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闇の涯  作者: 藍原センシ
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『闇の涯』 第1回

 以下に私は、私が見てきた世界のうち、一つの”(はて)”について記そうと思う。

 これは”物語”にまつわる物語である──。


          *   *   *


  1. 階星紀 ── 西暦二〇五五年 五月五日 ─ 七日


 目を細めていたのは、眩しかったからではなかった。

 舗装されていない、荷馬車の(わだち)が続いた土手の道。群生した草の葉先、夕露の玉に、稲穂で跳ね返った西日が反射して光をこれでもかという程に振り撒いている。

 それは遠い昔の事を思い出す時、いつも滲んだような淡い光の靄が情景の端々を覆い隠している様にも似ていた。あたかもそれが、どんな事であろうと「もう戻れない日々」として輝いている事を、雄弁に主張するような。

 幼い僕は、二人の友人と共に声を上げて笑いながら、帰り道を急いでいた。

 掻き分けて進んでいた光の残像が、彼らの顔を見えなくしている。とても──とても大切な二人である事は分かるのに、何故か名前が思い出せない。しかし記憶の中の僕は、現在の僕が思い出せない事など意に介さないように、何処までも無邪気に笑っていた。変えられない過去として、その時の自分が既に僕とは別人になってしまったように。それを思い出している僕自身のもどかしさを置き去りにして。

 低空飛行する(とんび)の影が一瞬、斜陽を遮って、見知らぬ友人たちの顔をちらりと僕に見せたような気がした。

 二人のうち、一人は女の子で、もう一人は男の子だった。


          *   *   *


「僕の名前は(キザハシ)星紀(セイキ)……鳳栖(ホウサイ)学園大学理工学部一年、です」

 目を開けた僕は、ゆっくりと言う。目の前で、白衣を纏ったドクターが肯き、小さくガッツポーズをした。その肩越しに、両親が立っているのが見える。母は感極まったように目を潤ませながら口元を両手で覆っており、父の右腕はそんな彼女の肩にしっかりと回されていた。

 ──そうだ。あの二人が、僕の両親なのだ。

 その事実が自分の事として納得出来た時、僕は深い安堵の息を()いた。視線を動かし、ベッド型装置の傍らに跪く少年の姿を捉える。ツンツンと立てられた金色の髪、それを前後で二分しているヘッドホンのような補聴器。

禎宣(ヨシノブ)……」

 僕が名前を呼ぶと、彼──僕の無二の親友である志総(シソウ)禎宣は、その瞳にLEDの光を一際(ひときわ)強く輝かせた。

「ああ……ああ、そうだよ、俺は……お前の知っている禎宣だ!」

 彼の差し出してきた右手を、僕は強く握り締める。

 ドクターはカルテに何やら書き込んでから、付き添いの看護師と共に装置を操作し、僕が身を起こすのを手伝ってくれる。腹筋を使って上体を起こすと、彼は言った。

「階星紀君。記憶の完全回復、おめでとう」

「ありがとうございます、先生」

 僕が頭を下げると、部屋に居る全員が拍手をした。


          *   *   *


「やれやれ、覚めたら覚めたで大変だなあ」

 二日後、カフェテリアでせっせと書類を記入していると、禎宣が呑気に呟いた。僕は軽く、恨みがましい視線を彼に向ける。

「手伝ってくれるって言ったじゃないか、色んな手続き」

「とはいっても、俺が書いたら無効になっちゃうから。制度的なあれこれはさ」

「時間割も組まなきゃいけないんだよ? ゼミ担任の先生には、ちゃんと事情を説明して便宜を図って貰っているけどさ」

「俺のを参考にする訳にも行かないだろ。何しろ俺は文系、お前は理系なんだから」

 文系、という箇所を、彼は本当に誇らしげに言った。僕は毒気を抜かれ、仕方ないか、と思いながら手を動かし続ける。

 まさか、始業式の日に交通事故に遭うとは思ってもみなかった。

 四月上旬に大学に入っても、実家からの距離がそこまで遠くなる訳ではなかった。それでも僕の両親も、禎宣の父も、学生時代の”経験”の一環として僕たちに一人暮らしを勧めた。場所は、大学から徒歩五分程度の位置にある学生寮だ。

 その五分間の道のうち、最も道幅の狭く、歩道が(ほとん)どない場所で、僕は擦れ違いざまに軽自動車に接触された。轢かれた訳ではなく、骨折もなく打撲程度の傷で済んだが、コンクリートに激突した頭はそうはいかなかった。

 脳震盪を起こして救急車で鳳栖大付属病院へと運ばれ、傷もかなり深かった為何針か縫われた──というのは外傷的な事だが、それだけでは済まなかった。

 僕は、自分の名前や人間関係を含む()()()()()を失くしてしまったのだ。

「冗談とかじゃなく死んだかと思ったぜ、いやほんと」

 これは、昨日退院してすぐの禎宣の言葉だ。

「俗にいう『ここは何処、私は誰』っていう状態だったんだからな。ストレス性の全生活史健忘なら、比較的短期間で治る事が多いって医者が言っていたけど」

「結局、打ち所が悪かったって事以外は何も……だもんね」

 両親や禎宣と対面しても、使用していた生活用品や本を見せられても、僕の記憶は一向に戻らなかった。禎宣から、自分と彼が小学校低学年の頃からの親友だったと告げられても、そうなのかと思うばかりで、それが自分の事だとは実感出来なかった。

 全ての記憶、という言い方には語弊があったかもしれない。

 名前も、家族の顔も一切を忘れてしまった僕に残されていたのは、何処か遠い場所、出身地兼在住地であるここ世田谷区とは明らかに異なる自然豊かな場所で、見知らぬ友達と遊んでいる思い出だった。記憶か想像かも曖昧な程小さな頃の事をふと思い出して、帰りたい、と思うような懐かしさだった。

 その事を正直にドクターに話すと、皆は本気で僕の事を、病んでいるのではと思って心配したそうだ。母などは「一緒に暮らしていて全く気付けなかった」などと泣き崩れてしまい、僕の方が焦る事になった。

 記憶の再生には半月近く進展がなく、ドクターは”秘密兵器”を治療に投入した。

 記憶干渉装置、通称MIM(ミム)。大学の研究の一環として過去に製作され、認可を受けて採用に至っていたもの。詳細な説明を覚えている訳ではないが、「忘れる」という事は記憶が消えているという事ではなく、脳の深い場所に封じ込められてアクセスが出来なくなっている、という事らしく、そこに電気的な刺激を与えてそれらを引っ張り出すものらしい。

 禎宣の父にして本学の物理学部主任研究員でもある志総経之(ツネユキ)教授も、かつて何らかの実験で医学部との合同研究になり、この使用方法を知っていたようだった。禎宣は教授から概要は聞かされていたのか、

「大丈夫、行き詰まった時にこれを使えば大体何とかなるから」

 友達だったという記憶を失くしてしまい、毎日のように謝る僕に、安心させるかのように快活な口調で言った。では何故最初からその機械が使われないのだ、という話にはなるが、恐らく手術せずに治せる疾患は出来るだけ薬剤で治すように、優先順位があるのだろう。

 ミムは、間違いなく”高度先進医療”に含まれるものだった。三十年程前であれば、記憶がどのような神経パターンによって分類されているのか──すぐ思い出せるものと思い出せないもの、手続き記憶として忘れないものと、三日前の夕食のようにすぐに消えてしまうもの、など──、メカニズムの不明瞭さから個人の「忘れた」記憶を百パーセント復元するのは不可能に等しかった。僕も「全ての記憶を取り戻した」とはいえ、事故に遭った日の朝、禎宣と交わしていた会話の内容などといった細かな事までは当然のように思い出せてはいない。ミムがどのような形で”()り分け”を行ったのかは謎のままだ。

 ……という事を口にすると、禎宣に「お前は理系だからそういう事を考えすぎるんだよ」と笑われた。「手術中に何処をどう切りましたか、なんて情報、後から必要か?」

 半月掛けて、事故に遭う直前までの記憶を復元された僕は、大学のゼミ担任や保健室、学生支援課に事故の事を説明し、遅れながらも入学直後の諸々の手続きを済ませ、晴れて今日から大学生活が始まった。両親は、念の為数日は様子を見た方がいいのではないか、引っ越しは済ませたが(しば)らくは自宅通学を行った方が良いのではないか、と言ってきたが、僕は「大丈夫だよ」と断った。

「怪我自体は完治しているんだし、禎宣も居てくれる」

 何より、父の秀夫(ヒデオ)も母の寛美(ヒロミ)も、鳳栖大のOBであり講師だった。大学内に居ても、研究室を訪ねれば顔を合わせる事は出来る。

「だけどさ、自分の親が大学に居るっていうのもどうよ?」

「どうよ、って?」

 僕は、今日中に組まねばならない(しかも取り消し期間がない)時間割の為、シラバスと睨めっこをしながら応じる。禎宣は、食後のコーヒーを啜りながら言った。

「講義で、思いっ切り顔を合わせる事もあるだろ。例えばの話、女の子と一緒に授業受けているところ見られたら気まずくね?」

「安心しろ、そういう事にはならない」

「例えばの話だってば」

「第一、それだったら禎宣も同じじゃん。志総教授の講義、一年次にもあったよ」

「俺は文系だから、理数系教科は全部撥ねた。何で大学まで来て、数学なんか」

「お父さん、泣くよ」

 言いながらも僕は、まあ、別に親と同じ道を歩まねばならないという決まりはないはずだよな、と心の中で呟く。

 僕と禎宣の付き合いは小学生の時以来で、最初こそお互いに同級生の一人という程度の認識しかしていなかったが、先生やクラスメイトから特に成績が優秀な二人として並び称された事で互いを意識し、友達になった。話すうちに、双方の親が同じ大学で教鞭を執っている事が分かり、天才の血が流れているのかもしれない、などと言い合ってはしゃいだ覚えもある。今でこそ、努力の過程を飛ばしたような「天才」という呼び方も、血や遺伝子による宿命主義的な考え方も好まなくなってしまったが。

 僕は禎宣と友達になった時、ずっと前から知っていたような、奇妙に心地良い気分を味わったのを覚えている。恐らく波長の合う友人とは、彼のような人の事をいうのだと思う。

 僕たちがつるみ始めてから、皆は僕たちの事を「天才コンビ」と評すようになった。これはテストで百点を気楽に取る事の出来た小学校時代だからこその栄光で、禎宣はともかく、僕はそれから徐々に周囲の子供たちに知能面で追い着かれ、小学校中学年になる頃には試験の点数も平均程度、成績も普通になっていた。今では、もう過去の栄光としても自慢出来るような事ではない。

 禎宣も、中学校に進み、理数系教科が高度なものとなった頃からそれらを敬遠するようになり、共に志して進学した高校では文理選択で文系を選んだ為に、二年次から僕とクラスが異なるものになってしまった。とはいえ彼が文系である理由は「理数系教科が嫌だから」というような消極的なものでは決してなく、彼の趣味嗜好がクリエイティブなものであり、また昔から読書が好きで国語力が自然に定着していたから、という事が大きかった。高校二年頃から、自分でライトノベルらしいファンタジー小説を書いていた事も僕は知っている。

 志総教授も、この辺りに関しては寛容に理解を示している。僕は以前よく禎宣の家に遊びに行き、教授と顔を合わせる事もあったが、少なくとも親としては優しそうな人だ、という印象を抱いた。

「書き物がやりたくて文系に居るんだから、いいじゃねえか」

 禎宣はコーヒーを飲み干すと、「そういえばさ」と僕に言ってきた。

「どうだった、俺の新作?」

「……相変わらず、ラノベにしてはヘヴィーだなって思ったよ」

 記憶を失っている間、僕は”治療”の一環として禎宣の書いたファンタジー小説を読んでいた。

「まあ、軽め(ライト)じゃない事は俺自身も重々承知さ。だけど、読み応えのある内容を書くにはそれなりに要素が必要だろ? 結果として多少複雑になるんだったら、それを無理に軽薄にする必要はないと思う。第一、中身をしっかり詰めないまま書き始めたら途中からご都合主義満載、補正ありまくりの愚作になるね」

「ギャグとか、コメディならそれでもいい気がするけど」

「ジャンルとしては大いに結構さ。だけど、そうした破綻寸前の物語を『ギャグだから何でもありです』なんてお茶を濁されるのは嫌だ。本気で書きたいと思っている人たちに失礼だと思う。殊更(ことさら)に『ギャグですよ』アピールをしたいような、あのやたら長いタイトルの付け方も好きじゃない」

 禎宣は、彼自身の小説論になると普段より一層饒舌になる。僕は、定食を口に運びながら聴き手に回る。

「いつからそうなのかは分からないし、もう言旧(ことふ)られた議論って言われるかもだけど、俺はもう何年も続いている異世界転生コメディは真っ平って思うんだよな。個性も特段に持たない主人公が転生直後に実は凄い能力を持った奴だった事が分かって、現代日本の知識で無双しつつ徐々にハーレムを作っていく……もう、形骸だよ。そりゃ最初に考えた人の発想は凄いと思うし、夢があるとも思う。けど、それ以降の似たようなものは全部亜流(エピゴーネン)、複製品だ」

「それが、流行とか王道とかいうんじゃないの?」

「俺はそうは思わない。異世界を舞台にするにしても、作者が一から設定を考えて、そこだけの知識で完結出来るようなものを作って……台詞は、多少芝居がかっていても俺は気にならない。むしろ、ラノベの漫画やアニメとの親和性の高さから、純文学や現代ミステリよりもずっと許される権利だと思う。

 ラスボスに特攻掛ける時とか、主人公が『うおーっ!』って叫んで仲間たちが皆で『行けーっ!』って叫ぶだろ? あれ、現実で似たような事があったら滑稽極まりないけど、創作物だったら燃えるね。俺も『行け』って叫ぶよ」

 禎宣の目は、少年漫画に憧れる子供のように輝いていた。

「俗にハイファンタジーとかって呼ぶ異世界もの、現実の法律とか規則に則らなくていいから簡単だって思えるかもだけど、実際書くと難しいぞ。ルールブックからして作者が作らなきゃいけないし。それに、思いがけない物品を出すと世界観が危うくなってしまう事もある」

「例えば?」

「ハンバーグと南京錠。これらは現実にある地名から来ている名前だから、その地名が存在しないはずの異世界ものに登場したらおかしな事になる。もし出すとしたら、せめて名前を変更して欲しいかな」

「それじゃあ、読者が分からなくなるだろう」

「料理だったらその説明、道具だったら使用している場面と様子で察しが付くようにするんだよ。そこはまあ、作者の描写力の見せ所だよな。それで冗長になるって感じたら、これも小説っていうコンテンツの特性を活かして( )(かっこ)で注釈を加えればいい。一九九六年に発表されたアジアン・ハイファンタジーでも使われている手法だ。これは全然、禁じ手とかじゃないと思うぞ。通貨単位とかを具体的に表す時は、円換算以外の方法で説明する事なんて出来ないだろうしさ。

 ……ちょっと嘆かわしい事だと思わないか? 現代ではない世界を描きたい、だけど現代に慣れすぎて描けない。だから、現代と物語世界が地続きながら現代の制約から逃れる為に、転生によって辿り着く異世界を用意する。俺にはどうも、書き手の描写力や発想力の限界を転生で補っているように見えてしまう。異世界ファンタジーって、もっと冒険心に溢れていて、没入感があるべきだと思う。読者が生まれつき、そこの住人だったと錯覚するくらいにさ。

 だから俺は、俺の書くハイファンタジー群を『転生しない異世界シリーズ』という名前で大系化し、このジャンルの再興を提言しようと思う!」

 禎宣が、選挙公約を述べるかのように手を挙げてそう宣言した時、突然その背後から二本の手が伸びてきて彼の目を覆い隠した。彼と同じ高さで座っていた僕はぎょっと面食らってしまい、彼は「うわあ!」と悲鳴を上げる。

「だーれだ?」

 彼のツンツン頭に顎を載せるようにし、(からか)うような声色で言ったその相手を見、僕は思わず「むむっ」と唸ってしまう。突如として現れたその人物が、柔らかくウェーブの掛かった栗色の髪を流した、可愛らしい女子学生だったからだ。

「ええー、分かりませんよ。ソフィー・フェアフィールド?」

 動揺から立ち直った禎宣は、やや間延びした声になって自作小説のヒロインの名前を口にする。女子学生は「ブッブー、残念でした」と言いながらぴょんと僕たちのテーブルの横に飛び出した。「正解は、春姫(ハルキ)先輩でした!」

「ああ、先輩でしたか。声が可愛いから、てっきり」

 禎宣は補聴器の位置を調整しつつ、後頭部を掻く。僕が唖然としていると、女子学生は衣替えから間もないのであろう白いワンピースの裾をふわりと膨らませた。

「見た目も可愛い方だったでしょ?」

「ええ、今日も相変わらず可愛いですよ。元が可愛いから、どんな服着ても似合いますね」

「えへへー、何も着なくても可愛いかもよ?」

「へえ? 今度見せてくれますか?」

 絵に描いたような”バカップル”の会話を繰り広げていた禎宣だったが、そこで僕が戸惑っている事に気付いたらしく、やや気まずそうに──それでいながらやや優越感を滲ませながらこちらを向いた。

「紹介するよ。文学サークルの二年生、工藤(クドウ)春姫先輩。先輩、こいつが星紀です。入学初日に事故って、記憶喪失になったって話した……」

「あ、彼が? 良かった、リハビリも終わったんだ!」

 春姫先輩と呼ばれた女子学生はぱっと顔を輝かせ、机に両手を突いてずいっと僕に顔を近づけてきた。自然に、顔が熱くなったのが自分でも分かる。

「宜しく、星紀君! あたし、春姫。君の事は、禎宣君から聞いてる」

「き、階星紀です。宜しくお願いします」

 頭を下げてから、僕はテーブルの下で爪先を動かし、禎宣の足を軽くつつく。彼が耳を寄せてくるので、僕は少々早口で彼に囁いた。「ちょっと、どういう関係なの?」

「お前は俺の彼女かよ」「そういう事じゃなく」

 僕がリハビリと記憶の再生治療で大学に通えない間、彼はいわゆる”抜け駆け”をしていたのか。いや、無論彼の生活は彼自身のもので、僕が生命の危機に瀕していた訳でもないし、この一ヶ月の間にどのような出来事があったとしても僕が容喙すべき事ではないのだが──彼が親友であるだけに、「先を越された」と思ってしまうのはやむを得ない事だといえよう。

 と、いう僕の心情を知ってか知らでか、禎宣は

「どういう関係って、文学サークルの先輩後輩だって言ったばっかりだがな」

 ニヤニヤしたまま、声だけ澄ました調子で言ってきた。

「それは聞いたけどさ、そういう事でもなくって」

「じゃあ、どういう事さ?」

「つまり……つまりその、君と春姫先輩は」

 分かっている癖に、どうしても僕に言わせたいらしい。何となく悔しいので、僕が尚も婉曲な言葉を探して唸っていると、

「あたしと禎宣君、付き合ってなーいよ」

 がっつり聞こえていたらしく、春姫先輩本人が歌うように言った。またまた面食らう僕の顔を見、愉快そうにあははと笑ってから、僕たちの使っていなかった座席に座って禎宣に流し目をくれる。「今はまだ、ね」

「………」

 これ以上追及してもこの微妙な悔しさが続くだけだと思い、僕は黙り込んだ。禎宣と春姫先輩は顔を見合わせ、微かに笑ってから再び僕の方を向いた。

「ねえ」再度開口したのは、春姫先輩だった。「星紀君、文サーに入らない?」

「えっ? 僕がですか?」

「そそ。読書会とか小説談義、これは別に昔の難しい作品だけじゃなくて、禎宣君の書いているみたいなラノベがテーマでもいいんだけど、とにかくそういう事をしたり、自分たちで小説書いたりするの」

「楽しいぜ、星紀」先輩の後を引き継ぎ、禎宣も言う。「ほら、俺たちさ、せっかく同じ大学まで入ったっていうのに、星紀は理工学部、俺は文学部じゃん? 授業とかも全然被りそうにないし」

「まあ、そうだけどさ」

 僕はありがたく思いながらも、やや躊躇った。

「僕、禎宣みたいに物語は書けないし、そこまで一杯本を読むって訳でもないよ? 読みながら考えている事だって、禎宣に比べたら全然呑気なものって思われるかもしれないし……」

「考えすぎ、考えすぎ」

 分からないでもないけどね、と春姫先輩は笑う。

「サークルっていっても、メンバーが全然居なくてね。同好会って感じで緩いし、一回ずつ自由参加だから。ずっと本に触れてなきゃいけないって訳でもないし、禎宣君と会う時間が出来る、くらいに考えてくれれば」

「まあ、一回顔出してみるのもいいよ。放課後、HME送ってくれたら迎えに行くから」

 禎宣に言われ、僕は少し考えてから肯いた。確かに、実際の様子を見てみなければ何とも言えない。まだ登校二日目で、何処にどういう名前の教室があるのか把握しきれていない為、彼が案内してくれるという事はありがたかった。

「それじゃあ、決まりね。あたしはそろそろ移動しなきゃだから、禎宣君、また放課後ね。授業終わったら、あたしにもHMEちょうだい」

「了解。じゃあ、また後で。……よし、ところで星紀」

 春姫先輩が席を立つと、禎宣は続いて立ち上がりながら言った。

「明日は土曜だし、今夜はお前の部屋行くから」

「えっ、いきなり?」僕はたじろぐ。

「お前の退院祝いだよ。昨日はドタバタして、そんな余裕なかっただろ?」

「泊まり……じゃ、ないよね?」

 恐る恐る確認すると、彼は急にしかつめらしい顔で指を一本立てた。

「星紀君。あなたが入院している一ヶ月、家賃を立て替えたのは私です」

 うっ、と、僕は言葉に詰まる。大家さんから両親に連絡が行き、禎宣に返金が行われてはいたが、その事が関係者各位に明かされるまで、彼の少ない生活費を削らせてしまったのも事実だった。

「分かったよ。お祝いって事なら、断る訳にも行かないし。ありがとう」

「よっしゃ! お前、料理出来るんだっけ?」

 いきなりどうして、と思った僕は、すぐにぴんと来て手を打った。

「僕が理系だから、だよね? 国語が苦手とかじゃなくて、科学が得意って理由で」

「正解」禎宣はニヤニヤする。

「料理に熱を入れる理科系キャラは珍しくない」

「そうそう」

「で、理由を聞くと『料理は科学だから』って答えるんだ」

「大当たり! おめでとう!」

 禎宣は大袈裟に拍手をしながら、心から楽しそうに笑った。

 本日より『闇の涯』の連載を開始します。全くファンタジー感のない初日ですが、次回からちゃんとファンタジーになるのでご心配なく。第13回集英社ライトノベル大賞に応募した作品ですが、既定のテキストファイルの都合上使用出来ず変更を余儀なくされた文字や傍点などは、なろうへの投稿に当たって完全に復活させています。今年からWordファイルでの応募もありになっていて正直悔しかった……藍原の異世界ファンタジー群に登場する伝統的な技名すらも変更せざるを得なかったので。

 という訳で、これから本サイトで投稿する『闇の涯』はいわば”真バージョン”といったものになりそうです。藍原センシワールドの世界観をぎゅっと凝縮した一作、明日以降も是非お楽しみ頂ければ幸いです。

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