよ禎宣。計画の為に身を捧げた事が、自分の意思だったかどうかも……勿論、だから自分から『闇の涯』の観測を引き受けた君の事を自己責任だって言うつもりはないよ。だけど僕は……自分が一週間計画に登用された事を、不幸だったとは思わない」
「それは、お前が絶望を味わわなかったからだ」
「だから似ていないんだよ、禎宣。君の復讐心を、分かった気になるのは簡単だ。けど、仕方がないって受け入れる事は出来ない。僕は、君が居た事も含めて、僕の世界が好きだ。いつかは変えなきゃいけない運命があって、そうなればこの現実世界ももっと在るべき姿に近づけるんだろうけど……僕は今でも、生きている事がめちゃくちゃ楽しい」
「………」
僕がきっぱりと言い切ると、禎宣は睫毛を伏せた。
嘘はなかった。僕がここまで来たのは──禎宣に、ただ会いたかったからだ。
「それは俺と、あくまで敵対するって事か?」彼はやがて、低い声で言ってきた。
僕は「ああ」と肯く。「僕たち史上最大の大喧嘩だ」
「俺を倒すと?」
「それは違う。君を連れて帰る」
今の彼には、僕という”友達”が居るのだと示す為に。
「愚直だな……お前くらい真っ直ぐな奴だったら、やり遂げられたのかもしれない。俺はお前が、あと二十年早く生まれなかった事を悔やむよ」
禎宣は、白装束を自身の夥しい血液に汚しながら立ち上がる。刀を一度下ろし、呼吸を整えてから僕と対になるように構え、摺り足でこちらに近づいてくる。僕も、下段の構えを崩さないまま彼に接近していく。
制空圏にお互いが入った瞬間、僕たちはどちらからともなく飛び出した。




