49 影を覆う陰
学年末考査を目前に控えたある日。
その知らせは、急転直下だった。
『国王陛下がラミレージ家の排斥に動いている。状況が落ち着くまで目立つ行動は控えるように』
いつもより手間のかかる方法で秘密裏にルーデンス殿下の元へ届いたお兄様の手紙には、そんな内容が簡潔に書かれていた。文章量とは真逆の大事件である。
読み終えてすぐ手紙を影に隠した殿下は、難しい顔で溜め息を吐きながら額を押さえた。
「僕とラミレージ家の関係が気付かれたんだ……僕が公爵家を後ろ盾にしようとしているのが気に入らないんだろうね。でも、どうして直接僕を潰しにこないんだ? そのほうが簡単なはずなのに」
「むしろ公爵家が唾付けてるから手が出せないんじゃないか?」
腕を組んで椅子をぎしぎしと鳴らしながら、思案顔でロージーが答える。
「今のお前は最低限だが外部との繋がりがある。下手に直接手を下そうとしたら、それこそ公爵家が味方の家と一緒に騒ぐ口実になるだろ。中立のウチだって心情的には今の国王嫌いだし、お前にも注目してる。いつ均衡を崩してもおかしくない」
「なるほど。だからまずは旗頭になる公爵家の力を削ぐ、と。大胆なことするなぁ」
「ラミレージ家への積年の恨みってやつもあるのかもな。ここまでやるなんて相当本気だぜ、こりゃあ」
殺伐とした会話に泣きたくなってくる。
楽しいゲーム開発同好会の部屋で交わされていい会話ではありませんわ……。
「カーディナル家が立場を偏らせるなんて、よほどのことですわね。中立でいるのは王家との契約で、特権の対価ではなかったかしら」
アローナ嬢が驚いてそう言うと、ロージーは笑って答えた。
「ウチは魔法の研究にしか興味がないからな。幻の影属性が現存するなんて聞いちゃ黙ってねえよ。実際ウチの兄貴三号がすぐ飛んできただろ」
「ああ、うん……悪い人じゃないのは分かるんだけど、ちょっと、勢いが怖かったかな……」
「あれでも比較的無害な兄貴だから勘弁してくれ」
「あれで!?」
ルーデンス殿下が青い顔をしている。何があったか知らないけれどカーディナル家恐るべし。
「それにお前のことがなくても、うちの両親、終戦期のアレのせいで陛下のこと信用してねぇからな。例の将軍と仲良かったんだよ」
ロージーが濁したのは、ルーデンス殿下の存在に続くもう一つの陛下の『やらかし』のことだろう。
これもこの国の貴族ならば誰もが避ける話題であり、今深堀りする話でもない。
「というわけで、ウチはルディの味方だよ。直接手助けできるかは分からんが」
「気持ちだけでも充分だよ。ありがとう」
「それにしても、やはり、リッド様が陛下に情報を流して焚きつけたのでしょうか?」
話題を変えてわたくしが疑念を口にすると、意外にも反応したのはルーデンス殿下だった。
「いや、話したとしても、僕が影魔法を使いこなしていることと、ルー博士の活動くらいだろう。僕の動きとして、これだけは報告しないわけにもいかないだろうからね」
殿下はすらすらと迷いのない口調で分析を続ける。
「ただ、さすがに彼が公爵家の話まで焚きつけるのは、立場的にも性格的にもないと思う。あくまで陛下の判断のはずだよ。……というか逆に、陛下の計画の流れをある程度予測していて、脅しに使ったのかもね。リッド、そういう状況の判断は得意そうだし」
説得力があるしわたくしも同意見だけれど、やけにきっぱりと言うので、奇妙な感じがした。
「ルディ様。あなた、リッド様にお会いしたこと、ございましたかしら?」
「あ……あー、いや、その」
尋ねると、あからさまに言葉を濁して視線を泳がせる殿下。ちらちらとロージーのほうを見ている。なるほど共犯か。
ロージーが呆れて溜め息を吐くと、殿下も諦めて自供を始めた。
「影に潜ってちょっと、ほんの数回、ね……」
「隠れてのぞき見とは、それが紳士のすることですの?」
「だってまた君に手を出さないか心配で……分かった、もうしないよ。反省します。でもおかげでリッドの人となりも少しはわかったし、今回だけは目をつぶって!」
反省はするけれどまったく後悔していない顔だった。
なんだか最近ますますいい性格になってきた気がしますわ。
「わたくしだってルディ様に何かあったら心配なのですから、危険な真似はおやめください」
「わ、分かった。約束する」
ルーデンス殿下は赤い顔でこくこくと頷いた。
ロージー様、「これが尻に敷くってやつか……」と感慨深げに観察するのは恥ずかしいからおやめになって。殿下を煽って偵察に行かせたの絶対あなたでしょう。
「ルディ様はやっぱり、陛下がルディ様の自由を奪おうとなさっていると考えているんですか?」
ずっと黙って聞いていたプリステラ嬢が重々しく問うと、ルーデンス殿下は静かに頷いた。
「むしろ、今まで放置されていたのは、僕が無力で無害だったからなんだと思う。王家にとってただでさえ余計な存在だった僕が、さらに厄介な自分の属性に気が付いて、使いこなすようになってしまった。王家は長いこと僕を放置してきたから、僕が何を考えているかも分からない。警戒するのは当然だ」
ゲームで相手の戦略を読む時のような目で、ルーデンス殿下は語る。
「それに、ディカスさんが言うには、想定以上に王家は影属性の力を危険視しているようなんだ。神殿なんか、影属性の実在すら認めないほどらしい。一般人が触れられる過去の記録は相当古いものしかないようだから、王家と神殿にしか触れられない詳細な情報があると考えてる」
そこで、殿下にしては珍しい、皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「……僕は当事者だからなんとなく想像が付くけど、ろくな記録じゃないと思う。王家は……陛下は、僕の自由を奪うどころか、可能ならば消そうと考えていてもおかしくないよ」
「そんな……」
プリステラ嬢が悲しそうな顔をする。家族の愛情に包まれて育った彼女には、ルーデンス殿下の境遇は聞いていて辛いものがあるのだろう。わたくしやアローナ嬢だって同じだ。
殿下は寂しそうに微笑んで、わたくしたちに言った。
「みんなに分かってもらうのは難しいと思うけど……僕は、今更、あの人たちを家族と思うことはできないよ。僕にとっては、血の繋がった誰かより、みんなや先生のほうがずっと大事だ。僕を大切にしてくれるみんなのためにも、もうこれ以上、日陰に押し込められたままでいるのは嫌なんだ」
未来を諦めないと殿下が語ったあの冬の日から、もう半年が経とうとしている。
あれからこんなにもたくましく成長した殿下に比べて、わたくしは何もできていない。
殿下がご自分の境遇に立ち向かおうとしているように、わたくしもそろそろ……本気で向き合うべきなのかもしれない。
話し合い兼勉強会が終わって、寮に帰る時間になった。
ルーデンス殿下以外のメンバーは道具を纏めて、資料室を後にする。
わたくしも帰ろうとドアに向かったところで、不意に殿下に呼び止められた。
「カレッタ、ちょっと」
先に廊下に出ていたアローナ嬢たちは、わたくしを見るとにこりと笑って、手を振りながらドアを閉めてしまった。




