60 フィナーレの寸止め
そして翌日、いよいよ夜会に出る時間がやってきた。
ドレスは夏物にしては首回りや肌の露出が少ないものにした。色も暗めで、断罪を受けるという趣旨にはぴったりだろう。
実は昨日の激闘のせいで体に所々痣ができてしまっていて、首筋にもリッドの手の跡がうっすらと付いてしまっていたというのも大きな理由だ。ちょうどいいのがこれしかなかった。
ゆうべ首筋に気が付いた殿下がその後リッドのことを沈めていませんように。
実家も友人も愛する人も失った(みんな隠れているだけだけれど)、ボロボロで無力な悪役令嬢。まったくひどい物語だ。
けれどもう、これ以上失うものは何もない。
わたくしは渾身の悲壮感を背中に纏わせながら、騎士に連れられ会場の大広間に足を踏み入れた。
学年末夜会ぐらいでしか使われない特別な大広間には、学生も来賓の貴族も華やかに着飾って、大勢の人が一堂に会していた。
黙々と進むわたくしの姿を見つけた参列者は、船の白波が広がるように囁き合い、静まり返っていく。
いつの間にか楽団の音楽も止んだ。
広間の最奥には階段を備えた舞台のような高い台があり、王が座すための玉座があつらえられている。もちろんそこには本日の主賓、そして二人の王子殿下の父、国王陛下がお座りになっていた。
その尊い王座のたもとで、第一王子殿下はテトラ嬢と共にわたくしを待っていた。
「一度は逃げ出したと聞いたが、よく戻って来たものだ」
丁寧に礼をしたわたくしに、第一王子殿下は冷たく言い放った。
わたくしはまともに反応する気力もないふりで、のろのろと視線だけを返す。
しばらくわたくしを憎々しく睨みつけていた殿下は、ついに背筋を伸ばすと、会場全体に聞かせるように高らかに宣言した。
「カレッタ・ラミレージ。本日をもって、君との婚約は正式に破棄する!」
水を打ったように静まる会場。殿下は続けてわたくしの罪状を述べた。
「ラミレージ公爵家は、他家とも結託して王政への謀反を企てた。さらに君自身、ここに居る令嬢に数々の嫌がらせを繰り返し、果ては俺の目の前で、直接手を下し害そうとした。俺の新しき婚約者となる彼女をだ」
学生たちにも来賓貴族にも、ここ数日の公爵家を取り巻く状況は広く伝わっているはずだ。それでも第二王子の関わりに触れず明言を避けているのは、本気でルーデンス殿下の存在を闇に葬りたいという陛下の意向なのだろう。
第一王子殿下の口上は続く。
「これまで謹慎としていたが、正式な処分が決まった。ラミレージ家は反逆の罪で捕縛ののち極刑に処す。だが寮住まいの無力な学生だった君には温情が出た。学園から退学、貴族の身分を返上し、君は生涯を辺境の神殿に仕えて過ごすよう命じる。世俗社会からの……追放だ」
この温情措置はルーデンス殿下との取引の結果だ。きちんとその取引を守るのは、陛下の情けというよりは第一王子殿下に余計な不信を抱かせないためかもしれない。
まあ罰が物足りなかった第一王子殿下にリッドが入れ知恵したせいでこんな公開処刑になっているのだけれど! あのゲス紳士やっぱり一度は沈めてほしい!
でもそのおかげでこの好機が生まれているので文句ばかりも言えませんわ。
そこで、淡々と話していた第一王子殿下が初めて表情を変え、渋い顔になった。
「しかし……俺が長い間、君の本性を見抜けず誤解し続けていたことも確かだ。君は誰が相手でも直接対話することを重んじていたな。俺もそこは学ばせてもらった。そこで、今この瞬間だけ、君の自由な発言を許す。最後に言っておきたいことを、今ここではっきり言うといい」
なんという僥倖。ここで主導権をくれるとは。
わたくしの今までの対応も無駄じゃなかった! これを逃す手はない。
わたくしは、最大限の敬意をこめて、殿下に礼をした。
「ご厚情、痛み入りますわ。それではお言葉に甘えまして」
顔を上げる。
姿勢を正す。
右手を改造ドレスの腰のスリットに。
しっかりと掴んでそれを……愛用のハンマーをドレスから引きずり出す。
それを真っ直ぐ前へ掲げ、驚愕する殿下の隣、テトラ嬢にひたりと視線を定めた。
「決着を付けましょう。さぁ、『ラスボス戦』のお時間ですわよ」
「…………え?」
テトラ嬢は突然自分に向けて言われたことが理解できなかったのか、ただ目を丸くしていた。
せっかく彼女にだけ通じる言い回しで言ってあげたのに。
わたくしの無駄に堂々とした態度に警戒を強めたのか、第一王子殿下がテトラ嬢を庇うように一歩前へ出た。
「何を訳の分からないことを言っている!」
けれどそんな第一王子殿下は置いておいて、わたくしはハンマーを握り締めて言う。
「わたくしは第一王子殿下の元婚約者として、テトラ様、あなたの愛を試します。真に殿下を愛しているというのなら、このわたくしを魔法の一騎打ちで倒し、その愛を証明なさい!」
宣戦布告を受けたテトラ嬢は、驚きの中にも少しの苛立ちを含んだ表情でじっとわたくしを見つめ返していた。
急展開した状況に戸惑い、周りで見守る学生たちもざわざわし初めたその時。
特徴的にひび割れたその声が、会場に響いた。
「いやはや、実に面白そうではないか」
わたくしの背後の床から、その人は突然生えてくるように現れた。
すらりと細身で背が高く、長い手足。帽子はなく整えられた暗灰色の髪。
身に纏うのは、黒を基調とした上品な形の、けれど照明にキラキラと輝く青白い刺繡やビーズ飾りが派手に目を引く夜会服。上着の肩には、同じく派手で洒落た短い飾りマントまで付いている。
これはロージーのお兄さんに(本当は派手すぎて着たくないけれどこれしかサイズが合わなかったので)借りると言っていた服だ。
並大抵では着こなせない攻めたセンスの衣装だけれど、今宵の雰囲気には抜群に似合っていた。
なにしろそのお顔のほとんどは、奇妙な造形のマスクに覆われているので。
「おい、あれ、ルー博士じゃないか?」
学生の誰かが呟いた瞬間、大広間はさらなるざわめきに包まれた。




