挿話 影の魔王と閃光の騎士
軟禁の間、第二王子、いや、もはやただのルーデンスと呼ぶべきか、彼は抵抗することもなく大人しくしていた。
テトラによれば、結果として彼の魂は物語本来のものだった。逃げることは簡単だったろうが、やはりカレッタの身柄を押さえておいたのが効果的だった。
偶然ながらも学園で彼らを確保したことによって国王の計画は筋書きが完成し、当初の予定よりも順調に進んだようだ。
ラミレージ家の断罪と、カレッタの身に及ぶ二通りの処罰を伝えると、ルーデンスは自分が秘密裏に神殿に送られることを黙して受け入れたらしい。
出発の朝、俺は初めてルーデンスの部屋に足を踏み入れた。
よく整頓されているが、全体的に物が多い部屋だった。
備え付けの本棚やクローゼットなどは俺の部屋とそう変わりはない。
しかし通常の配置なら応接用のテーブルやソファがある部屋の中央は、腰高ほどの棚が何台も整然と並んで占拠していた。
木枠を組んだ手作り感のある棚には、たくさんの統一感のない品々が、それでも不思議な調和を保って収まっている。
壁際には様々な素材らしきものが詰まった木箱が並び、奥の窓際には書き物机とは別に、工作道具などが並ぶ大きな作業机が見える。
まるで街の雑貨屋か、蒐集家の保管室のような風情だった。
棚に収納されている品は一見がらくたのようにも見えたが、すぐに理解した。『ルー博士』のゲームの試作品だ。
目を凝らせば、商品として流通しているものもいくつか発見できた。
あの『暗号手帳』もこの部屋で作られたのだろうかと、つい考えてしまう。
この学園の生徒としてこの部屋に入ることができた感慨と、今からその才能を自らの手で絶つ感傷が同時に押し寄せた。
らしくもないことだが、せめてサフィエンスにだけは、彼の正体を伏せておこうという気遣いが芽生えていた。
「この部屋にあるものは、もし残るものがあるのなら、破片でもいいからコドラリス先生に渡してほしい。あの人には長いことお世話になったから」
内容に反する無感動な声で、ルーデンスはそんな望みを伝えてきた。
何一つ自分の手元に戻る物はないということを、すでに理解しているようだった。
「カレッタ嬢には残さないのか」
「必要ないからね」
思わず尋ねてしまったが、その答えの意図までは読み取れなかった。
霧深い街道を、護送の馬車は王都へ向けて進んでいく。
二頭立ての頑丈な馬車の周りに、馬に乗った護衛の騎士が三名。馬車の中には帯剣した俺が同乗している。
ルーデンスはずっと黙ったまま、格子が嵌った小さな窓から霞掛かった外の景色を漠然と眺めていた。
カレッタを庇っていた時の激情はなりを潜め、色白の肌は血が通っていることすら疑わしい。横顔はサフィエンスや国王の面影を確かに想起させるのに、表情のない整った顔はどこか現実味がなく、精巧で無機質な人形を目の前にしているような気がして不気味だった。
しばらく無言の旅を続けていると、そのガラスのような暗い瞳が不意にこちらを向いた。
「そういえば、こうして君とゆっくり顔を合わせるのは初めてだね、リッド」
やはり抑揚のない声でルーデンスは言葉を紡いだ。
「一度、君とはじっくり話してみたいと思っていたんだ。先も長いし、少し相手をしてよ」
「それは俺の任務ではない」
「真面目な人だな。ゲームの誕生秘話とか、興味ない?」
好きな話題なのか、わずかに声が弾む。表情も笑みらしいものが浮かぶが、どこか取って付けたようだった。
黙っている俺に構わず、ルーデンスは勝手に喋り始めた。
「僕がゲームを作り始めたのは一年生の頃だよ。あの頃、僕は初めて冬至祭のお祭りに連れて行ってもらってね、はしゃいでいたら迷子になってしまった。それで、先生には必死に内緒にしたんだけど、僕は裏通りの賭博場に迷い込んでしまったんだ。そこでいろいろと危ない目に遭って、僕は考えた。安全で誰もが楽しめる遊びが、世の中にもっといっぱいあればいいのに、って。それで、自分で作ることにした」
どうやら、これが『ルー博士』誕生のきっかけらしい。学園内で流行し始めたのは四年生辺りからだと記憶していたので、下積み時代は意外と長かったようだ。
反応を返さない俺の様子を見て興味がないと受け取ったのか、彼は別の話題に切り替えた。
気のせいか、口元の笑みが徐々に滑らかになってきたように見える。
「興味ないか。じゃあ、影魔法に気付いた時の話はどう? 僕、自分が影魔法を使えることをずっと知らなかったんだ。つい最近まで自分の属性は土だと思ってた。それが、ある時ちょっとしたはずみで暴発してしまってね。なんと十日間も影の中に閉じ込められる羽目になったんだよ。今はもうそんなこと起こさないけど、あの時は大変だった」
これは、テトラの前に現れた日の直後の出来事だったはずだ。行方不明の原因は影魔法の暴発だったということか。
ルーデンスの声にはどんどんと情感が伴っていく。まるで乾いた荒野に水が湧くように。
「これも微妙? じゃあ、これはとっておき。展覧祭のゲームの話だ。展覧祭で目立つことをしようって話になってね。何をしようか悩んでいたところで思いついたのが、前に発売した『暗号手帳』を再利用すること。知ってる? その『暗号手帳』、あの時は学園全体で三冊しか売れてなかったんだよ。今はもう一冊売れて四冊。買ってくれた人には全員サインを書いて握手してあげたいくらいだよ。とにかく、展覧祭には宣伝役で僕も本人として登場することになった。いつも隠れてばかりいたけど、あの時は遊んでくれるみんなの反応が直に見られて、特別賞までもらえて、本当に楽しくて嬉しかったな……」
そこまで彼が話す頃には、俺は我が目を疑っていた。
「……あの時。自分は間違ってなかったんだって、もう不安になる必要はないって、そう思えたんだ」
もう、目の前に居るのは先ほどまでの無機質な人形ではなかった。
俺が知っている、テトラと対峙していた最後の敵の姿でもない。
血の通った赤い頬で、煌々と瞳を輝かせて笑う、年相応の青年がそこに居た。
「カレッタだよ」
青年ルーデンスは、敬虔な信徒のようにその名を口にする。
「きっかけも、行く先を導いてくれたのも、いつもカレッタだった。彼女が一緒に居てくれたから今の『僕』はここに居る。彼女が居ないと『僕』じゃない」
その表情を見て、俺は反射的に剣のさやを持ち上げた。
「彼女が未来をくれると言ったんだ。だから僕は諦めない。もう誰にも奪わせない」
そう言ってしたたかに笑ったルーデンスの首筋に、俺は既に抜き身の剣を押し当てていた。
「もしかして予定より早かったかな。馬車強盗に襲われる時間」
剣は食い込んでいる。しかし、皮膚の感触ではない。押し斬ろうとすると抵抗があった。
「大人しくしていないとどうなるか忘れたか」
「ここから王都や学園に知らせを送るのは時間がかかるでしょ? 全員ここで行方不明になったら誰が知らせに行くんだろうね。僕は隠れるのが得意だから、少しの時間さえあれば一人でもカレッタを迎えに行けるよ」
自分の足元の影がむずと蠢く気配がする。俺は直感で危険を感じ、走行中の馬車を開けて外へ飛び出した。
突然外へ転がり出た俺に驚き、御者や外の騎士たちが馬を止める。身を起こした俺は御者台に向けて怒鳴った。
「鳥を飛ばせ!」
御者台には緊急連絡用に飛ばす鳥の籠が積んである。王都行きの鳥でありカレッタの確保が間に合うかは微妙だが、とにかく異常を知らせなければ。
しかし。
「鳥ってこれ? 可愛いね」
その御者台に、いつの間にかルーデンスが鳥籠を抱えて座っていた。隣の御者役も騎士の身分の癖に、のけぞって驚いている。
俺は鳥を諦め、後部を守っていた騎士に言った。
「行け! 学園でカレッタ嬢の身柄を――」
「ダメだよ」
馬首を返そうとした馬が突然恐慌して後ろ足で立ち上がり暴れた。
乗っていた騎士は不意の動きにたまらず振り落とされる。背中から落ちた衝撃で騎士はすぐには動けなくなった。
他の馬も同様に恐怖のいななきを上げ、騎士たちの行動は封じられる。
俺は地面に付いていた左手に、凍えるような感触を覚えて視線を落とした。地面が泥のようにぬかるみ、手のひらが黒い影に飲み込まれようとしている。
氷の浮かぶ水に手を突っ込んだような冷たさを感じ、俺は慌ててその場から飛びのいた。
「あれ? ……そうか、霧のせいか。反応が悪いな」
俺が注意を促す前に、他の騎士たちと御者役の悲鳴が上がった。体の一部を捕らわれ、そこから成すすべもなくずぶずぶと影に取り込まれていく。
抵抗して魔法を放とうにも、ルーデンスの本体は再び消えていた。
中途半端に沈められた馬たちは完全に恐慌状態に陥り、必死に暴れて影から抜け出すと、散り散りに走り去ってしまった。
騎士たちの体が完全に見えなくなるのと入れ替わるように、ルーデンスはまた表情のない顔で、再び俺の目の前に姿を現す。
「本当はこんなことしたくないんだけど、ごめんね」
「彼らに何をした!」
「大丈夫、怪我はさせないから安心して。僕は暴力は嫌いだからね。ちょっと大人しくなってもらうだけ。そうだな、三分くらいしたら出してあげるよ」
抱えて一緒に影に潜ったらしい鳥籠を優しい手つきで残された馬車のそばに置く。
小声でもう一度「ごめんね」と声を掛けた中の鳥は、底の方で丸くなってぶるぶる震えていた。
先程の背筋が、魂が凍てつくような暗闇の中に三分も閉じ込められるなど、想像しただけで胃がすくんだ。気が狂う。
「君に言いたいこと、もう一つあったんだ」
淡々と語りながら、悠然と身を起こしたルーデンスにいつでも対応できるよう、俺は剣を構えた。唯一濃い影が発生している自分の足元への警戒も怠らない。
「僕はよく親友から鈍感だって呆れられるんだけど、これも今ようやく気が付いたよ。僕は、君に対して……物凄く、怒ってる」
静謐な声と、鋭い眼光。
向けられた魔王の視線に、俺は本気で挑むことを決めた。
相手に並みの斬撃は効かない。俺は瞬間的に魔力を練り上げ、剣に纏わせた。
「え? なにそれヤバっ」
本能的に危機を察したのか、影に潜ろうとするルーデンス。
それを目掛けて俺は剣を振りぬき、速撃の魔法を放った。
目が眩むほどの閃光。
辺り一面に空気を揺らす轟音が響く。
一瞬にして発動した魔法は、ルーデンスが間一髪で潜った影の端を抉り地面を穿った。
強烈な光に照らされる間も、奇妙なことにルーデンスの影が消えることはない。
しかしどうやら身動きが取れなくなるようだ。
しのいだ後に少し離れた位置に移動し、ルーデンスが慌てた様子で影から這い出して来る。動揺で影の操作が不安定になっているのか、動きがぎこちなかった。
「った……なんだよそれ……」
今の一撃で負傷したらしい腕を庇うように抱え、痛みに歪む顔でルーデンスは毒づいた。
本来、生身に受ければ命をも奪う一撃だったが、地を這う影の性質ゆえか効果が鈍いようだ。
だが、初めてその余裕を崩すことに成功した。
「俺の魔法属性は、『雷』だ」
「雷? 雷って……使えるのは、あの伝説のキリー将軍だけなんじゃ……」
言いかけて、ルーデンスは思い至った表情になった。
「キリー・クラウン将軍……そしてリッドは確か……まさか、君は」
「そうだ」
この魔法こそ俺の誇り。俺の戒め。
それを知らしめるため、俺は剣を掲げて高らかに騎士の名乗りを上げた。
「我が名はリッド・クラウン。英雄にして我が母キリーの元に生まれ、母の魔法を倣い受け継いだ唯一の息子。国王の命、そして我が悲願のために……今ここで、貴様を討つ」
俺が俺であるために。彼女を肯定するために。




