04 無力令嬢の価値
「きゃあ! お、お兄様! それにお父様とお母様まで」
思わずマグロさんを抱きしめて振り向くと、部屋の入口に唖然とした顔の家族が立っていた。
お兄様は今、学園の寮に住んでいるのだけれど、今夜の夕食会に合わせて帰ってくることになっていた。
驚いたはずみでベッドの上にはしたなく立ち上がってしまった姿をみんなに見られたことを悟り、急に恥ずかしくなる。慌てて床に下りてワンピースの裾を整えた。
「お、お恥ずかしいところを……もう! どうしてみんな黙って部屋に入っているんですの!」
「何度も声を掛けましたよ。返事がないものですから、心配になって……」
「勝手に入ってすまない、お前が落ち込んでいるのではと焦ってしまってな。許しておくれ」
「儀式の話を聞いて、僕が叱って連れてきたんだよ。一番辛いのはカレッタ本人なのに親が落ち込んでいる場合じゃない、って、思っていたんだけど……」
お母様もお父様もお兄様も、心配と、安堵と、さっき見たものの驚きで、表情は混乱一色だった。
「それで、カレッタ。いま、その人形が風魔法でもないのに宙に浮いていたように見えたのだが?」
説明もそこそこに会議室に連れ出され、重鎮の家臣たちも見守る重苦しい雰囲気の中、わたくしはもう一度マグロさんを飛ばして見せた。
慣れてきたので、頭の上ほどの空中を本物のマグロよろしく泳がせるように動かすと、みんなぽかんと口を開けてそれを見上げていた。
「……と、この人形のおなかを、ウミヘビのように長ーく伸ばした腕で支えて持ち上げるような想像をすると、こんなふうに宙に浮かぶのですわ。それから、細長いカニのような見えない二本足で歩かせようとすると、こんな感じ……」
バリエーションを変えてやると、マグロさんの動きも変わる。ひょこひょこと可愛らしい動きになった。
「海の生物からどうしてその発想になるのか理解しがたいが……というかその動きちょっと気持ち悪……いや、それにしても凄いぞカレッタ! 無属性の魔法なんて聞いたことがない。お前は間違いなく天才だ!」
「もう、大げさですわ、お父様」
手放しに誉められて照れてしまう。お母様もお兄様も称賛の表情で頷いている。どや。
一方、家臣たちは必死に頭を働かせているようだった。
さっきまで両親と、
「お嬢様は魔法が使えない。他の貴族にばれたら舐められる。今後の育て方は? 学園に通わせられるだろうか? 魔力量が少ないのに嫁ぎ先は確保できるだろうか? 最悪病弱設定にして一生領地に隠さなければ……」
と今後のわたくしの微妙な立場について、喧々諤々の話し合いをしていたはずだ。
それが、これまた微妙、だが見たこともない斬新な『魔法』を引っ提げて出てきたのだから、反応に困るのは当然だろう。
彼らの仕事は公爵一家の能力をどのように一族の運営に生かせるか客観的に考えることなのだ。
「お嬢様。人形を動かす以外に、お出来になることはありますか?」
「ほかに? そうですわね……」
貴族の魔法は国を守るために戦う力。
近年ようやく長い戦乱期が終わり平和となったこの国でも、その感覚はいまだに根強い。
女性はそこまで過激な魔法は求められないけれど、いざという時家を守り、当主の隣に立てるような力があれば大きなアピールポイントになる。つまりはモテるのだ。
軽い人形を飛ばすよりもっと実戦向きな魔法。前世の知識と想像力があっても難しい質問だ。
わたくしはこの無属性魔法を、前世でいうところの『超能力』のような感覚で捉えていた。超能力と言えば、他に何ができただろうか……。
部屋の中をぐるりと見まわしながら考えて、あ、あれならいけるかも、と思ってそれを指さした。
「お父様、あの細剣を見せてくださいませ」
「うん? これか」
それは、会議室の壁に水平に掛けて飾ってあったお父様の細剣だ。
鎧の関節部分など保護が薄い個所を突き刺す用途の剣で、戦場でも広く使われている。
公爵家は魔法重視の家系だけれど、代々の当主は緊急時にいつでも使えるように、軽くて取り回しがよい細剣の剣技を身に着けていた。
危ないからと手が届く距離には近付かせてもらえなかったので、魔力の糸を伸ばして表面を撫で、状態を探る。
見た目の印象より頑丈そうだ。距離もぎりぎりだし、思い切りいっぺんに魔力を込めて……。
「この細剣、貴重なものですか? 例えば、今は亡き名工の作ですとか」
「いや、これは非常用を兼ねて飾ってあるだけで、特に貴重なものではないよ。だが私のお気に入……」
「それなら結構ですわ。『曲がれ』」
すでに無意識に集中してしまっていたので、お父様の後半の言葉を聞き流す形になってしまったけれどもう遅い。
刀身のど真ん中に上からフルスイングで魔力をぶつけるイメージを伝えると、お父様お気に入りの細剣は見事直角に折れ曲がり、ビヨンっ、と軽妙な音を立てて壁掛けから弾んで床に落ちた。
やってはみたけれどスプーン曲げのような感覚で使うのは難しそうだ。
ついでに隣でお父様も膝から崩れ落ちていた。
「初めてだったので、その、急に止められず……」
「いえ、素晴らしいですお嬢様! 魔力消費のほうは?」
「ええと、思ったより疲れますわ……でも、剣の感触が分かったので、曲げるよりも、剣士の手から剣を抜き取ることならできそうですわ。重いのでずっと浮かせるのは難しいですけれど。試しに構えてみてくださる?」
「さようですか? では旦那様、これ少々お借りしますぞ……ほほう! これはすごい!」
「これならもっとたくさんできそうですわ!」
「なるほど、少なくとも剣士数人に大きな隙を作ることはできそうですな。いざという時これくらいできればご令嬢としては合格点です。ふむ、これはなかなか、思っていたより……発想の斬新さと器用さを推していけばなんとかなるか……」
半分は独り言のような家臣の言葉に、わたくしはひとまず安堵した。微妙なりになんとか体裁は整えられそうだと見積もってもらえたようだ。
そう、これが一番の心配だった。
一族の期待を受けて儀式を受けたものの、役立たずで家族から貴族失格のレッテルを貼られてしまっては目も当てられない。
貴婦人の見本として社交界に花を咲かせるお母様には失望されるだろうし、甘やかし癖のあるお父様はわたくしを憐れんでダメなこともダメと言えなくなるだろう。
家臣たちにはきっと陰で馬鹿にされる。
もしそんなことになったら、わたくしだってどんな性格に育つか分かったものではない。
たぶん、家族に正しく愛してもらえなくて自分がどんどん嫌いになり、公爵家の家柄だけを笠に着た愚かでイヤな女になることだろう。そんな話をいつかどこかで聞いたような気がする。
今回一番助けられたのは、他でもないお兄様だ。
わたくしの魔力が少ないと聞いても見下さず、しっかり娘に向き合うようにと両親を叱って連れてきてくださった。
もしあの会議が中断せず、その場でわたくしを切り捨てる結論になっていたら、と考えると今更ながら恐ろしい。
優しくて大好きなお兄様。あとできちんとお礼を言っておかなくては。
「か、カレッタ……この剣、元に戻せたりは……」
「……お父様。わたくし、先日『酒は酒屋』ということわざを習ったばかりなのです。剣は鍛冶屋ですわ」
「そう……だな……カレッタは賢いなぁ……」
一度曲げてしまった剣なのだから、トンカチでしっかり叩いてもらったほうがいいですわ。
ちょっと直角になったくらい、プロなら簡単に……簡単に……直せますわ。たぶん。
そうですわ、軽いトンカチなら、わたくしの魔法でも浮かべて動かせそうですわね。さっき魔力をフルスイングした時も、なにか動かす物体があればいいなと思ったところですの。
ばあやにまたお願いして作ってもらいましょう。
例えばそう、革張りに綿をぎっしり詰めて、木を軸にしたトンカチなんてどうかしら……。
未就学児編・完!
次回から学園に入学します。