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闇の涯  作者: 藍原センシ
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『闇の涯』 第2回

  2. ムウ ── 森暦某日


 茅葺屋根の古民家が並ぶ、水田が辺り一面に広がった盆地。日暮れももう近く、山向こうに沈みつつある太陽が、それらの水面を真紅に染め上げている。ムウには見慣れたはずのその光景が、やけに陰惨で不吉なものに思えた。

 氏族長の屋敷裏、ヨド領へ到る山道に差し掛かると、深呼吸しつつ針葉樹の黒々と影を落とす頂付近を見上げる。関所を迂回出来る道なき道を行き、ぐるりと裏側まで回り込んだ時、この山肌からは緑が消え失せ、機械化された冷たい金属の世界が自分たちを迎えるのだろう。

 現在のムウは、桜色のお端折りの着物に下衣は膝上までの丈の(もすそ)、履物は獣革の長靴を身に着けていた。今日の目的達成の為、動きやすい服装である事、そして一世一代の計画に立ち会う為になるべく美しい装いをしたいという思いが、もう少しでちぐはぐになりそうな着合わせの限界に挑ませていた。

「あれ、ムウお嬢ちゃんじゃないか。こんな時間に何処に行くんだね?」

 山道を下ってきた村人が、ムウに気付いて声を掛けてきた。今日の野良仕事を終えてきたらしく、笠を被って薪の束を背負っている。ムウが挨拶をする前に、彼の視線がこちらの太腿の横で止まる。そこに()かれた、一振りの刀を見て。

「こんばんは、エヌマさん」

 止めないで欲しい、という意味を込め、ムウはいつも通りに言った。

 村人は、やや気の毒そうな表情を浮かべる。

「やっぱり、お嬢ちゃんもお兄さんと一緒に行くのかい?」

「心配しないで。私だってちゃんと、《臨空の盾》の一員なんだから。もう三本勝負で一本はお兄ちゃんから取れるし、刀だってさっきメンテナンスしてきた」

「メンテナンス……」

 心細げに呟く村人と擦れ違い、ムウは小さく手を振る。

「お兄ちゃんがいつも言ってるよ、サナ氏は全空魔(クウマ)氏族の希望になるんだって。私も、(おさ)様が亡くなられて、凄く悲しかった。だけど……だからこそ、私たちは今夜の作戦を成功させなきゃならない。デイン様を、必ずお迎えしなきゃ」

「お嬢ちゃん……」

 村人はそっと目を伏せてから、振り返り、拳を胸に当てて敬礼した。

「森の息吹(いぶき)が、あなたと共に在らん事を」

 ムウは「ありがとう」と言って敬礼を返し、山道を登り始める。

 集合場所の草地に辿り着く頃には、日はすっかり落ちきっていた。兄のヤドクや《臨空の盾》の他の構成員たちは既に集合しており、ムウは山道で合流した数人の仲間と共に、最後にその中へと加わった。

「ごめんね、お兄ちゃん! 遅くなっちゃった」

「ムウ、行動はもう始まっているんだ。今は『隊長』と呼べ」

 兄は厳かな声で言ってから、すぐに表情をいつもの優しい兄のものに切り替えた。剣術の稽古の時もだが、彼は切り替えが早い。鬼神の如く木刀を振るい、徹底的に打ち据えた後で、野花を扱うように丁寧に、優しく傷の手当てをしてくれる。

「時間は予定通りだよ。むしろ少し早いけど、それも問題ない。本当に時間との勝負になるのは、日付が変わった瞬間からだから」

「言うまでもない事だが、もう一度念を押しておく」

 兄に続いて口を開いたのは、褐色の(たてがみ)のような髪を持つ壮年の男。彼はシンハという名で兄の補佐役であり、《臨空の盾》内では副官に当たる立ち位置だった。兄が組織の隊長を継ぐ前は、ムウとヤドクの父ヤサムを支えていたという。

「長ヤシロ様の臨空術、『三十歳(みそとせ)(つつみ)』の効力は、時間による縛りが課されたものだ。術者の没後、直ちに解除される事はない。しかし間もなくその効力は失われ、これを更新出来る程の実力を持ったものは、遺憾ながら我々の中には存在しない。その期限こそが、今宵の深夜零時である」

「深夜零時を過ぎた瞬間、擬鉄界(ぎてっかい)の時間はこっちの五百二十倍の速度で流れ始める。こっちで一分が経過すれば、向こうでは八時間四十分弱が経過するという訳だ。五分経過すれば一日と十九時間、一時間で約二十二日。手間取れば手間取る程、デイン様を迎えに行く事は困難になるだろう。……文字通り、時間との勝負だ。いいね?」

 兄が一同を見回しながら言うと、すぐさま「おう!」という威勢のいい返事が辺りに(こだま)した。兄は肯き、円陣を組むように集まった皆の中央に手の甲を差し出す。皆が、その上に自分たちの(てのひら)を重ねた。

「我ら皆に武運あれ! 今宵我らの上げる勝鬨(かちどき)が、空魔氏族皆のヨド氏に対する反撃の陣鉦とならん事を!」

 ムウは仲間たちと一緒に鬨の声を上げながら、ちらりと兄の後ろを見る。

 そこには、毛布に口元までを(くる)まれて眠る一人の少年の姿があった。


          *   *   *


 人間たちの住む世界──「鉄界(てっかい)」と重なり合って存在する森界(しんかい)の眷属、空魔。

 その全氏族を支配する覇空主、ヨド氏のハジャトが急死したのは突然の事だった。ここ数ヶ月の間、体調を崩しがちになっていたという事は、ヨド氏は公表しないながらもムウたちは諜報活動を通じて知っていた。それでも、これ程急激にその容態が悪化し、薨御に至るとは誰が想像しただろうか。

 病の床に就いていたサナ氏の長ヤシロが息を引き取ったのが、三日前。ヨド氏が今夜、ハジャトの長男であるハクバスを新たに覇空主の座に据えるべく、早くも継承の儀を行おうとしているところから推測するに、儀式の準備をする時間があったという点で彼らは自分たちの氏族長の死を公表するのを意図的に遅らせたという事だ。まさに、大きく見積もってもヤシロの死との差は一日程度だったのだろう。

 もう長の先が長くはない、と皆が肚を括っていたサナ氏に比べ、ヨド氏は氏族内の混乱が大きかったようだった。慌ただしくハクバスを即位させる準備は整えられ、各氏族が招かれたとはいえども、誰もがヨド氏の動揺を察し、流言飛語が飛び交っている。

 何世紀も前まではヨド氏と共に二大氏族と呼ばれたサナ氏だが、継承の儀に出席すべき長の死によって、他の氏族に送られたような脅迫文紛いの招待状は届かなかった。サナ氏には、ヤシロの直系の血を引いた後継者は居ないのだ──表向きは。

 ムウは、今のサナ氏の状況こそヨド氏の望んでいたものに違いない、と思っていた。直系が居なくなれば、ヤシロの家は養子を取るしかない。ヨド氏はそれに、いずれハジャトの次男を差し出す事を提言するだろう。

 ヨドの一族を統べる者たちは、冷徹な集団だった。自らの身内であっても、自分たちによる世界の支配体制を維持し続ける事に利用出来るならば、容赦なく利用する。そして誰もが、自分自身もまた例外ではない事を自覚している。

 もし、そうしてサナ氏に養子入りしてきたヨド氏の血筋の者が氏族長となり、一族を統べるようになれば、彼はいずれヨド氏と示し合わせて癒着し、サナ氏をヨド氏の支配下に置くか吸収させるだろう。戦わずして、彼らは因縁の一族であるサナを滅ぼす事が出来る。一方、サナ氏の手によって彼が”人質”とされ、命が奪われるような事があった場合、ヨド氏はそれをこちらの蛮行とし、大義名分を得たとしてサナに魔科学による裁きを下すだろう。

(今このタイミングで、ヨドに養子の事を持ち出されたら、サナは断れない。だけど、継承の儀に参加せずこの計画を実行するには、長様が亡くなられた事を正直に言ってしまうしかない……賭けよね、ある意味)

 サナ氏は今、ヨド氏の圧政を覆せるか、もしくは自分たちが緩やかな衰亡への道を歩み始めるかの岐路に立たされているのだった。

 今夜の計画が成功し、今まで存在を秘匿し続けていたヤシロの”世継ぎ”を自分たちの元へ連れて帰る事が出来れば、彼を擁立する事で一族を活気づかせられる。それによって全空魔氏族を触発出来れば、勢いに乗じて、覇空主の力を失いつつあるヨド氏へ反撃を仕掛ける事も可能だろう。

「もう、ヤクシャと同じ悲劇を繰り返させる訳には行かないんだ」

 作戦概要を自分に説明した時、兄は苦悩に満ちた顔でそう絞り出した。

 十八年前、ムウが生まれて間もない頃、ヤシロの長男であり”世継ぎ”だったヤクシャは、山での狩猟中に凶暴な魔物に襲われて無残な死を遂げた。彼と同い歳であり、遊び相手でもあった兄は、目の前で腹心の友であり、また将来の(あるじ)であった若い命が散らされるのを見てしまったのだ。

 彼の死が、本当に不幸な事故だったのかは分からない。しかし、ヤクシャの命を奪った魔物は、本来狩り場には出現しない(たぐい)のものだった。山を越えればすぐそこに存在するヨド氏の刺客が、使役系の臨空術を以て手を下したという事も考えられなくはない。

 そのような疑念もあって、間もなく生まれた次男デインは隠された。

 ある危険な作戦の果て、誰も予想だにしないであろう場所に──。

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