『闇の涯』 第34回
* * *
禎宣がシンハさんたちを隠し、クシュナがその場所を知らない、というムウの予想は的中していたようだった。宮内ではまだ侵入した《臨空の盾》が捕縛されたという情報が伝播していないらしく、警戒態勢が続いている。実際に、宮を進む間に僕は何度も近衛侍たちが《臨空の盾》が今何処に居るのか、と報告を求めて連絡を取り合う様子を目撃し、また僕を侵入者の一人として排除しようとする者たちに遭遇した。そういった敵については、戦闘に慣れたジャンプさんに主導権を渡し、剣技を使えないというハンディキャップを課しながらも効率的に倒して貰った。
『痛てて……星紀、お前やっぱ酷でえ怪我してんだな』
また現れた敵の一団を突破し、主導権を僕に戻すと、ジャンプさんは堪えられなくなったように零した。僕も、彼が激しく動かした体の痛みを噛み締めつつ「ええ」と答える。
「すみません、こんな肉体情報を共有してしまって」
『謝るな。本当に痛てえのは、お前自身だろ』
禎宣を発見する前に、動けなくなっては堪らない。疲労骨折してしまった背骨は修復途上にあり、激しく動けば完全に折れてしまう危険性もある。しかし、無茶は承知の上で、僕はムウに同行を求めたのだ。
もう、どれだけの兵士やオートマトンを倒したのか数えられなくなってきた頃だった。
「……そのままです。突き当たりを曲がって、二番目の扉ですよ」
「………!!」
聞こえてきたのは、紛れもなく禎宣の声だった。同時に、弾力のあるものが蹴られたようなゴスッという鈍い音と、男の呻き声が聞こえてくる。その瞬間僕は、体を労わるという事を完全に失念した。
「禎宣っ!」『お、おい星紀、そんなに全力疾走したら──』
ジャンプさんが声を掛けてくるが、僕には構う余裕がなかった。既に兵士たちの倒れ伏している通路を駆け抜け、角を直感で曲がって行く。やがて、開け放たれた一枚の扉の前に、襟のみの黒い、浴衣のような白い着流し姿の禎宣が見えた。最初に”魂落ち”状態で見た時と同じように、発育不全の為か擬鉄界で見慣れた彼よりもやや幼い。しかし、その目つきは僕が今まで見た事もない程の鋭さだった。
「ほら、入って入って。安心して下さい、五百二十倍だろうが一万三千倍だろうが、一億六九〇〇万倍だろうが、潜行さえしてしまえばあなた方にはちゃんとした『空魔の一生』が送れるような速度に感じるんですから。生き埋めにされるより、ずっと良心的なやり方だと思いませんか? ……この体を十七年間守ってくれたお礼としての、俺なりの慈悲です。せいぜい、残りの人生はバケーションを満喫して下さい」
彼は言いながら、列を成す空魔たちの最後尾に居る男の足を蹴る。既に傷を負っているのか蹣跚とした足取りのその男は、紛れもなくシンハさんだった。
「やめろ、禎宣ーっ!」
僕は叫びつつ、彼の脇腹にタックルするようにぶつかって行った。禎宣はぎょっとしたようにこちらを向くが、僕は彼が動く前に思い切りその体を押し、縺れ合うようにして部屋の中に倒れ込んだ。こちらの世界では小柄な彼は、軽々と吹き飛んでその身を床で弾ませた。
室内にはバッテリーと思われる無数の巨大な箱と、それらに繋がれた小さな椅子様の機械が五台──招霊器。
「何するんだよ、星紀!」
禎宣は、そこに居たザンキさんを押し退けるようにして立ち上がり、僕を睨む。だがその表情は、悪戯っぽい日頃の彼と何ら変わらず、僕が森界に居る事も、全ての事情を悟っているであろう事についても、驚くような素振りが一切なかった。
僕は、やはり彼がクシュナに僕たちを脅迫させ、ここに来させたのだと確信した。
しかし、彼の本当の要求は何だったのだろう?
「星紀殿……」シンハさんが、掠れ声で僕の名前を呼ぶ。彼の腰部には包帯が巻かれ、そこには赤黒い血液が色濃く滲んでいた。禎宣は、その部位を踵で踏みつけた。
「ぐっ!?」
「星紀、父さんは何処だ?」
僕が制止する前に、彼は問うてくる。僕は、虚を突かれながらも反応した。
「志総教授? ……彼は、擬鉄界だ」
「そうか。どうせ、そんな事になっているだろうと思っていたよ。クシュナにはお仕置きが必要なようだ……俺に従わなかった事以前に、あの程度の保険で俺に対してイニシアティブを取った気になっているところがな。分かるよね?」
「保険?」問いかけ、僕は自ら首を振る。「いや、そんな事よりも」
「何だよ?」
「君は、志総禎宣なの? デインじゃなくて、『闇の涯』を観測しに行った……」
「やっぱり、そこまで気付いていたか。それもクシュナが言っちまったのかな。けど、どうせ俺からネタバレする事だったからいいや。そうだよ、俺は志総禎宣だ。本物の、志総経之教授の息子のな」
「僕と初めて出会った時から、そうだったの? その時からずっと、君には何かの計略があって──僕と、友達として過ごした時間は仮初のものだったの?」
「お前は俺の彼女かよ」
かなり切実な問い掛けだったが、彼は柳に風と受け流した。
「俺はずっと待っていたんだ、《臨空の盾》がデインを再浮上させ、ヨド、サナ両氏族を巻き込んだ変動が起こるのを。覇空主ハクバスは愚帝だったが、クシュナたち《寄生木》は優秀だったな。対応が迅速だった……お陰で、俺が動けるようになるまで随分手間取ったよ。お前にも、余計な手間を掛けさせちまったな」
「刻印獣の事?」言った時、また体幹がずきりと疼いた。
「ああ。刻印獣なんて使わなくても擬鉄界を初期化する方法はあるし、それでヨド氏に囚われた鉄器族が犠牲にならずに済む方法はある。あと一週間もあれば、本体持ちの約十四万四千人のIDくらいはマトリックスからサルベージ出来ただろうな」
「それ以外の人たちは? 擬鉄界を初期化するって……そしたら、避難させられない、本体のない人たちはどうなるんだよ? 本体持ちの、七万倍の人たちは?」
「鉄器族が再び現実世界で栄える事が出来れば、人口はすぐに回復する。今でも、一日に二十万人は増えているんだ。その増加量が七万分の一になったって、鼠算式に元に戻るさ。どうせ本体のない連中は、神依で浮上してきたところでこっちじゃ電子の残骸、幽霊だ。人類種を存続させるには、割り切るしかない」
話が壮大すぎて、着いて行けない。僕は、一つ一つ謎を解消しようと試みた。
「禎宣、君の目的は何なんだ? 君は今でも、鉄器族の味方なの?」
「当たり前じゃねえか。俺は、ずっと鉄器族の──人間の自由と尊厳の為に戦ってきた。同じ九年半と、因果の収束による避けられない未来の苦しみを受け、人生の大半を待つ事に費やした。擬界の完成を待ち、無数の擬鉄界では一週間計画でお前が実験体にされるのを待ち……第二層界より先じゃ、鉄界と森界の接触はねえ。当然、住人たちも自分たちがデジタルデータの産物だなんて事には気付かねえ。招霊器に繋がれて、妖精──空魔族──の世界に潜行したお前の体は残るし、消されるのは記憶だけ。
その代わり、お前はずっと泣いていたっけな。脳だけが異常成長して、記憶が消えてもそれが縮む訳でもないから、髄膜を圧迫される痛みを頻りに訴えていた。俺はそれから一年後、お前が潜ったのと同じ擬森界で招霊器が完成した年にはまた旅立つんだけどよ。頭蓋骨は六歳で成人の九十パーセントだっけか? お前がそうなるまで、慢性的な痛みに耐え続けなきゃいけねえって思うと心が痛んだね。だってさ、その時俺、まだ赤ん坊のお前しか見た事がなかったんだぜ? 今みたいに、友達になるなんてなあ」
禎宣は軽い口調で言っているが、僕にはそれが芝居がかったものには聞こえなかった。
「クシュナが政変を起こす事だって、擬森界では因果律に定められた事だったよ。当然そこじゃサナ氏が擬鉄界と繋がりを持っている訳じゃないから、こんな皇位継承のごたごたに紛れて数時間で……なんて急ピッチでは行かなかったけどな。俺は時が来たらヨド氏の招霊器が使えるように彼らに関わっていたから、クシュナとハクバス派の戦いじゃ巻き込まれて命すら危うくなった。だけど、俺が死んだら『闇の涯』のデータ採取は失敗だ。第二層界から次の奴を潜行させようにも、そいつから見たら俺の居る何十層も先の世界は、五百二十の何乗もの加速度で流れる世界だ。そこまで到達する間に、何処かで必ず『森の終焉』は訪れて”この先どん詰まり”になる。
分かるか? 俺が死んだり、次の階層に潜るタイミングを間違えて失敗した時点で、ヒミツは第三層界を作り直し。潜行も最初からやり直しで、俺の成果は水の泡だ。そんな、精神的にも辛い戦いを献身的にやれた俺が……人類の解放と世界滅亡の阻止を、真面目に考えていなかった訳がないだろう」
「それじゃあ、今の行動は?」
僕は、絶句しない為に全身全霊の力を必要とした。ムウが推測を立てていた事とはいえ、本人の口から語られたその言葉には、血反吐を吐くような苦悩が滲んでいた。
或いは彼にとっては、僕の問いすらも残酷なものだったかもしれない。だが、僕には彼の目的が掴めなかった。これ程に人類や世界の事を考えて孤独な闘争を続けていた彼が、何故生まれ故郷である擬鉄界の初期化などを口にするのか、何故味方であったシンハさんたちを甚振るのか、本当に理解が出来ない。
彼は、昏い笑みを浮かべて答えた。
「俺が、精神的に消耗しきってしまったのが全ての終わりだった。俺は……楽な方向に逃げようとしたんだよ。ある擬森界で、ヨド氏の作った擬鉄界を弄って、加速度を一万三千倍に速めたんだ。そうすれば、一日弱過ごして潜るだけで、次の次の擬森界にもすぐに行けるようになるから──八年七ヶ月の忍耐と、その末に悲惨な一週間計画が待っている擬鉄界を、一層分飛ばす事が出来るから」
ムウの予想は、的中していた。志総教授が何百層目かのログで発見した、以降の世界の加速度が一万三千倍に変更された記録。それは、禎宣の挫折した箇所を示していた──。
「けど、その結果……それ以降も全部、一万三千倍で時間が流れる世界になった。君が潜行する前に擬界が出来、二層先の世界でも歴史が針を刻み始め、その速度は一億六九〇〇万倍で……君が到達する前に、何処かで『森の終焉』が起こった」
「そうだ、星紀。そこまで予想していたなら、一層前の擬鉄界に戻って擬森界を作り直すって訳にも行かない理由が分かるだろう?」
禎宣は両手を広げる。いつしか、《臨空の盾》の皆も彼の話に聞き入っていた。
「やり直すなら、俺の出発した第二層界から。それは、命を賭けて千年近くもの旅をしてきた俺の奮闘は、全て無駄だったという事だ。俺にはそれが受け入れられなかった……そうなると残りは、現実の因果律が狂う事を承知で森界に大きな干渉をするという方法しかない。その結果、『森の終焉』という究極的な滅亡すらも整合化によって書き換えられる──それに賭けようと思った」
「それで、君は現実に──この最外殻世界に浮上する為に、デインを乗っ取ったのか」
「ああ。俺は父さんに顔が似ている。肉体のコンバートで出発当時の姿に戻ってはいたが、俺と父さんの年齢差は二十三歳、多少若くても、弟か何かだって名乗れば、よっぽど疑いでもしない限り気付かれないさ。
俺はこっそり浮上した後、ヒミツの周辺を密かに洗って、父さんがデインを《臨空の盾》から引き受けた事を知った。で、父さんの留守中にデインに接触した。叔父さんだって名乗ったら、あいつは疑う素振りも見せなかったよ。俺はあいつに『神依の方法を教えてやる』って言って、自分に宿らせた。あとは簡単だ、ミムを使って、あいつの自我を消せばいい。神依の方法も俺に宿っている事も忘れたから、あいつは俺に主導権を渡したまま戻れなくなった……って訳さ」
「どうやって? 一心同体になった状態で、神依している空魔の記憶だけを消すなんて」
「さあな。そこは、大して重要な事じゃねえよ」禎宣は嘯く。「手術中に何処をどう切りましたか、なんて情報、後から必要か?」
その台詞は、僕が今年度の初め、交通事故で失った記憶を再生する為にミムを使った後、原理について考えを巡らせる僕に対して彼が言ったのと全く同じものだった。僕が言葉を失っていると、彼は「で」と続けた。
「最外殻世界まで浮上して、俺が何をしたかったのか、だよな。『森の終焉』、現実の鉄器族によって予言された、最後の因果の収束地点──不可避の未来を、どのようにして書き換えるのか? 簡単な事だよ、世界を滅ぼす原因となる奴らを、それより早く除いちまえばいい。そうすれば少なくとも、そいつらによる『森の終焉』は来ねえ」
「まさか、ヨド氏を根絶やしにするってか?」
ドウランさんが、床から禎宣に叫ぶ。禎宣は、蔑むような目を彼に向けた。
「サナ氏もですよ。歴史が証明しているでしょう、大きな戦いに勝った者は驕るんです。二大氏族のあんたたちが、空魔氏族の先頭に立ってもう一方のヨド氏を討てば……人民解放軍の旗手であるサナは持て囃され、持ち上げられて大きな力を持つ。だって、それは森界で唯一の大氏族になるっていう事でしょう?」
「違う、俺たちは……!」
「そうはならない? 革命の主導者は、必ずそう言うんです。嘘じゃないだろう、その時はきっと、本気で自信を持っているんだ。責任と、矜持をね。けれど、原始信仰の森がこうも魔科学と鉄器族式の権威主義に支配されてしまった事は、それこそ必然の業だ。あんたたちは、きっと第二のヨド氏になる。だから、滅ぼさなきゃならない」
淡々と言葉を吐き出す禎宣に、僕の顳顬から汗が伝い落ちる。最早僕は、彼に対して何も掛ける台詞を持たなかった。
「なあ、あんたら知っているか? ヨド領とサナ領を隔てる山脈、その土壌がヨド氏による掘削のしすぎで格段に脆くなって、あっちこっちで崩壊が始まっている事を? 調べるまでもねえ、俺は知っているぜ。擬森界を旅して、何度も見てきたからな。地球の自浄作用が破壊速度に追い着かなくなって、最終的に世界が滅びる──予言なんかじゃねえ、自然界の摂理として当たり前の事だ。
今は、少しずつ土砂崩れが起きているからそこまで甚大な被害は出ていねえ。けど、動員可能なオートマトン全てを坑道から脆くなった岩盤に進入させ、一斉に自爆させたらどうなるかな? 不幸な事に、ヨドもサナも、獲龍宮にサナの村、氏族の中枢を担う者たちが集まる場所は山のすぐ麓にある」
──まさか。
僕の脳裏に、十数分前に工業団地で見た、獲龍宮を離れていくオートマトンたちの姿が過ぎった。あれらは、市街地へ向かっていたのではない。
「禎宣、君は!」僕は、喉を抉じ開けるようにして声を出した。「そんな事、本気で言っているの? それじゃあ、本末転倒じゃないか……鉄器族と空魔族、双方が共存出来る世界を守る為に、その多くが命を落とすなんて」
「個の存続より、種の存続を。安心しろ、空魔氏族は世界中に存在する。ヨドとサナ、それぞれの嫡流とその周辺を潜在的リスクとして除くだけだ」
「お前……お前ええっ!」
突然、僕の口から、普段は出さないような乱暴な声が迸った。どうやら、空魔が神依を行う時と擬界のデジタルデータである住人が現実の誰かの体に神依を行う時では仕組みが異なるらしく、今の場合、主導権の切り替えは化身であるジャンプさんにも出来るらしい。僕が体を借りている彼が、彼の意思で声を荒げたのだ。
「ふざけるな! 今あの山では、俺の妹や弟たちが命を賭けて村の連中を守ってんだ! 俺たちに手を引かせる為の人質に、俺だけじゃねえ、シンハの旦那も、ザンキもドウランも、皆の家族がされるとこだったんだぞ! あいつらは命からがら山に逃げ込んで、だけど情けねえ事に、俺たちだけじゃ守ってやる事も出来ねえから……チビどもが大人顔負けに体張って、一所懸命やってんだよ! それを、見えねえ位置から爆破して吹き飛ばす? てめえは鬼か! 鉄器族の……人の心は、もう失くしちまったのかよ!?」
「うるせえよ」
禎宣の声が、不意に低められた。予備動作を殆ど見せず、何の躊躇いもなく左手に光球を生成すると、僕/ジャンプさんのお腹の辺りを目掛けて撃ち出してくる。ジャンプさんが体をくの字に折り、がくりと片膝を突いた。「ぐふ……っ!」
『ジャンプさん!』僕は、心で彼に叫ぶ。『主導権を僕に! 痛みは僕が引き受けます!』
「そのまま動くな。星紀、相手がお前であっても例外じゃねえ」




