01 異世界召喚
「いってきます」
青年、椎名透は玄関に飾られた家族の写真に向かっ挨拶をした。
その写真は父、母、自分、そして妹、家族が幸せだった頃の最後の写真だ。
今は妹が二年前に事故にあい、今も意識が戻らない。その治療費を賄うために両親は働きづめになり、透自身も保育士という仕事に就き自立してるがその給料の中から治療費捻出している。保育士の給料では負担できる金額はわずかではあるが、透にとっては天職であり、妹が幼いころから一緒に頑張って就いた職業である。妹の状況を理由にやめてしまっては、就職できたときに喜んでくれていた妹が目を覚ました時に悲しませてしまうかもしれないという思いがあった。
透はこうした思いを抱えながら、妹のため園の子どもたちに会うために自転車にまたがった。
「えっ」
透の世界は一転していた。ほんの数秒前までは快晴な空の下で自転車通勤をしていたのだが、不意の閃光に視界が奪われ、気がつけばこの薄暗い部屋だった。衣服は着ているが、乗っていた自転車や前かごに入れていたリュックはどこにも見当たらない。
部屋自体は石造りのようだが光が差し込むような窓はなく、唯一の出入り口であろう奥に見える扉はしっかりと閉じられていた。部屋の照明はいまどき壁に掛けられた数本の松明のみで、その炎が部屋を仄かに照らし出していた。
周りには透を囲むようにローブを着た人たちが六人が立ってはいるが、動く気配はなく部屋が暗いこともあって何をしているのかは分からない。床には幾何学模様が描き込まれた円描かれており、それが仄かに赤く発光していた。
透には彼らが何者かは分からなかったが、自分が何のためにここにいるのか、これから何をさせられるのかはなぜか頭に入っていた。しかしそれは、到底受け入れられるものではなかった。
透がここにいる理由、それはとある儀式のための贄である。そのことを考えると、脳裏に両親や同僚の先生方、園の子どもたちとそして妹の顔が浮かび上がった。
「生け贄なんかに、なってたまるかぁ」
生き延びる意思を言葉にして、逃げ出そうと足に力をいれる。目指すは奥の扉。部屋を出られれば状況が良い方に変わるかもしれない。それは傍からみれば短慮な考えではあったが、いきなり放り込まれた異様な状況に命が奪われるかもしれないという恐怖が合わさったことで、透はそれを迷いなく実行した。
しかし逃げ出そうと立ち上がった瞬間に、太ももに太い針が貫通したような激痛が走った。不意の激痛に思わず「ぐっ」と声を上げ、膝をついた。どうしたのかと自分の足を確認したが怪我や出血といった外見上の変化はみられない。しかし、ズキズキとした痛みは未だにひかない。
それでも透は痛みを我慢し逃げようとするも、そのたびに新たな痛みが足に腕に胸にと走り、痛みは苛烈なものになっていった。
「ぐあぁぁぁl」
痛みはすでに首から下全体に広がり、透の我慢の限界をとうに越えていた。もう叫び声をあげながらのたうち回ることしかできないでいる。しかしそうやって体を地面にこすりつけたり叩きつけるが、そんな行為では痛みが和らぐことはなく、絶えず鮮明な痛みが次から次へと襲ってくる。
「ふん、下等な存在のくせに制約に逆らうことをするからだ」
いつのまにローブを着た男が透を見下ろしながら、言葉を吐き捨てた。
しかし、その言葉はのた打ち回る透には届かない。そもそも男がそばに来たことすら気が付ける余裕がなかった。
そんな透の様子を見ながらローブの男は、口元に何かを持っていくと言葉を続けた。
「制約に逆らう限り苦しみは続く。苦しみから逃れたければ、与えられた役割を果たしなさい」
この男の言葉はのたうち回る透の意識に不思議と届いた。今まで痛みに支配されていた透の意識がはっきりとし、多少考えることができるようになった。
(俺の役割、それは……)
透が生贄のことを考えた瞬間、痛みが少し和らいだ。
(しかし、俺が死んだら……)
妹のことを考えた瞬間、じわじわと痛みが鋭くなり増していく。そして先ほどの全身を貫く地獄のような痛みが脳をよぎり、体が勝手に硬直した。
自分の命と一生続く地獄の痛み、どちらを捨てるかを考えると、あっさりと自分の命を捨てることを選べた。
透はゆっくりと召喚時に刷り込まれた記憶を頼りに魔方陣の中央に仰向けになり、手足を大の字に広た。そして透の左側に立った男が仄かに光っている剣の切っ先をこちらに向けて構えているのを見た透は目を閉じた。
ドスッと左胸に強い衝撃をうけると、つぶされた肺の空気が口からガハッという咳とともに外に押し出された。
左胸を貫く異物感がものすごかったが、不思議と痛みは感じない。しかし、そこから命のぬくもりが流れ出ていくのがわかった。
いよいよ死が間近に迫ってくると、今まで関わってきた人たちの顔が走馬灯となって浮かび上がくる。
それはまるで時間が引き延ばされたような感覚の中で人生を振り返っているようなものだった。そして、振り返れば振り返るほど今の状況に対する理不尽さを嘆く想いがあふれてくる。
(力があれば…… あの時、痛みに耐えて生きていくことを選択できるだけの力があれば、奴らの儀式を中止させるだけの力があれば…… 力がほしい)
しかしどんなに力を熱望しても、物語じゃないのでそんな都合の良いものは手に入るはずもない。
どんどん体から命のぬくもりが失われていく中、目尻から一際熱いものは流れ落ちた。その熱さを最後に透の意識は暗く冷たい闇の中に溶けていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「う、うーん、イタッ」
寝ぼけ眼のまま寝たまま伸びをした透は固い床で背中が擦れる感覚で目を覚ました。
見知らぬ石の天井に誰もいない薄暗い窓もない部屋。奥の半壊している扉からは光が差し込み、部屋をぼんやりと明るくしている。
意識がはっきりそしてくるにつれて夢のような記憶、夢ならよかったと思える記憶が実感を伴って甦った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー」
恐怖に心が支配せれる透は思いっきり叫んだ。今まで溜まりに溜まった恐怖や不満、やるせなさをすべて吐き出すように腹の底から。喉が痛み、声が枯れるまで思いっきり何度も。そして、肩で息をするほど叫びまくった透の心はようやく余裕を取り戻した。
平静になった頭で状況を考えてみるが、そもそもなぜ自分が生きているのかが分からなかった。あの儀式の最後に確かに何かが左胸を貫いた。そのことに思い至った透は左胸を確認した。
貫かれたはずの左胸はすでに痛みはなく、怪我どころか上着に穴すら開いていない。あのとき何があったのか、見当すらつかなかった。
「よし」
今の状況を考えるにはこの世界のことや、儀式などの知識がなさすぎることを自覚した透は一言つぶやき、これから何をするべきかに考え方を変える。
まずは今の安全確認だ。散々取り乱していたが、何事もないことなにことを考えるととりあえず安全そうである。そもそも儀式を行っていた奴らは見当たらない。奴らがどうなったのか、それは床に捨てられていた灰まみれの奴らのローブをから察した。
次はこれからについて考える。透は動き回った方が頭が回るため、部屋の中を歩き回りながら身についたものを一か所にまとめながら、言葉に出しつつ考えをまとめていく
「仕事で計画を立てる時と同じだ。大きな目標を立てて、そこに至るために達成するべき小さな目標を定める。ただ目標を定める対象が自分自身にするだけだ。まず大きな目標は『元の世界に帰る』だな。そのためには『情報を集める』ことが必要だ。そして、情報を集めるにはやっぱり人がいる場所に行かなければならないよな」
小目標『人のいる場所に行く』が決まった。次に考えることは注意事項だ。
「この世界は召喚魔法が存在している。それはまるで元の世界で流行っていた異世界小説の世界みたいだな。だとしたら物語のようにゴブリンやオークのようなモンスターがいるかもしれないし、盗賊が出るような治安かもしれない」
もしそんなものと遭遇した場合一般人の透には、対処する術なんてない。逃げるにしても逃げ出せるように相手をひるませたりする手段の用意が必要だ。
「人に会えたとして、コミュニケーションがとれるか問題だな。あ、でも確かあの時に……」
透が思い返したのは痛みでのた打ち回っていた時のことだった。あの時、意識に直接ではあったが奴が語り掛けてきたことはきちんと日本語として理解できた。このことばかりは人に会うまでわからないが、言葉が伝わらなかった時の対応も心当て理があるのでその準備をする。
そして一番気を付けなければならないこと、それは『奴らに見つからない』ということだ。たとえ儀式していた奴らが失敗で全滅したとしても、そのほかの仲間がいないとも限らない。奴らに見つかり、捕まってしまっては碌な目に合わないだろう。
考えがまともってくる頃にはめぼしい道具はもだいぶ集まっていた。その中から必要なものを見繕い外へ出る準備を整えていく。
まず目についたのはナイフがマウントされたベルトとベルトを通すことができるポーチだ。これらを身に着けてみると、ナイフは背面回ったが、横向きに取り付けられているため、右手で引く抜くことができた。しかも普段ナイフが滑り出ないように一回上に持ち上げてから引き抜くような機構が施されている。そしてポーチはナイフが引き抜けやすいように位置を調節した。
ポーチの中身は空だったが部屋に転がっていた空の栄養ドリンクのような形の薬瓶が三本きれいに収めることができた。
ほかにも目立つ服装を隠すためのローブと、細かな道具を持ち運ぶための肩掛け鞄も身に着けることにした。
ローブは袖のところから裾にかけて切込みが入っており、背中のナイフにも問題なく手をかけられる。鞄には予備のナイフ、松明のところに用意されていた火打石と思われる道具、そしてこの世界のお金と思われる鈍色の丸と長方形の硬貨、銀色の長方形の硬貨をしまう。
最後まで扱いに悩んだのがこぶしくらいある宝石の数々だった。これらを売却すれば結構な額になりそうなのだが、売却の際に出所を聞かれて怪しまれたり、所持していることがばれた場合ガラの悪い人たちに目をつけられてしまうリスクも考えられる。
いろいろ考えたけった宝石は置いていくことに決めた透。準備を終えた透は唯一の出入り口へ向かった。
完結目指して第一歩踏み出します