挿話 彼女は誰も愛さない
勉強はできた。逆に言えば、勉強しかできなかった。
この世界の学問は簡単だ。貴族に必須な政治や経済の知識も、前世のほうがもっと複雑だった。
魔法だってゲーム感覚と変わらない。やりこんだゲームの世界の魔法だから、性質は知り尽くしていた。
だから、優秀な成績をキープするのも、学年末のテストも、楽勝だった。
前世で上手くいかなかったのは、アタシの性格が悪かったからだ。
空気が読めない。流行も通じない。容姿も不細工。卑屈で嫌味な言葉しか出てこない。次第に学校ではつまはじきにされて、虐められて、馬鹿らしくなって行かなくなった。
うちは片親だった。父親のモラハラで母親は逃げた。写真でしか見たことがない。
地方都市の小さな建設会社に勤めていた父親は、本人なりに苦労してアタシを育てたことだろう。でも感謝なんかしてない。
仕事とプライベートの境界が曖昧なタイプで、まだアタシが小さい頃、たまの休みに「ドライブに行くぞ」と連れていかれたと思ったら何もない山間部の空き地で、アタシを真冬の車内に放置したまま仕事現場の下見や計測を始めるような馬鹿だった。
いかにアタシのために苦心して、自分を犠牲にして子育てしているか、周りどころかアタシ本人にまで語って聞かせるクソ親だった。
でも滅多に暴力に訴えることはなく、どれだけ嫌だと思っても誰も助けてくれなかった。反発すればアタシがワガママ扱いされるだけだ。
娘の話なんか聞かないし、仕事を理由に約束はすぐ破る。ろくな親子の触れ合いなんかもない。
それでもあのクソ親父譲りのマウント取り思考と毒舌を受け継いでしまったアタシは、中卒で立派な引きこもりになった。
父親が泣きながら激怒してきて命の危険を感じたので、高校はなんとかオンラインで単位が取れる学校を探し、卒業認定資格を取った。
先生からは大学進学を勧められたけど、通信高校ですら人との会話が億劫だったアタシは、もう面倒になって本格的に引きこもった。
ひたすら本や漫画を読み、ネットを眺めて、ゲームする生活。
特に乙女ゲームはハマった。アタシが演じるヒロインのパーフェクトコミュニケーションでばんばん墜ちていく男どもがチョロくて爽快だ。
生まれ変わったらこういう完璧な女になりたいと、その時は冗談で思った。
そんな生活がしばらく続いたころ、突然、父親が婚約した。
相手は職場にいた事務員の女で、父親とは同世代。アタシの相談をしていたのがきっかけで仲が深まったらしい。ふざけんな。
うちは持ち家だったので、必然的にその女がうちに住むことになった。マジふざけんな。
その女は理解ある女だった。モラハラクソ親父のコントロールがとにかく上手い。
顔を合わせれば文句ばかり言ってきたあの父親が牙を抜かれたように大人しくなり、今まですまなかった、みたいなことをちらほらと口にするようになった。
アタシの腹は煮えくり返った。
なんだすまないって。テメェがすまないって後悔するような存在なのか、アタシは?
目の前にいる完成した娘を、すまないの一言で否定するのか?
八つ当たりなのは分かってた。どこかで自分を変えなかった自分が悪い。中学を出てもめたあの時に、やっぱりあのクソ親父をぶっ殺しておけばよかったと後悔した。
行き場のない怒りはやがて、そんなふうに父親を変えた女に向いた。
女はアタシにも優しかった。アタシが嫌がる距離には入ってこない。それでも些細な接触を積み重ねて、アタシに歩み寄ろうとしていた。不快じゃないのが不愉快だった。
ある時、何かのはずみで女にキレたことがあった。
女はその年まで独身で、気ままな単身暮らしだった。
金遣いも堅実だったけど、唯一、数年前に何かの祝いで奮発して買ったという愛車を大切にしていた。珍しいクラシックカーだ。まめな整備や手入れも日頃から欠かさない。
アタシは、女が父親とデートに出かけて不在の間に、その車をぶっ壊した。
倉庫にあった父親のクソでかい工事用ハンマーで叩きまくって、窓を割り、ドアをへこませ、ボンネットの中まで執拗にボコボコにした。
驚いた隣家の住人が警察に通報し、父親たちは飛んで帰ってきた。
騒ぎがひと段落付いて家に戻ると、アタシは思い切り父親に殴られた。
そのまま車みたいにボコボコにされるつもりでいたのに、女が必死に父親にしがみついてそれを止めた。
女は泣いていたけれど、車を壊された怒りは一言も発しなかった。
代わりに女がアタシに言ったセリフはこうだ。
無神経にやってきて、目障りだったよね。ごめんなさい。
でも私はあなたの、私なんかよりずっと頭がよくて物知りなところとか、自分をしっかり持ってるところが大好きなの。
その時アタシは理解した。その女は、完璧なヒロインと同じ人種だった。
どんな問題児も、どんなクズ男でも、その心ひとつで救ってしまう完全無欠のヒロイン。
そんな相手にアタシはどう抵抗すればいいかわからなかった。
そのままでいれば、いつか絆されて許してしまうのが怖かった。
アタシが絶対に許せない父親を許した女を、許したくなかった。
許さなくていいと、その女に許される未来が屈辱だった。
だからアタシは最後の抵抗として死を選んだのだ。
だって攻略対象が死んだらそれはバッドエンドじゃん?
それとも、悪役だった邪魔な娘が死んでハッピーエンドか。草。
見覚えがある世界に転生していたことに気が付いたのは、母が病で倒れた時だった。
そこから先に何が起こるのかをアタシは完全に思い出した。
そして、前世の自分がどれほど救いようのない身勝手な人間だったのかも思い出して絶望した。
テトラとして生まれて、愛されて優しい世界で生きてきた記憶も失わずに持っているのに、蘇った怒りも自己嫌悪も本物で、もう今までのテトラとして自然に振舞うのは無理だった。
でも同時に、やれるとも思った。
環境も、容姿も、テトラの記憶も、攻略の記憶もある。
これなら完璧なヒロインを演じられると思った。
クズな前世の自分を今度こそ殺せると。
完璧に最後まで演じ切れば、幸せは保証されている。
テトラとして生き、今度こそ幸せな結末を手に入れるのだとアタシは固く決意した。
その決意をめちゃくちゃにしやがった悪役令嬢を、ようやく『悪役』に仕立て上げることができた。
いまのところ、アイツのお友達だった義姉も大人しくしている。アタシはあの義姉が大嫌いだ。前世のあの女を思い出す。できるだけ関わりたくなかった。
テストの最終日は夏至祭の日だ。冬至祭を祝う国なのだから、夏至祭も祝う。
この日を境に霧の季節は終わり、本格的な夏が到来する。
ただ多少の天候のずれはあるので、せっかくの夏至である今日も薄ぼんやりとした霧が漂う一日となった。
半日で終わるテスト最終日の今日は、『原作』でも重要なイベントが発生する日だった。
学園は夏で一学年が終わるため、この季節は別れや門出の季節というイメージが定着している。
加えて今日はテストが終わった解放感があり、さらに『成功』『始まり』『情熱』などを司る太陽の神の力が一年で最も強まるとされる夏至の日でもある。
つまり、学園生の連中が、この日にこぞって何をしたがるかというと。
「テトラ。考査で疲れているだろうに、呼び出してすまない」
プラチナブロンドの、奇跡のようにきらびやかな麗しの王子様が、生徒会室でアタシを待っていた。
アタシは愛想よく笑って首を軽く傾ける。
「いいえ、お会いできて嬉しいです。今日はわたしに何か御用でしょうか?」
「ああ。君に聞いてほしいことがあってな。重要な話だ」
示されたソファに腰かけると、サフィは対面ではなくアタシの隣に並んで座った。
「まずは報告だ。君を害そうとしたカレッタ・ラミレージ嬢、及び第二王子ルーデンスの処分が決まった。君は直接の被害者だから伝えておきたくてな」
「お二人は、どうなるんでしょうか……?」
不安そうに尋ねて促すと、サフィは詳細を続けた。
「君が奴らのために憂う必要はない。あの後調べを進めたところ、どうやら事態は思っていたより深刻でな。カレッタ嬢の生家、ラミレージ家が水面下で第二王子を担ぎ上げ、王政への謀反を企てていたことが父上の調査で判明した。ルーデンスの計画は実行寸前まで進んでいたらしい。この時点で発覚したのは幸いだった」
「そんな、公爵家が本当に……」
驚いてみせると、サフィは宥めるようにアタシの肩に手を置いた。
「謀反は大罪だ。こちらの準備ができ次第、あと数日のうちに公爵一家は捕えられるだろう。一家全員極刑は免れない」
「それは、カレッタ様も?」
「本来ならばそうなる、が……過去の謀反の断罪において、未成年の学生だった令嬢一人だけが恩赦を掛けられ、僻地の神殿に追放されて済んだ事例がある。縁戚と他家への見せしめだ。今回、カレッタ嬢がルーデンスの言いなりになっていただけという事情も考慮し、同様の処分になる。もちろん俺との婚約は破棄だ」
「では、命は助かるのですね……」
優しい令嬢らしく、アタシはほっと息を吐く。本当は死んでもらいたかったけれど仕方ない。
そんなアタシを見て、サフィは微笑んでいた。
「テトラは本当に心優しいな。もっと厳しく断罪できないことが俺は残念でならない」
「あの、それでは、ルーデンス殿下はどうなるのですか?」
「奴も、父上の政治的な事情で、処刑することはできない。表向きの罪はすべてラミレージ家が被る。奴を僻地に送るのは監視の手が薄くなり危険なため、王都の神殿に入れることになる。一度入れば、生涯出てくることはないだろう。ただ……」
「ただ?」
「いや、君に聞かせる話ではない。気にするな」
テトラは不安げながらも可愛らしく首を傾げたが、アタシは察した。
学園があるこの都市から王都までは馬車で半日程度かかる。
途中には見通しの悪い森や、人家のまばらな牧草地帯も通る。その辺りは時々、馬車強盗の被害があるのだ。
罪人の第二王子を王都まで護送する馬車が、その途中で『不幸なトラブル』に見舞われても、それは本人の不運としか言えないだろう。
「奴はラミレージ家の捕縛が済み次第王都に護送される。学年末の夜会は安心して楽しむことができるだろう」
まさにリッドが予言した通りの展開になるようだ。
大事なラストシーンがまたアドリブになることに、アタシは若干苛立つ。おくびにも出さないが。
「それで、だな……」
こほん、と小さく咳払いをして、サフィは真剣な目をアタシに向けた。
「学年末の夜会には、君を伴って参加したい」
「え? ええと、それは……」
分かりきっているけれど、アタシは戸惑ったように聞き返す。熱く見つめられて頬を赤くする程度もはや朝飯前だった。
サフィがテトラのどんな反応を好むかは、もうとっくに把握済みだ。
テトラの反応を見て覚悟を決めたらしいサフィは、夏至の日の太陽神にあやかって、その想いを告白した。
「愛している、テトラ。どうか俺の伴侶となってほしい。心優しい君と共に、素晴らしい国を作っていきたいんだ」
……夏至祭の日、午後。エンディング確定告白イベント、回収。




