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「ああ、やっと会えた」


誰が血を閉じ込めたような色だと言ったのだろう。

最上級のルビーより美しい赤い瞳を持つ男は瞳も顔も恍惚とさせ、数多の人間を屠ってきたはずなのに花の香りがする大きな手で私に触れてくる。

最初は壊れものを扱うかのように表面だけをなぞっていたのが『幻ではないな』と呟いて、老若男女誰もが惚けるであろう端正な顔立ちを破顔させた。


そして、どういうわけか敵であるはずの私を抱きしめてくる。


私が後ろ手に拘束され、両膝をついている状態なので男も膝をついた。

本来ならこんなことは許されないししないはずなのに、何の躊躇いもなく男は私と同じように。

なぜ、という疑問は波のように襲ってくる困惑で浮いては沈んでを繰り返した。


魔法なんて使えない上に全ての武器と防具を取り払われた元騎士のサーシャ(わたし)と、圧倒的な強さを以て魔族を率いる魔王ラエル。


何百年も前に始まった、魔王の軍勢にの人間の王国(故郷)の侵略。

今も続いている国境線のせめぎ合いで生まれた犠牲は、もはや数えられることはない。


『魔王は悪いやつだ』

『魔王軍は人間の敵』

『赤ん坊だろうと女だろうと、捕まえて食べちまうんだと』

『冷酷無慈悲の最悪の敵』

『捕えた人間を戯れに嬲り殺して、ゴミのように捨てる』


ずっとそう教えられてきた。

彼らに捕まってはならない。

油断させて襲ってくるから話してもいけない。

どれだけみすぼらしく、弱そうに見えても、情けをかけてはならない。

ずっとそう、教えられてきた。


だからきっと、今のこの状況も私をからかっているだけなのだ。

気を抜いた時を狙って、嘲りながら殺される。

現に、今も魔王の腕の力はぎりぎりと強まっていき、男の肩に食い込んでいる私の喉はか細い息を吐き出した。


(このまま締め殺されるぐらいなら)


せめて一矢報いよう。

きっとこの魔王ならば『つい』であっという間に私の命を奪ってくれるだろうと。


強者を前にして震える体をなんとか動かし、体を捻って暴れるも、びくともしない魔王はそうすることが分かっていたかのように『それでこそだ』と穏やかに笑い声を上げながら、力を弱めて私の肩に顔を埋める。

深く深く吐き出された男の息に、どういうわけか安堵の色が乗っていた。


「サーシャ、ああ、サーシャ、私の騎士(ナイト)、よく生きていてくれた」


(今、なんと)


『抱擁』に相応しい時間が長く続き、魔王を前にしているという恐怖は拭えないまでも、近距離で伝わってくる男の鼓動と体温が彼もまた『生き物』なのだと否応なしに告げてくる。

敵であるはずなのに、妙に優しいその温もりが『大丈夫なのでは』と、強情な私を絆してくる。


糸が張り詰め、いつ途切れてもおかしくない生活が続いて、もう心がボロボロだった。

幼馴染の男が『剣聖』であり、彼が自ら私を部下に選んだのもあって周りのやっかみが途切れたことはなく。

厳しい訓練、理不尽な上司、愚痴をこぼせば上げ足を取られる日々と、頼れる仲間たちが一人、また一人と死んで行く日々を交互に繰り返せば心がすり減って当然なのだが、今の私はこれまでになく深く傷ついているのだ。

ちょっとした温もりで、懐柔されてしまうぐらいには。


(誰かに抱きしめられるのは、久しぶりだ)


一緒に故郷を出た幼馴染。

共に戦場で生き残った仲間たち。

仕えた主人と国。

それら全てに裏切られ、見捨てられた私は、なぜか喜んでいる魔王の腕の中で強ばっていた体から力を抜いた。


◾️


王国の端の端。

名前もついていない村で生まれた私は、解体屋を営む両親の一人娘だ。

お金になる産業もない村はほぼほぼ自給自足で成り立っており、平和すぎるほど平和なので山と川を越えて町に行くような人はごく僅か。

結婚式のさまざまを買いに行くためだったり、たまに村長家族が領主館に行くぐらいしかない。


たまに行商人から話は聞いていた。

こことは反対方向にある国境付近では魔王軍との攻防が続いており、今も数多くの兵士が犠牲になっていると。

なので、どんな身分であっても身を立てられるチャンスで、いつでも王国軍は人手を募集している、と。


「坊主、そこまで狩りの腕が立つなら士官だって夢じゃないぞ」


愛想の良い笑顔で私が狩って、解体した毛皮だったり角だったりを箱に入れている行商人は、まだ気づいていないらしい。


「坊主じゃない」

「またまた!どう見たって十の子どもだろう。まあ、無理もないか。大人の仲間入りをしたい年頃ってやつ「性別が違う」……え?」

「私は男の子じゃない」


ついでに言うと年だって八つなのだが、そこまでは言わなくて良いだろう。

他より成長の早い体は同い年の子どもたちより飛び抜けて背が高く、また父方の血筋が濃く出たのか体格が良く、母方の血筋が出て目つきが鋭い私は、どれだけ髪を伸ばしても『男の子』に見られた。

行商人は慌てて髪留めだったり、綺麗な刺繍のされたリボンだったりを売り込もうとしてきたが、すでに矢尻に使う麻痺毒と冬越えに必要な新しい毛布を買った後だ。

丁重に断った。


「良い。慣れてる」

「……すまんかったな。これぐらいは受け取ってくれ」


生まれ育った村は好きだが、どちらかというと閉鎖的な村だ。

そこで生きる『男の子』に見える『女の子』はどういうことになるか気遣ってくれたらしい行商人は、貝殻で作られている大ぶりなボタンをくれた。

少し欠けているから売り物にならないだけで、輝きといい、艶といい、文句なしの一級品だそうだ。


「マントの留め具にでもするといい。可愛くなるぞ」

「ありがとう」

「良いってことよ。じゃあまた来月」


二頭立ての荷馬車に乗って去って行く行商人を見送り、村の外れにある家へと急ぐ。

この後、大きな猪を解体する手伝いをするのだ。

手の平に乗ったボタンは日の光に照らすときらりと光り、確かに留め具にすれば『可愛い』だろう。

私が身につけなければ。


「母さんにあげよう」


綺麗な母と同じスカートをはいても、生活に必要な狩りでは邪魔になる。

父と一緒に狩りに出るようになって、すぐにスカートははかなくなった。

村の祭りで他の娘たちと同じようにめかし込んでも、近い年頃の男の子たちには『女男』とからかわれ、母の友だちたちには『嫁の貰い手あるの?』と心配される。

両親も同い年の女友達たちも味方だったが、たかだか祭りの一日で何日もヒソヒソされるのがうんざりして、めかし込むこと自体やめた。

普段からズボンをはいて、おしゃれの一つもしないままであると村からは『ただの子ども』として見られる気づき、さらにヒソヒソ声も止まったのでもうやる気もない。

同い年の子どもたちとは基本的に仲は良いのだ。

一緒に遊ぶし、悪戯をして並んで大人に怒られるぐらいには。


「サーシャ!一緒に帰ろうぜ!」


『女の子』を諦めた私にも、初恋なるものがやってきたのはいつだったろう。

駆け寄ってきて背中を叩いた男の子はリュカ。隣の家に住む男の子で、年も同じ。

くすんだ金髪と、蜂蜜を溶かしたような飴色の瞳の彼は明るく活発で、村中の人気者だ。

対する私は、濃い灰色の髪と、髪より明るいものの同じ灰色の目。

育ってきた環境が環境だからか口数が少なく無愛想な子どもになってしまったから、躊躇いなく話しかけてくるのはこのリュカぐらいなものだ。


「それボタンか?綺麗だな」

「行商人のおっちゃんからもらった」

「へえ~これ、貝殻って言うんだろ?海にいるやつ」

「貝なら川にもいる」

「川にいるやつは綺麗じゃない」


他愛ない話をして、家の前まで並んで帰るこの時間が好きだった。

私だけに許されている気がして、ほんの少し、いやかなり、舞い上がっていた。

もしかして両親みたいな仲の良い夫婦になれるのかな、と考えてしまうぐらいには。

けれどこれが私のうぬぼれであることを、ちゃんと私は知っている。


ついこの前のことだ。

近所に住む年頃の男女が婚約した、と母さんと父さんが話していたのを聞いた私は、ちょっとした好奇心でリュカに『告白もどき』をした。


『将来一緒になりたいって意味でリュカが好きだって言ったら、どうする?』


そう聞いた自分を、そんな曖昧な言い方で告白した自分を、今の私なら殴ってでも止めた。


『え………ぁ、あーーーー』


悩むに決まってるだろう。戸惑うに決まっているだろう。何様のつもりだ。

私は村の娘みたいに着飾らない。

あんな可愛い顔はできない。

笑えば可愛いと言われても、村の人たちの目にはありありと浮かんでいる。

『そんな怖い目つきじゃ無理だ』と。


『えっと、何の罰ゲーム?あ、トランプでセリナたちに負けたんだろ!な!そうだろ?』


幼馴染の一人。友人の一人。

そう思われていることは分かっていた。ちょっとぐらい『特別』な幼馴染じゃないかと、期待はしていたけれど。

分かっていたから、意識して欲しいと思って言ってみたのだが。

分かっていた。分かっていたことじゃないか。


『タチの悪い罰ゲームなんてやめろよ。自分を大事にしろ』

『……はあ…そんなだからセリナと口喧嘩するんだよ』

『な、な、』

『言っとくけどリュカがセリナのこと好きなの、私以外も知ってるから。ていうか村中知ってるよ』

『え!?』

『あーあ、時間無駄にした。仕事に戻るわ』

『無駄ってなんだよ!お前が言ってきたんだろ!?』

『はいはい私が悪うございました〜』

『おい、サーシャ!…なんだよも〜。あ、祭りまでに毛皮引き取りに行くからな!』

『はいはい』


早く立ち去らねばならない。

早く家に入らなければならない。

早く一人になって、涙を枯らさなければならない。

分かっていた。分かっていたじゃないか、サーシャ。


娘たちが村で家事をしている間に私は森で狩りをしている。

解体屋の仕事を後悔したことはない。村の役に立っている。

それでも、村の娘みたいに私は可愛くも綺麗でもない。

背は男の子と同じかそれよりも高く、血を流している狼を見ても、爪を振り上げる熊を前にしても悲鳴一つ上げない、『かわいくない』女の子。


分かっている。分布相応だと。望みすぎているとわかっている。

だから。これからは自惚れずに生きていくから。

だから、今だけ、今日だけは。


狭い狭いこの村では、噂も事実もすぐに回る。

リュカとのことはきっと大丈夫。森の中でまで噂話を聞きにくるやつはいない。


きっと夜が明けたら、きっと明日が来たら、きっといつものように狩りに行ったら、きっと昨日と同じく解体をしたら、きっともう大丈夫。

だから今日だけ、ほんの少しだけ。


「痛かったなぁ…!!」


何が罰ゲームだ。人の勇気を。この野郎。コンチクショウ。

私は私だと優しくしたくせに、結局可愛い子に目がいくんだから世の中不公平だ。

セリナのほんのちょっとでも愛想があれば、ちくしょう。ちくしょう。

溢れる涙は止まることなく、いっそ疲れ果てて眠れれば良かったのに、さまざまな思い出が蘇っては沈んで、また浮かんで、一向に眠気はやってこなかった。


この日から、ちょっとの違和感も残さないように私は『いつも』を装っている。

そうしていれば、初恋もきっと痛くならなくなるだろうと信じて。

痛いのは『気のせい』なのだと、言い聞かせ続けた。



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