ソラという名の男
「ここまで来たらもう大丈夫かな」
辺りを見渡した青年は、ギルドから遠く離れた場所でそう呟くと繋いでいた手を離した。そしてこちらに視線をよこすとわざとらしく大きな溜息をつき呆れているような表情を浮かべた。
「君、あのまま外に出ていたら襲われていたよ」
端正なその顔立ちにはめ込まれた宝石のような瞳に鋭さが宿る。
ドキリとした。上手くやれていると思っていたけれどあくまでもそれは主観的なものでしかない。客観的に見たら私のあの態度はやはり怪しく映るものだったという事だろうか。
「お忍びで人を雇いに来る貴族は多い。けど、ああいう場では大抵の貴族は自分がいくら金を持っているかをアピールするし、君の所作は貴族のそれではない。けど平民で顔を隠して人を雇うのは訳ありの場合が多い。しかも数人雇うわけでもなく、一番強い人間を一人、なんて傍から見たらどうぞ怪しんでくださいと言っているようなものだ」
人里離れた場所で暮らしてきた私にとって、普通の人の振る舞いというのは難しい。生活に必要なものは全て魔法を介して取り寄せることができたし、アモウデスに訪れる機会など数える程しかなかった。
顔を晒して人を雇うのは危ないと思って隠したが、それがまさか裏目に出るとは思わなかった私は呆気にとられながら彼の話を聞いていた。
「あそこは大きいギルドだからわざわざ怪しい訳ありの依頼を受ける必要もないし、ここに住む人間ならそのことを知ってるから、訳ありは大抵裏路地にあるギルドに依頼するものなんだけど」
そこで言葉を区切ると、彼は私の瞳をじっと見つめる。
「君、ここの人間じゃないよね?」
私を見据える彼の表情は何だか楽し気に見えた。
「人間かどうかも怪しいな」
無意識的に唾を飲み込む。
なんと答えるべきか考えあぐね、それでも何かしら言わなければと口を開いた時、青年は打って変わって「まあそんなことはいいや」と表情を和らげた。
「それで、人を雇って何をしようとしてたの?」
「え?あの……」
「ここの国の人間じゃないとしたら護衛とか?俺がやってあげるよ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん?」
どんどんと相手のペースに飲み込まれてしまいそうになったところで両手を掲げ、彼の言葉を制止する。
目の前の青年は綺麗な瞳をまん丸にして首を傾げていた。顔が良いことを自覚している人間の所作だ。
「貴方、さっき人間じゃないかもって疑ってましたよね?」
「ソラだよ」
「はい?」
「俺の名前。ソラ」
「今はそんなこと」
「言って?アンナ」
「ああ、もう……」
結局相手のペースに飲み込まれていることに思わず頭を抱える。魔法使いにとって名前というのはあまり重要視されていない。お婆さんも私に名前を教えてはくれなかったし、そもそも本人が自分の名前を憶えていないようだった。ここまで名前にこだわるのは人間特有のものだろう。
「……ソラ」
「うん、なに?」
仕方なく名前を呼べば、何がそんなに嬉しいのかソラは顔を綻ばせて私を見つめていた。
「さっき私のことを人間じゃないかもって疑ってたよね」
「うん」
「それはつまり、私が魔法使いかもって疑ってるってことでしょ?」
「まあそれ以外の可能性もあるけど、それが一番妥当かな」
平然と言ってのけるソラの顔を思わず凝視する。
大抵の人間は魔法使いを嫌っている。それは虫が嫌いという人が多いのと同じように、この世界では魔法使いに好意的な方が珍しいのだ。
けれど彼はそのことにあまり重きを置いていないように見える。彼が変わった人間であるだけなのか、あるいは何か企んでいるのか。
じっと見つめてみても私には彼が悪意のある人間なのかわからなかった。主観ではそんな人間には見えないということだけ。
「人間は魔法使いが嫌いなんじゃないの」
「やっぱり魔法使いなんだ」
慌てて口を押さえるが放たれた言葉は戻ってはこないし取り消せない。頭の中で考えていたことを口に出してしまっていたらしい。そんな間抜けなミスをするなんて、自分でも驚いてしまった。
「俺あそこのギルドで世話になってたことがあってさ」
黙ってしまった私を見て、ソラがおもむろに話し出す。
「色んな依頼を受けてたんだ。それこそ魔法使い討伐とかね」
彼の発言にびくりと肩が跳ねる。そんな私を一瞥したあと彼は話を続けた。
「他にも村の山奥に居座るドワーフを何とかしてほしいとか、森に住む不気味なエルフを退治して欲しいとかその他色々依頼されたけど、話を聞いてみると実は彼らは何も悪いことをしてなかったってケースが意外と多くてさ」
ソラの顔を見上げる。
「困ったもんだよな」なんて呆れ気味に溜息をついたソラは、私の方を向いて、優し気に微笑みかけてきた。
「どの種族にだって良い奴もいるし悪い奴もいる。人間にはない力を持っているってだけで魔法使いやその他の種族が殺されていいはずがない。アモウデスにはたくさんのギルドがあって数えきれない程の討伐依頼や暗殺の依頼なんかが舞い込んでくるから皆麻痺してるんだ。本来命ってのはさ、そう簡単に手放していいものでも奪っていいものでもないのに」
そう言うソラの顔には嘘なんて一つもなくて、本当に憂いているようだった。
「話が少し脱線したね。たくさんの種族と出会ってきたから俺はそういうので他人を判断しない。君が悪いこと出来るタイプじゃないのは見れば分かる。だから危なっかしい君の護衛をしてあげようと思ったんだ」
「それは…………ありがとう」
危なっかしいに反論しようと思ったが反論の余地のなかった私は素直にお礼を言った。たった今出会ったばかりの彼を信じてみたいと思うあたり、私は誰がどう見ても危なっかしいだろう。でも、何となく彼は大丈夫だという自信があった。
「こう見えて腕は立つ方だし安心して任せなよ」
「……それなら五つの魔法使いの国までの護衛をお願いしてもいいかな?」
正直言って腕の強さをそこまで重要視していなかった私は彼の提案をありがたく受け入れることにした。そうして彼に私の目的を伝えようと口を開いたところで彼がスッと真剣な表情を浮かべた。
「五つの魔法使いの国?全てを回る気なの?」
「そうだけど、やっぱり難しい?」
眉間に皺を寄せたソラは何かを考えこむように押し黙ってしまった。気まずい沈黙に耐えられなくなった私は彼に旅の目的を話す。
「…………なるほど。お婆さんの手紙を渡すために、か」
「このペンダントを見せれば魔法使いの長に会えるってお婆さんは言ってたんだ」
私は服の下に隠していたペンダントをソラに見せる。ソラはそのペンダントを見た後に腕を組んで逡巡した。
「そうなると最初に向かうのは火の国か土の国がいいね」
「……火と土の国?」
「ああ、そうか。君は山奥にお婆さんと住んでるって言ってたね。魔力を持たない人間は魔法使い達の国を火の国、土の国、風の国、水の国、夜の国って呼んでるんだ。魔法使い——特に年寄りの魔法使いは名前に拘らないけど、国の名前がないのは不便だろう?」
初めて聞いた話だった。そう言われたら確かにお婆さんは火焔の魔法使い達の住まう場所という言い方をしていた。
「最近じゃ若い魔法使い達の間でも定着してるみたいだよ」
「詳しいですね」
「そりゃギルドで色んな依頼こなしてきてるからね」
ソラは可笑しそうに笑っていた。
「それで話を戻すけど、この五つの国のうち、夜の国と風の国には人間はほとんどいないんだ。特に風の国は魔法使いですら出入りするのは容易ではない」
「出ることも難しいんですか?」
「そう。出るのも入るのも、ね」
ソラは苦々し気にそう言った。
「風の国は浮島だから空の上にある。そして出入りが許されてるのは恐らく魔法使いの長のみ。もう一つの夜の国は治安があまり良くないからなるべく国自体に入らず、どうにか長同士で連絡してもらって手紙を届けてもらった方がいいと思う」
「それじゃあ水の国は?」
「水の魔法使いは警戒心が強いからなあ。多分、お婆さんから手紙預かってます、なんて言っても門前払いされると思うよ」
「消去法で火の国か土の国ってことね」
「そういうこと」
ソラが頷く。そうしておもむろに地図を取り出すと地面に広げてみせた。その地図はアモウデス近辺の国々が描かれた地図のようだった。
彼はアモウデスの隣に位置する国を指差す。
「幸いアモウデスから一番近いのは火の国だ。土の国はここからだと結構距離があるしとりあえず火の国を目指したら?」
彼の提案に特に異論はなかった。私は頷いてその提案を受け入れる。
「今アモウデスを出れば昼すぎくらいには着くと思うんだけどすぐ出発出来る?」
私はソラが広げた地図を眺めながら昔お婆さんから教えてもらった火の国までの最短ルートを思い出す。今はまだ午前中。箒で行けば少しくらい道に迷っても昼過ぎには着くだろう。
「伊達に長いことギルドに居座っていないさ。旅の準備はいつでも万全だよ」
ソラは得意げにそういうと腰に下げた剣の柄部分に触れた。
「よし、それじゃあ行こう」
お互いの準備が万全なのを確認し、私はソラに火の国までの旅路について説明した。