37 冷めきったお茶を飲む会
まだ時間があるとはいえ、展覧祭までにやることは盛りだくさんだ。
『ルー博士』として全力で打ち込むためにも、わたくしには早めに片付けておかなければならない案件がある。
ずばり、第一王子殿下の予定確認だ。
毎年、というか、王族としての慣例で、第一王子殿下は魔法戦の公開試合に出場し、さらに個人の研究発表を行う。
研究発表の準備はいつも冬休みが明けたらすぐ取り掛かっていて、わたくしも資料集めや大まかなスケジュール調整などの裏方作業で協力している。婚約者としての務めで、これまた慣例だ。
わたくしの婚約者を挿げ替えようとしている公爵家の計画はまだ秘密で、王家に知られるわけにはいかない。つまり、今年のこの慣例もいつも通りにこなさなくてはならなかった。
冬至祭で盛大にやらかしたまま別れたきりなので、第一王子殿下にお会いするのは正直言って気が重いどころではない。
わたくしの態度が最悪だった自覚があるだけに、果たして謝って許してもらえるものか、考えるのも恐ろしすぎて心臓が潰れそうだ。
一応、新年の挨拶状で誠心誠意の謝罪はしたけれど、反応は無かった。怖い。
けれど公爵家への抗議文の類なども届いてはいなかったようなので、まだ救いはあるのだろうか……。
昨日のうちに寮の使用人に手紙を託し、約束を取った。
喫茶室の個室で息を殺して待つ時間は、処刑を待つ罪人の心地だ。
頭の中で必死に会話を想定していると、ついにドアがノックされる音がした。弾けるように立ち上がって、姿勢を正した。頑張れわたくし。
「待たせたようだな」
「いいえ、お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
二人分のお茶を注いだ給仕が個室を出て行ったところで、一度席についていたわたくしは再び立ち上がって、殿下に向かって深く頭を下げた。
「冬至祭での無礼な態度、誠に申し訳ございませんでした。如何様な罰もお受けいたします」
差し出しているこの首をこの場で落とされても文句は言えない。
震えながら反応を待っていると、殿下は意外な言葉を返してきた。
「いや、あの状況で俺も動転していた。まして、君は十日間も奴の安否を気遣っていたのだろう。今回ばかりは、不問にしよう」
「で、ですが」
「あの時……君の気持ちを知りたいと言ったのは俺のほうだ。君はそれに応えただけだ」
静かに見据えてくる第一王子殿下の瞳には、あの時のようなぎらつく光は無い。
熱のない声で淡々と「掛けてくれ」と言われては、大人しくそれに従うほかなかった。
あの日、ただでさえ失礼な態度を取ったのに加えて、普段のお行儀のいい姿とは違う取り繕わない素のわたくしを目にして、殿下はそれはもう幻滅したに違いない。
本性そのものにも、そしてそれを隠しきれなかったという事実にも。
前世でも似たようなことがよくあったという記憶がある。
普段は普通の穏やかな人なのに、ピチピチに夢中になっている姿がちょっと怖いとか、気持ち悪いとか言われたこともある。
そんな記憶があったからこそ、第一クラスや殿下相手に最初から素の姿を見せられなかったのかもしれない。
自分の本当を隠し通すのは辛いけれど、ありのままを見せても受け入れてくれる人が居なければ、もっと苦しい。
きっと何度人生を生き直しても、この小骨のようなささやかな恐れが消えることはないと思う。
だからこそ、それを受け入れてくれる得難い人たちを大切にしたいと思うのだ。
「いくつか訊かせてほしい。奴とはどういう関係だ? いつ出会った?」
「お会いしたのは入学間もない頃で、偶然です。第二クラスの友人たちと同様、勉強や遊びで親しくしていただいておりますわ。気の置けないお友達です」
弟の状況を探ろうとしているのか、第一王子殿下が質問してくる。
存在を認識した以上は、政治的に敵対しうるか、自分の立場を奪いに来ないか、その思想が気になるところだろう。慎重に答えることにした。
「奴は、どんな人間だ?」
いきなり困る質問をぶつけられる。
ルーデンス殿下はわたくし以上に他人に見せる表情の差が激しい。
友人相手なら穏やかで気さくだ。コドラリス先生には子供っぽく甘えている節もある。でもゲームの勝負の時は誰が相手でも強気で一切容赦がない。
それから、気を許せない相手や苦手な相手(主に学園の使用人たち。殿下は重度の使用人恐怖症だ)の前では緊張して表情筋が機能停止する。
無理にそのまま笑おうとするとかなり不自然で不気味に見えてしまうほどだ。たぶんいま彼が第一王子殿下に会ったら、そうなると思う。
知りたい相手の人柄を他人に尋ねることほど判断が難しいことは無い。
わたくしの外面の使い分けを目の当たりにした上でそんな質問をしてくるのかと驚いてしまうけれど、これはもしかしたら、第一王子殿下の考え方の癖なのかもしれない。
たとえば、他人からの風聞に神経を尖らせている国王陛下の影響、とか。
「あくまでわたくしから見て、ですが」
そう強調すると、殿下は少しだけ身構えた。
「純粋で素直で、友人想いの優しいお方ですわ。人付き合いは少々苦手なご様子ですが、与えられた境遇を受け入れようとなさる強いお心もお持ちです」
少し突っついてみるつもりで、軽く彼の境遇に触れる。
いくらお父君が冷遇しているとはいえ、第一王子殿下本人は彼をどう思っているのだろうか。
「自分の境遇を、疎んでいる様子はないか?」
「疎んでいる……ですか」
殿下は深く掘り下げることはなく、あくまで現状の把握を優先した。
境遇を疎む、というのも答えにくい難しい言い回しだ。ここもありのままを答えておこう。
「少なくとも誰かへの恨み言の類などは聞いたことがございませんわ。……ただ、わたくし含め友人たちもみな、あのお方の全てを存じ上げているわけではございません。気になるのでしたら、殿下が直接お会いになるべきかと」
「それは……いや、それもそうだろうな」
迷いに揺らぐように、第一王子殿下は軽く首を振った。
「奴の話はこの辺にしておこう。最後にこれだけ。君は奴を……」
考えながら話していたのか、不自然なところで一度口を閉ざした殿下。けれどすぐに言葉を続けた。
「奴の現状については、不満があるようだと見ていいか?」
「……友人の安寧を祈ることしかできない己の無力が、不甲斐ないだけですわ」
かなり苦しい言い回しだったけれど、王家に歯向かうつもりはないとアピールできただろうか。
第一王子殿下は何も言わず、話題を変えた。
「さて、それで今日の本題は、展覧祭の予定についてだったな」
「はい。例年通り、そろそろ準備を始める頃かと思いまして。今年の研究課題は何になさるおつもりでしょうか?」
「昨年は夏の水害が目立ったからな。今回は治水整備を主題にしようと思う」
「承知いたしました。それではさっそく参考になりそうな資料を……」
「いや、いい」
「え?」
突然断ち切られた言葉の行き先を失くし、わたくしは呆気に取られてしまう。
「今年は、君の力を借りずにやってみるつもりだ。だから、手伝いはいらない」
そう言い放った殿下の表情からは何も読み取れない。殿下は平坦な口調で続けた。
「勘違いをしないでほしいが、別に君を悪く思って言っているわけではない。ただ、一度くらいは全部自分でやってみたくなっただけだ。もしもどこかで困って立ち行かなくなったら、君に相談することもあるかもしれない。その時はまたよろしく頼む」
決定事項を通達され、いつもと調子が違うことに落ち着かない気持ちになる。
第一王子殿下の手伝いがなくなるのなら、わたくしは『ルー博士』に全力投球できて万々歳だ。
素直に喜べないのは、後ろめたい計画を実行してしまっている罪悪感のせいだろう。
ただ、何となく、これはもう今後呼ばれることはないな、ということだけは分かった。
けれどこれでいい。こうなるかもしれないと分かっていて、わたくしは自分で選んだのだから。
「承知いたしました。手が必要でしたら、いつでもおっしゃってくださいませ」
最近練習をさぼっていたすました笑顔で、わたくしは第一王子殿下にそう答えた。




