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闇の涯  作者: 藍原センシ
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『闇の涯』 第12回

  8. 階星紀 ── 西暦二〇五五年 六月一日 ─ 三日


 鳳栖学園大学、総合運動場に隣接するアリーナ。

 ヒミツによって「実験の為貸し切り」の許可を貰ったその場所で、僕/ムウは刀を振るっていた。

真退魔剣(シンタイマケン)!」『そう、その調子!』

 僕が叫んだのと全く同じ声──ムウの声が、頭の中で(こだま)する。僕は、ヘッドマウントディスプレイの視界に映し出される《寄生木》の侍の一人を袈裟斬りにすると、振り返りざまに襲い掛かって来た最後の敵に横薙ぎを放った。

緋炎斬(ヒエンザン)!」

 炎を纏った斬撃が、侍の腰の辺りのグラフィックを歪ませる。その傷口から、敵は最初に戦った刻印獣の如く無数のポリゴン片と化し、ガラスが砕けるように消滅した。

 ディスプレイを外し、汗ばんだ額を拭うと同時に、神依していたムウが分離した。手から刀を握っていた感触が消え、女子特有の軽い体の感覚が、ずしりとした男のものに変わる(とはいえ、僕も男子の中では比較的細身で低身長ではある)。垂れていた髪や、重力に引かれていた胸の重みもなくなった。

「凄いじゃん、星紀! もう、火の(さが)の上位技まで使えるようになったんだ」

「えっと……こんなもので、いいのかな?」

 民族衣装の着物姿も美しかったが、身軽なスポーツウェア姿の彼女も溌剌と健康的で魅力的だった。その彼女に、体温が感じられる程間近で見つめられ、僕はどぎまぎしながら控えめに言う。ムウは大きく肯いた。

「完全に星紀だけでって訳には行かないけど、化身の戦いは基本的に、神依した空魔との共同作業だからね。今の調子なら、十分に実戦でも通用すると思う」

 ちょっと休憩しよう、と彼女が言うので、僕たちは窓の下の日陰で腰を下ろした。

 志総教授から全てを説明された後、僕とムウは彼から「禎宣の護衛」を依頼された。彼は依然行方不明のままなのにどうやって、と思った僕だったが、教授はこちらが尋ねる間もなく具体的な事を説明してくれた。

「彼の動向を把握出来なくなったのは、ヨド氏もまた同じだ。故に彼らは、これからも刻印獣による世田谷の大規模制圧作戦を中心に攻撃を仕掛けてくるだろう。星紀君、君は成り行きとはいえ、ムウ殿の化身となった。君には彼女と共に、刻印獣から街を守る事で、何処かに居る禎宣を守って欲しい」

「分かりました」僕は、躊躇う事なく肯いた。

 ムウも、僕以外に適性のある人間が居ないと思いながらも、それだけでまた僕をヒミツの都合に巻き込むのはどうか、と考えたらしく、「いいの?」と尋ねてきた。

「私としても、星紀には化身で居て貰わなくちゃいけないんだけど、そんなにあっさり受け入れられちゃうと、ちょっと心配……」

「大丈夫だよ、ムウ」

 無論、僕に完全に憂患がなかったといえば嘘になるけれど。

「禎宣の事も、この街の事も、僕には大事だ。頼まれたからじゃない、僕が戦う力を持てるなら、それを使うのは僕自身の意志だよ。二人で一緒に戦おう」

 そのような会話を交わしてから、早くも二週間が経過していた。しかし、あの教授との会合が現実=最外殻世界から潜行してきた直後だったので、向こうに居るシンハさんたちの時間はまだ三十分前後しか経過していない事になる。

 ムウは、損壊を免れた僕のアパートに身を寄せる事となった。諸々の都合上そうならざるを得ないのだが、僕はあまりにも急に「同い歳の女子との同棲」が決定したので動揺してしまった。色々と問題が発生するような気がしてならなかったが、救いだったのは志総教授が「ヒミツの活動の一環である為、生活費など金銭面に於いて困った事があった場合は組織から必要額を支給する」と言って下さった事だった。

 ムウとの”同棲”が始まって間もなく、僕の戦闘訓練も始まった。

 先の戦いでは、化身である僕の体をムウが完全に操作し、彼女の意志だけで戦闘行為を行ったものの、それだけではやはりいけないのだという。彼女が魔気の代わりに臨空術に使用する僕の霊気は、即ち生命力そのもの。使用後はその消耗により疲労する上、消耗しすぎれば命を落とす。空魔でも自身が神依した化身の霊気がどの程度摩滅しているか、どの程度までなら霊気を絞って大丈夫か、といった事柄については、把握しきれないものがあるそうだ。

「戦闘中にお喋りしながら、共有している肉体の主導権を局面に応じて適切に切り替えながら戦えるようにする。結構大変な事よ、体の感覚が、急に現れたり消えたりするんだもの。慣れなきゃ、動きづらい事この上ないと思う」

 実際のところは、ムウも鉄器族に対して神依を行うのは初めてだった為、自身が宿ったまま身体感覚がなくなるという状態について知っておかねばならないようだった。

「ムウは」「ん?」

 数日前の出来事を思い出しながら考え込んでいた僕は、隣で麦茶のペットボトルを呷っている彼女に言った。

「僕が体を使っている間、どういう感覚なの?」

「そうねえ……色々、かな? 主導権を何処まで渡すかっていうのも、神依している空魔側で決められる事みたいだし。半分ずつ使って、単独じゃ無理がある連携技を行えるようにするっていうのがスタンダードみたい。だけど、今みたいに完全に化身に主導権を明け渡すと、視覚聴覚以外は本当に何も感じられないなあ」

「そ、それじゃあ」

 僕は、最初に彼女から主導権を渡された時の事を思い出して、顔が熱くなるのを懸命に堪えねばならなかった。「あの時も、ムウには感覚があったんだ……」

「……星紀も、やっぱり男の子なんだなって思った」

 ムウの目つきが、そこでやや湿度を上げた。

 神依した彼女から肉体の主導権を五割移譲された僕は、最初「女性の体」の感覚に非常に戸惑った。それまで僕にとっては、当たり前の事だが男性の身体感覚こそが当然のものだったのだから、そこはまあ無理もないだろう。しかし、そこで戸惑った僕は自分の感覚器官となったその体を、無遠慮にあちこちまさぐってしまった。ムウにも感覚が残ったままだったのであれば、さぞ不快な行為だっただろう。

「ごめん、わざとじゃなかったんだ」

 逆効果だとは思いながらも、口調が棒読み(ふう)になるのは避けられなかった。

 ムウはもう一度僕に湿った視線をくれてから「まあ、仕方ないと思うけど」と呟いた。

「私と星紀じゃ、四肢の長さとか肩幅とか、大分違うでしょ? 星紀は無意識に、自分がある行動をしようとした時にどの程度各部位を動かせばいいのか、もう自分の体の感覚に基づいた反射が染みついてしまっている。星紀が、私が神依しない状態のままで刀を振った時と、私の肉体情報で上書きされた状態で刀を振った時じゃ、運動量が大きく変わると思う。腕の伸ばし方とか、踏み込み方とか」

「そして剣技は、臨空術の素──魔気や霊気が、使い手の動作(モーション)を正確にキャプチャしないと発動しない」

 僕は訓練を始めた当初、何度も間合いを読み違えてARの敵性個体(エネミーユニット)を刀が擦り抜けてしまった事を思い出した。ムウは僕の二週間の進歩を褒めてくれてはいるが、僕としては未だに、自分の戦い方が適切なのかどうかすらも掴めない。

「強いて言えば、あと星紀に必要なのは”自信”かなあ? 筋はいいんだから、思い切って踏み込んでいく事さえ出来れば、もっと戦いを楽に進められると思うよ」

「順調みたいだね」

 ふと、出入口の方から声を掛けられた。僕とムウが揃ってそちらを向くと、私服姿の男性が立っている。昨年からヒミツに加わっているという大学院生の上白石(カミシライシ)賢吾(ケンゴ)さんだった。

「ヒミツの皆さんのお陰です。訓練場まで用意して頂いて」

 立ち上がりつつ僕がお辞儀をすると、彼は「いやいや」と(かぶり)を振った。

「星紀君も大変だろう、記憶回復のリハが終わって、復帰して二週間で休学なんて」

 刻印獣騒動から半月以上が経ち、大学も破壊された建物の補修工事を進める傍ら、教室変更や周辺の大学と連携を取って実習室を借りるなどの手を使い、授業再開に向けて動いていた。しかし、僕は志総教授らの措置により、ヒミツの特別研究に参加するという扱いで無期限休学になっていた。

「大丈夫です。これも、僕があいつの為に出来る事ですから」

「禎宣君か……」上白石さんは呟き、すぐに訂正した。「いや、彼がサナ・デインだって事は分かっているんだよ。だけど、志総教授が皆の前では彼を『禎宣』って呼ぶし、俺たちしか居ない所でも……教授も、割り切れていないって事なのかな」

「上白石さんも、何か理由があってヒミツに?」ムウが尋ねる。

「いや、応募要項にはただ『特別研究』ってだけ。教授たちに会うまで、ヒミツが一体何をする組織なのかっていう事も分からなかった。で、この世界が本当はメタバースで、自分たちがAIなんだって事を明かされて……三日間は、ビーフストロガノフも喉を通らなかったな」彼は、禎宣的な例を使った。「勿論、俺と一緒にこの説明を受けて、ショックで寝込んでしまった人も居たっけ。こんな研究への参加を、即決出来る訳もなくてね。家に持ち帰って考えようにも、世界中を震撼させかねない機密事項だからうっかり誰かに喋られる訳には行かないってなって、監視の目はつく、辞退を選んだ人の記憶はミムで消される。これが本当に大学の研究所なのかって思ったな」

「けど、上白石さんは受け入れたんですね」

「あわよくば次のテスターに……なんて下心はあったけどね。あれから十七年が経って、今頃擬森界はもし西暦が続いているとしたら一万年を超えただろう。もうヨド氏は『森の終焉』を引き起こしてしまったかもしれない。だけど、教授は擬森界が今どういう状態なのかを、絶対に誰にも言わない。それを言ってしまえば、擬森界を初期化して作り直さなきゃいけなくなるから。……まだ、本物の()()()()が何処かを旅しているかもしれない擬森界を」

「こっちで十七年も経ってしまったら、そんな可能性なんて」

「そうだよね、ムウちゃん。だけど、あんなに理路整然とした科学者の彼にも、理屈じゃ消せない気持ちがあるって事なんだろうよ」

「あなたは、禎宣の前例を知っていながらもテスターになりたかったんですか?」

 僕は、その部分に何より驚いた。

「不謹慎かもしれないけど、楽しそうだって思ってしまったんだ。当たり前だけど、現実の空魔族に創られたこの世界には、森界なんて存在しない。だけど、そんな世界があるなら擬似的なものであっても行ってみたいと思う。想像を絶する(つら)い旅になるだろうって事は分かっているけど、探究心の方が勝った」

 分かるような、分からないような言葉だった。確かに、僕も森界が恐ろしい世界である事は十二分に分かっているし、何百年も同じ運命を繰り返すという本物の禎宣の苦しみは想像してもしきれない。けれど、僕ももう一度擬森界に行ってみないかと言われれば、行くと答えるかもしれない。

 まあ、僕の理由は、あの世界が僕にとって失われた十年間の延長線上にあり、懐かしく帰りたいという思いが未だに抜けきっていないからだろう。ムウや禎宣に、デルマやヤエナの面影を感じたのも、禎宣/デインの属する氏族長の家系に、ヤシロ、ヤクシャといった、ムウの血族に含まれるヤサムやヤドクに近しい名を持つ者が居る事も……恐らくあの二人は、大人になって結ばれて──。

「……っ!」

 僕はそこまで考えてから、慌ててそれを頭から振り払った。懐かしむのはいいが、彼らがもうとうに寿命を迎えている事は明白だ。度を越えて悲しむのは、天寿を全うしたのであろう彼らに対して無礼な事かもしれないと思った。

「それにしても」ムウが、今一つ解せない、という声色で言った。「この世界でヒミツが擬森界を作ったのは、《臨空の盾》が接触して空魔族の情報を得たからだよね? そして出来た擬森界には、当たり前だけど鉄界はない。それなら、そこに居る空魔族はどうやって擬鉄界を創るの? その先に居る鉄器族も、存在を知らないはずの空魔が居る世界……擬森界を創り出すみたいだし」

「それこそ、世界的な辻褄合わせだろうね。第一、第四層界である擬鉄界の人々が、同時に鉄界の存在しない第三層界・擬森界の空魔族に生み出されたとして、彼らは俺たちの居るこの世界の第一世代みたいに一層前の住人の精神をバックボーンにしてはいない。それでも何らかの形で、整合性が取れるように因果は収束するんだ。世界各地で鉄器族と空魔族が交流を持つ前から『尖耳の妖精』とか『魔法を使う種族』とか、空魔を連想させる伝承があるみたいに、お互いの存在を示唆する要素は遺伝子レベルで誰もが持っているのかもしれない」

 それを解き明かすのも科学者の役目だよね、と、上白石さんは微笑んだ。

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