01
――――目を閉じれば思い出す。
どこまでも続くような大海原の淡い群青色。
奔流した灼熱の運河によって夜でも明るい火山帯の紅蓮模様。
一年中ブリザードが吹き荒れる雹平原の厳格な美しさ、白さ、恐ろしさ。
もう二度と、日の光は拝めないとすら思えた広大な深緑の森。
そう、今でも鮮明に思い出すことが出来る景色、香り、音、感覚――――。
地平線へと沈む果ての無い高原を抜ければ、大自然の息吹が隆起した朱色の峡谷がその岩肌を覗かせ、さらにそこを抜けると荘厳で無機質だった景色とは打って変わり、泡沫のような光が水面に浮かぶ繊細で色彩豊かな湖へと辿り着く。
もちろん自然や遺跡だけじゃない。
知らない街で出会った気の良い人達。
小さな村で遊ぶ元気な子供等。
堅牢な城壁に囲まれた王政都市に反し、見る影もないほど衰退した廃街。
爽やかな潮風が吹き抜ける段々の漁港町や、独自の文化を持つ島。
難解なダンジョン。人々を恐怖へと陥れんとする魔族との攻防。
【君】と共に歩んだ刺激的で幸せな日々。
目を閉じれば――――つい昨日の事のように思い出せる。
俺は、そんな世界を生きる『冒険者』だったのだと――。
「――――なぁ! なぁオイってば! 聞いてんのかよっ!」
夢想に浸る俺をうつつに呼び戻したのは、突然の怒声だった。
「あ、ああ……いらっしゃい?」
付いていた頬杖が崩れたと同時に、俺は声の主であろう事物へ目を向ける。そこには――初めて見る顔。つまりは、新顔が怪訝な顔で俺を睨みつけていた。俺を追懐へと誘っていた閑古鳥の鳴き声は、華奢な肩を怒らせた赤毛の彼女によって直ぐに消え去って行ったのだ。
そんな彼女は小首を傾げたまま口を開いた。
「レリックってのはアンタか?」
「ああ、そうだ。この”宿屋の店主”で、冒険者の案内をしてる者だよ」
頷きながら、俺は彼女の全貌に目を泳がせる。一見、スカートが揺れる旅服のような装いに、革の胸当て。背中にはコンポジット・ボウ。それらの装備を鑑みるに、職は中級レベルの『ハイ・アーチャー』か。装備や職業から推測するにレベルは25~30だろう。
俺と同レベルで、“ホーム”じゃよく見るレベル帯だった。
「ふぅん? あんたがレリックねぇ……ふぅん?」
徐に鼻を鳴らした彼女は俺の正面へと立たった。存外、近くで見ると顔はあどけなく、背丈は低い。カウンターの内側に座った俺と丁度同じ目線の高さだった。
「…………」
「…………え、と……なにか?」
鮮やかな色をした翡翠色の炯眼が俺を睨みつけている。首を傾げ顔を寄せ、あるいは眉を動かして、俺をじぃっと見つめていたかと思えば、今度は怪訝な顔で口を切り出した。
「本当にアンタがレリックか?」
「……そうだけど」
「まーいいや。で、ここは何なんだ?」
ガサツで礼節を欠いた言動とは裏腹に、彼女は落ち着かない様子で肩に垂れた一つ結びの髪毛を指先で弄り始めていた。自分の意思とは関係なく、突然この街へ来たことに不安を隠せないのだろう。
そう考えれば高圧的な態度も頷けるものだった。
故に、俺はいつものように案内役らしく答えるだけ。
「先ずはようこそ、ここは『ホーム』という街の宿屋だ」
「ホーム? 聞いた事ねえ街だな」
「そうだろう。この街はどの地図にも存在しない、有る種の“異世界”だからな」
「…………あ? なに言ってんだ?」
彼女の口が開けっ放しになる。この街、ホームへ始めて来た冒険者の大多数は彼女と似たような反応をする。困惑、恐れ、狼狽。俺だってそうだった。
しかし今となっちゃ、そんな冒険者達を案内する側な訳で……俺は擦り切れる程に使い古したひな形の如き台詞を用いて、彼女に語り始めた――。
「この街はな、俺達冒険者が『ログアウト』という現象に遭遇すると訪れるようになる不思議な街だ――」
――ホーム。それは俺達冒険者が長らく活動を続けていると、いつかは必ず行き来するようになる街で、その発端は『ログアウト』という謎の現象から始まる。
タイミングや条件、原因などは不明。共通して言えるのは、突然、目の前が真っ暗になったかと思いきや、気付けばこの街に来ているという事と――。
「行き来ってことはさ、元の場所に戻れるってことだよな?」
話の途中で彼女が尋ねた。
「あ、ああ……『ログイン』があればな」
「ログインって何さー?」
俺は咳払いを挟む。丁度その話をしようと思っていたのだ。この街へ始めて来た冒険者達の大半は唖然と俺の話を聞くだけの事が多いので……少しやり辛い。ヴッヴンッ。と、仰々しく喉を鳴らしながら話を再開する。
「ログインとは、謂わばログアウトと対になる現象のことだ。ログアウトの時と同じように突然、目の前が真っ暗になったかと思えば、気付いたら元の場所に戻ってるのさ」
「ふぅん、ログインにログアウト……ねぇ 街の外には出れねえのか?」
「無駄だったよ。街の外へ出た途端、また街の中に戻ってるからな」
「とっくに試してる……ってか」
小刻みに頷く彼女は切り替えるように言った。
「……で、そのログインはいつ来るんだ?」
「ログアウトと一緒で、何の前触れもなくとしか言いようがないね」
「つまり分からん、と。そういうことだな」
彼女は唇を尖らせた。概ね正解である。
「とにかく、ログインがあるまで俺達に出来ることはない。散歩するか、誰かと話すか、もしくは趣味でも見つけるんだな。もしやることが無くなったのなら……次のログインが有るまで部屋のベッドで眠るといい。目が覚めれば元の世界だ」
「ベッドで眠る? なんだぁ? 眠れば元の世界に戻れんのか?」
「正しくはログインが来るまで目が覚める事は無いってやつかな」
「おいおい、初日だし流石に観光くらいはさせて貰うぜー?」
彼女はそう言うと、頭の後ろで腕を組んだままロビーをしたり顔で歩き始めた。物色するような眼差しで室内を歩き回る姿を見て、随分……肝の据わった奴だと思った。
「これ、あんたのか?」
そう言い、彼女が足を止めたのは、ロビーの端へ追いやられるように置かれた一式の武具の前だった。彼女の身長を優に超える刀身の長剣と傷だらけの黒鎧は、彼是7年以上はそのまま放置されている。数々の強敵を屠り、幾度の攻撃を防いできた俺の武具は最早ただの置物と化していた。
ログインもない、かといって此処では使い用もないとなれば猶更だろう。
……その持ち主である俺ですら、彼女に言われるまで存在を忘れていたくらいだ。
「そうだが……おい、勝手に触るなよ」
「いいじゃねえかよケチ野郎」
「…………口の悪い奴め」
自由気ままかつ傍若無人な態度に嘆息が零れる。
(それにしても、7年……か)
気付けばもうそんなに経つのか。
ある日を境に、冒険へ出る事が無くなった俺は『ホーム』と呼ばれる街で過ごす様になっていた。正確な年月は曖昧だが、もう長いこと幻想世界への冒険に出ていない。ここじゃ毎日が退屈で、7年という歳月も正しいかどうか定かでは無いけども……ともかく、夏や冬、季節の訪れを数えれば7年は経ったんだと思う。
そんな俺のかつての備忘録を、彼女は物珍しそうに見ていた。
「へぇー……これがねぇ……。こんな風になってたんか」
「今更珍しいもんでもないだろ」
「ん。まぁそれもそうだ。少し見物したら街の方も見てくるかね」
生返事のように声を寄こした彼女の態度は……どこか楽観的なものに見える。この時までは――誰もログインが来なくなるなんて想像しない。彼女しかり、まだまだ駆け出しとも言えるレベル30帯の冒険者であれば尚更のことだろう。
もちろん、その事を直接教えるつもりはないし最初に教えた事も無い。
これはあくまで個人的見解なのだが、ログインが来なくなる可能性はレベルの上昇と共に高くなる傾向にある。そのせいか、ホームと世界を往来する冒険者達の間では、冒険を楽しめるのは精々レベル60まで。そういった暗黙の了解さえ存在しているのだ。
故に、冒険者である彼女もいずれ知る時が来るだろう。
レベルが上がるにつれ、ログインが無くなるであろう冒険者達は、
ログアウト・ストーリー(その後の自分)を考え始めるのだと――。
蟻塚のように小屋や家屋が立ち並んだこの街には、倒すべき敵もいなければ、やる事もできる事も無い。空は常に曇天が覆い、街の外も常時先の見えない霧に包まれている。もはや退屈という言葉を体現したような空虚な時間が、ただ刻々と流れていくだけ。
そして此処では培ってきたレベルや、鍛え上げた武器に装備類なんてものは何の意味も成さなくなり、ログインで元にこそ戻るが、必死に集めたアイテムや金さえも一切が消える。スキルとステータスによっては何かしらの暇潰しができるが、出来ない事よりも出来る事を探す方が難しいと言わしめられている。
だから漠然とした時間を過ごすか、料理屋に鍛冶屋、服飾屋に占い師等と、金にもならない完全無給の自己満足な商いごっこを趣味とするか、はたまたログインが無い事に失念して眠り続けるか……俺達に出来ることはそれくらいしかない。
ふと、首を擡げた彼女が俺へ尋ねた。
「そういや、アンタはどれくらいこの街にいるんだ?」
「3週間程度だ」
「ふうん? 3週間程度……ねぇ」
「これでも長い内さ」
俺はいつも通り嘘をついた。変に不安を煽りたくないと思っての嘘。世の中には良い嘘と悪い嘘があって、真実は時として嘘よりも悲惨な結果を招く事になる。――と、今は亡きかつての俺の師――”カミシロさん“は、そう教えてくれた。かくいう彼がこの宿屋の『宿泊客』になってから5年になる。俺に宿屋を託して、彼は眠りに就いたのだ。
それに……カミシロさんだけじゃない。もはや俺の事を知る大多数の冒険者は、今や終わりのない余暇に屈して此処の『宿泊客』となってしまった。そして一度眠ってしまった彼らは、次のログインがあるまで目を覚ますことはない。故にこの嘘は、冒険者達が自身と向き合う時間稼ぎの為の嘘だと、俺は勝手に思っている。
だが――俺は今でもログインが来る事を信じて起き続けている。
何より、未だログアウトの無い”シオン”の事を、俺はずっと待っているのだ。
だから眠らない。眠るつもりもない。眠ってしまったが最後、次に目を覚ます事はないと自分でも分かっているから――。
「……さて、今日はこの辺にしてあーしはそろそろ行くかね」
と、宿屋の出入り口付近に立った彼女は頭上で腕を組んだまま踵を返す。そして何やら「要調査だな」と口零した後、手を振りながら大仰な声で言った。
「そーいや、あーしの名前はミココってんだ」
「ああ、ミココね。覚えておくよ」
余計な詮索はしない。俺は軽く手を振り返しながら彼女を――ミココを見送る。そのあどけない見た目に反して、大きく手を振る仕草はちょっぴり愛らしくも見えた。その横暴な態度とがさつな口調のせいで少々霞んで見える気もするが……。
「じゃあな、また近い内に来るぜ」
「ああ、君に神のご加護が有らんことを願ってるよ」
―――――瞬。ミココが振り向く。肩に垂らした赤髪がふわりと宙に浮き、背中へ回る程の勢いだった。
「おい……今さっき何つった? 神? プレイヤーつったのか?」
今までの楽観的な態度が嘘だったかのように、ミココの表情は完全に強張っていた。俺達冒険者にとって馴染み深い『女神モリガンの祝福が有らんことを』といった言葉をただ単に模したモノなのだが……何がミココの琴線に触れてしまったのか。
「プレイヤーってのはなんだ? 悪いが最後に一個だけ答えて貰うぜ」
ミココは睨むようにして俺へ尋ねる。
そう言えば説明してなかったと、俺はいつも通りに答えた。
「俺達冒険者の運命を司る神様ってやつかな」
「あんた等の神っつったら女神モリガンの事だろうが」
「ま、まぁそうなんだが……俺達だけの神様とも言えるか」
「へぇ? 意味が分からねえ。あんたが考えたのか?」
ギロリとした翡翠色の瞳が俺を睨む。そんな目で見られても困るのはこっちの方だと、俺は溜息を交えながら答えた。
「ここの宿屋の先代に教えて貰ったんだ。幻想世界や冒険者は女神モリガンが創り出したものだけど、プレイヤーは冒険者達の運命を決める個人的な神様だって……。まぁ信じる信じないは個人の自由だが、そんな神様も居たら面白なって思ってるだけさ」
「へぇ……随分とユニークな考えをお持ちじゃねえか。で、そいつは何処だ?」
「もう眠ってるよ。かれこれ5年以上も前に」
「じゃあ叩き起こす。そいつが居る部屋に案内しろ」
「無理だね。ここの客室は10にも満たないが数万の冒険者が眠ってるんだ」
「どういうことだよ?」
「さあね。前に俺が客室を見た時は空室の部屋があるだけだったよ」
「…………完全に別エリアってことか」
妙に聞き慣れない単語を口零したミココは俯いていた。だから尋ねてみる。
「別エリアって?」
「外から見たときは観測できなかったから、恐らくデーターベースが別に在るんだろ。つまり、この街とは完全に剥離されている。もしソイツが《イースターエッグ》だとしたら相当……って、お前らデータ如きに説明しても分かんねーか」
「……………はぁ?」
意味が分からない。何を言ってるのか、さっぱり理解できる気がしなかった。最近の冒険者達の間では妙な造語でも流行ってるのだろうか……。
するとミココは不意に視線を上げたかと思えば、曲線を帯びるた眼差しを向ける。
「ま、アンタでいっか。なんか手がかりになるかもだし」
「……手がかり?」
俺がその言葉の意図を考えている最中、竹を割ったような声でミココは言った。
「悪いがついて来てもらうぜ」
「ついて行く? 何処に?」
「街の外」
「あの……話聞いてたか?」
この街からは誰も出られない。出ようとしても、街の外へ出た瞬間元の場所に戻っている。少し前にその事を説明した気がするが……伝え忘れていただろうか。だからこそ俺は思考を放棄して答える事しか出来なかった。
「この街からはどうやっても出られない。って話さなかったか?」
「出れるんだよ。あーしが外から来たみたいに」
「…………は? 外? 外ってどういう意味だよ」
あまりの馬鹿馬鹿しさに俺は口を開けるしかなかった。だが呆れたような俺の態度とは裏腹に、ミココの表情は真剣に見える。現実を知らないだけか、一種の現実逃避か、最近の低レベル層はみんなこんな感じなのだろうか。
最中「あ……悪い」
と、急に背を向けたミココは何やら前のめりになって呟き始める。
「……なに? おいクソヤバじゃねえか!? っざけんな! 分ったよ!」
ボソボソとした独白は、次第にガヤガヤと。俺の方をチラチラと見ていたかと思えば、構わずその場で地団駄を踏み始めていた。一人で何を忙しく騒いでるのだろうか。そんなコロコロと感情の変わるミココの華奢な背中を、俺はただ唖然と見つめていた。
ともなくして、ミココが顔を上げる。
「出直してくる。直ぐ戻るからな」
そう告げると、ミココは煙でも吹いたかのように姿を消していた。
「…………え?」
俺は思わず息を飲んでいた。まるでログインを予見していたような、自分の意思でログインを行ったかのような状況を前に、信じられない物をみた気分になった。
その時――――――――。
【~本日、緊急メンテナンスを行います~】
透き通る様な女性の声が街中に響き渡ったのは、ミココが消えた直後の事だった。
その声はホームの空を覆う曇天の向こうから明々と降り注ぎ、室内に居るというのに耳元をピリリと触るくらいの声量で街の隅々へ残響を漂わせていく。
「……天の声? この時期に?」
俺は意図せず首を仰いだ。天の声を聞けるのは年に一度だけ。それも1月1日の0時0分0秒と決まっている。それは俺がこのホームで過ごしている7年間、一度も変わった事のない恒例事項だった。
だが……今日の天の声はいつもと様子が違う。いつも冒頭に来る「あけましておめでどうございます」の言葉もなければ、「定期」という言葉も「緊急」に変わっていた。なにより暦表だって4月の中旬を差しているではないか。
「……妙だな」
まるで自分の意思で消えたかのようなミココに継いで天の声。
得も言えぬ違和感が胸騒ぎを運んでくる。
そしてその声が轟けば―ー決まって誰かが選ばれ、”消えていく”のだと。
「少し聞きに行ってみるか……」
俺は席を立ち、カウンター上へ「外出中」の立札を置いて宿屋を後にする。
既に運命の歯車が回り始めている事も知らず――。




