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07 きれいな水で生きてきた魚

「お怪我は?」

「えっと……大丈夫、です……」


 涙も引っ込み、頬の血色も戻ってきた令嬢は、線が細くてふわふわとした印象だった。豪奢で意志が強そうなアローナ嬢とはまったく逆だ。

 小さな手を取って助け起こしてあげると、戸惑い交じりにだけれど笑ってくれた。


「その、危ないところを、ありがとうございました」

「気になさらないで。あなたには悪いけれど、とても楽しい時間でしたわ」


 頭を下げる令嬢にそう答えると、令嬢も幾分か緊張がほどけたようで、こわばっていた目元を緩めた。

 その瞳が今度は好奇心を滲ませて、宙に浮くわたくしのハンマーを捉える。


「それ、魔法で動かしているんですか?」

「ええ。わたくし、魔力量も属性適正も人並みに及ばず、みなさまのような魔法が使えませんの。使えるのはこうして、属性なしで軽いものを動かす魔法だけですわ」

「へぇ~、風魔法でもないのに、不思議……」


 くるくると回すハンマーを、令嬢は興味深そうに眺めていた。公爵家の外で、こんなにじっくり自慢のハンマーを披露したのは初めてで、わたくしもなんだか嬉しい気分になってしまう。

 令嬢の気が済んだ頃を見計らって、ハンマーを収納することにした。


 わたくしの制服ドレスは少し改造してある。既定の色や必要な部分の形を残していれば改造自体は禁止されておらず、体型や好みに合わせて改造している学生はわたくし以外にも多い。

 大きな特徴は、腰の後ろ。柔らかい骨組みを入れ、内側にレースを重ねて大きく膨らませた部分が付いている。オーバースカートもリボンやレースで飾り立てた。ばあやが。

 ロングスカートの制服のおしりに、女児の姿によく似合うヒラヒラの可愛らしいミニスカートが、半分だけくっついているような感じだ。

 

 前世の何かに例えるとすれば、ダチョウのおしりのように見えなくもない。馴染みのない奇抜なデザインなので、よく二度見される。

 レースで隠れた内側には骨組みで作った空洞があって、中に棒状のものを固定できるパーツがついている。

 これが何かというとつまり、ハンマー収納専用スカートである。


 さすがにずっとハンマーを手に持っているわけにはいかないので、最初は脚にでも巻き付けておこうと思ったのに、スカートの中から取り出す様子をお兄様に目撃され、はしたないと大目玉を頂いてしまった結果の苦肉の策だ。

 お母様は渋い顔をしていたけれど、わたくしが率先してこのデザインを気に入った最高だと褒めちぎったので、お父様は味方に付いた。男親にとって愛娘のヒラヒラ服は正義だ。

 ハンマーを肌身離さず持てるなら、わたくしは己のファッションセンスなどいくらでも犠牲にしますわ。


 わたくしがドレスの隙間にハンマーを収めるのを、令嬢は感心した様子でなるほど~、と呟きながら眺めていた。

 それにしても、同級生では王子殿下に次いで家格が高いわたくしに対して、この令嬢は随分と遠慮なく接している気がする。とても新鮮だ。


「ねえ、さっきはどうしてあんなことになっていらしたのか、訊いてもよろしくて?」

「あ、はい……とは言っても、私もよくわからなくて……」


 令嬢は眉尻を下げて肩を落とす。


「クラスで、あまり仲良くしていただけなくて。きっと、お気に障ることを言ってしまったのだと思います。私、いつもよく考えずに余計なことを言って、人を怒らせてしまうので……」


 令嬢の様子を見ていて、なんとなく理解できた。きっと家でいい教育をあまり受けられなかったか、貴族的な距離感を掴むのが苦手な性格なのだろう。

 ここまで会話してまだ、この子爵令嬢から名乗られていないことからも想像がつく。


 学園内では生徒同士の対等な関係が推奨されているけれど、まるきり身分を無視できるものでもない。最低限の礼儀作法もできていないという状態は、足をすくわれる恰好の材料になってしまうだろう。

 今後も難儀しそうな令嬢の先行きを思うと、少し心配になってしまった。


「そうでしたの。いつもあんな嫌がらせを?」

「いえ、あんなふうに囲まれたのは今日が初めてです。今日は……そうだ」


 令嬢は話しているうちに心当たりが見つかったのか、考えながら指折り数え上げ始めた。


「アローナ様が授業で当てられて答えをお忘れのようだったから、後ろの席から正解を囁いたのに驚かれたのかしら……それとも、お昼ごはんの美味しいミートローフを分けて差し上げようとしたから? お肉はお好きではなかったのかしら。一口だけ味見したそうに見えたのだけど……あ、魔法実習で汚れたお顔を拭いたのが良くなかったのかしら。ハンカチはあげるから捨てていいと言ったけど、ゴミを持たされては怒るわよね……」


 難儀! 想像以上に難儀でしたわ!

 この令嬢、文句なしに究極に良い子だ。貴族令嬢としての距離感がおかしいだけで。

 思わず前世のような平民口調で突っ込みたくてたまらない。あなたは彼女のお姉ちゃんか!


 エイシア家のアローナ嬢と言えば、確か第一子。何歳か下に弟がいたはずだ。

 未来の当主の見本となる立派な淑女として、誇りを持つように厳しくしつけられて育った令嬢が、出会って間もない格下の令嬢から、いきなり距離を詰められてそんなに優しく甘やかされたら、パニックになること必至だろう。

 その混乱がついに限界を迎え爆発した結果が先ほどの暴挙だったのだ。なんだかアローナ嬢がかわいそうになってきた。


「その、あなた、いつもそんなふうに、周りの方に接しているの?」

「やっぱり、どこか良くないのでしょうか……」


 令嬢は視線をますます落として、萎れた花のようになった。


「皆さん誰にでも、というわけではないんです。アローナ様は周りに仲良しのお友達が多いですが、なんだかいつも気を張っているように見えてしまって。そういう人を見ると、頑張りすぎていないか、ついつい心配になってしまうんです。話しかけるとちょっとだけ嬉しそうにしてくださる時もあって、お友達になれそうだな、と思っていたんですが……」


 どうしましょう、この令嬢の純粋さが尊い。

 観察眼はあるくせに空気は読めない、おせっかいだけど純粋な善意。

 いったいどれほど優しい世界で育ってきたのだろうかこの令嬢は。


 ここではっきりと身分不相応だと断じてやるのは簡単だ。

 けれど、この真心の権化のような令嬢にその現実を突きつけるのが、あまりにも罪深いことのように思えてならなかった。わたくしは通りすがりに首を突っ込んだだけなのだから、そんな残酷な汚れ仕事をしたくない。

 強いて言えば、よく知りもしないアローナ嬢よりは、この難儀で面白そうな令嬢の肩を持ちたくなってしまっていた。


「でしたら、まずはわたくしとお友達になりませんこと?」

「え?」


 令嬢はきょとんと目を丸くした。


「先ほどご覧になっていたでしょう? わたくし、近いうちにアローナ様と『遊ぶ』約束をしましたのよ。せっかくですから、その時わたくしと一緒に参りましょう」

「えっ、遊ぶって、さっきのあれをまたやるんですか? 本当に?」

「もちろん。あ、ご安心なさい、今度はあなたを狙わせたりなんかしませんわ。アローナ様を応援して差し上げてくださいな。そのほうが彼女もきっとやる気が出るに違いありませんわ」

「で、でも私、嫌われて……」

「大丈夫」


 うつむきかける令嬢の手を取って、顔を覗き込む。


「アローナ様のお気持ちもわからなくはありませんわ。世の中には身分や立場の差のようなしがらみが山ほどあります。ですが、わたくしにはそれ以上に真理だと思っていることがありますの」

「真理?」


 わたくしは大きく頷いて言った。

 獰猛な海産物とハンマー一本で戦い続けたか弱い女が、その一生をかけてたどり着いた真理だ。


「『遊び』の中では、あらゆる者が対等で平等ですわ」


 その瞬間、寮に帰り着いていた何も知らないアローナ嬢の背筋を壮絶な悪寒が駆け上がっていたとかいないとか。

 ともかくその日、わたくしはそのご令嬢改め、プリステラ・ネオン子爵令嬢という初めての……そして一生のお友達を得ることになったのですわ。




 一日の終わり、お友達ができた喜びを反芻しながら温かい気持ちでベッドにまどろんでいると、頭がふわふわと思考を流す。浮かんでくるのは、優しく純粋なプリステラ嬢のことだ。


 今日、彼女に出会えたことは幸運だった。

 もしあの時わたくしが通りかからず、彼女がもっと恐ろしい、取り返しのつかない目に遭ってしまっていたら。

 きっと彼女は体も心も深く傷ついて……最悪、学園に通うことができなくなって、実家に閉じこもってしまったかもしれない。彼女の真心を許容できない貴族の学園は、とても居心地が悪いものだろうから。

 わたくしだって、もっと体面やら貴族らしさを求められて育っていたら、彼女を傷つける側に立っていてもおかしくなかった。


 そういえば……ネオン子爵家。

 優しいお姉さん。心と体に傷を負った引きこもり。

 なにか記憶に引っかかるような……けれど、眠くてもうこれ以上頭が働かない。


 まあ、そんなことより、お友達とも約束したので、明日はさっそくもう一度アローナ嬢に会わなければ。楽しみですわ。

 お友達がいるって、やっぱり素敵なことですわね……。


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