36 表と裏
転生者。別の世界で生きていた前世の記憶を持つ人間。
そもそもこの世界の信仰に転生という概念はない。そんなことを言い出すのは怪しい新興宗教か……当事者だけだろう。
そしてオセロにそっくりな『太陽と月』を見た彼女は、それを作ったルーデンス殿下のことも自分と同じく前世の記憶がある者だと勘違いした。確かにオセロは日本で発売されたゲームだ。
しかも、悪役、フラグ、主人公など……どうやらこの世界のことを、物語の世界だと思い込んでいるように見える。
自分が幸せになるゲーム、という言葉からして、もしかしたら彼女が知る前世のゲームに、この世界に似た世界が登場するのかもしれない。
今まで見てきた礼儀正しく謙虚な彼女。殿下に食って掛かった粗暴な態度の彼女。
単純に怒ったにしてはかけ離れすぎだ。
普段の彼女の姿は、その物語の主人公を演じて過ごしているとでもいうのだろうか?
まさに『太陽と月』の駒のように、くるくると表裏を切り替えて。
おまけに、彼女が知るその物語の中では、わたくしは悪役で、ルーデンス殿下はなんとラスボス。ラスボス? このお方が?
とりあえず初対面でわたくしがあれだけ警戒されていた理由は今ようやく理解した。
殿下に呼び出されて緊張していたというのも納得だ。物語の途中でいきなりラスボスが降臨したら、それは動揺するだろう。……本当にラスボスなんですの?
まさか、プリステラ嬢に心を開かないのも悪役だから?
いや、わたくしたちほど嫌っている素振りは見られない。お姉さんに対してだけは、表面上は丁寧に穏やかに接しているのだ。
もしかしたら、悪役とまではいかないけれど、物語と実際のプリステラ嬢の姿が違っているのかもしれない。
「あの子……ルディ様になんて態度を……!」
「確かに意味はよく分かりませんが、ひどい妄言と暴言だというのは何となく分かりますわね」
ショックで今にも倒れそうなプリステラ嬢。それを支えるアローナ嬢も戸惑いで引きつった顔をしていた。
「態度は別に気にしてないけど、内容は気になる。どうやら彼女の中では、僕とカレッタは悪役になっているらしい。邪魔をするなと言われたけど、今までも深く関わったつもりはないし……自覚はないけど、僕らの何かが彼女にとって目障りに感じるみたいだ」
腕組みをして考え込みながらそう言うと、殿下はわたくしたちをぐるりと見渡した。
「プリステラには悪いけど、僕もカレッタも、そしてみんなも、彼女には少し気を付けたほうがいいと伝えておきたかったんだ。今後大きなことをするなら、なおさらね」
重い空気の中、みんな頷く。
アローナ嬢が励ますようにプリステラ嬢の肩に手を置いて言った。
「プリステラさん、叱りたい気持ちはわかりますが、しばらくは彼女を刺激しないように、静観するべきですわ。そんなに態度が豹変するなんて、これも環境が変わった心労が原因かもしれませんし」
「そうですね……確かに、あの子が無理をしているのはずっと感じていたんです。しつこくならない範囲で、注意深く様子をみようと思います」
「よろしくね。何かあったら、些細なことでもいいから教えてほしい。心配だからね」
ルーデンス殿下は穏やかに言った。
面と向かって理解しがたい暴言を吐かれたというのに、それでもテトラ嬢を気遣っている殿下。
これはいよいよ本格的に、彼女のことを案じて想っていると捉えてよさそうですわね……。
つい浮かない顔になってしまったわたくしに気付いて、殿下は厳しめの口調になった。
「カレッタも。くれぐれも、気を付けて。決して一人で無茶なことはしないでね」
「分かっていますわ」
言われなくても、友好的に接しようとした殿下にすら問答無用で噛み付いた相手に一人で突撃するのはさすがに怖い。
しかし、なんだかややこしい話になってしまった。
わたくしは自分の恋のためにルーデンス殿下の後ろ盾になって彼を守るという目標を定めたけれど、殿下の恋は一筋縄ではいかなそうだ。
気になるご令嬢にラスボス扱いされてしまうなんて不憫すぎる。
そのうえ恋愛対象どころか、同じ世界の記憶を持つ者としてテトラ嬢の幸せを破壊する敵だと思われている。
確かにこれが本当に物語の世界だったなら、主人公の幸福と悪役の幸福は相克するものかもしれないけれど……。
せめて彼女の言う『ゲーム』の物語が分かればいいのだけれど、わたくしの記憶には全く引っかかるものがない。
昔に比べて最近は忘れてしまった部分も増えてきたので、もしかしたらわたくしもそのゲームを知っていたかもしれないけれど、思い出せないものはもうどうしようもない。
テトラ嬢に本当のことを……前世の記憶を持つのはわたくしだと伝えるべきだとは思う。
けれど、現状まともに近付いて話ができないのはわたくしも同じだ。
しかも彼女は、殿下がわたくしを誘導していると考えているようなので、下手に告白しても信用されないどころか余計に話がこじれる可能性もある。
とにかく彼女が前世の記憶をもとに動いていることは分かったので、注意深く観察すれば彼女の目的がもっとはっきり見えてくるかもしれない。今の情報だけでは断片的だ。
殿下やアローナ嬢の言う通り、いまは静観して、話せるチャンスを待ったほうがよさそうだ。
すぐには無理でも、なんとかして彼女の警戒を解くことができれば、ルーデンス殿下も彼女と普通に会話ができるようになるだろう。なってくれないと困る。
好きな人と形だけでも結婚できるのだから、わたくしはもう充分幸せだ。
あとは親友として、殿下の幸せを実現する道をただひたすらに模索していこう。