火の国
「ちょっとアンナ?アンナさん!?目の前に木があるの見えてる!?」
「集中出来ないからちょっと黙ってて!舌噛むよ!」
風を切る音がする。私達を取り巻く景色が目まぐるしく変化していく中、眼前に迫った大木を急カーブで避ける。後ろからひゅっと喉が鳴る音がした。
「君、ほ、ほうきの扱い雑じゃないか!?」
「コーナーで差をつける!」
「何を言ってるんだ!?」
私はあることを失念していた。それは私が箒の二人乗りをしたことがないということだ。
魔法使いにとって箒というのは、自転車のようなものだ。誰もが幼い頃に大人達に教わり乗れるようになる(これはお婆さんの言葉である)。
だからと言って簡単なわけではない。自身の魔力で箒を浮かせて持続させた上に、自分が座るのだ。それに加えて前に進んだり、速度や高さを変えることの難しさを、体験したことのない人間に話しても理解はされないだろう。箒が落ちないように維持し続ける魔力量と集中力、速度と高さを調整するのに必要な魔力量を適切にコントロールする繊細さ、そして一本の棒に跨り落ちないバランス力、これら全てが揃わなければ箒には乗れないのだ。
「また目の前に木が迫ってるけど……!?」
「わかってる!」
しかし、私はお婆さんに鍛え上げられていた。この森の中もそうだ。アモウデスと火の国の国境付近のこの森には鬱蒼と生い茂った木々があるのみで人が通ることは一切ない。私はお婆さんからのお使いという名の修行により、この森の中で木の実やら薬草やらを採取していた。そしてそれには必ず時間制限があり、見渡す限り大木という障害物だらけのこの森を縦横無尽に飛び回っていた。
だから箒の扱いにおいては誰よりも自信があるし、何より勝手知ったるこの森の中だ。何一つとして心配
はしていなかった。
「せめてもう少しスピードを落としたら……あぶなっ!」
「頭上げると木にぶつかるから下げてて!」
「もっと早く言って欲しかったな!?」
ただ誤算だったのが、二人乗りをするだけでこんなにバランスが取りにくく、魔力の加え方が難しくなるという点だった。
更に彼の体重は私よりも重い。男の人だということに加えて、ギルド所属だったなら当然筋肉量も人並み以上にある。
二人分の重みを浮かせるためには相応の魔力が必要になる。そして、魔力を多く込めるということは必然的にスピードも速くなるということだ。
「こうなったらいっそフルスピードで火の国に向かうっ!」
「正気か!?」
後ろから抗議の声が放たれる。しかしながらそんなものに耳を傾ける余裕はない。
まさかこんな少し考えれば分かるものに気付かないなんて、私は自分自身の愚かさに嫌悪感を覚えた。
「ハア、ハア、やっとたどり着いた」
「い、生きた心地がしなかった」
「それは俺の台詞だよ……」
息も絶え絶えになりながら、私達は無事に火の国に辿り着くことが出来た。
森を抜けたところで箒から降り、そこから少し歩けば視界には火の国が見えてきた。
火の国は大きな塀で囲まれており、門のような場所には兵士が立っている。
「魔法使いの国なのに兵士が立ってるんだね」
てっきり魔法使いばかりだと思っていた私は疑問に思いソラを見る。
「火の国は城塞国家で、通行証がなければ通れないからその確認のために兵士が立っているんだ」
額の冷や汗を拭ったソラは、品のある笑みを浮かべて私の疑問に答えた。
「あの人達は魔法使いなの?」
私は更に疑問を投げかける。
「いや、魔法使いじゃないよ。火の国では人間を受け入れているからね。簡単にできる仕事は人間にやらせているんだ。そうしなければ彼らは仕事がなくなってしまう」
「門番が簡単な仕事?」
門番なんて一番重要で大変そうな仕事が簡単だなんて私は驚いてまたソラの顔を凝視した。
だって人間の門番なんて、魔法使いが襲ったらすぐにやられてしまうだろう。
「火炎の魔法使いは攻撃魔法を得意とする者が多いからね。門番に嚙みつけるのはよっぽど腕に自信のある奴か馬鹿ぐらいなものさ。だから危険が少なく人間にも任せられる仕事なんだよ」
そんな私の様子が可笑しかったのか、ソラは子供に言い聞かせるような優しい声音でそう言った。
「もし腕に自信のある人が来たら?」
「それも心配ないかな。火炎の魔法使いの長と補佐官に勝てる者はそうそういない。それに、攻撃魔法を得意とする魔法使いが多いというだけで防御魔法が苦手なわけじゃない。ほら、あそこを見てごらん。丁度いいところに馬鹿がいる」
ソラが指差す方へと視線を向けると、門前で大柄な男性が兵士達を下卑た笑みで見下ろしていた。
「おいおい、門番って人間なのかよ。しかもこんな小せえ人間!俺様は魔法使いだぜ!?」
「通行証をお見せください」
「んなの持ってねえよ!おい、魔法使い様のお通りだぜ!?さっさと通せよ!」
あまりにもチンピラとしての才能を開花させすぎている男は、不愉快な笑い声を上げながら兵士の肩に肘を乗せた。
「あんな典型的なチンピラいるんだね」
「ね。恥ずかしくないのかな?彼」
私の呟きにソラも同調する。
男の態度に兵士は少しも動揺することなく、無表情を貫いていた。
「通行証がないのならここを通すことは出来ません」
「ああ!?こっちは魔法使いだぞ!?人間が逆らってんじゃねえよ!」
「魔法使いだろうと人間だろうと変わりません。皆同じです」
「……へえ」
兵士の言葉にソラは関心したかのように声をあげた。その声に釣られるように私も兵士の顔を見る。
「痛めつけてやんなきゃ分かんねえようだなっ!」
「あ、危ない……!」
兵士の態度が気に食わなかったのか、男は激高し、魔法陣を展開した。一瞬にして彼の手元には大剣が現れる。
「あの男、魔法で剣を作り出した。他にも何か魔法をかけてるみたい……!」
男の足元に広がる魔法陣から、淡い光が蛍のように飛び回り男の身体の周りに浮かぶ。
私は思わず兵士に駆け寄ろうとした。すると、ソラの手が肩に置かれる。
「強化魔法だね。彼の身体能力が底上げされている。なるほど、確かに大口を叩くだけはあるみたいだ」
「ソラ、何してるの!助けに行かないと……!」
「慌てないで。大丈夫だから」
余裕な笑みで私を見つめたソラは、そのまま兵士の方へとまた視線を戻す。その動きに釣られるように私も視線を戻した。
私達が言い合っている間に男の足元の魔法陣はなくなっていた。強化魔法が彼にかけられた証拠だ。
男が大剣を振り下ろす。それに対して兵士は微動だにしない。彼に魔法がかけられているような気配は感じられなかった。
「あのままじゃ斬られるんじゃ……!」
肩に置かれたソラの手を振り切って私が兵士に駆け寄ろうとしたその時だった。
ガキンッという大きな音を立てて男の大剣が折れる。剣先は空を飛び誰もいない地面へと突き刺さった。
あんぐりと大口を開ける男に対して、兵士は至って冷静な姿勢を崩さなかった。
「許可証がないことにはお通し出来ませんのでお引き取りください」
男はよほどショックだったのか、そのままよろよろとどこかへと歩き出した。
「今のは……結界?」
「正解」
ぼそりと呟く私にソラが楽しそうに答える。
「更に言えば攻撃魔法が組み込まれている結界だ」
「攻撃魔法が組み込まれた結界?」
「そう。攻撃は最大の防御と言うだろ?あの結界には相手の魔力を吸収し、それを倍の威力にして跳ね返す魔法陣が組み込まれている。そしてそれは兵士たちが身に着けている腕輪にも組み込まれているんだ」
私はその言葉を聞き、兵士たちの手首へと視線を向けた。確かに彼らは手首に銅色の腕輪をつけている。
────そして、その時になってようやく私は重大なことに気付いた。
「ねえソラ」
「うん?」
「私たち、通行証持ってないよね?」
「あ」
ソラはわざとらしく口元に手を当てて驚いた表情を作る。多分そんなことにはとっくに気付いていたのだろう。というより火の国に入るのに許可証が必要なことにも、私がそれを持っていないことも知っているのだ。底の知れない男だと思う。
「なーんちゃって。心配しなくても大丈夫。この国にはよく来てるからね。通行証くらい持ってるよ」
「ソラは持ってるかもしれないけど私は持ってないよ」
「それもまあ、大丈夫」
何か策があるのか自信ありげな笑みを浮かべてソラは私の手をそっと握った。
「何か策があるの?」
「まあまあ。ついておいで」
私はそんなソラの楽しそうな顔に何故か何も言えなかった。手を引かれるままにただ彼のあとを追って歩く。
城壁に近付けば、先程の兵士がこちらに顔を向ける。
「こんにちは門番さん」
ソラは貴族のような優雅な笑みを兵士へと向けた。
「こんにちは。依頼ですか?」
兵士はソラの腰に下がる剣にちらりと視線を向けた後そう尋ねた。
「いや、観光で」
ソラは顔色一つ変えず、動揺も一切見せずに息を吐くように嘘をついた。
門番もソラの言葉に対して何も疑いを持った様子はない。
「なるほど。貴殿は騎士のようですが、そちらの女性は?」
唐突に兵士の視線が私に向けられる。油断していた私は思わずびくりと肩を震わせた。
そう言えば私はソラから何も聞かされていない。
そんな私の反応に気付いたのか、ソラは私を兵士から庇うように前に出た。
私は心からソラに感謝した。ソラがいなければ私はきっとどこの国にも入国することは出来なかっただろう。彼が矢面に立って先導してくれるから、世間知らずの私は安心出来るのだ。
まだ出会って数時間の男を私は何故か信頼していた。
「ああ、失礼。妻です」
それも束の間、私は思いきり顔を上げてソラを凝視した。
「……その割にはお隣の方は驚いた顔をしていますが」
兵士が私の顔とソラの顔を交互に見つめて困惑した表情を浮かべる。
「照れ屋なんです妻は」
確実に疑いの目を向けている兵士の視線などお構いなしにソラは笑みをたたえて嘘を吐く。
「通行証はお持ちですか?」
未だ訝しげな視線を向ける兵士はソラに向かってそう言った。
ソラはどうするつもりなのだろう。私はソラへと視線を向けた。
太陽の光を浴びたソラの髪の毛は、光が反射してキラキラと揺れ動く水面のように美しく、神秘的だとすら感じた。
「やっぱダメか」
ソラはあっけらかんとした態度で笑った。
私はそんな彼を見てぽかんと口を開けた。
「え?ソラ?」
「さすがに怪しいよねー」
「ソラさん?」
焦る私。笑うソラ。ちぐはぐな私達二人に対し、不気味なものでも発見したかのような視線を向ける兵士。なんだこれは。
「何か策があったんじゃなかったの!?」
「いや、今後何かあった時のために咄嗟に嘘がつける演技力を鍛えたいなあって」
「それ今だった!?」
「こういうのは日頃の鍛錬が必要だからね」
「ふざけてる!?」
言い合いをする私達を見て、兵士は危険な者ではないと判断したのだろう。それぞれが持ち場へと戻り出す。
一人残った兵士が「通行証がないのであれば、お通し出来ません」と言って、彼もその場を後にした。
こうなったらここから挽回するのは難しいだろう。というか不可能だ。私は盛大に頭を抱えた。
「終わった……」
「元気出して」
「誰のせいだと」
項垂れる私の背をソラがさする。この男は自分のせいでこうなったという自覚がないのだろうか。
けれど、彼に任せきりにしていた自分も悪い。私には彼を強く責めることはできない。
「……安心してちゃんとこの国には入れるから」
落ち込んでいる私を見かねたソラが自信に満ちた笑みを浮かべる。それは私を慰めるかのようだった。
「え?」
顔を上げて彼を見つめる。空色の瞳が揺れた。悪戯をしかける子供のように。
ソラがポケットに手を突っ込む。そこから取り出されたのは細長い、犬笛のような形をした笛だった。
ピィー、と音が鳴る。ソラが笛を吹いた音だ。
「ソラ何してるの?」
「ん?助っ人を呼んでる」
「助っ人?」
音をたどるように空を見上げる彼の瞳は、誰かが必ずくると確信しているようだった。つられて空を見上げる。
そうして待てば一分にも満たない間に、魔力の流れを感じた。
地面の上に魔法陣が広がる。ザっという砂を蹴るような音と共に一人の男が現れた。恐らく転移魔法だろう。
「人使いが荒いな」
男は真っ先にソラに視線を向け、ため息をついた。
真っ赤な髪の利発そうな青年だった。
「久しぶりレーヴァ」
ソラは彼の嫌味に気付いていないかのような素振りで笑いかける。
レーヴァと呼ばれた青年は、仕方なさそうに首を振った。その表情は分厚い眼鏡に覆われていて分からなかったけれど、どうやらソラの突然の呼び出しには慣れているようだった。
「それでどうしたんですか?」
「通行証がなくて困ってるんだ」
「再発行したらどうですか」
「いや俺はあるんだけど、彼女がね」
テンポよく進んでいた会話の中、突如二人分の視線がこちらに向けられる。
「……彼女は?」
「俺の妻」
「可哀想に」
「あいえ、違います」
「可哀想ってなに?」
憐みの視線を向けてきたレーヴァさん(眼鏡ではっきりとは分からないけど)はソラの言葉を華麗に無視
して「嘘なのは分かってます」と言って眼鏡を押し上げた。
「それで通行証を発行してほしいと」
「そう。発行したら帰っていいよ」
「ちょうどいい。人手が欲しいと思ってたんです」
「やっぱそうくるか」
ソラが溜息をつく。どうやら予想していた展開だったらしい。
「どうしますか?」
レーヴァさんが答えを促す。そこでソラの視線はレーヴァさんから私へと向けられた。選択権は私にあるかというように。
「ソラ」
私は名前を呼んだ。見つめ合った瞳が細められる。ソラは悪戯めいた笑顔を浮かべていた。これだけでお互いの気持ちが通じ合った。
「俺達に何をさせたいの?」
ソラがレーヴァさんへと顔を向ける。
黙って返事を待っていたレーヴァさんは眼鏡を持ち上げた。
「誘拐された子供達の行方を追って欲しいんです」