『闇の涯』 第21回
15. 階星紀 ── 西暦二〇五五年 七月四日 ─ 七日
「何度も言っているでしょう、今あの子は、あなたたちと話せる状態じゃないんです!」
中央病院の個人病室。ベッドに横たわった僕からは死角になっているが、入口で母が叫んでいるのが聞こえてくる。隣の部屋にも入院患者が居るのに、と僕は内心はらはらしながら(病院スタッフに咎められないか、という点で)聴いていたが、こうなっている原因には突然の来訪者である二人の男がなかなか折れないという事もある。
彼らは、防衛省防衛政策局の職員だった。刻印獣出現に伴い、局内に臨時で設立された特別災害級生物対策課、略称「特対課」の人員で、特別措置法の整備により有事の際は現場の指揮権が直ちに移管されるようになっている。とはいえ、まだ出現した刻印獣の数が少なく、ヒミツが把握している以上に情報を得る事など出来ない為、対”生物”のスペシャリストが揃うまでは統合幕僚監部とそこまでの大きな差異はない。平たく言えば、未来の事を見据えて設置された部署、という訳だが、現在重要なのは政治的・専門的な事柄ではない。
自衛隊の指揮権を持った部署の人間が、昨日の戦闘に直接参加した僕を訪ねて来た。僕はムウに神依されて彼女の姿になっており、男子大学生としての本来の姿に戻ったのは彼女を連れて戦場を離れ、野川沿いを二子玉川駅まで歩いた時だけだったが、どうやら何処かでムウを背負った姿が誰かに見られたらしい。ムウの姿は、言わずもがな刻印獣第一号の出現の際から多くの人に知られている。
僕は二子玉川駅前で両親に回収された後、大学まで運ばれ、ムウを浮上させた後でまた大学から直接この病院まで運ばれ、すぐに縫合に入った。玉川からずっと尾けて来た者が居るとも考えにくいし、特対課の彼らが最初に「一般人からの情報提供があった」という言葉を信じるのであれば、この病院に居る誰かが僕を見て「玉川で謎の少女=ムウと一緒に居た青年」だと気付いた、即ち玉川での僕とムウの肖像が遠隔的な衆人環境──インターネット上に公開されていたという事になる。
気持ちが悪い事はこの上なかったが、彼らがここに現れた理由には予想がついた。僕は尚も言い合いを続けそうな母に「もういいよ」と声を掛けた。
「その人たちだって、刻……あの怪物を倒したいって思っている事に、変わりはないんだからさ。それに、僕たちが後ろ暗い事をしている訳じゃないし」
最後の一言は、特対課の二人にも聞こえるようにわざと声を大きくして言った。僕は痛む背中とお腹に力を込めて身を起こすと、母の向こうに見える彼らに軽く頭を下げる。母は「星紀……」と呟き、心配そうに眉をハの字にした。
「心配要らないよ、母さん」僕はその言葉に、空魔族や森界、「闇の涯」を目指すというヒミツの最終目標については上手くごまかすから任せて、というニュアンスを込めたつもりだったが、伝わったのかどうかは不明だった。
特対課の二人は僕のベッドの横まで歩いて来ると、見舞い用の椅子に腰を下ろした。二人とも糊の利いたブラックスーツ姿で、引き締まった体形でスタイルが良く背が高い。一方は中年で、もう一方はまだ”若者”の面影を残している。僕は何となく、彼らは本当は部隊に居た人間なのではないか、とちらりと考えた。
「ご療養中のところ、申し訳ありません」
中年の方の職員に頭を下げられ、僕は「いえ」と自然に言った。
「お気遣いありがとうございます。でも、今日中には退院出来そうですので」
「星紀っ!」母が容喙してくる。「せめてもう二日は休みなさい。入院代なら、母さんたちが幾らでも出すわ。しっかり休まなきゃ、治りかけている骨折も悪化するわよ」
「そんな事を言っている場合じゃないんだ! 刻印獣は、またいつ出てくるか分からないんだよ?」僕は一瞬、特対課職員たちの存在も忘れて反駁した。
瀬田での戦いで自衛隊の航空機部隊が壊滅し、僕とムウが戦線を離脱してから、刻印獣は従来のアルゴリズムに従って桜丘を目指すルートに戻ったのだと思われた。半日以内に僕の縫合が終わり、ムウが帰って来てくれないと困る、とも思ったが、彼女はなかなか戻って来なかった。すぐに潜行し直すように、と伝えてはおいたが、これについては彼女を責める訳にも行かない。向こうでは一、二分でも、こちらでは八時間四十分、十七時間二十分なのだ。中央病院も次々と運び込まれて来る負傷者で戦場のような状態だったし、僕の傷は比較的浅いものだと判断されたので包帯を巻くなどの応急処置をして縫合は後々に回され、また処置後も癒着が不十分なうちに動けば治療の意味がなくなる、という事で暫し安静にしているようにドクターに言われてしまった。ムウがすぐに復帰したとしても、僕の方が動けなかっただろう。
仕方がないと分かっていても、刻印獣が今この瞬間にも現れ、僕たち皆を殺すかもしれないという不安は払拭出来るものではなかった。刻印獣は世田谷にしか現れない、とは皆察しているだろうが、誰もがまさかこの場所を通過するなどとは考えているはずがない。不確定な未来について恐れるのは至極当然の事だが、確定した恐ろしい未来がいつ来るか、と思う気持ちも相当なものだ。
しかし、刻印獣はあの後、僕とムウが最初に遭遇した時に砂嵐で壊滅した砧公園で突如動きを止め、屹立したまま眠るように目を閉じたという。自衛隊は追加部隊を派遣して周囲の警戒に当たらせ、刻印獣がいつ動き出して暴れ始めるか分からない為周辺住民に避難を呼び掛けているものの、なかなかそれに従わない者が大半だという。
「階星紀さん、で宜しいですね?」
中年の職員は言うと、隣の若い職員と共に名刺を渡してきた。
「特対課の葛葉と申します」「同じく、特対課の留守です」
「階星紀です。あちらが、母の寛美」僕は簡潔に言うと、以下は無言で先を促した。
葛葉と名乗った特対課職員は、「単刀直入にお尋ねします」と言った。
「あなたは、三度特災生物と交戦したあの女性とどのようなご関係なのでしょう? 我々としては、国民の安全を守る為に必要な特災生物のデータを欲しています。もしも階さんが何らかの情報をお持ちであるなら、お教え頂きたい」
「……その仰り方ですと」僕は、こちらの立場を明確にすべく言う。「あなた方は、彼女の事も特災生物と同等の存在として解釈されているようですね」
「無論、あの女性──我々は『攻撃者』と呼称していますが、彼女が特災生物とは一線を画す存在である事は明白です。事実、彼女は既に二体の特災生物を倒し、街に甚大な被害を出したとはいえ事態を収束させてくれました。しかし、我々としても不確定要素を放置する訳には行かないのです。攻撃者の戦闘能力は、自衛隊員の──いえ、人間のそれを遥かに凌駕しています。身体能力のみならず、人智を越えた能力、それこそ魔法としか表白しようのない力を使っている点でも。今のところ彼女が我々と敵対するような様子は見せませんが、もし牙を剝くような事があれば」
「誓って、そのような事はありません」葛葉氏の言葉を、僕は遮った。彼に質問の──婉曲さを排して言えば付け入る隙を与える言い方だとは自認していた。
しかし葛葉氏は、僕の言葉の後に何も続けなかった。留守氏が代わって「何故そう言い切れるのですか?」と、僕が予想していた通りの問いを口に出しかけたが、葛葉氏はそこで彼を遮り、「では」と言った。
「攻撃者と協力関係を結ぶ事も、可能だという事でしょうか?」
「………」僕は冷静に彼らの意図を推察し続ける。
彼らは決して、腹の探り合いをする為にここにやって来たのではないようだ。彼らの目指している事は第一に、目下の危機を収束させる事であり、その為に僕やムウを登用し得るかを見極めようとしている。
その事自体は、僕たちも同じだった。ただ問題は、行政にとってこのような未曾有の事態が何故起こったのかを明らかにしない限りは真の意味で危険が去ったとはいえないという事であり、僕が一度真実を口にすれば、そこからなし崩し的に国内を混乱に陥れる事になる情報を開示せねばならないという事を意味していた。ただ、彼らが目下の危機のみに集中する為に自分たち特対課が招集されたのだ、という事を自覚しているのであれば──僕と彼らだけで、個人的な取り引きが出来るかもしれない。
「……最優先事項は、あの特災生物の迅速な排除。それが叶えば、あなた方は理屈を抜きにして僕たちを信じて頂けますか?」
「無論です。公共の福祉と、あなた方のプライバシーを秤に掛けても」
「葛葉三等陸佐、安易な口約は」
留守氏が容喙しかけるが、葛葉氏は
「今はそう呼ぶなと言っただろう」と遮った。「階さんと攻撃者の間にどのような関係があったとしても、特災生物対策に有効な情報以外は必要ない。彼らの協力が得られなければ、眼前の作戦を遂行出来るか否かも不透明なんだぞ」
僕は、やはり彼らは部隊出身だったか、と思いながら再度開口する。
「やっぱり、あなた方は彼女だけでなく……僕自身も、戦闘に関与していると思われているようですね」
「巻き込まれただけではないというのは、自明ですから」
葛葉氏の口調は、証明問題を解くかのように整然としていた。
「ただ巻き込まれただけでそれ程の大怪我を負った人間が、どうして現在警戒対象となっている攻撃者を救助して運んだりするでしょうか?」
「ちょっと、あなた方」母が、彼らの背後から声を掛けた。「少し、民間人に対して失礼が過ぎませんか? そんな、容疑者を詰問するような……」
「階先生」僕はもう一度母を黙らせると、特対課職員たちに向き直る。「本題を」
「特災生物に関して、自衛隊が戦闘行為を行う上で必要な全情報をお話し願います。それから階さんと攻撃者が、戦闘時にどのような行動を取るのかについて。理屈は結構ですので、現象だけをご教示下さい」
葛葉氏に促され、僕は彼女がムウという名である事、彼女は神依によって僕に憑依して戦う事、その状態となった彼女は魔法のような技(=臨空術)と剣技を使用出来るが、使いすぎると僕の命に関わる事、共有した肉体の主導権は彼女の意思で切り替えが可能な事などを端的に伝えた。刻印獣については、MR(Mixed Reality:複合現実)的に現実に投影されたものである事(これは嘘だが、刻印獣がこの世界に於いてデータの産物である事は伝えたかった)、その周辺では通信機器が使用出来なくなる事を。刻印獣が常に禎宣の居ると思われる桜丘を目指す、という点は、それでルートが絞れたりする訳でもないので伏せておいた。
「神依……臨空術……何故、民間人である階さんにそのような……」
「留守、その情報は必要ない」
葛葉氏は、疑問を口にしかけた留守氏を押し留めた。「結構です。すると、特災生物は何者かが意図的に実体化させているという事ですね。MRとはいえ、奴には質量も体積もあり、それこそ臨空術としか思えない技を使用した……語弊を承知でこのような言い方をしますが、ムウ──さんと同等の、人ならざる存在の仕業の可能性もあると」
「ええ。即ち、システムハックによって特災生物を消去する事は不可能です」
これは実際に、不可能な事だった。擬界内にシステムコンソールがある理由は、招霊器で潜行してきた空魔が内部からデバッグを行う為のものであり、ヨド氏の技術者たちは後に《臨空の盾》がヒミツにその存在を知らせるとは想定もしていなかっただろう。だが無論、マルウェアである刻印獣に有効なワクチンソフトなどが中で作れる訳もないし、ウイルスバスターも外からインストールするものであってこちらでは調達出来ない。
「ですから、奴を倒すにはやはり僕たちが直接、あの仮想体を修復不能にしなければなりません。しかし、同時にあの特災生物には自己修復機能も備わっています。恐らく、昨日交戦した隊員の……生き残った方々から、報告が行っているでしょう」
「我々も、その点で行き詰まっているのです。倒せないとすれば、東京湾に追い詰めて追放する事も検討が進められました。一応、自衛隊の火器でも奴にダメージを与え、追い立てる事だけは出来たようでしたから。しかし、その作戦を採るとなると、あまりに移動させる距離が長い。どれだけ甚大な被害が出るかは未知数です。そこで……最終手段として階さんを頼ったのですが」
葛葉氏にそれとなくプレッシャーを掛けられたような気がし、僕は考えつつ発言する。
「お役に立てず申し訳ありません。ですが、強いて言うなら……僕とムウの火の性を利用した攻撃や、AAM - 4(空対空誘導弾)の爆発、つまり火を用いた攻撃に於いて、奴の回復に多少の遅れがあったような気がしますね」
「火……そうですね、燃焼はじりじりと、継続的に作用するものですから。再生している最中に継続的な攻撃を受け、結果として遅れが生じるように見えるのかもしれません。まあ、我々の方から観測すれば、微々たる差ですけれども」
葛葉氏は顎に指の関節を当て、考え込むようにやや俯いた。
「そうか……火、ねえ……」




