55 (令嬢の)物理の法則が乱れる!
最初の音は、気のせいだと思った。
次の音は、気のせいであってほしいと願った。
その次の音を聞いて、霧で塞がる視界の果てにチリチリと小さな光が目に映って、気のせいじゃなかったと叫びたくなった。
リッドが魔法で交戦している。
誰と? 決まっている、ルーデンス殿下だ。
やはりリッドは、王都へ着く前にルーデンス殿下を始末するつもりだったのだ。
辺りはちょうど牧草地帯の真ん中で、霧の影響もあり殿下が逃げ隠れできそうな影がない。
殿下は無事だろうか? いや、今も攻撃が続いているのだから、まだしのいでいるはず。
恐怖で震えてくる手を押さえるように軽三のハンドルを握り締めた。
「急いで、アッシーちゃん!」
無属性魔法で持ち上げた鞭で腰をビシバシ叩くと、ウロコアシも「ミョミョミョ~!」と気合の雄叫びを上げて渾身の加速をした。気合の雄叫びだと思う。
自分も爆走しているので今の今まで気が付かなかったけれど、少し風が出てきていた。周囲の霧の粒子が煙のように大きく動いている様子が見える。
このまま晴れて日差しが出てくれれば、状況は殿下の有利に傾くかもしれない。
その時、ほんの一瞬だけ、霧の波の隙間からまだ遠い現場の様子が垣間見えた。
二人ほど騎士らしい人が地面に倒れていた。
そして剣を構え、正面を見据えながら警戒して歩くリッドの姿。
再び霧に覆われた直後、激しい光と轟音が迸った。二発続く。
リッドの雷魔法の弱点の一つは、雷撃自体は目視できないような速さだけれど、それを素早く連発することができないという点だ。次発には数秒の溜めがいる。
そしてもう一つ、実際の雷と違ってほとんど直線方向にしか飛ばせない。多少の追尾はするけれど、明後日の方向へ急転換させるような使い方はできない。
殿下もその二つの隙に気が付いてなんとか躱し続けているのだろう。
まともに当たれば間違いなく死ぬので躱し続ける精神力が必要だ。集中力が高い殿下でなければあっという間に丸焦げにされている。
とはいえ殿下がリッドを影に沈めて行動不能にするにもそれなりに集中が必要なので、この膠着状態は不利だ。まさに死闘だ。
わたくしは震えるあごをぎゅっと噛みしめて、覚悟を決めた。半泣きなのは許してほしい。
このままあの戦闘に突っ込んで、このわたくしが、最後のもう一つの弱点を狙うしかない。
少しでも隙を作ればルーデンス殿下の勝ちだ。
目前までたどり着いた軽三の上から、少しでもリッドの注意を引くためわたくしは叫んだ。
「行きますわよ、アッシーちゃん!」
「ミョオオオオオ~~~~~!!!」
突っ込んで行く先に、驚愕した様子でこちらを見ながら後ろに飛びのくリッドの姿が見えた。ひき逃げ作戦は失敗ですわね。
走り抜ける軽三から、プリステラ嬢の真似をして思い切って飛び降りる。
と、見事に着地に失敗し、その場にずっこけた。
「カレッタ!」
背後からルーデンス殿下の掠れた悲鳴のような叫び声が聞こえる。
振り向きたいのをぐっとこらえて急いでリッドを見上げると、剣にバチバチと魔力を滾らせているところだった。
緊張感ある戦闘に高ぶった戦士の目と視線が合う。
無言でわたくしに向けて剣を振りかぶったリッドを見て、わたくしはトビハゼのように地面を蹴って死に物狂いで脱出し、距離を置いて立ち上がった。振るわれたのが本気ではない威嚇の一太刀で助かった。
「手を出すな、リッド!」
「カレッタ嬢、何をしに来た」
ちょうど三角形になるような立ち位置で、リッドとルーデンス殿下の姿を確かめた。
殿下は体中ボロボロで、少しだけ血のようなものも見え、思わず悲鳴を上げそうになる。足も怪我をしていて痛むのか変な立ち方をしていた。
駆け寄りたくなる気持ちを我慢し、鬼神のごとき威圧感を放つリッドを精一杯睨みつけた。
「お邪魔しに、まいりましたわ」
わたくしを見ながらも、ルーデンス殿下の影操作を警戒してか、リッドは小刻みに立ち位置を変えじっとしていない。
なるほど確かに薄ぼんやりとした影で、殿下にとっても普段以上に操作が難しいのだろう。会話だけで隙を作るのは難しそうだ。
「あなたにできることは何もない」
「あら、わたくしならあなたを三度倒せると褒めてくださったではありませんか」
「それは遊びでの話だ。今、俺たちは果し合いをしている」
「わたくしとて貴族の端くれ。命を懸けて戦う気概は持ち合わせているつもりですわ」
「ダメだカレッタ! 早く逃げて!」
こちらに駆け寄ろうとする殿下をわたくしは視線で押し留める。
「わたくしが隙を作ります。どうか見逃さないでくださいませ!」
自分を鼓舞するつもりで笑って、次の瞬間わたくしはリッドに飛び掛かった。
リッドは今度こそわたくしを敵と認め、剣を構えて魔法を練り上げる。わたくしも魔法でハンマーを構えた。
一気に距離を詰めるけれど、十分に近付く前にリッドの魔法が放たれた。
わたくしはハンマーを動かすのは得意だけれど、自分の体捌きは人並み以下だ。
それが分かっているリッドも、自分の魔法の進路上からわたくしが絶対に逃れることができないと判断したのだろう。取った、と瞳に確信の色が満ちた。
けれど雷魔法が放たれるその瞬間、わたくしは思いっきり、自分の体を魔力で真横に弾き飛ばした。
急激に体の位置が変わり、雷撃魔法をぎりぎりで回避した。
「何っ……」
軽三に跳ね飛ばされたような衝撃が全身を襲う。けれど、構わず続けて同じ衝撃を今度は自分の背中に加える。
予備動作もなく力技でクランク運転をしたようなわたくしの物理法則外の動きに、さすがに面食らい判断が鈍ったリッドとの距離が一気に詰まる。
わたくしは必死に手を伸ばした。
「くッ」
けれど、あと少しというところでリッドは身を翻し、距離を開けられてしまった。
わたくしの目的に気が付いてしまったようだ。
引きざまに飛んできた魔法なしの斬撃をハンマーで逸らして躱し、いったん呼吸を整えた。
遅れて鈍い痛みが全身にやってくる。
テトラ嬢の階段落ちを見て実際に真似してみた技だったけれど、これは何度もやったらむちうちになりそうですわ。
不意討ちに失敗し、意図も読まれてしまったので、リッドから目を離さないまま情報を殿下に共有した。
「ルディ様! リッド様は剣を手にしていないと雷魔法が使えません。あの剣をなんとか手放させれば勝機はありますわ!」
これは以前、本人から第一王子殿下と共に聞いた致命的な弱点だ。
本来魔法を使うのに特別な道具はいらない。けれど魔法は人の意思、つまり精神状態や感情と連動するものなので、人によっては集中や魔力の操作が不得手なこともある。
そういう時は、自分なりに集中しやすいように決まった道具や手ぶり、言葉などに頼るのだ。アローナ嬢が本気の魔法を使う時に取り出す扇もそれだ。
リッドはアローナ嬢とは違い、剣がなければまったく魔法を使うことができない。
第一王子殿下は、リッドの雷魔法はお母様を失ったときの精神状態に深く根付いているため、勇猛な将軍であったお母様の象徴である剣が必要なのではないかと考えていた。
「この俺が、剣を手放すと思うか」
リッドの魔力と威圧感がさらに膨らむ。怒りを通り越した、殺気というものを初めて肌で感じた。
剣をバチバチと激しく帯電させ、強く踏み込んでわたくしに狙いを付ける。
けれど、すぐにリッドはハッとした顔になり、構えを解いてその場から飛びのいた。
「させない」
リッドの意識がわたくしに向いた隙にルーデンス殿下が影の操作を仕掛け、妨害したようだ。
「分かったよカレッタ。ちゃんと見てた。あの剣だね……君と一緒なら、やれる」
先程よりも落ち着いたルーデンス殿下の声が耳に届いた。
「カレッタ、今、僕は自分の影なら素早く潜れる。僕が隙を狙って剣を奪うよ」
「では、わたくしが華麗に撹乱いたしますわ。わたくしのハンマー捌きをとくとご覧あれ!」
相手に丸聞こえの作戦会議を終えて、わたくしは再度リッドに突撃する。背後ではルーデンス殿下が影に潜る気配がした。




