02
最近は昔ほど客が来ることもないので宿屋を開ける事も増えた。
つまり幻想世界でログアウトに遭遇する冒険者も数を減らしているのだろう。それこそ最盛期は日に1000人を超える冒険者を先代のカミシロと一緒に応対する事もあったが、今となれば新顔は珍しい方だ。
それはホームの街も例外ではなく、数年前に比べるとその街中は明らかに寂れた様子が漂っている。
その日に消えるというのに毎朝街の外で花を積んでくる花屋。ガラクタを集めた自称道具店。味も香りもしないのに焼いたパンを早朝から店頭に並べていたベーカーリー。そういった店類はもうこの通りには存在しない。
在るのは――間違いなくそういった酔狂な冒険者達が居たという俺の記憶と、今や埃を纏わせた彼らの気配がそのまま残骸として大通りに遺っているだけ――――。
それも……そうだろう。
縫製スキルを使用して作った服飾類は一日もたずに消失するし、鍛冶スキルを使った武具類は使用する敵も機会も無いのでインテリアにしかならない。というかそれも1日で消えてしまう。かといって農業スキルを使用した農作物は一切の味がせず、それを調理加工する料理スキルだって見た目が変わるだけで味がしない事に変わりはない。
冒険者として刺激的な日々を送っていた俺達だからこそ、無駄や退屈という名の猛毒に成す術を持たなかったのだ。
今やこの街の冒険者の大半は『宿泊客』となった。ホームの滞在者が約6万人に対し、今は凡そ5万人以上の冒険者達が眠ったままログインが来るのを待っている。宿帳もいよいよ1000冊目を突破した。
それこそ数年前まではログインによって再び目を覚ます例も多々あったが……今や御覧のあり様だ。眠っていた方が膨大な退屈を潰すのに合理的だと、みんな気付いたんだろう。
プレイヤーを信じろ。信じれば――いつかは幻想世界へ帰れる。そんな俺の励ましも今やすっかり色褪せてしまったのだ。
「本当にどうしたんだか……」
益体の無い独白を虚空へ浮かべながら街道を歩き続ける。
改めて街道を見渡して見ると、やはり冒険者が少ない。というより、全く見ない。年々ホーム在住者が激減しているのは理解しているつもりなのだが、今日は殊更様子がおかしかった。いつもならば道中、数十人程度はすれ違ったり、ちょっとした挨拶や他愛のない雑談を交わしたりするのだが……やけに静かすぎる。
「……妙だな」
毎日通っているはずの街道は別世界のように静まり返っていて、何より昨日まで営んでいた店類が今日は軒並み無人と化している。そしてそれらの店は、つい数時間……否、数分前まで誰か居たような気配を色濃く残していた。
まるで――。
そう、まるで店の主だけが急に姿を消したかのような……。
◇
ホームの一角。俺は緩い丘の斜面を登った果てにある図書館に来ていた。
「おーい、スシスキーいるかー?」
その扉を開いた俺は乱雑と書物類が散らばった室内へ声を投げる。相変わらず薄暗い室内は足の踏み場がない程に散らかっていて、背後から差し込んだ出入口の光が室内に漂う埃を克明に浮かび上がらせていた。
「……スシスキー?」
気配もなければ返事もない空間へ再び声を投げる。やけに静かだった街の不気味さも相まって、今度は心配が込み上げてきた。
だから今度は声量を上げて――。
「おーい! スシス――」
「聞こえてるわよ」
その気怠げな声は直ぐ真後ろから聞こえてきた。以外にも外出中だったらしく、俺を追い抜いたスシスキーは入口正面に見える丸テーブルへと歩を進める。
「ちょっと待ってなさい。今退かすから」
スシスキーはそう言うと、雑然と散らばった卓上の書物を退かして席に着いた。繁茂したように長い外跳ねの緑髪を揺らし、軽く首をもたげながら一息ついている。
準備が整ったらしく、俺もスシスキーの正面へと腰を下ろした。
「珍しく外出中だったとはね」
「あたしだって外出くらい……するわよ」
深緑の瞳が溜息を挟む。すると、相変わらず眠そうな眼差しが無気力に俺を見た。
「で、なんの御用かしら? 世界聖剣図鑑の返却にでも来たわけ?」
「いいや、少し前に響いた天の声の件だが、『大司教』様の意見を賜りたくてね」
「…………天の声ですって?」
初耳だ。そうとでも言いたげな態度でスシスキーは仰々しく語気を上げた。
このホームに居る以上、いついかなる場所においても天の声は届くはずだが……。
「知らないのか?」
「……その……さっきまでログインがあったの。天啓があったのも今知ったわ」
しばらく俯いた後、スシスキーはそう言った。俺が覚えているだけでも、彼女にとって3年ぶりの幻想世界。時折、虚空へ向ける物憂げな眼差しは郷愁へ想いを馳せているかのようにも見える。少し、羨ましいと思う。
もちろん、そんな湿気た態度は柄じゃないので俺は声を明るくした。
「そ、そうか! よかったじゃないか。また幻想世界へ行けて」
「……ええ。そうね、私もそう思う」
スシスキーは嘆息する。軽いような、それでいて重い一息の後、彼女は怠そうに口を切った。
「まったく、あんたの言うプレイヤーだっけ? 気まぐれも勘弁してほしいわよね」
「……プレイヤー否定派じゃ無かったっけ?」
「全ては神のみぞ知るって点はモリガン信仰と一緒よ。私達冒険者は女神の大いなる意思によって生かされているに過ぎない……てね。全く、聖職者辞めたくなるわ」
彼女は吐露するような声音で頷く。元からそう言った喋り方だった気がする反面で、想い耽る様な彼女の横顔は、やはり物憂げに見える。そして彼女は「……本当にね」と独りでに小さく呟くと、先程の呟きを誤魔化すように声音を切り替えた。
「あ、まだアンタのところの客になるつもりはないわよ」
「ここにある本を全部読み切るまで、だろ」
そう言って、周りを取り囲む本棚に俺が目を向ければスシスキーは得意げな顔を浮かべていた。床や椅子やテーブル上に積み上げられた本は読破したものなのだろう。いくらか空になった本棚こそあるが、まだまだ未読の量は尽きる気配がない。
俺がシオンとの再開を果たすのが先か、はたまたスシスキーが此処にある本すべてを読了するのが先か、いつしか俺とスシスキーの間では暗黙の根競べが展開している。余程のことが無い限り、俺達が眠ることはない。何となくだが、そういった妙な信頼関係が俺とスシスキーにはあるのだと思う。
「で、話の本筋を戻すけど……天啓は確かにあったのね?」
スシスキーは本題の端を発するように問うた。先程のノスタルジックに首まで浸かった態度も今やいつも通り、常に怠そうで眠そうなスシスキーに戻っている。
俺は頷く。
「ああ。だが、時期もそうだが……いつもと言葉が変わっていた」
「どんな?」
「メンテナンスの定期という言葉が、緊急といったものに変わっていたんだ」
「ふむ……緊急……」
スシスキーは自身の聖書を卓上へ置くと徐に展開する。完全に剣しか握ってこなかった俺からすれば、その文字の多さと分厚さを見るだけで辟易するものだった。
己の肉体と剣技だけで戦ってきた俺とは違い、スシスキーは女神モリガンの言葉を顕現させる『聖職者』である。女神モリガンの持つ力を一時的に借りることで、前衛にて戦う冒険者達へのサポートをするのが役割だ。そんな女神の言葉を知る彼女だからこそ、今回の件について白羽の矢を立てたのである。
しばらくページを捲っていたスシスキーの指先が止まる。
「ここよ、福音書の22章。女神は8人の強者を選んで神ノ国へと連れ帰ったとある。あたしが考えるに、この一節は年に一度だけ訪れるメンテナンスの起源じゃないかって」
「確かにメンテナンスが来れば誰かが消えるというのは周知の事実だが……」
俺は彼女の細指が差したページに目を配らせた。ミミズが這ったような文字がホニャホニャとのたくっている。随分と前にも似たような話をしただろうが、さっぱり分からん。
「その、消えた連中がどれも”強すぎた”っていうのはもっぱらの噂だろう?」
「噂とも言えないわよ」
俺の返答を予想していたかのようにスシスキーは聖書のページを捲り始める。彼女の指先が止まった先は25。その文字だけ理解できた。
「続く25章に、モリガン様はあたしらの及ばない別次元で常に悪神と戦っていると記されているの。その為に年に一度、冒険者を兵士として補充してるって考えれば、メンテナンスと共に強い冒険者が消えるのも合致が付くと思わない?」
曇天の彼方より女神の声が轟いた時、強者はその魂を女神モリガンの元へ還元される。俺達冒険者の間ではそういった噂が存在する。いや、現に消えているのは事実だ。
「じゃあつまり……今回の声は急を要する兵の補給が必要になったと?」
「そう考えるのが妥当かもね。良くも悪くも戦局が大きく変わったのかも」
「なんだか魔族を相手に戦わせながら出来の良し悪しを選んでるみたいだな……」
「少なくともレベル30と74で停滞してるあたしらには関係のない話ね」
ボヤくようなスシスキーの言葉の後、俺は問うた。
「ふむ……因みに、その女神軍が悪神とやらに負けたら?」
「さあ? あたしら全員滅ぶんじゃない?」
そんな物騒な。しかしいつもの平坦な調子で言われてしまえば緊張感に欠ける。
「にわかに信じがたい話だな……」
「そりゃ、大いなる意思を形容する言葉が神なんですもの。所詮女神の子等である冒険者の及ぶものじゃないわ。あんたの考えたプレイヤーと言う名の神様も然りね」
「俺じゃない、先代から教えてもらったんだ」
「そう? 良いネーミングセンスだと思うわよ。個々の考えによって形を変える神様ってのも妙にしっくり来るし。まぁ、あたしらの聖典に乗ってたら聖職者の数は半減してるでしょうけど。余りにも設定が雑すぎるし」
「あのなぁ……」
と――その時、神様といった話題を皮切りに俺はある事を思い出していた。
それは少し前に俺の元へ訪れた、ミココと名乗る冒険者の事――。
あの時、まるでプレイヤーを支持しているかのような俺の口振りに彼女は過剰に反応していた。そして何より、彼女は俺達の知らない事を知っている様子だった。
……神の御使い。なんとも抽象的でぼやけた思考が脳裏をよぎる。
「……いや、まさかな」
「……どうしたのよ? 元から怖い顔して」
急に考え込んだ俺を見かねてか、スシスキーが声を掛けた。元からは完全に余計である。
「いや、ここに来る前、というか天の声が響く前、妙な冒険者が宿屋に来てな」
「妙? パンイチだったとか?」
「いや……そういう、たまに見るレベルの妙な冒険者じゃないんだ」
突然の天の声というイレギュラーのせいで完全に頭から抜け落ちていた。そしてその存在は、一つ、一つ、想起して行く度に違和感が纏わりついてくる。
ログインを見越していたかのように消えたこと。
なぜ自分が宿屋に居るのか、その一切を疑問に思わなかったこと。
―――――それに――。
「…………そういえば!」
「何よ急に立ち上がって」
どうして――。
どうして彼女は名乗る前に俺の名を知っていたのだろうか――。
【~まもなくメンテナンスを開始します~】
――――――――瞬間。
巨大な声が俺達を強制的に無言へと至らせた。それはいつもより大きな声だと感じた半面、どこか急いでるようにも聞こえた。
「…………」
「……………」
沈黙。無音。静寂。
数分、数秒、いや、もっと短かったと思う。
刹那の時間が流れた後――振動が。
ずん。
「ちょ、ちょちょ……何の音よ……?」
本棚に収納されていた未読の本が落ちていく。無造作に積みあがった本が音を立てて雪崩のように崩壊していく。
「…………なんだ?」
得体のしれない圧迫感に俺は首を仰いだ。圧迫感。そう、急激に空気が薄くなったような形容しがたい息苦しさを感じる。心なしか全身が重い。
「震え……?」
気付くと体が震えていた。音の根源たる振動でもなく、視覚でも感覚でもない。ただ単純に俺の体が震えている事に気付いた。
ずん。
ず――ず。ず。ずん。
音。引きずるような、巨大な魔物の足音のようなその音は――地面を伝わって響いてきたかと思えば、天井の彼方からも聞こえてくる。上と下。その腹の底に響く重低音はいやに誇張されて聞こえた。
「ちょっとレリック! 外!」
その時、悲鳴のようなスシスキーの声でようやく体が動く。カーテンを開けた彼女の元へ駆け寄ると、俺は直ぐに事態を理解した。
「――――っ!?」
窓の外。丘から見下ろすホームの街道は――。
「どうして冒険者が……?」
――――数多の冒険者達でごった返していたのだ。