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綺麗事の余白に滲むのは

腹から血を流した女は霞む視界の中、自分を抱きしめる男を見上げた。薄ぼんやりと映る男のまなこからはぽた、ぽた、と大粒の雫が、降り始めの雨のように女の顔に落ちていく。その温かさに安堵した女は笑みを浮かべた。


「泣かないで」


声が掠れる。けれどまだ女の声は出る。

伝えなくてはいけないと思った。伝えなくては、この人を復讐の道へ、恨み辛みに呑まれた獣へと変えてはいけないと、女は最後の力を振り絞って口を開いた。


「かなしい出来事を、かなしいねと思うだけには出来なかったのです」

「もう喋るな……!もう話さなくていい……!」


必死で叫ぶ男は冷たくなっていく女の手を両手で握りしめた。どんどんと体温が奪われていくのに、医者は未だやってこない。動かせば尚更血が溢れていく女の体を動かすことは出来ない。ただただ祈るように女の体を温める男に女はゆるい笑みを返して、大丈夫だと伝える。


「私はそのかなしみを少しでも減らしたかった。後悔はしていません。この結末を知っていたとしても、

私の本質は変わらなくて、何度過去に戻っても同じことをしていたと思うのです」


女は後悔をひとつも含まない凛とした声で言った。死にかけているはずなのに、その声だけは力強く、男の目から流れ落ちる涙を震える指で拭う。


「憎しみを抱えないで。悲しみだけを見ないで。それでも世界は美しいのだと、綺麗事を信じるあなたでいてください」


女の魔力が尽きる。何とか抑え込んでいた体の損傷が一気に早まる。やがて血反吐を吐いた女は目を開けたまま動かなくなった。男の顔に伸ばしていた手を、力無く地面に垂らしたまま。

静かな夜に響くのは男の、獣のようなうめき声だけだった。







「つまり貴方たちは魔法使いの国を全て巡り長を訪ねるということですか?」

「そうです」


無事に火の国へと入国をした私達は国の中心部を目指し歩いていた。その道中で旅の経緯を話せば、レーヴァさんは顎に手を当て何かを思案し始める。


「魔法使いの長全員と知り合い、ですか」

「やっぱり変な話ですよね」


レーヴァさんの言葉に同調するように返す。私でさえ信じ切れてはいない話なのだ。先ほど出会ったばかりのレーヴァさんなんて尚更こんな話を信じられないだろう。森の中に住むお婆さんが国を治める魔法使いの長、しかもその全員と知り合いだなんて。


「いえ、一人だけ思い当たる方がいます」


しかし意外なことにレーヴァさんは私の話を疑わなかった。彼の目―正確に言えば分厚い眼鏡―がこちらに向けられる。


「お婆様の魔道具をお持ちですか?」

「持ってます」

「そちらを見せていただいても?」


私は彼の言葉に従って首にかけていたペンダントを服の中から取り出す。夜空を切り取ったような石が嵌め込まれたペンダントが太陽の光に照らされて、キラッと輝く。


「これは……本物ですか?」


ペンダントを見た瞬間、レーヴァさんが驚いたように眉を上げる。これまで淡々と話していたその声にも驚嘆の色が滲んだ。

一瞬、彼の目がソラへと向けられた。


「あそこでドラゴンの尻尾焼き売ってるって」


ソラが呑気な声を上げる。彼らが目を合わせたと感じたのはどうやら気のせいだったようだ。


「本物……かどうかは分からないですが、私がお婆さんに預かったのは確かです。これを見せれば大丈夫だと」


私がそう答えれば、レーヴァさんがじっと固まったまま私を見下ろしていた。何だか圧を感じた私は少したじろいでしまう。


「じゃあ貴方は大魔女様の血縁、なんですね」


そう言うレーヴァさんの声はどこか懐かしむような、それでいて寂しげなものだった。


「大魔女様……?お婆さんのことを知ってるんですか?」


私は娘、という単語には触れなかった。私とお婆さんに血の繋がりはないけれど、レーヴァさんの様子から何となく言い出しづらかったからだ。何より自分自身もあまりそれについて触れたいとは思わなかった。


「知っています。ただまあその事については長から聞いた方がいいでしょう」


それに気付いているのかいないのか、レーヴァさんは元の淡々とした話し方でそう言った。それは言外にこれ以上話すことはないと言っているような口調だった。


「それじゃあ今度はレーヴァの番だよ。俺達に何をさせたいの?」


話が一段落したところで、今まで大人しくしていたソラが私たちの間に割り入って肩を組んでくる。レーヴァさんは鬱陶しそうな顔をしていた。


「辺りを見回して何か気付いたことは?この国に頻繁に出入りする貴方なら分かるでしょう」


レーヴァさんがソラの顔を見る。ソラは辺りを見渡した。彼の表情は口元だけは緩く孤を描いているものの、その目は笑っていなかった。


「子供が極端に少ない」


そう言うソラの声は、事態が深刻だと思わせるには十分すぎるほど、真剣な声だった。

レーヴァさんが頷く。彼らの間には口を挟むのを憚れる雰囲気が漂っていた。


「誘拐された数が多いのか?それとも子供を出歩かせないようにしてるだけか」

「後者です。誘拐されたのは五人。連日連れ去られている関係で外出を控えさせてる親が多いようです」

「犯人の目星は?」

「正確にはまだ。ただ気になる建物があるのでそこに赴いてみようかと」

「なるほど」


さくさくと情報共有を行なっていく二人の会話に黙ったまま耳を傾ける。

つまりは誘拐された五人のこどもを救出し、かつ誘拐を止める必要があるということだ。そのためには犯人の目星をつける必要がある。


「じゃあとりあえずはその建物に向かおうか」


ソラの視線が私へと向けられる。


「そうだね。そうしよ────わっ!」


頷きながら返事をしようと彼の目を見たところで、背後から誰かがぶつかってきた。


「うわっ!すんません!」

「もうお兄!前見て走らなきゃ!」


聞こえてきたのは男女の声だった。

私は思わずぶつかられた肩を押さえて後ろを振り返る。彼らは一目で兄妹と分かるくらい似ていて、太陽に照らされる髪はオレンジ色に輝いているのに対し、瞳は深い森の中のように落ち着いた新緑の色をしていた。


女の子のほうはふわふわとした長い髪の毛を風に揺らしながら額に汗を流している。そして私にぶつかってきた男の子は、切れ長の瞳に活発そうな雰囲気を纏い、釣りあがった眉毛を少しだけ下げて申し訳なさそうな顔を浮かべていた。


「大丈夫だよ」


どことなく年下に見えるその顔に私は笑顔を浮かべて返す。男の子は安心したように息をついて人懐こい顔で笑った。その口元に見える八重歯が犬のようだ。


「あざす!ほんとにぶつかってすんませんでした!これお詫びに!」


彼が大量に抱える荷物の中からりんごを一つ取り出す。


「そんじゃ急いでるんでこれで!あざした!」


有無を言わさず私の手の平にりんごを押し付けた男の子はそのまま後ろにいる女の子に「行くぞ!」と言って走り出す。女の子は慌てた様子でこちらと男の子を交互に見て「兄がすいませんでした!」と言って頭を下げて男の子の後を追いかけて行った。


「嵐のようだった」

「本当だね」


思わず漏れた言葉にソラが同意する。彼らは一体何をそんなに慌てていたのだろう。


「誘拐されるのは小さい子供ばかりなの?レーヴァ」


ソラのその質問には先程のような十三、十四歳程に見える少年少女たちは対象ではないのか、という意図が読み取れた。


「はい。魔法使いは見た目を偽ろうと思えばいくらでもできますからね」

「ああ、そうか。長生きしてる魔法使いの中には魔法で自分を小さい頃の姿に変える者もいるからな」

「そういうことです」

「見た目をわざわざこどもの姿に変えるの?」


私が首を傾げれば、何が面白かったのか二人は顔を見合わせて笑った。


「強い魔法使いは少し長生きですからね。退屈なんですよ」


何かを思い出しているような、思い浮かべているかのような顔でレーヴァさんが微笑む。


「多分、退屈で孤独だから、そうやって紛らわすんだよ」


ソラが優しい顔で言う。

私には分からなかった。どうしてそんなことをするのか全然分からなかった。私は長く生きられない運命だからなのか。大人になれるということが、未来がどこまでも続いているということが、幸せではないのだろうか。

私にはあまり想像が出来なかった。


「いいんだよ。分からなくても」


太陽が照り付ける。私達の歩く道は国の中心部へと近付いて徐々に人が増えていく。ソラの綺麗な絹のような髪が自然の光に照らされて輝いた。


「アンナはこの先も分かんないままでいい」


そう言ったソラの笑顔はとても穏やかで優しいものだった。だから、私は彼の言葉の意味をちゃんと理解できていないのに、思わず頷いてしまった。

私はいつの日かにもこんな笑顔をどこかで見たような気がして、結局思い出せなくて、考えるのをやめた。

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