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冒険の始まり


死後の世界にあったのは天国でも地獄でもなく、真っ白な空間と空飛ぶクマのぬいぐるみだった。


「九十九回目の死と百回目の輪廻転生おめでとう」


茶色のボディに同色のボタンが目の代わりに付いたクマは、まるでそれが本当にめでたいことであるかのように、声高らかに言った。言ったというのが正しいかは分からない。クマのぬいぐるみは口が刺繍で縫われていて、その口が動くことはなかった。


「私は願いを叶えにきた優しいクマさんだ」


「願い?」少女は問う。


「短命の運命に囚われしそなたの魂を救いにきた、とでもいうべきかな。人間よ、生きたいと願うか」


クマの言う通りならば九十九回目の死の際、少女は十九歳だった。死因は何ともまあ、ありふれた交通事故だ。その時の絶望、恐怖、怒り、悲しみ。そして生への執着が少女の口を自然と動かす。


「生きたい」少女は答えた。


「よろしい。それでは願いを叶えよう」


そこで私の意識は————途絶えた。




その記憶を取り戻したのは育ての親、もとい魔女のお婆さんが亡くなる寸前だった。


「アンナ、こっちに来なさい」


ロッキングチェアに座るお婆さんが手招きをする。私は親の顔を知らない。山奥の誰もいない森の中でずっとお婆さんと二人で暮らしてきたからだ。お婆さんが言うには私は山で捨てられていてそれを拾って育てたらしい。

目を瞑ったままのお婆さんの声はしゃがれていて、もう長くはないのだと嫌でも分かった。


「絶望するな」


私の顔は見えていないはずなのに、全てを見透かしているようなお婆さんは私の方へ顔を向けて言った。視界が揺らぐ。お婆さんしかいなかった私の世界で、その唯一の支えが、命の灯を消してしまおうとしている。


「いい人生の幕引きだった。アンナ、私の人生に後悔はない。ただお前のことが気がかりだ」


お婆さんが私の方へ手を伸ばす。その手を両手で掴めばそのままお婆さんの手が私の頬へと当てられた。


「この森を出て世界を見なさい。どんなに受け入れがたい事実を知っても絶望するな。辛く悲しい出来事が起きても、責任や役目を求められて全てが嫌になっても、それでも世界を愛しなさい」


頬を流れる涙がお婆さんの指先に触れる。その瞬間、私の頬は熱を帯び、涙が少しずつ乾いていく。お婆さんの魔法だ。


「お婆さん、私ここで暮らすよ」


私の言葉にお婆さんの手がピクリと動いた。目を閉じたままのお婆さんは片眉をあげ、その真意を探ろうとしているようだった。やがて笑みを深めたお婆さんは私の頬から手を離すと自らの首元へと手をもっていった。


「これをやろう」


お婆さんの手に握られていたのは、いつも彼女が身につけているペンダントだった。漆黒の中に星々の煌めきのような輝きがいくつも閉じ込められた宝石は、まるで夜空を切り取ったみたいで美しい。


「これは……」


呆気にとられた私に構わずお婆さんが腕を伸ばし私の首へとペンダントを付ける。私はこの時になって漸く、この人は本当に死んでしまうんだと現実を突き付けられた気分になった。


「大事な魔道具を私なんかに渡してどういうつもりですか」


震える声は、受け入れられない現実への憤りなのか、悲しみなのか自分自身でも分からなかった。魔道具は魔法使いにとってなくてはならない代物だ。それを渡すというのは命を渡すも同然の行為だと、お婆さんが教えてくれた。それを今、お婆さんは私に渡している。


「お前は本当にじゃじゃ馬娘だった。最期の最後まで私を困らせてくる」


お婆さんは笑っていた。私が悲しんでいることが分かっているはずなのに、それでも可笑しそうな笑みを浮かべて、この状況を楽しんでいるようだった。

私はこんな時でもいつも通りなお婆さんに少しの安心感とそして苛立ちを覚えた。


「笑いごとじゃな——」

「アンナ、聞きなさい。私に残された時間はもう僅かしかない」


お婆さんの有無を言わさない声に押し黙る。


「書斎の引き出しに魔道具と手紙が入れてある。詳しいことはそれを見なさい。ひと先ずアンナ、お前は

五人の魔法使いの長に会いに行くこと。そのペンダントを身に着けていれば彼らも話を聞いてくれるはずさ。さあ婆さんはもう寝る時間だ。年寄りの頼みを無碍にはしないでおくれよ」


そう言うや否や、お婆さんが愉快そうな様子で指を鳴らす。するとお婆さんの足元に金色の魔法陣が浮かび上がる。


「これは…………」

「死に際は綺麗に、がモットーなのさ。優れた魔法使いは死期が分かる。アンナお前に会えて良かった。しんみりした別れは私らしくない。最期にお前に祝福をやろう」


お婆さんが人差し指を掲げた。指先が空を滑る度、金色の輝きが浮かび上がり、やがてそれは一つの魔法陣になった。指を鳴らす音が聞こえた瞬間、部屋の明かりは全て消え、部屋の中を星が流れ始める。


「わっ!」


踊るように空をなめらかに流れる星々はやがて私の周りに集まりペンダントの中へと入っていった。


「光の加護だ。中々お目にかかれるもんじゃないよ。さ、驚きが悲しみを上回ったところでそろそろお暇しようかな。アンナ元気で。前を向いて進みなさい」

「まっ——」


待って、と言おうとした時にはお婆さんは光に包まれた後で部屋には揺れているロッキングチェアと私しかいなかった。人との別れがこんなにも摩訶不思議だったことは前世を含めてもこれが初めてだった。何が起きたのか理解できない状況の中、私はとりあえず書斎の手紙を読まなければならない気がして、重い身体を何とか動かし書斎へと向かった。


これが、これから始まるアンナの、自らを知るための冒険の序章だ。


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