『闇の涯』 第18回
13. 階星紀 ── 西暦二〇五五年 七月三日
もう、三回目だ──。
僕にとっては実質二回目だが、僕とムウの共同作戦による討伐と考えれば間違いではないだろう。多摩川の向こう、川崎方面から新二子橋を進んで来る怪物の映像をタブレットで見ながら、僕は見えない刀を握るように左腰の辺りで右手を開いたり閉じたりした。
ドローンの映像に映っているのは、ギリシア神話の単眼巨人のような姿の刻印獣だった。岩のような質感の筋肉が鎧の如く全身を覆い、全体のシルエットは人型にしては歪な様相を呈している。肩から分岐している、というより「生えている」という印象を受ける腕には、その身長にも及ぶ程の柄を持つ鉄槌が握られていた。全体としては前回の植物型よりは遥かに小さいが、その分敏捷性は優れていそうだし、こちらの攻撃の狙いが絞られるので対応がされやすそうでもある。
刻印獣は巨体を左右に揺らすようにし、コンクリートを踏み砕きながら進んで来る。ドライバーが逃げ出したらしく道路の真ん中で止まっていた車が、その踏圧を喰らって爆散した。その爆炎を間近で受けつつも、巨人は平気な様子だ。
やがて、例の如く通信プロトコルを書き換えられたらしく、ドローンの映像が途絶した。
「ねえ、星紀」ムウが、解せない、というような表情になった。「この前私たち、刻印獣の傍に居ても大学と通信出来たし、ドローンの映像も向こうに届いたよね?」
「多分今までは、RTP(リアルタイム通信用プロトコル)にはそこまで干渉されなかったんだ。スマホで電話が出来なくなったのは、多分SIP(呼制御用)の方がコンバートされたからだと思う。それが今回、RTPもやられた」
僕は推測を口にしたが、自分で言ってからさもありなんと思えた。ムウは、戦闘服である着物の裾をもじもじと指先で弄る。
「よっぽど有害なマルウェアなのね……前回から一ヶ月空いたし、ヨド氏の技術者も気合いを入れて作ったのかも。刻印獣の傍まで行ったら、もう前回みたいに教授たちからの掩護も望めない」
「そうだね、だけど……」
僕は、もしも刻印獣がこのまま玉川通りを道なりに進み、瀬田四丁目の交差点から環八通りに入ったら、と脳内でシミュレーションした。相手の大きさを考えるに、障害物のない通りを直進してくる事は、ビル群を破壊しながら進むよりも余程容易い。そしてその通りは、真っ直ぐにこちらの学生街へと続いている。
基本的な戦術目的は変わらない。街を守り、何処かに居る禎宣も守る。
「どんな攻撃を使ってくる敵なのか分からないけど、街中で僕たちが採れる戦法は限られている。前回と同じように弱点を探しながら、ヒミツの手を借りなくても倒せる攻撃手段を編み出そう」
僕が言うと、ムウは「ええ」と肯いてから、緊張が解けたようにくすりと笑った。
「何だか、いつの間にか星紀に引っ張って貰うようになっちゃってる」
「身体能力とか剣技の技術じゃ、ムウには敵わないよ。だから、せめて頭の中でする戦いくらいは」言いつつ、成績は中の中くらいだけど、と心の中で付け足す。
「ふふっ、頼りにしてる」
ムウはコケティッシュに語尾を上げると、僕に神依した。すぐに主導権が僕に付与され、彼女の身軽な身体感覚が五感を上書きしていく。
僕は駆け出すと、都道三一一号線に面した「ヴァーテクストア」砧店の、段々になった階段の手摺に跳び乗りながら屋上まで垂直に駆け上がった。ビルの横に位置する稲荷神社を跳び越え、両足で道路を挟んだ位置にある集合住宅の外壁を捉えて再び上昇。隣接した建物の屋上を渡りながら二百メートル程進むと、清掃工場の広大な敷地が眼下に広がった。
視界が開けると、彼方で土煙が立ち昇るのが見えた。少し遅れて轟音が響き、森林に囲まれた砧公園に居る人々も異常に気付いたらしく揃って南の方角を見つめ、立っている。工場の上空を舞い、僕/ムウはそこで完全に身を投げた勢いを空気抵抗に相殺され、落下軌道に入ったが、その一瞬マンション街の向こう──瀬田の界隈に刻印獣の姿が垣間見えた。
斜め上からの映像では分かりにくかったが、背の高い建物を近くに置くとその大きさがよく伝わってきた。二足歩行の分、最初に出現した獣竜の刻印獣よりも体高は遥かに大きいのは当然だが、見たところ最低二十メートル以上はある。歩くだけで道路が陥没しているのも、予想される質量から考えれば納得が行く。
『星紀! あいつ、もしかしたら斬撃すら効かないかもしれない!』
公園の外れ、野球場兼競技場の外柵の上へと降り立つと、ムウが言った。僕は顎を引き、無言で肯く。確かに刀一本で臨むのは、針で象を倒そうという類の無謀な挑戦に思えた。恐らく、こちらの攻撃全般が前回の相手程有効ではないだろう。
「やっぱり、効くとしたら衝撃かな? あの大きさだ、高い所から落としたりすればかなりダメージは入りそうだけど……」
僕が考えながら呟いた次の瞬間、再び轟音が大地と空気を震わせた。
数瞬遅れ、行く手の陸橋の向こうからダストボウルの如き砂煙が、瓦礫や自動車を巻き上げながらその頂を覗かせる。その奥に、崩壊するビルの影が映った。刻印獣本体の大きさから考えて、持っている鉄槌も民家の二倍近いサイズだ。それが力任せに振るわれたとすれば、集合住宅程度の建物など木っ端微塵だろう。
『ヤバいよ!』頭の中で、ムウが叫んだ。『通りの方に出よう、回避しなきゃ!』
言われるまでもなかった。僕はフェンスを歪ませる程に脚力を込めて跳び下りると、再び環八通りに着地する。間一髪で、一瞬前まで僕/ムウの居た砧公園を、竜巻の如き砂嵐の渦が蹂躙して行った。
瓦礫と化したマンション街をおもちゃの如く掻き分けながら、最初に映像で見た刻印獣がずかずかとその渦の後から進んできた。……怪獣映画でも見ているような気分だ。通りを行き過ぎる車たちも、現れた怪物の姿を認めたのか車線も変えずにUターンをしたり急ブレーキを踏んだりし始め、互いに衝突して火の手を上げ始めた。乗車していた人々が悲鳴を上げながら車外へと這い出し、自らの足で逃げ出す。
刻印獣は両腕を地面に突き、這い蹲って四足歩行の姿になると、単眼の爛々と輝く顔を環八通りへと向けた。僕/ムウは刀を上段に構え、攻撃を待つ。初撃で見切り、捌ききるつもりだった。
が、次に起こった出来事は、こちらの予想だにしないものだった。
刻印獣はその単眼を閉じると、少々間を置き、やがて勢いよく開眼した。僕/ムウからやや北側に逸れた場所、車の損壊に巻き込まれて負傷しながらも、我先にとその場を離れようとしている人々の集団へと。
一見、それは睨みつけただけのようにも見えた。しかし、瞼の開閉した際の風圧が大気中に残ったように、衝撃波の如き波紋が空中に刻まれ、その中央から細い緑色の光線が宙を切り裂いた為、何らかの攻撃手段である事は分かった。
人々が、走っている姿勢のままぴたりと硬直し、そのまま折り重なるように倒れた。思わず身を乗り出した僕は、その見開かれた虚ろな目を見てびくりとする。
死んだ──睨まれただけで、彼らの霊気は消し飛んでしまった。
「嘘……だろう?」思わず独白が漏れ出した時、
「星紀危ないっ!」主導権がムウに移り、口が彼女の言葉を紡ぎ出した。
足が、彼女の意思によって横ざまに跳躍した。転瞬、今し方僕/ムウの体があった道路が爆発し、岩石が飛散する。その一瞬、僕は確かに先程と同じ光線が空を切るのを目で捉えた。
「星紀、あれは臨空術の一種だと思う」ムウは、立ち込める煙の中を刻印獣の足元に向かって──つまり視線の死角に移動しながら──言った。「『魔眼』、睨むだけで敵の命を奪うの。勿論、本当なら膨大な魔気や霊気を使うから、こんなに立て続けに使う事は出来ないはずなんだけど……」
主導権が再び移譲されたので、僕は相槌を打つ。
「魔眼……バジリスクとか、バロールみたいなものか」『何それ?』
ムウに尋ねられ、僕は眉を上げた。「森界には居ないの、そういう魔物?」
『鉄界には居るの?』
なるほど、確かに居ない。妖精のような空魔族は実在したが、鉄界に於ける空想上の生き物全てが森界に由来するという訳でもないらしい。森界がいわゆる”剣と魔法の世界”──禎宣の言うハイファンタジーテイスト──である為、RPGと混同しそうになった。
僕は「ごめん」と謝ってから、再び推測を口にした。
「無機物に当たった魔眼がものを破壊するのは、ただ睨みつけるだけじゃ相手に命中しなかった時、作動したかどうか分からないからかな?」
『多分……けど、思わぬ付加効果になったわね。衝撃と目晦ましで、一応当たらなくても攻撃手段になる』
「あの目を封じるしかないか」
僕は顎を引くと、四つ這いになった刻印獣の手の甲に飛び乗り、垂直に跳んだ。刻印獣は僕たちを振り払おうと手を持ち上げたが、却って都合がいい。跳躍に神経を使わずとも敵の目に接近出来る。
洞窟の如き眼窩が、持ち上げられるに連れて眼前に迫って来る。粘膜がぬらぬらと光り、毛細血管の縦横に走ったそれは、自分の目も拡大すればそうなっているという事を失念させる程グロテスクに感じられた。斬った時にどうなるのかは想像したくもないが、この魔眼を逸早く封じなければ埒が明かない。
僕は、出出しから火の性を斬撃に付与した。
「焔縫剣!」
──さすがに、眼球は刃が通らない程の筋肉質ではないだろう。
そう考えて渾身の力で刀身を薙いだ僕だったが、単眼の刻印獣はそれを思いがけなく簡単な方法で──瞼を閉じるという手段でガードした。
瞼は、その他の部位と同じく硬質だった。全身の力を込めた一撃を弾かれ、僕はよろめいて巨人の手の甲から足を踏み外す。それを狙ったように(実際狙ったのだろうが)、刻印獣はゆっくりと開眼し、虹彩を薄緑色に輝かせた。
魔眼が来る。咄嗟にそう判断した僕は、脊髄反射に等しい動きで上体を反らし、逆さまに敵の手の甲から身を投げた。回転する視界の向こうで、上空を魔眼の光線が断空する。回避に成功した事を呑み込むと、海老反りにしていた体を丸め、ぐるぐると空中を転がるように落ちて道路で受け身を取った。
腕全体で衝撃を逃がしきった時、ムウが『大丈夫?』と問い掛けてきた。
『やめてよ、今度は脊椎を折りました、なんて……』
「大丈夫。空気抵抗で衝撃を緩和出来たから」
実際、一ヶ月経った今でも先の刻印獣に叩き折られた僕の肋骨は完治していなかった。しかし、こうしてダメージを受けるのがムウの肉体情報で上書きされた僕の肉体である事は幸いでもある。彼女が神依を解けば、彼女の体は健常な状態のままであり、再度神依する事で僕はその万全の肉体情報を得る事が出来る。今ムウの姿になっている僕の肋骨は、一本も折れていなかった。
──本来僕にない部位の感覚を感じられる時点で、上書きされる情報の中に体内器官も含まれている事は当然ではあるのだが。
立ち上がろうとした時、畳程ある刻印獣の手が頭上から迫っている事に気付いた。小蝿よろしく僕/ムウを叩き潰すつもりのようだ、と思い、僕は仰向けの姿勢で両腕を振り上げた。
「咲煉破!」「強化!」
主導権を切り替えたムウが、僕が突き技を繰り出すと同時に身体強化術を使用する。刻印獣第二号の粉塵爆発に耐えた時と同様、体が熱を持ち、腕力と耐久性が向上したのが分かる──という事は、また即座に主導権が僕に戻されたという事だ。
僕/ムウの突き出した刀と、刻印獣の掌底がぶつかり合った。頭上から、刻印獣の体から発される体温がどろどろした流体の如く降り注いでくる。あまりのプレッシャー──ここで押し切らなければ体が原型を失うまで破壊される、という恐怖感に押し潰されそうになるが、それに呑まれれば最後だった。
「行っ……けえええええ─────っ!!」
禎宣の言っていた、ラスボスに特攻を掛ける主人公を鼓舞する仲間のような叫びが、喉の奥から迸った。何だ、日常生活でもこんな台詞を叫ぶような場面はあったじゃないか、とちらりと思い、つい口角が上がる。
それで緊張が解けたのが、こちらにとって幸いに働いたようだった。
火花を散らしていた刻印獣の掌とこちらの刀の接点から、破砕した皮膚片と共に、絞られたような血液の泡が落下した。むっとする程の鉄の刺激臭が鼻を突くが、僕はそれを堪えて刀を押し続ける。穿たれた刻印獣の手を甲側に抜け、僕/ムウの体は宙空に躍り上がった。
「ムウ、交替!」
叫ぶと、すぐに彼女が主導権を引き受ける。
「秘奥義を使うよ! 今度はドンピシャで!」
──僕ももう、それで気を失ったりはしない。
胸の内でそう呟いた時、ムウがこの前と同様身体感覚の半分を僕に戻してきた。彼女によって捻出された霊気が臨空術として練られ、刀を火柱に変える。僕とムウは二人の意思を以て声を絞り、今までで最大のボリュームで叫んだ。
「赩焉百華断!!」
刻印獣が、すぐさま反対側の手に持った鉄槌を振り上げる。その持ち手の部分は電柱の如く太く、頑丈そうだったが、僕たちの秘奥義によって刃渡りの二倍近い炎の刃と化した刀はそれを易々と断ち切る。切断された巨大な槌頭は、事故を起こした自動車たちの燃え盛る通りに落下し、小隕石が衝突したかの如き爆発を起こした。
勢いを殺す事なく上昇し、肉薄した剣技は、またガードの為に閉ざされた刻印獣の瞼を引き捲り、致死性の眼球を一文字に薙いだ。ゴムボールを変形させたような手応えが伝わり、やがてその眼窩から滝の如く血液が零れ落ちた。
僕/ムウは目尻の辺りを足場に跳び退り、火の海となった道路に着地する。
唯一の弱点を破壊した。傷をつけ、魔眼を封じる事さえ出来れば良いと思っていたが、予想以上の結果だ。どれ程体が大きな敵であっても、弱点に部位破壊級のダメージを負えばただでは済むまい。
刻印獣は槌頭を断ち切られた棒切れを投げ捨て、中央を穿たれた頭部を押さえ込む。その指の隙間からポリゴン片が零れ、僕たちはそれが全身に広がり、破砕するのを待った。
しかし、そのようにはならなかった。




