『闇の涯』 第14回
「教授!」
徐々に斜度を増していく屋上から跳躍し、空を蹴って更に”飛翔”する。胸と背中を大きく反らせ、三日月を模倣するような姿勢になった瞬間、下方で三度爆発音が轟いた。あと僅かに高度が足りなければ、また先程と同じ爆発が僕を襲っていただろう。ムウの身体強化術の効果が持続しているので体を粉砕される事はないだろうが、ダメージは蓄積し続けている。先程と同等の攻撃をまた喰らえば、鉄器族よりも遥かに強靭な空魔の体でも限界が来るだろう。
僕は、爆発音に負けないように声を張り上げ、志総教授を呼んだ。
「現在周辺住民の避難は、どれくらい進んでいますか!? 正確な数値でなくてもいいです、カメラで見た感じでもいいですので、教えて下さい!」
『……遺体は、画面上に何体も確認出来る』教授は辛そうに絞り出した後、すぐに声色を変えて続けた。『しかし、自主避難は予想以上のペースで進んでいる。例の粉塵爆発の範囲までは測定出来ないが、少なくとも刻印獣による物理攻撃の射程内に一般人の姿は見られない』
「ありがとうございます。だとしたら……」
考え込んだ瞬間、刻印獣が扇状に広がった樹冠──頭部の一つを、幹を伸ばすようにして上空に居る僕を狙ってきた。花たちからまた泡立つかの如く粉塵が生じるが、今度は僕に肉薄するその樹冠だけだ。
進行ルートを阻害するものとして、明確にターゲットを付けられた。目測で何となく大きさに関する数値は弾き出していたが、五十メートル、百メートルなどと数字で考えるよりも、間近に迫られた方が余程そのサイズを実感出来る。……ここまではっきりと狙いを定められた以上、これ以上跳躍して回避を試みても無駄だろう。
そうなると──僕は刀の構え方を変え、勢いを溜めるべくぐっと後方に引いた。
「咲煉破!」
突き技。傘状に炎を纏い、円錐形となった刀身が、今にも僕/ムウに粉塵を浴びせかけようとしていた樹冠に突き刺さり、拡散される前の粉塵を小規模に爆発させながら樹冠の下方に抜けた。
刀に続くように僕が抜けた時、大穴を穿たれた頭の一つは使い物にならなくなったらしく、頭上で爆散する音が鈍く響いた。幹に沿うように降下する僕に向かって、残りの頭部が執拗にも粉塵を纏った触手を射出して追って来たが、僕はそれらを回避しつつほぼ垂直な幹に足を掛けた。”着地”がそうして出来るや否や、パルクール選手の如くその壁を駆けつつ、先程流れかけてしまった思考を再開する。
舞い散る粉塵、そして炎。この刻印獣の十八番ともいえる粉塵爆発を無力化するには、これら二つの要素をいずれも封じる必要がある。では、どうすればそれが出来るだろうか?
「教授、現在撮影用に飛ばしているドローンを、一旦回収して下さい」
頭の中がまとまり、一つの結論が導き出される。
僕はそれを即座に実行に移さねば、と思い、開口した。
「農学部に、遠隔操作での肥料散布用に使われているドローンがあります。そのボトルを拝借して、重量オーバーにならないように水を詰めて下さい。それをもう一度飛ばして、刻印獣の頭上から絶え間なく放水するんです!」
『なるほど、そういう事か』父、階秀夫が、得心の行ったように呟いた。『粉塵を濡らして重くすれば、舞い上がらなくなる。落ちきらなかったものが爆発したとしても、その火をすぐに消し止めてしまえば』
「はい。それに、もう一つ理由があります」
僕は言いながら、ある程度の高さまで降りると、すぐさま身を翻して迫り来る敵の触手と擦れ違った。断続的に起こる小規模な粉塵爆発を避け、もう一度上空へと跳びつつ刀の持ち方を更に変える。
必殺技、まだ自分では使用した事のない、火の剣技の秘奥義。
「刻印獣を焼き払います! アンインストールされ次第、残留した火をすぐに散水で消し止めて下さい!」
『星紀、ちょっと!』意識の中で、ムウが声を上げた。『ぶっつけ本番で秘奥義を使うだなんて、もし失敗したら……』
「周りを延焼させてしまうかもしれない。だから、皆に手伝って貰うんだ」
『そういう事じゃなくて!』彼女は、焦れたように叫ぶ。『訓練じゃ落ち着いて出来るかもしれないけど、力んで霊気を適量で使えなかったらどうするの? 秘奥義は他の臨空術よりもずっと身体を消耗するのよ。たとえ森界に居たとしても、大気中から得られる魔気と一緒に霊気も使わなきゃいけない。追加料金みたいなもので……長様が「三十歳の堤」を使用された時には、一週間寝たきりになってしまわれたんだって。剣技の秘奥義じゃそこまでは行かないだろうけど、もし星紀が、何か”間違い”をしたら……』
「それじゃあ」僕は、握り込んだ左拳を胸に当てた。
転瞬、幹の最果てに至り、僕は再び宙に身を躍らせる。
「ムウが、この体を使って霊気を練って。僕がそれを、いちばんジャストなタイミングで振り下ろす。役割を分担した方が、お互いに一つの事に集中出来る」
『……やってみるけど、この体はあくまで星紀のものなんだからね。私が秘奥義並みの霊力を絞り出して、それで星紀がどう感じるのか、どれだけ苦しいのか、完全に理解は出来ない。それに私、性の技を使えたのは先月の刻印獣第一号の時が初めて。そこを忘れないで』
彼女の言葉を聴きながら、あれ程剣術には秀でた能力を持つ彼女でも、まだ根本的な部分では僕と同じなのだと思えた。彼女が僕の事を気に掛けてくれる事には感謝の気持ちが込み上げてくるが、僕たちは現在、神依によって文字通り同体。ならば、どちらかがもう一方を牽引するのではない。
僕たちの戦いは、物理的な”同体”から”一心同体”への昇華だ。
『分かった、星紀君。今ドローンを回収している』
志総教授が、力強く応答した。様子を確認している余裕はないが、僕はその言葉を信じる事にする。
『今、並行して散水機を用意している。あと五分程度持たせてくれ!』
「了解ですっ!」叫び、僕はムウに主導権をスイッチさせた。
僕の支配下から離れた体が、次々と刻印獣の触手に刀を振るう。ムウは積極的に剣技を使おうとはせず、両腕に力を込める事で威力を溜め、刻印獣の硬度に拮抗出来る程に強化しつつ攻撃を繰り出している。最後に秘奥義を使うように、と僕が言ったので、なるべく霊気を消費しないようにしているらしい。
そこまで気を遣う必要はないんだよ、と、僕は言おうとした。けれど、主導権のない状態でムウにどう語り掛ければいいのか分からない。そして、間もなく僕が危惧していた事が起こった。
刻印獣の振るった触手の一本が、重攻撃の反動で動きの止まった僕/ムウの脇腹に叩きつけられた。一瞬呼吸が出来なくなり、熱い二酸化炭素の塊が口から吐き出される。しかし、苦しさや痛みはない。現在主導権を握っているムウが、感覚の全てを引き受けてしまったのだ。
「いやあああああっ!!」
口から、僕のものではない絶叫が迸った。僕は素早く「交替!」と叫ぶ──叫んだつもりだったが、それはやはり、世界の理に嘲笑われてでもいるかのように、音になる事はない。
(交替して、ムウ! 交替するんだ!)
「星紀に……星紀に背負わせちゃ、駄目……っ!」
(ムウ、君は──)
刹那、甲高いプロペラ音が鼓膜を揺らした。自力では動かせない視界に、卵を抱えた昆虫のようなシルエットが複数突入してくる。早っ、と、もし声を出す事が出来ていれば僕は言っていただろう。通信機から
『行ったぞ!』上白石さんの、興奮した声が響いた。『カメラの視野は確保出来ている、合図してくれれば、任意のタイミングでいつでも散水出来る!』
「ありがとう、皆さん……!」
ムウは、絶え間ない苦痛の合間から声を絞り出す。内臓にもダメージが入ったのか、その声と共に血液の雫が散った。
刻印獣が、体勢の崩れた僕/ムウに追撃を掛けようと、今度は真上に向かって噴水の如く粉塵を撒き散らした。やや強い風に流されぬよう勢いをつけたらしく、噴出の圧もそれなりにある。僕/ムウは上方向に流されかけるが、ムウが激しい痛みに抗いながらも冷静に状況の見極めを行おうとしているのが、僕にははっきりと分かった。
「射角八十、粉塵飛散、半径二十……散水、今です!」
『全機散水!』
教授の声と共に、ドローンたちが一斉に水を噴出した。刻印獣はこちらの周囲に散布した粉塵を一気に爆発させたが、それらは光焔を放って衝撃を生み出す前に人工の集中豪雨を受け、即座に柔らかな水蒸気へ変化する。
教授たちが上手く対応してくれると信じてはいたが、僕も今まさに爆発しようとしている粉塵の中で留まる事には本能的な恐怖、逃げたいという欲求が働いてしまう。しかしムウは、それでも立ち込める靄の中から動こうとはしなかった。水蒸気を切り裂くように振るわれた刀の刀身が、刃渡りの二倍近い炎の柱を纏う。
「行くよ星紀、二人で!」「……OK、ムウ!」
いつの間にか、彼女から体の主導権が戻って来ていた。自分で発声出来ている、と気付いた瞬間、共有している体に受けたダメージが僕の意識に直接流れ込む。肋骨が折れているかもしれない、と思ったが、僕は歯を食い縛って耐えた。
この状態で、ムウは耐え抜いたのだ。ならば、僕が耐えきらなくてどうするのか。
僕は下降しつつ、ムウがコンマ数秒前に剣技を発動した刀身を思い切り振り下ろした。
「赩焉百華断!」
火の臨空術最高技。秘奥義。
それは僕の薙いだ刀の軌跡をなぞるように、炎で出来た花吹雪のエフェクトを無数に発生させ、刻印獣頭部に広がる毒々しい赤紫色の花畑を上書きした。
一瞬遅れて、メキメキッ! という生木を裂くような不快音が鳴る。切り裂かれた傷口から樹幹状の胴体内部へと炎が侵入し、刻印獣は巨大な鉈で体幹を両断されたかの如く大量の火花を零しながら真っ二つに裂け始めた。
その傷口が根元まで到達すると、あの獣竜型の刻印獣と同様、切創を中心に全身がホログラムへと変化していく。花たちが粉塵を放出する際の様子にも似ており、やや不吉な気配も感じたが、瞬く間にその変化を全体に広げた刻印獣は、それ以上の何事をもせず破砕し、消滅した。残った炎の柱が崩れ、溶岩が溢れるように周辺の道路や建造物を蹂躙し始めたが、
『星紀君の予想通りだ。水は不足なかったな』
志総教授の満足げな声が届くと、それが合図だったかのように最後のドローン群が撒いた水が、延焼の進む前にその炎を消し止めていった。
『刻印獣……反応検出されず。無事にアンインストールされました!』
僕/ムウが地上に降り立つと同時に、母がやや上擦った声で興奮気味に言った。通信機の向こうで、ヒミツのメンバーたちがどっと歓声を上げる。拍手に混ざって、「ありがとう!」「よくやった!」という声も聞こえてきた。
ムウが神依を解き、僕の姿が元に戻る。彼女は刀を鞘に納め、「やったじゃん!」と叫びながら僕に飛びついて来ようとした。
勝った──僕たちは、刻印獣を倒す事が出来たのだ。
僕は、お腹の底から突き上げてくるような喜びに従って、ムウに向かって満面の笑みを浮かべる。腕の中に飛び込もうとする彼女を、拒む事なく受け入れようと思ったが、その次の瞬間僕は視界に違和感を覚えた。
霞んでいる──靄の掛かった視界が微かに揺らぎ、滲んでいく。眩暈を感じているようだ、と自分自身に気付いた時には、その視界が大きく下降を始めていた。
自分が倒れている事に気付いたのは、ムウに名前を呼ばれながら意識が完全に消失する直前だった。




